第50話:追手と疑念
「走れば音で見つかりかねないし、見つかれば馬から逃げるのは骨だ。隠れてやり過ごした方がいい。」
隠れ里である“名もなき村”が見つかることはヤズゥとしては絶対に避けたいことだ。
一度、存在が公になればお尋ね者は牢につながれ、逃亡奴隷は主人の元に送られるだろう。
見つかりたくない事情はヤズゥ以上にあるミラとリヨンもその提案に肯いた。
それぞれ手近な藪の中に身を潜める。
【聖杖スプラウトを通じて申し上げる。いと静けき緑の精霊よ。我が声に耳を傾け、若き命に格別の慈悲を。伸びゆく若木】
ミラが魔法を唱えると、下草が伸びて3人の姿が一層見えなくなった。
3人の準備が整うのを見計らったように、木立のすき間から5人の男が現れた。
鎧を身に着け、コルダに騎乗した男が2人に、徒歩でそれに付き従う男が3人。
騎乗した男は騎士で、徒歩はその供だと思われた。
おそらく、いや、間違いなくミラたちの追手だ。
ミラとリヨンは一層息を潜める。
騎士の一団はあたりにまんべんなく視線を送りながら、ジリジリと迫って来る。
しかし、3人の潜む藪はミラの魔法によって容易には見通せないほどに深くなっている。このままやりすごせる可能性も、決して低くはない。
そんな風に考えながら騎士の動きを注視していたリヨンの目が、ソレをとらえた。
(!!)
危うく声を上げそうになる。心臓が跳ね上がり、汗が噴き出した。
リヨンの異変を察したミラとヤズゥも視線を走らせ、そして気が付く。
(薬入れが落ちてる!!)
ヤズゥの治療に使った膏薬の入れ物。
慌てていたせいだろう。まだ新しい薬がわずかに付着した木彫りの容器が茂みから僅か3メートルほどの所に転がっていた。
騎士たちが、それに気が付かないと言うことがあるだろうか。あるいは、気が付いたうえで大したことではないとサッサと行き過ぎてしまうことが。
ありえない。
そこから異変を感じ取り、付近を念入りに探るはずだ。
一か八か飛び出すべきか。リヨンが自問した時、ふいにヤズゥが茂みからとび出した。
あろうことか、騎士たちに向かって両手を振り、声を張り上げている。
「お助け、お助け下さい!」
突然のことに身構える騎士たちだったが、相手が1人。そのうえ、丸腰であることが分かると警戒を緩めた。
「お助け下さい。」
ヤズゥがなおも声をかけながら近づくと、兵士の一人が手にした剣を掲げて制止した。
「こんなところでどうした。それになんの用だ。」
その問いにヤズゥが身振り手振りを加えて返答する。
「私は薬を商っている行商人でミゲイと申します。仲間と薬草を採りに森に入ったのですが、魔物に出くわしまして。
なんとか逃げ切ったものの、仲間とはぐれ、荷物は失い、そのうえ道も見失いました。このままでは野垂れ死にです。近くの村までで結構ですから、どうか連れて行っていただけないでしょうか。」
哀れを誘うようなヤズウの名演技。
それを聞いた騎士たちはその真偽を測るようにヤズゥをシゲシゲと眺めた。
藪から急いでとび出したために、服は汚れているし、顔にはケガまでしている。言っていることは嘘ではないように見える。
「そこの藪から出てきたが、何故隠れていたのだ。それにどこの村の者だ。」
さらに突っ込んだ質問をする騎士だったが、ヤズゥはいずれの質問にもよどみなく答える。
「はい。最初は皆さんの姿が見えず、物音だけで何者かが近づいてくることが分かりましたので、もしや山賊か何かかと思い隠れておりました。それと、私はタマラの村に住んでおります。」
ヤズゥが名前をあげた村は、ここから距離にして2・3番目に近い。まだ新しい村で、移住してくる者もいるため、万が一、騎士たちが村の住民のことを知っていても言い逃れられる可能性が高かった。
騎士の一人。年長の者が納得したようにうなずきながら口を開く。
「なるほど、それは災難だったな。村まで送ってやりたいところだが、我々も任務の途中でな。日中はこの森を探索せねばならん。日没には森の傍の拠点に戻るから、それまでついてくると言うのなら、便宜をはかってやれるぞ。」
「ありがとうございます。本当に、助かります!!」
ヤズゥがすがりつかんばかりの勢いで礼を言う。
兵士たちが親切に差し出してくれる水や食物を礼もそこそこに受け取ると、まるで10日も何も食べていないかのような勢いで食らいつく。
それを見ながら、騎士のが再び口を開く。
「ところでミゲイとやら。山をさまよう間、人頭鳥か赤毛の娘を見かけなかったか。」
騎士の台詞に、ミラとリヨンに緊張が走った。
ヤズゥは記憶を探るように首をかしげる。
「いや、見なかったですね。その人頭鳥や娘がどうかしたんですか?」
「うむ、それこそ我らの追っている大罪人でな。もし、見つけたら知らせてほしいのだ。もしも、確かな情報なら東周公直々に褒美が出るぞ。」
「ほう、東周公様直々にとは剛毅な話ですね。」
朗らかに頷くヤズゥ。
リヨンの心に不安がよぎる。褒美のためにヤズゥが自分たちを売るのではないか。そんな考えが頭をもたげてくる。
「もし、見つけることがあれば、いの一番に騎士団にお伝えします。」
「うむ、頼んだぞ。」
ヤズゥが騎士たちに向けて請け負う。騎士も笑顔で応じた。
ヤズゥが食べ終わったのを見計らって、騎士たちは捜索を再開させた。ヤズゥも後ろについて行く。
男たちが自分たちの潜む藪の脇をすり抜けていく。
それを見送りながら、リヨンの心は未だに不安に揺れていた。
自分たちの目がなくなったのを幸いと、ヤズゥが騎士たちに告げ口をするのではないかという恐れが消えないのだ。
しかし、完全に離れる前に動けばそれこそ発見されてしまう。
1秒、10秒、1分。2分。3分。5分。
完全に騎士たちの気配が遠のいた後、ミラとリヨンは這う這うの体で村へと逃げ帰った。
「ママ、ヤズゥさんは大丈夫かな。」
村の入り口で、ミラがリヨンに言う。
「大丈夫よ。行商やってるくらいだもの。口が上手いし、心配いらないわ。」
「私、ヤズゥさんが私たちのことを言うんじゃないかって、すごく疑っちゃった。」
そう口にするミラの表情は、垣間見た自分の心の汚れに傷ついているように見えた。
「私もよ。ヤズゥさんが帰ってきたら、謝ってお礼を言おう。」
リヨンの言葉に、ミラはコクリと肯いた。
………。
近くの村まで騎士たちと同道するであろうヤズゥを迎えに、数人の男たちが出かけることになった。
単独行動は危険だし、仲間と薬草を採集に出たというヤズゥの嘘を固めるためだ。
出立は翌日明朝。さらにその次の日に帰って来る予定とのことだった。
ミラとリヨンから報告を受けたローエンが手配を行った。
そのローエンは今、小屋の中でリヨンと向かい合っていた。
すでに日は沈み、部屋には小さな明かりが1つあるだけ。ミラは眠りについている。
「本気、なんだね。」
ローエンが尋ねた。リヨンは肯く。老婆の口からため息がこぼれる。
「そんなに急がなくてもいいだろう。今日だって、結界のおかげで何とかなったんだ。」
相手の気持ちをありがたく思いながらも、リヨンは首を横に振った。
「こんな近くまで追手が来ているとは思っていませんでした。このままではこの村に迷惑が掛かってしまいます。」
反論する言葉をローエンは口にしなかった。なぜなら、それが事実だと分かっているからだ。
今日はヤズゥの機転もあって村を発見されずに済んだ。しかし、それは明日も大丈夫であることを保証しない。
森に獣を狩りに行ったとき。行商の帰り、薬草や山菜の採集。村への出入りが目撃されれば、結界も意味をなさない。
村の近くを騎士がうろつく今の状況は明らかに危険だった。
リヨンは言葉を続ける。
「明日、村から男の人たちが出かけていくのは、まだ危険は少ないはずです。早朝だし、村から離れていく動きだから。
でも、その次の日。大勢で村まで帰ってくることになる。その時、森に騎士がいれば、村の見つかる危険は高くなってしまいます。」
「……、寂しくなるね。」
しみじみと、ローエンが言う。
村に迷惑が掛からないように、リヨンは計画を立てた。
それはこうだ。明日、男たちと前後してミラとリヨンも村を発つ。日中も距離を稼ぎ、夜、村とは別の方向であえて目撃される。
そうすることで捜索の目は村から離れ、“名も無き村”は危機を脱する。
もちろん、ローエンはこれを止めた。出発するのはまだしも、目撃されるのは2人にとって危険すぎる行為だったからだ。
しかし、リヨンの意思は固く。ローエンには長老として、村を守る責任があった。
リヨンも目を伏せた。ローエンの優しい気持ちに礼を言いたかったが、今それをすると涙が出てしまいそうだった。
………。
翌日は、太陽が気まぐれに顔をのぞかせるうす曇りの天気だった。
朝、村を発つことを告げられたミラはショックを受けたようだった。一方で、すぐにそれを受け入れて準備をはじめる。
その様子が、失い手放すことに慣れてしまったように見えて、リヨンの胸は痛んだ。
もとより荷物は少ない。準備はすぐに整った。
2人の出発を聞きつけて、何人かの村人が見送りに立った。ローエン、メイサ、それに時折リヨンと歌っていた女達。
最後だからと、リヨンが静かに歌いだす。それを背後に聞きながら、ミラもローエンたちと名残を惜しんだ。
「ヤズゥさんは私たちを庇ってくれたのに、私は告げ口されるんじゃないかって疑ってしまいました。ごめんなさいとありがとうを伝えてくれますか。」
伝言を頼まれて、メイサは微笑む。
「誰だって、そう思っちゃうわ。気にしないで。でも、伝えておくね。」
それから、と言葉をつなぐ。
「いつか、またおいで。今度は岩石精のお父さんも一緒に。待ってるからね。」
「はい、きっと」
ミラは笑顔を見せた。ヤズゥに直にお礼が言えないのは残念だったが、それは“また”の機会にと思うことにした。
「これを持っておいき。」
そう言いながら、ローエンが差し出したのは琥珀の欠片の入った小袋だった。
琥珀は緑の魔法の優れた触媒だ。
「そんな、こんなに?」
恐縮するミラにローエンは訥々と語りかける。
「短い付き合いだがね。お前さんがいい子だと言うことは分かる。いいかい、負けるんじゃないよ。いい子は幸せにならなくちゃいけないんだからね。」
「おばあちゃん」
ミラが思わず抱き着くと、ローエンも腕を回してくれた。
まだ子供であるミラよりも、さらに小さい。腰の曲がった老婆の体は、それでも確かに暖かかった。
名残は尽きることがないが、それほど時間があるわけではない。
夜までにある程度距離を稼がなければならないのだ。
後ろ髪をひかれる思いでミラとリヨンは出立した。
まずは徒歩で村から離れ、そこで飛び立つつもりだ。
村の端で手を振るローエンたちは、木々に遮られ、やるせないほどあっさりと視界から消える。
歩きながら、2人は泣いていた。とても、こらえきれなかった。
「ママ、また、来ようね。」
「うん、きっと。今度はロクも、一緒に。」
短い平穏は去った。2人は再び逃避行へと戻って行く。




