第69話:人頭鳥の晩餐会
リヨンとミラが滞在を始めてから数日が経過したこの日、クレイドルは悲しみと混乱のさ中にあった。
若い雌が一羽、夜間の見張りの最中に姿を消したのだ。
いくつかの足跡と、散らばる羽根。そうした現場の痕跡から、人間に拉致された可能性が高いと思われた。
失踪したのはレヴェ派の雌だったから、親姉妹の嘆きは特に深かった。他の派閥もその悲しみを共有したために、クレイドルは火の消えたような有様になった。
そうした悲しみの波の後に、一つの噂が持ち上がった。
それは静かに、しかし淀みなく群れの中へとしみ込んでいった。
曰く、若い雌をさらった賊は、別の場所を見張っていたセレネ派のハルピュイアが自分の元へ通ってきた男に気を取られているうちに侵入したのだ。と。
無論、ただの噂だ。
しかし、事実として、そのハルピュイアの元へ通ってきた男はいた。
こうした時の通例として、親しい者が見張りを代わる。
だが、知らせを受けた者が見張り場に赴いて役目を引き継ぐまでの間。恋人たちが真面目に見張りを行っていたか、それとも、待ちきれないとばかりに抱き合い睦言を交わしていたか。
それは、本人にしかわからないことだった。
分からない。ということは、憶測の入り込む余地があるということだった。
結果として、今のクレイドルには悲しみとともに底冷えするような居心地の悪さがひたひたと徘徊していた。
「私たち、一体どうなっちゃうんだろう。」
普段は天真爛漫で元気があふれているラピスが、しんなりとつぶやいてしまうのも、そんな空気のせいだろう。
場所はロードピスの巣。リヨンやミラと一緒に話をしていた時のことだ。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。」
ミラが反射的に励ますと、リヨンもそれに続いた。
「悲しいことがおきると、何か気持ちをぶつける相手を作ろうとしてしまうことがあるのよ。でも、ウワサは所詮ウワサよ。さらわれてしまった娘は気の毒だけれど、おば様たちはこれくらいで動揺したりしないし、群れを割ったりはしないわ。
きっと、こんな時だからこそ、一つにまとまろうとするはずよ。」
「そうかな?」
信じられない。と、いうように聞き返すラピス。
不安げな彼女に対しリヨンとミラがさらに言葉を重ねようとしたその時、戸口の向こうで羽音が響いた。
人頭鳥の巣にはいわゆる扉というものがない。入口は常に開いており、視線が通らないように、扉の代わりに衝立のようなものが作ってある。
「おバアちゃん?」
ラピスが声をかけたのは、外から聞こえる羽音が一つではなかったからだ。
リヨンとミラを匿いはじめてから、誰かを連れてくるのは初めての事だった。
しかし、姿を現したのはロードピス1羽だけ。
「ちょっと、いいかしら?」
「ええ、どうぞ」
リヨンがそう応じると、部屋の中に入ってきた。
「突然、ごめんなさい。アナタ達に相談したいことがあって。」
申し訳なさそうに言うロードピス。
「いえ、かまいません。どういった用件ですか。」
世話になっている立場のリヨンである。そう答えて先を促した。
ロードピスは頭痛をこらえる様な表情だ。
「貴方たちも感じているでしょうけれど、いま、この集落は混乱しているわ。派閥ごとの疑心暗鬼もかなり深まっている。」
リヨン、ミラ、それにラピスが肯いた。それを確認し、ロードピスは言葉を続ける
「最初はあなたたちの存在をできれば隠しておきたい、くらいで考えていたのよ。バレると面倒だけど、致命的な問題にはならないだろうと。
でも、群れがこうなってしまった以上、落ち着くまでは何としてでも隠し通しておきたくなった。」
そこまで言ったところで、リヨンたちの表情が強張っていることに気が付いたのか、ロードピスはとりなすような微笑みを浮かべた。
「ああ、勘違いしないでちょうだい。出て行ってほしいとか、そういう話ではないから。」
リヨンは、分かっています。という意味を込めて、もう一度肯いた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。でも、出て行かなくてもいいのなら、今日は一体どういったお話なんですか。」
「ええ、つまりね。あなたたちの世話役をラピス以外の者にも順番で任せて当番制にしたいのよ。ほら、ラピスがずっと私の巣にべったりなのもおかしいでしょう?」
大したことのない話で、リヨンは正直拍子抜けした。
ラピスとはこの数日で仲良くなった分、少し残念な気持ちはあるが贅沢の言える身分ではないのだ。
「いえ、それくらい、かまいません。ミラも大丈夫よね。」
同意を求められミラも素直に肯いた。
「はい、ちょっと寂しいけど、平気です。」
むしろ、ラピスの方が不満気な顔をしていたが、こちらも祖母に異論を唱えるつもりはないようだった。
「受け入れてくれてよかったわ。新しく、あなたたちの身の回りの世話をする娘たちを紹介するわね。ベルタ、アシュエラ、入っていらっしゃい。」
外で待たせていたのだろう。ロードピスの呼びかけに応じて、彼女たちはすぐに姿を見せた。
ラピスと同じくらいの年と思われるハルピュイアが2羽。それに、リヨンよりもわずかに年上と思われるハルピュイアが1羽。
ロードピスの派閥ということは、つまりはラピスの親族ということになる。
「なーんだ。誰かと思えばお母さんにお姉ちゃん、それにベルタじゃない。紹介なんて言うからドキドキしちゃった。」
こんなことを言うラピスに対して、お姉ちゃんと言われた1羽、アシュエラが呆れた顔をする。
「レヴェ派やセレネ派に隠したいんだからロードピス派から来るに決まってるでしょう。それに、なんでアンタがドキドキするのよ。紹介されるのは私たちとリヨンさんたちなのに。」
「そりゃ、そうなんだけどさー。」
口をとがらせるラピス。
始まりそうになった姉妹喧嘩をお母さんと呼ばれた1羽、ロードピスの長女、リジータが制止した。
アシュエラとラピスの母親ということなら、ここには付き添いで来たということだろう。
「あなた達、お客の前で恥ずかしいことをするんじゃないの。ごめんなさい、リヨンさん。この二人の母親のリジータよ。覚えてくれていると嬉しいんだけど」
「もちろん、覚えています。リジータ姉さん。このたびは、ご迷惑をおかけします。」
懐かしげな口調は演技ではない。昔、ロードピス派の娘たちはリヨンをいじめることをしなかった。
よって、悪い印象はない。
もっとも、昔から弱小派閥だったせいでリヨンを助けることも出来なかったのだが。
「そんな、迷惑なんてことはないわよ。昔はアナタを助けられなかったから、今、こうして役に立てると思うと嬉しいわ。
あらためて、紹介するわね。こっちがラピスの姉で私の長女のアシュエラ、もう一人が姪のベルタよ。どっちも遠慮なく使ってちょうだい。」
ほがらかなリジータの台詞にリヨンの胸が思わず熱くなる。
紹介された2羽はそれぞれ名を名乗った。
「アシュエラです。リヨンさん、ミラさん、よろしくお願いします。」
そういうアシュエラは、当然だが、姉だけあってラピスより大人びている。
「ベルタです。がんばりますから、何でも言ってください。」
少し緊張した様子でそういうベルタはどうやらラピスより少し年少らしい。生真面目な表情を浮かべていた。
そんな二人に対して、リヨンとミラも自己紹介を返す。
それで、一通りの事がすんだということだろう。部屋の隅で控えていたロードピスが口を開いた。
「さあ、自己紹介が終ったところで食事にしましょう。時期が時期だから質素なものだけれど、皆で食べれば楽しいものよ。」
親睦を深める意図だろう。もちろん、リヨンとミラも異存はない。
リジータたちによって料理が運ばれると、うながされるまま席についた。
野鳥と木の実のスープとあとは果物がいくつか。ロードピスの言葉通り、メニューは質素だが、3人集まれば姦しくなるのが女性であり、今日はそれがなんと7人である。
食卓は予想通りに賑やかなものになった。
アシュエラはしっかり者のお姉さん、という印象そのまま。はしゃぎすぎるラピスをたしなめるのが、半ば役目のようになっている。
リジータはそんな2羽の掛け合いが姉妹喧嘩になる前になだめている。
ベルタはまだ緊張がほぐれないのか、口数少なめだった。
しかし、クレイドルの外に興味があるのか、リヨンとミラの話を聞きたがった。
ロードピスは一座の長として、ゆったりと構えていて、孫娘たちの話に目を細めたり、笑いをこぼしたりしていた。
異変が起こったのは、晩餐会も佳境に差し掛かったころだった。
自分の横で不意に舟をこぎだしたミラに気が付いて、リヨンは声をかけた。
「ミラ、起きて。寝るならちゃんと寝所に行きなさい。」
まだ子供だとは言え、ところかまわず寝るほどの幼児ではない。いぶかしく思いながらもミラを揺り起こそうとする。
しかし、その前に自身の意識が唐突に遠のくのを感じた。
「!?」
あまりに脈略のない不可解な現象にロードピスたちに助けを求めようとして気が付いた。
ロードピス、リジータ、アシュエラ、そしてベルタ。4羽の口から紡がれるその旋律に。
【呪歌・子守唄】
(な、ぜ…)
そのことの意味を理解する間もなく、リヨンの意識は闇へと沈んだ。
………。
リヨンとミラが完全に眠りの底へと沈んだのを見計らい、ロードピスは呪歌を止めた。
食事に眠り薬を盛り、効き目が出たところでダメ押しの呪歌。計画通りの展開に、ひとまず胸をなでおろす。
そうしている間にも、かねての打ち合わせどおりにアシュエラとベルタが別室からつる草で編んだロープを取って来て、寝ている二人を縛り上げ始める。
リジータはラピスに声をかけた。少女は突然の事態を理解できずオロオロとしていた。
「何を見ているの。お前も二人を手伝いなさい。」
そう言われても、ラピスの混乱は深まるばかり。
「なんで、こんなことを。二人は私の恩人なのに。」
その言葉にはロードピスが答えを返した。
「この二人には王国から破格の賞金がかかっているの。ここ最近、私たちが頻繁に傭兵に襲われていたのもそれが原因。その上、今度は王子直卒の騎士団まで派遣されてきている。これ以上、匿う理由も、力もないのよ。」
そこまで言って、今度はリジータに向き直る。
「ここは私に任せて、貴方は他の娘の所へ。いつでも避難できるよう、集めておきなさい。」
言われたリジータが肯いて出ていく。
すでに話は終わったと言わんばかりの態度の祖母に対して、ラピスはもう1度口を開く。
「置いておけないなら、出て行ってもらえばいいじゃない。なにも、こんな裏切るような真似をしなくっても」
すがりつくような孫娘の顔を、ロードピスは真正面から見据えた。
「黙りなさい。既にことは動き始めている。
そもそも、追われているのは人間の娘と人頭鳥なのよ。放り出したところで、2人が逃げ続け、賞金が有効である限り、欲に目のくらんだ人間たちは無関係な人頭鳥をも脅かす。
私は決してそれを認めない。お前にもこれ以上の口出しは許しません。」
ラピスは怯んだ。
言葉にではない。決意を語る祖母の瞳の中、そこにたぎる溶岩のような粘性の炎に。
家族への情か、執念か。
それを目にした瞬間、ラピスの肩は震え、抵抗の意思は精神の動揺の中へ落ち込んでいった。




