第52話:父子相克
引き続き、山羊回
群れの全ての目が、向かい合う2頭の雄へと注がれていた。
試合の場所として選ばれたのは、拠点からほど近い位置にある荒れ地。ロクを交えて何度も組手を行った場所だった。
ガラードンとオヅノは無言だ。
2頭の間には立会人として、年寄衆のうちの1頭。片角のモーダが立った。
『それぞれ、準備はいいな?』
双方が肯くのを確認し、老山羊は続ける。
『勝負はどちらかが気を失うか。それとも降参するまで。それ以外にも、命の危険があると判断した場合は、このモーダの責により勝敗を決する。わかったな。』
再び2頭が肯くと、モーダは距離をとり、声を張り上げた。
『それでは、はじめっ!!』
父子は同時に動いた。
【岩砕く角】と【轟く蹄】を発動させたのはガラードン。
対するオヅノが発動させたのは、【岩砕く角】と【踊る蹄】。
あくまで、突破力を追及する伝統のスタイルをとった父に対して、息子は身軽さを求める女性的ともいえる構成。
意外に感じられたのか、群れの其処此処から声が上がる。
しかし、次の瞬間。その声はさらに大きくなった。
オヅノが真っ直ぐにガラードンに突っ込んだからだ。
一回り以上の体格差に加え、魔法の選択でも真っ向勝負はガラードンの土俵に間違いない。それでも、若駒の動きに迷いはなかった。
当然、ガラードンは受けて立つ。
硬質な衝突音。一瞬の均衡。
そして、オヅノの身体が宙を舞った。ガラードンの巨大な角にすくい上げられるように。
空中で体勢を立て直し着地したオヅノに、ガラードンの追撃が迫る。
しかし、思い切りよく跳ね飛ばされたのが、かえって功を奏した。ガラードンとの間に距離があり、回避が間に合ったのだ。
改めて距離をとったオヅノに、ガラードンが声をかけた。
『どうした。万事、そつがないお前にしては珍しいじゃないか。』
オヅノも応じる。口調はしっかりしており、ダメージはまだ重大な域までは達していないことが窺えた。
『超えようとする壁の、その高さを知るべきだと思ったので』
『それで、超えられそうか?』
『それは、これから示します。』
ガラードンが笑った。心底、愉快だと。
そして、踏み出す。立ちはだかる物すべてを踏み砕く鋼の蹄をまっすぐに。
オヅノはそれに対抗する。風に舞う木の葉のように身をかわし、軽やかだが、鋭いフットワークで果敢に隙を狙う。
唸りをたてるガラードンの角をオヅノが紙一重でかわし、空気を裂くオヅノの一撃をガラードンの角が間一髪で受け止める。
息詰まる均衡は、しかし、長くは続かなかった。
【母なる大地の精霊よ。我が願いを聞き届け、その身にすべてを飲み込みたまえ。標なき埋葬】
オヅノの詠唱はすばやく、仕掛けは巧妙だった。防御と攻撃の間のわずかな隙、その瞬間に突如として現れた流砂にガラードンは足をとられた。
『ヌゥ!!』
思わず、唸り声をあげるガラードン。しかし、オヅノの攻勢はまだ終わらない。
【母なる大地の精霊よ。我が願いを聞き届け、宿敵を打ち砕く槌となせ。土槌隆起】
オヅノの足元から斜めに突き出た石柱が、そのまま轟音ともにガラードンの頭上へと倒れていく。
地響きが上がり、砂埃がもうもうと舞う。あまりのことに、勝負を見守っていた群れの山羊たちから悲鳴にも似た声が上がる。
勝負は決したのではないか。観衆のほとんどがそう思ったが、オヅノは身構えたまま、険しい顔で砂埃の先を見据えていた。
その向こうでわずかに影が揺れる。オヅノは躊躇いなく、そこへと突っかけた。
角と角とがぶつかり合う硬質な衝突音。
地の底から踊り上がるように現れたガラードンが不敵に笑う。
『良い攻めだ。』
攻撃をはじかれ、オヅノは距離をとる。内心、舌を巻いていた。
不可避と思われる攻撃をかわすために、父が選択したのは【大地裂溝】の呪文だった。
迫る石柱に対して垂直に、ちょうど十字になるように地割れを発生させ、その溝に自ら転落することで石柱を回避したのだ。
とっさの発想も非凡だが、真に驚くべきは精霊魔法を行使するのに呪文を詠唱しなかったということだ。
高等技術、“無詠唱”。
父が、悪魔山羊としては破格の体格と、それに見合った身体能力を持っていることは知っていた。それに慢心せず、格闘の技を磨き、それゆえに百戦錬磨の強さを備えていることも知っていた。
しかし、あらゆる障害を正面からその蹄にかけて超えて来た雄が、まさかこれほどまでに魔法をも修めているとは、思いもよらなかった。
(勝てるのか?どうやって?)
ジリ、と生まれる焦りを、オヅノは懸命に否定した。
(いや、無詠唱は強力かつ高度な技術だが、リスクも大きい。)
そもそも、詠唱とは魔法を明確な言葉により定型化し、魔法の効果・精度を上昇させるためのもの。
それを放棄してなお、望んだ効果を発動させる技術は驚異的だが、それでも通常とは比べ物にならないほどの消耗を強いられる。
オヅノの逡巡の間に砂埃はおさまりはじめる。ガラードンは息子を迎え撃つかのように、大地に四肢を突き立てていた。
その口から、覇気をまとった声が辺りに響く。
『どうした。まだ、終わりではないだろう。お前の全力を俺に、皆に見せてみろ。ここはそういう場所だ。そのうえで、俺は俺が族長たる所以をお前に示そう。』
父の声に背中を押され、自分自身を奮い立たせながら、オヅノは再び呪文を唱える。
【母なる大地の精霊よ。我が願いを聞き届け、その身にすべてを飲み込みたまえ。標なき埋葬】
再びの【標なき埋葬】。馬鹿の1つ覚えと言われるのも覚悟の上だが、【土槌隆起】とともにこの日のために磨いてきた術だ。
それ以外の付け焼刃では、なおさら通用しない。
1度目よりもなお、速く広く流砂が発生する。褐色の砂がガラードンの生み出した亀裂に向かって雪崩落ちていく。
多量の砂に足元から押し流されながら、ガラードンに動揺は見られなかった。
迂闊にとび上がったり、慌ててバランスを崩したりすれば、それこそオヅノの追撃を浴びることになる。
オヅノがさらに動いた。その口から呪文が詠唱される。
それに応じるようにガラードンも詠唱を開始した。
【母なる大地の精霊よ。我が願いを聞き届け、宿敵を打ち砕く槌となせ。土槌隆起】
先手を取ったのはオヅノ。
度重なる【標なき埋葬】により地面が削れたことで、斜面が発生していた。そこからガラードンに向かって一直線に石柱が迫る。
しかし、激突の寸前にガラードンの魔法が発動する。選択したのは息子と同じ【土槌隆起】。
足元からほぼ垂直にせりあがった石柱がガラードンの身体を流砂から脱出させ、オヅノの石柱を受け止める。
質量を伴った衝突音が周囲を圧するように響く。
石柱同士の激突の瞬間。わずかにとび上がることで衝撃を回避したガラードンが、オヅノの石柱の上に着地する。
距離をつめるべく前進を開始するガラードンに対し、オヅノは距離をとろうと下がりかけた。
その時、ガラードンが声を張り上げた。
『退くな!!愚か者め。お前は族長になるのだろう。庇うべき群れを背負いながら、どこに逃げるつもりだ。盾となるべきお前が逃げれば、群れのか弱き者たちが犠牲になると知れ。』
退こうとしていたオヅノの足が、地面に縫い付けられたように動かなくなった。
ガラードンを見返し、奥歯を噛みしめる。
そして、意を決したように自身も石柱の上に身を躍らせた。
【踊る蹄】を解除し、【轟く蹄】を発動させる。真っ向勝負の構え。
ガラードンの口角が、満足そうに上がる。蹄が石柱を掻いて鳴る。
高まる決着の気配に、観衆は静まり返り、吹く風さえもなりを潜めた。
動いたのは同時だった。重厚感に満ちたガラードンの蹄、軽快かつ精悍なオヅノの蹄。
二頭は石柱の上で激突した。
乾いた衝突音。
猛烈な圧力に押し込まれながら、それでもオヅノは踏みとどまる。少しでも後退を許容すれば、そのままなすすべもなく押し流されるのは明白な事だった。
大地そのものとさえ思えるほどに強大な父と対しながら、その懐へ潜り込もうと力を尽くす。
小兵たる自分でも、懐に潜り込み下から突き上げることが出来れば勝機はある。オヅノはそこに一縷の望みをつないでいた。
一瞬たりとも力の弛むことない緊迫の時間。不意にわずかな筋道がオヅノの前に現れる。
既に躊躇えるだけの余裕はない。オヅノはそこに全霊をかけた。
オヅノの蹄が石柱に食い込まんばかりに軋み。ガラードンの巨体が、宙に浮く。
『『おおっぉおおおおぉおおおおおおお』』
周囲全てがどよめいた。響いた声は観衆のものか。オヅノのものか、それともガラードンのものなのか。判然としない。
巨体が真っ逆さまに地面に叩きつけられる。
爆発する歓声。
同時に、若き族長が雄々しい産声を天へと解き放った。




