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第51話:挑戦

今回、山羊回です。

 天を突き、大陸を分かつ天境山脈。その東端の麓に広がる森の中に、一際堂々と枝葉を伸ばす聖樹の木がある。

 幾多の時を超え、その分だけ厚みを増した太い幹。吹き荒れる嵐をモノともしないその幹が、唐突に震えた。


 それは静かで、かすかなものだった。枝で休んでいた小鳥すら、足元が震えたことに気づかぬほどに。

 気が付いたのは、わずかに二人。聖樹本人と、そこに住まう地獄蜘蛛(ヘルスパイダー)だけだった。


『どうかしたの。何かあった?』

 巣から這い出して来た地獄蜘蛛・ピンクが問いかける。

 聖樹本人、樹木精(ドリアード)のドリさんは常に見せたことのない、呆けたような表情でピンクの方を振り向いた。


「腕輪の、腕輪の魔法が発動しよった。」

 その言葉に、ピンクの顔色も変わる。

 腕輪とはドリさんとピンクが子とも孫とも思っている少女、ミラへ渡した聖樹の腕輪の事だろう。

 それには、持ち主が命にかかわるようなケガを負った時に一度だけ、癒しの魔法を発動させる機能があった。


 つまり、ドリさんの言葉はミラが命の危機にあるという意味に他ならなかった。

 常に冷静な樹木精の身体がおののき震える。

 人に似た姿は本体である聖樹の作り出した幻のようなものだが、精神の乱れが像の乱れとなって現れているのだ。


『魔法が発動したということは、少なくともまだミラちゃんの命はあると言うことよ。ロクもリヨンちゃんも付いているわ。大丈夫。きっと、大丈夫よ。』

 自分にも言い聞かせるようにピンクは言う。穏やかな口調を心がけようとしているが、千々に乱れるその心は隠せていない。

 樹木精と地獄蜘蛛は寄り添うようにして、眠れぬ夜を過ごした。


………。


 行く末を遮る濃い霧のように、突如として湧き上がった不穏は、翌日。岩山に棲まう悪魔山羊(デモンズゴート)の群れにももたらされた。

 ドリさんから報告を受けた族長のガラードンはしばし瞑目した後、息子であるオヅノに一族の主たるものを集めるように命じた。


 朝から始まった話し合いは、昼を過ぎたころ決着した。

 群れの全ての者が集められると、一段高くなった岩棚からガラードンが結論を伝える。


『我らがこの地に居を据えて、すでにいくつもの春を迎えて来た。みながみな、健やかに日々を送ってきたことと思う。しかし、今また不穏の影がこの地に迫りつつある。よって、我らはこれより西に新天地を求めることとする。』


 群れの中からどよめきが起こる。しかし、彼らはもともと南よりこの地へ移動してきた者たちだった。その頃のことを覚えている者も未だ多い。

 どよめきは、ほどなくして鎮まった。


 そのタイミングを計っていたか。ガラードンは再び口を開く。

『出発は2日後の明朝とする。おのおの、おこたりなく準備しておくように。』


 それで、話は終わりだった。既に戸惑いの声は聞かれない。群れの者たちは一様に重々しい表情で、それぞれ近しい者たちと寄り集まって話をし始めた。

 ガラードンも再び主たる者たちとの相談に戻る。


 ザワザワと落ち着かない空気の中。ガラードンの娘、ホルンは決意に満ちた顔で父親を見据えていた。

 その彼女に、兄であるオヅノが声をかけた。

『そんな顔で何を考えているのかしらないが、()しておいた方がいい。』


 ホルンは底に火が付いたような瞳で兄を見返した。

『兄様は分かっているんでしょう。ミラが窮地にあるのです。私はあの子の姉として助けに行かねばなりません。』


 対するオヅノの瞳は凪いだ水面のようだった。

『ホルンこそ、それが許される状況かどうかは分かっているはずだ。』


 ロクとリヨンが付いていながら、ミラが命にかかわる傷を負う。単純な事故などは考えにくい。

 つまりは、今回の貴族の呼び出しは最初から罠だったのだ。村に来ていたという騎士たちも敵だったことになる。


 その場合、彼らは間違いなく聖樹に目をつける。ミラの杖にロクの魔声環(ヴォイスリング)。見る者が見れば、それらが聖樹の枝で出来ていることは一目瞭然なのだから。


 間もなく、この山も森も聖樹の葉を求める人間であふれるだろう。その人間たちが聖樹の葉だけを目的とし、悪魔山羊を見逃してくれるだろうか。

 いや、そんなはずはない。


 もちろん、そうはならない可能性もある。ミラが旅先で思わぬ病気になることもあろう。しかし、群れを守るためには常に最悪に備えておく必要があるのだ。


 ホルンもそんなことは分かっている。だから、オヅノは一々説明をするようなことはしない。

 ただ、尋ねるだけだ。


『拠点をかえると言うのは簡単なことじゃない。群れが一丸とならねばならない時に、模範となるべき族長の娘が勝手に群れを脱してミラちゃんを追うというのか?そもそもが、あてもないのだろう。ミラちゃんの無事どころか、お前自身の無事さえおぼつかないぞ。』


 兄の強い言葉にも、ホルンは全くひるまなかった。

『仔が今まさに崖から落ちようとするその時、助けられるかどうかで母親の行動は変わるでしょうか。ましてや、自分の保身など考えないものではありませんか?』

 一際、目に力を込めて彼女は言い切る。

『私は、行きます。』


 その言葉に、兄は微笑んだ。小さいが、深い笑み。

『それほどの覚悟があるのなら、今があの約束を果たす時ということだね。』

『約束?』

 そう口にしたホルンの脳裏に、かつて兄とした一つの約束がありありとよみがえった。



『いつか、自分1人で歩いて行けるようになった時に、心底そうしたいと言うのなら。僕がお前の背中を押してあげる。責任なんて言葉に縛られる必要はないんだよ。』



 兄がそう言ってくれたのは、いつのことだったか。そう、確かミラと供にイスタ村へ行きたいと駄々をこねて、父と喧嘩してしまった時のことだったはず。


『兄様』

 そう呼びかけた時、オヅノは既にホルンの横を通り抜け、父・ガラードンの前に立っていた。

 何をする気なのか。ホルンは息をつめて見守った。


『父上、旅立ちに先立ち私から一つ願いがございます。』

 格式ばった物言いに、なにか異なものを感じたか。ガラードンの表情がわずかにひりつく。

『どうした、オヅノ。お前が願いとは珍しいな。それもこのような場でとは。』

『恐れながら、このたびの拠点の移動は群れの命運をかける一大事業。群れが一丸となり、全力尽くして取り組まねばなりません。』


 分かりきったことを滔々(とうとう)と述べる息子の意図が分からずに、ガラードンはとりあえず肯いた。

『その通りだ。それで、願いとはなんだ。』

『はい、父上も既にかなりのお歳。この事業を行うにはいささか不安がございます。それゆえに、今日ここで私に族長の座をお譲り戴きたい。』


 一瞬の静寂。(のち)、群れはすさまじい騒ぎになった。

 それもそのはずだ。今、オヅノが口にしたのは族長に対する挑戦。下剋上の宣言に他ならないからだ。


 しかし、渦中の2頭。ガラードンとオヅノだけは冷静に言葉を交わしていた。

『あと3年もすれば俺の方から跡目を譲ったと言うのに、そんなに生き急いでどうするんだ。』

『どうしても、今、必要になりまして。』

『昔から、そうだった。お前は少し、賢すぎるところがある。』

 ガラードンはヤレヤレとばかりに顔をしかめた。


『オヅノが族長への挑戦を宣言した。年寄衆、前へ』

 群れ中に聞こえるように張られたガラードンの声。それで我に返ったように、3頭の山羊が群れの前に進み出てくる。

 年寄衆。いずれもガラードンより年長な群れの長老格である。


 強さを求められる悪魔山羊の族長は、常に他の雄の挑戦を受ける義務がある。

 とはいえ、いつでも誰でも挑戦が出来るわけではない。

 挑戦者は族長に挑む前に年寄衆の審査を受ける必要があるのだ。3頭の年寄衆のうち、1頭でも許可すれば挑戦が認められる。

 しかし、逆に1頭の許可も得られなかった場合には「資格もないのに、みだりに群れを騒がした。」として群れから追放されるのが掟だった。


 年寄衆、最初の1頭。片角のモーダが口を開く。

『危機迫るこの時期に、族長への挑戦など認められない。不許可だ。』

 モーダの言葉を聞き取ろうと静まっていたどよめきが、再び大きくなる。


 続く1頭は毛長のブラン。ざわめきが収まるのを待って口を開く。

『オヅノはまだ若すぎて、この難局は任せられぬ。よって、不許可。』

 2頭続けての不許可。しかし、オヅノは涼しい顔のままだった。この程度で動揺していては、とても族長になどなれぬと知っているかのようだ。


 最後の1頭は最長老。尾なしのウィルム。彼はなかなか決定を下そうとはしなかった。

 険しい顔で群れとガラードン、それからオヅノを見やること数十秒。聴衆がしびれを切らす寸前に、思い出したかのようにしゃがれた声を発した。

『若いとはいえ、オヅノの優秀さはとび抜けておる。ゆえに、温情をもって機会を与えよう。』


 許可が、下りた。どよめきが最高潮に達する。

 おそらく、ウィルムは優秀な族長候補であったオヅノの追放を嫌ったのであろう。

 ガラードンは「分かっていた。」とばかりに小さく息を吐き。オヅノはそれを受けて微笑した。

 ともかく、挑戦の舞台は整えられたのだ。

しばらく続きます。

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