第58話:VS蛙溜馬
「うぐっ!!」
蛙溜馬の棲み処だろうか。半ば腐ったような、薄汚い水草の堆積した浅瀬に投げ出され、リヨンは苦痛の呻きをあげた。
周りには、かつての犠牲者たちだろう。人や動物の白い骨が其処此処に転がっている。
背中からは解放されたものの、その身体は未だ縛り上げられており、なにより目の前にはその双眸に獰猛な光を宿した魔物が立ちはだかっている。
恐怖にかられ後じさり、必死に縛めに抗うが、無情にもそれはみじんも緩まない。
リヨンもドリさんから蛙溜馬のことは聞いたことがあった。
今のリヨンにとってはまことに不都合なことだが、性質は獰猛にして残忍。捕えた獲物に対しての扱いは2つしか存在しない。
つまり、食い殺すか、嬲り殺してから食うかである。
魔物はリヨンをゆっくりと嬲り殺してから、食うことにしたらしい。
「ひぃ!!」
左右の後ろ足の間から姿を現した蛙溜馬のソレを目撃し、リヨンは思わず悲鳴を漏らす。
文字通り、馬並みという他ない。
まさに凶器であった。
魔物の体毛が肌に食い込むことも気にせずリヨンは暴れ、なんとか縛めから解放されようと試みる。恐ろしさのあまり顔色は青を通り越し、すでに土気色になっている。
しかし、悲しいかな人頭鳥は非力。頼みの歌も口を封じられては用をなさない。
蛙溜馬の目が怪しく動き、束縛が一層の力を増す。
反対にリヨンの瞳は光を失い、徐々に絶望に満たされ…、なかった。
仮にも、ここまでの苦難を乗り越えてきたのだ。ミラを守ることに比べれば、己の貞操と命を守ることなど朝飯前だ。
目の前に迫る敵を真っ向からにらみつけ。精神を集中させる。続いて魔力の高揚とともに起こすべき現象をどこまでも具体的かつ克明に描き出す。
そして、心中で呪文の詠唱。
(軽やかなる風の精霊よ。我がもとに立ち寄りて、障害を切り裂く刃となれ。旋風刃)
魔性の風が収束し、円形の刃となって飛翔する。
『グルァアア!!』
まさか、反撃があるとは思っていなかったのか。不意を突かれた蛙溜馬がいななきをあげて身をかわす。
高等技術、“無詠唱”。
まだ完全に習得していない技術で生み出された魔法は、すぐさま雲散霧消した。そのうえ、魔力の消費は甚だしい。さらには、敵本体も無傷。
しかし、挑戦しただけの対価あった。
「ハァ、ハァッ。やった。」
リヨンを束縛し、苦しめていた蛙溜馬の尾。それが半ばで断ち切られ、リヨンは解放されていた。
まだ、体にまとわりついているものも多いが、それもすべて力のないただの物質と化していた。
『ガアアアアアアアッ!!』
激高し、前脚を振り上げる蛙溜馬。
リヨンはさらに呪文を唱える。
【軽やかなる風の精霊よ。我がもとに立ち寄りて、障害を切り裂く刃となれ。旋風刃】
口頭での詠唱がかなうなら、完成度はけた違いになる。3枚の円刃がうなりをあげて蛙溜馬に襲い掛かる。
『ズオアッ!!』
いななきとともに蛙溜馬の前脚が振り下ろされる。その先の水面から水の柱が立ち上り、旋風刃を受け止めた。
仮にも、水の魔物だ。地の利は相手にあると言って間違いなかった。
「チッ!」
防がれたことに、舌打ち一つ。とはいえ、少なからず隙は出来たはず。リヨンは空中に身を躍らせて飛翔を試みる。
その顔が苦痛にゆがんだ。
「痛ッ」
縛り上げられ、乱雑に扱われる間に羽根を痛めたらしい。それでも、歯を食いしばって体勢を立て直したが、一拍の遅れが致命的だった、
『グルァッ!!』
切り落とされ半分ほどの長さになった蛙溜馬の尾が、再びリヨンの足首を捉える。
「ウアッ!」
『ガアアアアアアアアア!!』
力任せに引きずり落とされ、そのまま浅瀬を滅茶苦茶に引きずりまわされる。
「きゃああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
強かに打ちのめされたリヨン。
「ん、……ッぐ。カハッ」
意識は朦朧とし、息は絶え絶え、体からは力が消え失せた。
『グルルルルルル』
獲物に抵抗の力がなくなったことを見極めたか。蛙溜馬は満足そうに喉を鳴らした。まるで待ちかねたメインディッシュに向き合う様に、ゆったりと歩を巡らせ、舌なめずりをする。
いよいよ、お楽しみの時間というわけだ。
その目論見は、一つの甲高い声で遮られた。
【~、宿敵を貫き倒す槍となせ。土槍隆起】
川底の地面が巨大な槍と化して蛙溜馬に襲い掛かる。
『ガァアッ』
獲物と自分を遮断するかのように突き出された石の槍。
獲物を放りだし、身をひるがえすことで、危うく難を逃れた魔物が忌々し気にうなりをあげる。
怒りに濁った視線の先には、先ほど見逃してやった人間の子が1匹。
愚かにもその身を隠すことなく、森と河原の境に貧弱な姿をさらしている。
人頭鳥にはもう逃げ出す力はない。そう、判断したのか。
蛙溜馬はリヨンを放置してミラに向かって駆け出した。
『ガァアアアアアアアアア!!』
身も凍るような魔物の咆哮。しかし、ミラの顔に怯えはない。
ただ、強い意志。眼前の脅威に対抗する不動の決意がみなぎっていた。
食われる側、無力な弱者の顔ではない。そのことが蛙溜馬の頭に一瞬、警告音として響いたが、荒ぶる魔物の本能は止まらない。
『グルアアアアアアッ!!』
雄たけびをあげ、邪魔者を羽虫の如く踏み潰そうと一層脚に力をこめる。
ドボオッ!!
あたりに響いたのは、蛙溜馬が落下した音だ。
ミラが用意した深い流砂へと。
『ゴアアアアアアアア!!』
混乱する蛙溜馬。ミラは立ち直らせる暇を与えずに更なる呪文を詠唱する。
【聖杖スプラウトを通じて申し上げる。いと静けき緑の精霊よ。我が声に耳を傾け、静寂を乱す輩に戒めを与えたまえ。束縛する緑の手】
先程まで流砂を覆い隠していたつる草が役割を替え、蛙溜馬を捕縛すべく襲い掛かる。
『ゴロァオオオオオオオオ!!』
蛙溜馬は絶叫した。魔物の怒りに呼応して背後の川が溢れ出す。怒涛の勢いで噴出した濁流は、大蛇の如く主の敵へと攻めかかる。
つる草を、流砂を、そして人の仔を、まとめて押し流そうとでもするかのように。
しかし、少女はひるまない。か細い身体に鉄の意思を込め、対抗するかのように咆哮する。
【石剣フォートレスを通じて申し上げる。母なる大地の精霊よ。我が願いを聞き届け、宿敵を打ち砕く槌となせ。土槌隆起!!】
魔物の背後。迫りくる濁流の前に轟音あげて巨大な石柱が姿を現した。
激流と巨岩がぶつかり合う。2つに砕けた水の流れは、しかし、止まることはない。そのまま双頭の蛇と化し左右からミラへと肉薄する。
『グルァ!!』
勝利を確信し、いななく蛙溜馬。
前方の敵のみに気をとられていた魔物は気が付かなかった。
自ら生み出した水流によって背中押された巨岩が、今まさに流砂の深みにある自身の頭上へとその身を躍らせていることを。
轟音、そして地響き。
流砂に石の蓋がされ、蛙溜馬は断末魔をあげる間もなく埋葬された。
水流は意思と魔力を失い四散する。
「やった…。」
荒い息を1つ、2つ。へたり込みそうな足に再度力を込めて、ミラは駆け出した。
「ママッ」
その目には戦果、あるいは惨状はすでに映っていない。ただ母だけに向けられている。
蛙溜馬の水流で打ち上げられたか。リヨンは河原にグッタリとその身を投げ出していた。
「ママ。ママ、しっかりして。」
必死で呼びかけるミラの口には血がにじんでいる。
まともに当たっても勝ち目はない。それゆえに、母がいたぶられているのを横目に【標なき埋葬】と【束縛する緑の手】を駆使して策を弄した。
すぐさま駆け寄りたい気持ちを噛み殺すために、自らの口中を噛まずにはいられなかったのだ。
幸い、リヨンはすぐに意識を取り戻した。激しくせき込み、水を吐いた後、その眼がミラを捉えた
「ミ、ミラ?」
かすれた第一声に、ミラの目からこらえていた涙がこぼれだす。しかし、何はともあれ治療が優先だ。
【聖杖スプラウトを通じて申し上げる。いと静けき緑の精霊よ。我が声に耳を傾け、弱き命に優しき恵みを施したまえ。聖緑の恵みを】
見たところ、傷自体は数こそ多いが、深くはない。縛り上げられ、水中を引きずり回されたことによる消耗が大きいようだった。
「ごめんなさい。もっと、はやく助けられれば」
魔法陣に魔力を注ぎながらミラが言う。ベショベショの泣きべそ顔だ。
魔法が効いて少し楽になったのか。リヨンは娘を安心させる優しい声で言う。
「私こそ、ゴメンね。気をつけていたつもりで、あんなのに捕まるなんて。それと、ありがとう、助けてくれて。」
言いながら、羽根でミラの頭をなで、体から汚れを払う。
「とりあえず、はやくここを離れましょう。これだけの騒ぎで、他の魔物や人間が近づいてくると危険だわ。」
本当は薬草を使った手当もしたいところだが、ゆっくりはしていられない。
少なくとも、安全な場所まで移動しなくては。
治癒魔法が一段落したところで、リヨンはソロソロと立ち上がった。服も未だ身に着けてはいないが、それも後回し。
口調も強がってはいるが、やはりまだつらいのか。足元がふらついている。
そんなリヨンをミラが支えた。
「ママ、大丈夫?ほら、私につかまって」
「ありがとう。ごめんね。名も無き村のあたりから、助けてもらいっぱなしで」
「そんなこと、ないよ。」
笑顔で受け答えをしながらも、心中でミラは動揺していた。
母の華奢な体の軽さ、そして心もとない細さに。
(ママ、こんなに軽かった?)
元々、細身で小柄な一族。とはいえ、それを考慮に入れても今のリヨンは脆く、いっそ儚げにすら見えた。
母娘は寄り添いながら歩き出す。
傷だらけ、やせっぽっちの母を抱きしめるようにしながら歩くミラの中で、一つの気持ちがかつてなく高ぶっていた。
(強く、なりたい。ママを守れるくらいに)
旅はまだ道半ばにも達していない。展望は決して明るくない。それでも、
(私たちは生きて、生き抜いて、いつか、またみんなで笑って暮らすんだから)
決意とともに歯を食いしばる。口の中にはまだ、血の味が残っていた。
※キャッキャした水浴び回が書きたかっただけなのに、どうしてこうなったのか。




