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第57話:水浴び回

ちょっと短いですが、あしからず。

「あ、あった。ママ、川あったよ。」

 前方に川を見つけたミラがリヨンに報告する。


「よかった。これで水が補給できるわね。」

 旅に必須の食料と水。その片方を首尾よく見つけられ、リヨンもホッと胸をなでおろしていた。


 上手く見つけられなかったら、上空から探すことも考えていたのだが、やらずに済むならそれに越したことはない。

 ミラの体調が悪かったころは、やむを得ず二人で飛行していたが、基本的にリスキーな行為なのだ。


 第1に目立つ。さらにはミラも既にかなり大きくなっており、2人で飛べば機動力が落ちて不意の襲撃への対応が難しい。

 かと言って、リヨンだけが飛行すれば、その間はお互いに単独行動。

 勝手知ったる聖樹の森やイスタ村周辺ならともかく、逃亡中に行いたいものではなかった。


 では、川に沿って進めばいいかというと、そうもいかない。

 そもそも、目的地とまったく方向が違うことが多いし、何より水辺には生き物が多い。水を求めて様々な生き物が行きかう中、その全てが2人に対して友好的など、絶対にありえない仮定だった。


 1羽は魔物、もう1人も魔法が使える。と言っても、所詮は非力な女の二人旅。

 人であれ、魔物であれ、2人にとって無害なものの方が少ないと言っても過言ではないのだ。


 ゆえに、2人は慎重に水辺へと歩を進めた。

 川はくの字型に折れ、小石の河原とわずかな浅瀬。そしてその奥におよそ腰くらいまでと思われる深みが形成されている。


 視界にも、またその他の五感にも異常は見つけられない。どうやら、とりあえずは安全らしい。

 と、なれば後は行動あるのみである。ミラとリヨンは力強くうなずき合った。


………。


「はぁ~、気持ちい~。最近、体も服も洗えてなかったから、ひとしおだわ。」

 陽光の下、滴を払いながらリヨンが言う。

「もう、早くしてよ。私も体を洗いたいんだから。」

 頬を膨らませながら、ミラが応じる。


 彼女の不機嫌の理由は簡単だ。厳正なる審査(じゃんけん)の結果、リヨンが先に水浴びと洗濯を行い、自分はその間の警戒をすることになったからだ。

 その証拠に、彼女の手には杖が握られ、帯には石剣が挟まれていた。


「まあまあ、硬いこと言わないでよ。これでも手早くやってるんだから。」

 もとより本気で気を悪くしているわけではない。ミラはいかにも不承不承という大げさな表情を作って肯いた。


「しょーがないなー。ホラ、服を貸して。こっちに干しておくから。」

「えっへっへ。ありがとう、ミラ。優しい娘で、ママは嬉しいよ。」

 洗い終わって水気を切った服をミラに渡すと、リヨンは髪を洗おうと深みの方へと足を踏み入れた。


 小魚がリヨンの影に驚いて、銀色の光を残し臆病に逃げ去る。

 向こう岸はうっそうとした茂みになっているが、水は澄み、わずかばかりの水草が流れの中に身をゆだねているだけだった。


 流れる水は思いのほか冷たいが、天気は上々だし、垢にまみれた体にとって、これはこれで清々しい。

 ひざ上までの深さの地点で立ち止まりリヨンは体を洗い始める。


 体を洗う順番であるとか、身体の細々とした部分について詳細な描写は省かせていただこう。

 なぜなら、(もしかしたら、アラサーハルピュイアの肢体に並々ならぬ興味、あるいは知的好奇心を抱いている方がいらっしゃるかもしれない。しかし、)話の本筋とは、あまり関係がないからである。


 髪と体を手早く洗い終えた時。リヨンの右脚に長い水草が数本、ペタリと触れた。

 大したことではないのだが、ほんのわずかにリヨンはムッとした。その水草がやけにヌメヌメとした粘り気を持っていたからだ。


(もう、折角綺麗にしたのに)

 と、そんなことを考え、左足の指先で水草を取り除こうとする。しかし、突如として水草が意思を得たかのように動き出した。

 それまで、ただただ川の流れに揺れるだけだったソレが機敏な動きでリヨンの足首に巻き付いてくる。


「えっ!?」

 思わず、驚きの声をあげたリヨンに、ミラも異変を察知した。

「ママ、どうしたの?」

 そう声をかけた次の瞬間。

 リヨンの足首に巻き付いた水草が、非情な力強さを発揮。獲物を深みの方へと引きづり込む。


「ミラッ!」

 娘に助けを求めながら、抵抗するリヨンの背後。川岸の茂みと水面の境が不気味に泡立ち、そこから一頭の獣がとび出して来た。


 全身がヌラネバと光る緑の毛に覆われ、そのすきまから血走りぎらつく二つの目玉がのぞいている。

 姿そのものはコルダ、あるいはロクがかつて暮らしていた世界で言うところの「馬」に近い。

 しかし、その口は大きく裂け、禍々しい牙がのぞいており、4本の足には蛙を思わせる指と吸盤がある。

 そして、太く長い尾は、その先端がリヨンの右足首へと巻き付けられていた。


「け、蛙溜馬ケルピー!?」

 ドリさんから聞いていた水の魔物の名をミラが思わず声に出す。

「きゃぁあああああっ!!」

 一際、高い悲鳴とともにリヨンの体が空中を舞い、そのまま叩きつけられるようにして魔物の背中に担がれた。


「グゥッ!…っ!!」

 衝撃に息が漏れ、視界が明滅する。同時にねばりつく長い毛が執拗に絡まってリヨンの自由を奪っていた。

 口の周りにも絡みつき、声さえ出せない。


「ママッ!!」

 母を救出すべく、魔物に向かって駆け出しながらミラは呪文を詠唱する。


【聖杖スプラウトを通じて申し上げる。いと静けき緑の精霊よ。我が声に耳を傾け、静寂を乱す輩に戒めを与えたまえ。束縛する緑の手(バインド)


 川岸の茂みから、無数のつる草が蛙溜馬(ケルピー)を捕らえるべく手を伸ばし、絡みつく。

 だが、それまでだった。


 いきり立った魔物は前脚を振り上げ、その身を激しく震わせた。絡みついていたつる草は無残に引きちぎられ、切れ端を水面に浮かべることになった。


『ゴアアアアア!!』

 ミラの足掻きに気分を害されたのか。蛙溜馬(ケルピー)はいななき、咆哮をあげると目の前の邪魔者を蹄にかけるべく突進した。


「っ!!」

 とっさに身をかわし、河原を転がった少女の横を、魔物はリヨンをその背に乗せたまま走り去っていった。


 並の人間ならば、ここで心が折れるだろう。目の前で肉親がさらわれ、相手は風のような速度で去った。

 実際、ミラのショックも小さくはない。小さな肩は震え、その瞳からは涙がこぼれそうになる。


 しかし、ここで膝を屈してしまうような者が、今日、この日まで王国の追手をかいくぐり逃亡を続けられるはずはない。

 既に、ミラは並の少女ではなくなっていた。


 相手は大型のコルダほどもある魔物だ。そんなものが森を疾走すれば、細かい枝が折れ、下草は踏み荒らされる。

 幼いころより、森の中で育ち、樹木精に教えを受けたミラにとっては見逃す方が困難な痕跡だ。


 呆けていたのは、ほんの数秒。

 濡れた目元をこすると、すぐさま立ち上がり、荷物を担ぐ。

 ミラは赤い髪をなびかせて、母の元へと走り出した。

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