第61話:童貞喪失
「だぁあああああああ、重てえええ。」
シレンは声を上げながら、担いでいた賊を地面に放り出す。
放り出された賊は、うめき声をあげた。顔がしかめられたのは、目覚めの兆候だろう。
街道から適度に外れた岩場の影。
腰を下ろして、水筒から水を飲む。追いはぎ騒動、その後の追いはぎ担ぎでもうカラカラだ。
ガブガブとやっていると、横合いからジャスパーの声がかかる。
「あまり、一気に飲むな。」
「あ、ああ」
思わずどもったのは相手の格好が先程までの不審者ルックに戻っているたからだ。
いつの間にか、再び覆面が着用され、怪しい覆面火蜥蜴の肥満体風が現れている。
そんな弟子の様子に頓着することなく、ジャスパーは言葉を続ける。
「とりあえず、剣を振っておきな。情けないお前のために稽古をつけてやるから。」
悔しいが、先ほど醜態をさらしたのは事実。
長々しい説教などではなく、稽古をつけてくれるというのは、どちらかと言えば有情な話だ。
シレンは言われたとおり、ジャスパーと賊から距離を取って剣を振りはじめる。
追いはぎたちに痛めつけられはしたが、ダメージ自体は重くない。
剣は何とか振れる。
しばらく素振りを続け、強張った体が温まってきたころ。
ジャスパーが荷物の近くにうっちゃってあった剣を拾い上げると未だ目を覚ましていない賊の枕元にしゃがみ込んだ。
どうやら、まだ賊には正体を隠しておくつもりらしいとシレンは理解する。
ホルンが姿を隠しているのも同じ理由だろう。
足を縛られて芋虫のように転がっていた賊だったが、ほどなく意識を取り戻した。
途端に何かをわめきだしたが、さるぐつわに邪魔されてその声はもごもごとした雑音にしかならない。
ジャスパーはそんな様子を気に留めることもなく、そばに腰を下ろしなにやら話しかけ始める。
しばらく、話をしていたと思えば、不意にシレンの方に声をかけて来た。
「おい、話は決まった。こっちにこい。」
言われたとおり、剣を手にしたまま近づいていくとジャスパーは立ち上がり、剣の鞘で賊を指し示した。
「お前にはこれからコイツと仕合ってもらう。」
「へ?」
唐突な宣告に素っ頓狂な声を返すシレン。ジャスパーはそれに取り合うこともなく、言葉を続ける。
「話は簡単だ。1対1でやり合って、お前を殺したら賊は自由。俺も誓って手は出さないし、黙って逃がす。お前の方はコイツを殺してもいいし、殺さなくてもいい。勝ったけど殺さなかった場合は、身ぐるみ剥いでここに転がしていくことにしよう。」
それだけ言うと手にした剣で、賊を縛めていたロープを断ち切った。
縛られていた手首をさすりながら立ち上がる賊の足元に、剣を放り投げた後、
「それじゃあ、仕合開始だ。」
何でもない事のように、ジャスパーは告げた。
賊は間髪入れずに地面に置かれた剣をとる。ジャスパーに歯が立たないことは分かっているのだろう。そちらは一瞥しただけで、シレンに躍りかかった。
ジャスパーの言葉を完全に信じているわけではないだろうが、ジャスパーとシレンを同時に相手にするより、1人ずつの方がまだ目がある。
賊の動きに迷いはない。
「んなっ!?」
動揺しながらも、何とか回避できたのはまだ間合いが遠かったおかげだ。
しかし、一息つく間もなく男の攻撃が続く。型こそむちゃくちゃだが、場数はそれなりに踏んでいる。相手の動揺を見逃すほどは甘くない。
突きを、横薙ぎを、切り下げを、いずれもシレンは受け止める。
まがりなりにも相手の攻めを防げたのは、相手の動きが見えていたからだ。
見えているのに、受け流しも、回避も、反撃も出来ないのは、初めて向けられた殺意に完全に委縮しているせいだ。
賊が攻め、シレンが防ぐ。堂々巡りの立ち合いは、しかしすぐに打ち止めになった。
賊は気絶から目覚めたばかり。たまったダメージで動きはすぐに鈍る。シレンも初めての殺し合いに急速に消耗する。
双方、申し合わせたように距離をとると、荒い息をついた。
肩で息をし、青ざめた顔をしたシレンに向かってジャスパーが声を張り上げた。
「ケチな追いはぎに何をてこずってんだ。お前の相手はなんだ。なんのために村を出た。そんな体たらくで、やり遂げられるのか!!」
賊に自分たちの目的を悟らせないためだろう。要所をぼかした台詞だったが、効果はあった。
言葉の途中から、シレンの目が据わる。
相手を突き放し、自分を守るように前へ出されていた長剣が、担ぐような姿勢で後ろに回される。
ためらいや恐れを吹っ切るように。
さらされた胴体の後ろに刃が消え、長剣の間合いが隠された。
相手のまとう空気が変わったことに気が付いたのか。賊の頬を汗が伝い落ちる。しかし、退くことは出来ない。背後では、もう一人の敵が目を光らせている。
賊の手にした剣の切っ先がわずかに一度震える。
その間に一歩。シレンが間合いを詰める。続いて、もう一歩。
地を擦るように、ゆっくりと確実に。1秒ごとに少しずつ、互いの距離が縮まっていく。比例するように、場の緊張感も急速に高まる。
死線の気配。先に音を上げたのは賊の方だった。もとより、危険とあらばすぐ逃げ出してきたのだ。立ち向かう心のあるはずもない。
「うをぉああああああああああ!!」
恐怖を紛らわせるように声をあげ、大股の踏み込みで斬りこんでくる。
「らあッ!!」
瞬間。シレンの体が気勢とともに加速した。小さいが素早い踏み込みから急速な回転。きらめく刃光。
剣が肉と骨を断つときは、意外と乾いた音がする。
剣と両手が地面に落ちる。
吹きだす血の下で、両手を失った賊が絶叫する。
すかさず、ジャスパーの檄がとぶ。
「シレン、止まるな!!もう一太刀だ!!」
「うわあああああああああ!!」
声を上げながら、シレンが返しの刃を放つ。無我夢中で繰り出された突きが胸板に吸い込まれ、賊は完全に沈黙した。
吹き出した血が手を汚す。
半ば茫然としながら、荒い息を吐くシレンにジャスパーが近づいた。
手には濡らした手ぬぐいと水筒を持っている。
「よくやった。まずは汚れを落として、これでも飲んでおけ。俺はコイツを片付けてくる。」
そう言いながら手渡そうとしたが、シレンの手は細かく震え、剣を手放すにも難儀をしている状態だった。
手伝うことも考えたが、それには及ぶまい。結局、素知らぬ顔で手ぬぐいと水筒を手ごろな石の上に置くと、賊の死骸の片付けに移った。
衣服をもって引きずるようにし、事前に目をつけておいた窪みに放り込む。
(やれやれ、弟子の死体を埋めることにならなくてよかったぜ。)
そう、内心でホッと息をつきながら、土をかけていく。
(それにしても、まったくもって重労働だな。ダンナがいりゃあ、物の5分で済むんだが)
思わず、安否も分からぬ友に考えが向いたのも、解けた緊張のせいかもしれなかった。
もっとも、旅慣れ、世慣れしたジャスパーの仕事は基本的に手際が良い。ほどなくして作業を完了し、シレンの所に戻る。
元の岩陰では、ホルンがすました顔で座っていた。
シレンはどうしたのか。と、視線を動かせば、その脇で鞘に納めた剣を抱くようにして寝息をたてている。
『さきほど、まるで気を失う様に寝てしまいました。』
そう伝えるホルンの声をジャスパーは覆面を外した顎を撫でながら聞いた。
人にとって、初めて人を切るのはかなりの抵抗があると聞く。よくも高いびきで寝られたものだと思ったが、それほどまでに消耗したということかもしれない。
いずれにしても、休養は取れるときに取っておいてもらわねば困る。
「とりあえず、頼もしいことだと言っておこうか。」
誰に向けられたものでもないつぶやきが、夜の闇に吸い込まれていった。




