第56話:シレンとネリ
『ジャスパーさん。私たち、一体いつまでここにいればいいんですの。』
ホルンが傍らの火蜥蜴に尋ねる。
その口調には焦燥から来るイラ立ちがハッキリと滲んでいる。
しかし、それに応じるジャスパーの表情はどこまでも呑気なものだった。
「落ち着きなよ。ミラちゃんが心配なのは分かるけどな。ミラちゃん達を探し出すのに、俺たちだけじゃ力不足なのは説明しただろう?お嬢も納得したじゃねえか。」
その言葉にうなずきながらも、ホルンは不満げだった。
『それは分かっていますけど、本当に大丈夫なんでしょうね。待たされるだけ、待たされて、やっぱり駄目でした。なんて、許しませんよ。』
「分かってるって。まあ、ここは俺を信じて、もう少しだけ待ってくれよ。」
ジャスパーが肩をすくめながら言う。それでとりあえず話は着いたようだった。
………。
ちょうどその頃。イスタ村は困惑の渦に包まれていた。
原因は今朝がた、東周公麾下の騎士たちによってもたらされた報せだ。
曰く、「ミラたちが謁見の場にあって東周公を弑いせんとし、勇者によって返り討ちにあった。」と。
ゴーレムはその場で両断され、ミラは手傷を負って逃走中。
勇者に加え、東周公配下の騎士団がその行方を追っているとのことだった。
捜索の手がかりを求めてか。騎士、兵士は村人たちに盛んに聞き込みを行っていた。
村での様子。魔物たちの山での棲み処。などなど。
村人たちが突然の話に戸惑いつつも、従順な態度で質問に答えていた。
数年を村で過ごしたとはいえ、魔物と貴族様では信用が違う。
しかし、全ての村人が騎士の言葉を素直に受け取ったわけではない。いや、村で見ていたロクやリヨンの様子から、彼らの説明に頷けぬものを感じていたものも多かったのだ。
ただ、殺気立つ騎士たち相手にそれをはっきりと表明するほどの馬鹿もいなかっただけの事である。
1人を除いて。
「なんで、ミラたちが極悪人で、追手まで掛けられるんだ。おかしいじゃねえか!!」
そう言って、村の顔役であるセロウに噛みついているのは、イスタ村騎士団隊長のシレンである。
騎士たちの説明に納得してない者、筆頭。さらには、直接騎士に噛みつこうとした馬鹿でもある。
セロウの家の柱に縛り付けられているのは、騎士に掴みかかろうとしたところをキタイとロタールに取り押さえられたからだ。
普段ならそんなことをしないだけの分別はあるのだが、ミラとロク、両方と仲が良かった分、反射的に動いてしまったらしい。
セロウはそんなシレンの様子にため息をつきながら、口を開いた。
「落ち着け。俺だって、あんな説明を真に受けちゃいない。だが、一体どうしようってんだ。俺たちに何ができる。」
大貴族様がおっしゃったことに、寒村の農民が異を唱えて何になるのか。黙って、従う以外はないのだ。
そんなことは、シレンも言われるまでもなく重々承知だったろう。悔しそうに顔をゆがめて、押し黙る。
しかし、沈黙は長く続かない。
「分かってるよ。でも、ロクはこの村を良くしてくれただろ。開墾を手伝ってくれたし、水路の整備だって。ミラもリヨンさんも良い奴だったじゃないか。」
前のめりに放たれる言葉は、セロウよりも自身に言い聞かせているのかもしれない。
「それで、どうするって言うんだ?」
あきれたように聞き返して来たセロウの目を、シレンは真っすぐに見返した。
「俺は、ミラたちを探しに行く。」
冗談のようなその台詞。しかし、シレンの本気を悟ったセロウの顔に笑いは全くない。
「馬鹿なことを。お前ひとりが村を飛び出したくらいで、何ができる。どっかで行き倒れてくたばるのが関の山だ。」
「んなこたぁ、分かってんだよ。でもよ。ミラもロクも、リヨンさんも、みんな村の仲間じゃねえか。それをこんなに簡単に切り捨てちまうのかよ。」
二人の視線が虚空でぶつかりあう。
年経た、荒野の砂を思わせるセロウの瞳に向かって、シレンは訴えかける。
「俺は馬鹿だけど、仲間と友達を簡単に捨てる卑怯者にはなりたくない。頼むよ、養父。行かせてくれ。」
この台詞は少なからず、セロウの心を揺さぶったようだった。男が、初めてわずかに目を伏せた。
しかし、その口から少年の望んだ言葉は出てこない。
「駄目だ。お前に何かあったら、俺はムラトとアテカに申し訳が立たねえ。」
「養父ぃ!!」
「今のお前は冷静じゃない。しばらく、そうやって頭を冷やしておけ。」
そう言い残して、セロウは家から出ていく。
「ちょっと、待てよ。まだ、話は」
扉の音が、シレンの言葉を強引に打ち切った。
「だぁー!!くそっ」
一人になった部屋の中で、シレンは縄をほどこうと悪戦苦闘していた。
とは言え、力任せにガタつかせるだけでしっかりと結ばれた縄が解けるわけはない。
不毛な努力はシレンを汗まみれにしただけだった。
カタッ
窓際で小さな音がした。
シレンが反射的に視線を向けると、そこには見慣れた顔が一つ。
「ネリ!」
思わず名前を呼ぶと、少女は窘めるような顔で人差し指を自分の口元に押し当てた。
相手の意図を理解して口を閉じたシレンに微笑んだ後、少女は窓枠を乗り越えて部屋の中へ入ってきた。
普段のお淑やかな態度からは想像できないお転婆な行動だが、不思議と堂に入っている。
「話はきかせてもらったけど、まったく何をやっているのよ。」
ナイフでシレンを縛っている縄を切りながらネリは言う。
あきれた口調の対象は騒ぎを起こしたシレンか。それとも、それを大げさに縛り上げた村の男たちか。
解放されたシレンは流されるまま、ネリに連れられて窓から脱出した。
息を潜めた足早な移動。
村はずれの木立に着いたとき、2人はようやく沈黙を取り去った。
「ありがとう、ネリ。助かったぜ。しかし、驚いた。お前がまさかこんなことをするなんて。」
シレンの謝礼にネリはクスリと笑いを返した。
「本当に、男の子って単純。女の子には裏も表もないと思っているのよね。そもそも、私はミラの親友よ。あれくらいできなくちゃ、とても務まらないわ。」
年下の少女の発言にシレンは意表を突かれたような思いがした。
曖昧な言葉で返答すると、ネリは今度は笑みを消してシレンに向き直った。
「でも、勘違いしないで。別にミラを探しに行くっていう考えに賛成なわけじゃない。むしろ、逆よ。」
この言葉に、今度こそシレンは意表を突かれた。
自分の考えを支持してくれたからこそ、あの家から抜け出させてくれたのだと思っていたのだ。
「なんで、お前とミラは親友じゃないか。助けたいとは…、」
「思うわよ。当たり前じゃない。」
シレンの台詞を遮って、ネリは口を開く。
「自分だけが、ミラたちを心配しているみたいに言うのはやめて。私も、村の人も3人のことを心配しているに決まっているじゃない。」
「なら、なんで」
「なんで?騎士団が動いているのよ。もしかしたら、国中に手配がされて、懸賞金もかかるかもしれない。貴方は本気で自分が誰より早くミラたちを見つけられると思っているの?万が一、上手く見つけられたとしても、その後はどうするつもりよ。一生、逃げ続けられるとでも?」
悲観的だが、現実的な展望を語るネリの目は、今にもこぼれ落ちそうな涙の膜に覆われている。
セロウにも指摘されたことをネリにも言われ、シレンは反論できなかった。本当は、自分でも分かっているのだ。
「もう、出来ることは何もないのよ。お願い、バカなことをするのはやめて。私は、このうえ貴方まで失いたくない。」
ネリの言葉の後に、沈黙が残る。
少女の瞳から、ついに溢れ出した涙が光の粒を残して空中を彷徨った。
その場に居座った重い空気を押しのけて、言葉を発するのは勇気のいることだった。
しかし、シレンは口を開いた。
「それでも、俺はいくよ。」
ネリの濡れた瞳。それは怒りや悲しみを通り越して、半ばあきれているようにも見えた。
「本気、なの?」
「本気だよ。」
「万が一にもミラは見つけられない。それどころか十中八九、ただ貴方が死ぬだけなのよ?」
「でも、行くんだ。」
問答の度に、シレンの口調から迷いが減っていく。
ネリが涙をぬぐった。覆いが取り去られた瞳が、改めてシレンに向けられた。
「シレンは、ミラが好きなの?」
不意打ちに、シレンの表情が揺れる。
思わず見返したネリの表情は、どこまでも真剣だった。
少しの間。それからの返答。
「正直、分からない。ひょっとしたら自分と似た境遇のミラに同情してるだけなのかも。でも、このままジッとはしていられない。」
それを聞いたときのネリの表情。
悲しそうで、寂しそう。痛みをこらえているようでもあった。
やがて、少女がため息を一つ。
「流石の隊長でも、ここまで馬鹿ではないと思ってた。」
非難の中に確かに込められた容赦の響き。シレンはまじまじと相手の顔を見つめ返した。
「皆には黙っておいてあげる。でも、急いだほうがいいわよ。アナタが家から抜け出したこと、すぐに分かるだろうから。」
「ぁ、ああ、分かった。」
戸惑いながら駆けだそうとしたシレンだったが、ふと思い至って足を止めた。
振り返って、笑顔を浮かべる。
「ネリ、ありがとう。俺、きっとミラを助けて帰って来るからな。」
それに対するネリの返答は短かった。ただし、そこに添えられた笑顔はまぶしい。
「うん、待ってる。」
今度こそ、シレンは駆けて行った。
おそらく、こっそりと荷物を持ち出して、村をとび出すつもりだろう。
「本当、馬鹿なんだから」
木立の中、一人きり。ネリがつぶやいた。
風に揺れる木々の音にまぎれ、その声はどこに届くこともない。
「好きじゃなきゃ、助けになんか行かないわよ。」
最後に頬を伝った涙の意味。それを知るのも、ネリ一人だけだった。
………。
シレンは、ネリの推測通り。こっそりと荷物を持ち出すと、人目を避けながら村から出発した。
木立の合間を縫うように、できる限り素早く足を動かす。
まだ日は高く、大胆な行動は見つけられる恐れはあった。しかし、今日のうちに距離を稼いでおかなければ、余計に見つかりやすくなる。
一人旅の常で、魔物などにも気をつけねばならない。
木々や、岩の間を慎重に進むシレンに、不意に声が投げかけられた。
「おうおう、ようやく来たな。待ちくたびれちまったぜ。」
思わず、飛び上がりそうになったシレンが目を向ける。
そこには見慣れた蜥蜴面と、見慣れぬ山羊の魔物が並んでいた。
「ジャスパー、どうしてここに?」
目を白黒させながらシレンが尋ねると、ジャスパーは愉快そうな顔で応じた。
「ミラちゃん達を探しに行くんだよ。お前もだろ?」
こともなげに火蜥蜴は言った。言外に、「もちろん、いっしょに行くよな?」と語り掛けてくる。
山羊の魔物の睨み付けるような視線が気になったものの、シレンにとっても仲間が増えるのは望むところ。
二つ返事で了承する。
「ああ、もちろん。」
ミラを捜索する風変わりで、物好きなパーティーがここに結成されたのだった。




