第37話:対峙
時刻は既に夕刻も近くなっていた。じりじりと高度を下げていく太陽の下、俺とジャスパーは龍と対峙する。
周囲ののどかな情景とは裏腹に、俺の精神は擦り切れそうなほどに張り詰めている。
対照的に、龍は全くもって気楽な様子で俺たちを眺めている。その表情は退屈そうですらあった。
ジャスパーが油断なく身構えて、タイミングを計っているのを、目の端で確認する。次の瞬間、俺は咆哮を上げながら突進した。
「うおおおおおおおおおお!!」
無論、【硬化】を発動させながらだ。
左でフェイントをかけてから、右拳を巻き込むような軌道で振りぬく。
龍の顔には笑みがある。回避も防御もない。
(捉えた!!)
そう確信した瞬間、拳が凍り付いたように制止した。
『ふむ、軽いな。思い切りの良さは買うが、それだけだ。』
差し出された人差し指、俺の渾身の一撃は白魚のようなその指にこともなげに受け止められていた。
驚いた。しかし、この程度は、まだ覚悟の上だ。
【……、疾く包囲し、疾く燃やせ。包囲炎撃】
俺が制止された瞬間。俺の背後、龍の死角でジャスパーが呪文の詠唱を完了する。
同時に眩い炎が吹きあがり、激しい火勢が龍を包囲した。
だが、それも一瞬。火炎が龍を包み込んだと思えた直後、炎はその痕跡すら消え去っていた。
何をどうしたのか。龍の髪の毛一本焦げていない。それどころか汗の1つも掻いていなかった。
俺の打撃に続いて、ジャスパーの火炎も無力。流石に、足が止まりそうになる。
「うおらああああああ!!」
声を張り上げ、己を鼓舞する。炎で視界を奪った隙に回り込んだ左サイドから、左右の連打を叩きこむ。止められるのも覚悟の上のラッシュだ。
俺が龍を貼り付けている間に、ジャスパーは俺の逆側に回り込む。
【……、宿敵を惑わす衣と化せ。陽炎纏】
素早く唱えられた魔法。生じた陽炎に包まれてジャスパーの輪郭がおぼろげに揺れた。
歩法にもタネがあるのか。奇妙なほど現実感を消し去ったまま、龍の隙を伺っている。
龍は、龍はただ立っていた。
俺の打撃を防御するでもなく、躱すでもなく。そんなものは最初からないかのように、ただ立っていた。
そうして、一言。
『もう、よい。』
言われた瞬間。意思に反して俺の手が止まった。俺の本能が、自分の意思よりも龍の命令を優先させたのだ。
龍は冷めた目をしていた。。
その目が、まずはジャスパーの方に向けられる。
恐らく、無意識にだろう。ジャスパーは直立不動の姿勢になった。
『火蜥蜴、お前は誉めて遣わす。術を放つタイミング。その精度。どちらも積み重ねた鍛錬が窺える。
さらには、なんとか一矢報いようと、背後からわらわの隙を窺う手際も悪くない。
もし、その短剣に火精霊の加護でもあれば、本当にかすり傷程度は与えられる可能性があったな。』
「ハッ、ありがとうございます。」
ジャスパーは鬼軍曹に褒められた新兵のように、直立不動のまま礼を言う。
肯いた龍は、今度は俺の方へと向いた。
完全に、汚物を見る目をしているのは、俺の気のせいではないだろう。
『大言壮語の士に本物はおらぬと、重々承知していたはずが、どうやら永きに渡った虜囚の日々に忘れておったらしい。
それとも、多くの光陰のなかで岩石精はこれほどまでに力を失ったのか。』
その声には、失望と苛立ちが色濃い。蛇に睨まれた蛙とはこのような気持ちなのだろうか。俺は微動だに出来ない。
龍は言葉を続ける。
『まさか、幼稚な硬化だけで、後は拳を振るうのみとはな。あまりの無様に我が目を逸らしたくなった。
かつて、“神々の自在なる盾”と謳われた一族の裔ならばこそ、無礼を許し、座興に付き合ったというのに、これほどに興ざめな顛末、流石に予想しておらなんだ。』
俺が、岩石精の本領を発揮していないと、龍は言う。しかし、ゴーレムとしての知識を持たず、固有魔法すら満足に使えない俺にはこれが精いっぱいなのだ。
そんな風に思うが、声は出ない。発言を、許可されていない。
龍は、長々とため息をついた。
ため息をつき、顔を上げ、俺の左腕を無造作にもぎ取った。
あまりに速く、あまりに軽く、あまりに淀みない動き。そのために、俺は最初なにが起こったのか分かっていなかった。
「ダンナっ!!」
投げ捨てられた左腕が、地面に響きをたてて転がり。ジャスパーが思わず声をあげる。
その時になって、ようやく俺の頭に警告が鳴り響いた。同時に口から悲鳴が溢れ出す。
「う、うわあああああああああああああ!!」
苦痛ではない。ゴーレムの痛覚は鈍い。これは恐怖の悲鳴だった。
龍はそんな俺を一瞥する。なんの感情も読み取れない、澄んだ水面のような目だ。
『安心しろ。村と火蜥蜴は目こぼししてやる。しかし、お前はわらわを失望させた。せめてわずかなり無聊を慰めてもらわねば、気がすまぬ。』
続いて、左脚ももぎ取られ、俺は地面に倒れながら声をあげる。
ジャスパーが俺を庇おうと、動く気配を見せたが、龍が視線を投げると、金縛りにでもあったように動かなくなった。
手足を失い。俺はまるで跪くような姿勢で龍に対していた。もう一度、龍の腕が振るわれれば、それが俺の最期になるという確信があった。
目の前の存在は圧倒的で、その意思は俺がどれほど力を振り絞っても覆せない自然災害と同義。
死にたくない。心中でそう叫ぶ一方で、すでに命乞いの無意味は悟っていた。
せめて、首にかけた魔声環、リヨンの羽根とドリさんの枝で作られたコレが無傷であって欲しい。そんな考えも浮かぶ。
その時、俺は声を聴いた。聞いた瞬間、「ありえない」そう思った。
続いて、頼りない蹄の音。気のせいではないと確信し、俺は激しく動揺する。
「ロクー!!」
声の主は、ミラだった。ホルンちゃんの背中に跨り、こちらに向かってくる。
抜け出して来たのか。ガラードンやドリさんは何をやっているんだ。そんな言葉が心中を吹き荒れる。
「ミラ、来るな。来るんじゃない!!」
俺は声を張り上げるが、ミラとホルンちゃんの足は全く止まらない。チクショウ。大人の言うことを聞かないなんて、これもリヨンの躾のせいだ。
何とか立ち上がろうとするが、片足のせいで上手くいかない。
俺がマゴマゴしている間にも、ホルンちゃんはミラを乗せたまま。こちらに駆け寄って来る。
【踊る蹄】
怖いもの知らずは、幼さゆえか。敏捷性向上の固有魔法を唱えると、そのまま龍に向かって角を突き出す。
『ちぇすとー!!』
本人はいたって真面目だが、どこか間の抜けた掛け声。伸ばした俺の手が届くことはない。
「やめろー!!」
気が付けば俺は声を張り上げていた。
二人を見ている龍の目が光り、その腕が振るわれる。
圧倒的な破壊の力が秘められているそれは、しかし、ミラたちを傷つけることはなかった。
突っ込んできた2つの塊を、龍は柔らかく受け止め、しなやかに受け流した。
まるで、ミラとホルンちゃんが龍の体をすり抜けていくように、俺には見えた。
『キャッ!!』
衝突するつもりでいて、そのまますり抜けるとは思っていなかったせいだろう。ホルンちゃんは驚きとともにバランスを崩し、あわてて制止しようとしながらも転倒した。
地面に投げ出されたミラは、それでもすぐに立ち上がると龍の前に立ちはだかった。
俺を庇う様に。
その手には、ドリさんの杖と俺が送ったばかりの石剣を持っている。
「ロク、大丈夫?」
そんな風に問いかけてくるミラに対し、俺は口がきけなかった。
何故、来た。来るなと言ってあっただろう。ここは危険だ。すぐ帰るんだ。馬鹿、何をやっているんだ。怖いのか、ひざが震えているじゃないか。そんなになってまで俺を庇ったりするんじゃない。
と、ミラに言いたかった。
頼む、ミラには手を出さないでくれ。村も俺もどうでもいいから、ミラだけは。
そんな風に、龍に懇願したかった。
しかし、思いが過ぎて、言葉にならない。口が動かない。
俺が何も言えないでいるうちに、龍が口を開いた。
「おまえ、この瓦礫屑の知り合いか?」
ミラに分かるようにだろう。先程までとは違い、人語で話しかけている。
その表情には珍しい生き物を見つけた子供のような、好奇心が浮かんでいた。
ミラはその眼に敵意を込めて龍を見据えたまま、質問には答えない。
代わりに俺が答えた。自然と縋るような口調になる。
「これは私の娘のミラです。まだ幼く、礼儀もありませんがどうかお許しください。」
龍は一瞬、俺に視線を向けた後、ミラのことをシゲシゲと眺めた。やがて、その口元が微笑みを形作る。
「ミラ、と言ったな。お前、このゴーレムの娘と言うのは本当か。お前は人間で、こやつは魔物。本当に家族の情など存在するのか?」
ミラの膝はまだ震えていた。それでも、彼女は龍の視線をまっすぐに受け止めて、言葉を返した。
「誰がなんて言っても、私が人間でも、ロクが魔物でも、ロクは私を心から大事に育ててくれた。大切なお父さんです。」
後ろからでも、ミラがどんな顔をしているかは分かった。
母親譲りの「私が相手になってやる。」って顔だ。
本当に、似なくていいところばかり真似をするんだ。
龍がミラに手を出すようならば、身を挺してでも庇えるように俺が身構えた時。突然、龍が笑い声をあげた。
「ふ、ふはははははは、あははは。良いではないか。面白い。その強情さ、純粋さ。なにより、実に面白い業を背負っている。腹立ちまぎれに暴れてみるより、余程楽しめそうだ。」
そう言って笑いながら、龍はミラに近づいてきた。
俺は、二人の間に割って入ろうと動きかけたが、龍に一睨みされると体が凍り付いたように動けなくなった。声さえ出ない。
目の端で、ホルンちゃんが同じように固まっていた。
ミラは相手の圧力に気圧されながらも、気丈に相手を見返している。
そんな様子も龍の眼鏡にかなったのだろう。俺やジャスパーと対峙していた時とは比較にならないほどにイキイキとミラに話を持ち掛けた。
「ミラ、お前がわらわの提案を聞くのなら、この瓦礫屑も、あの村も、それどころか今日まとめて踏み潰すつもりだったすべての者を助けてやろう。」
ミラは躊躇いながらも、それに応じる。
「提案って、何ですか。」
龍は薄く笑った。
「なに、簡単な話よ。お前の目を1つ、わらわに献上せよ。構わんだろう。2つあるうちの1つだけだ。それで、皆が助かるのだ。」
ミラの呼吸が早くなる。彷徨った視線が俺に注がれ、次に背後のイスタ村に注がれた。
そして、再び龍に向きなおる時、彼女の目からは迷いがなくなっていた。
俺は声をあげ、ミラを止めようと全身に力を込めていたが、龍による戒めの前に指先一つ動かせないでいた。
ミラが口を開いた。
「分かりました。右目でも、左目でも、お好きな方を」
「ふふふふふふ、そうだ。その顔だ。まだ幼くもまぎれもない。」
一際、嬉しそうにつぶやいた後、龍は誰も予想できなかった行動をとった。
無造作に自分の右手の指を自身の左目に突き入れたのだ。白く細い指が粘膜をかき回す音が辺りに響く。
そうしながらも、ミラに呼びかける。
「もう少し、近くに寄れ。わらわの前にな。」
相手のエキセントリックな行動に怯みながらも、ミラは歩を進める。
「動くなよ。」
目の前に来たミラの肩に左手を置くと、龍はそう言って右手の指を、今度はミラの左目に突き入れる。
「あ、アぁァアアアアァアアあ!!」
ミラが悲鳴をあげる。俺は見ていることしかできなかった。龍は自分にしていたのと同じように、しばらくの間、眼窩の中をかき回してから指を引き抜いた。
くずおれるように、ミラが倒れる。
不意に、体の自由が回復して、俺は這いずるようにミラの元へと駆け寄った。
「ミラ。ミラ、大丈夫か!?」
「ロ、ク」
大声で呼びかけると、ミラの目が弱々しくも俺をとらえた。
左目が、左目がある。
血の跡もなく、異常は感じられない。ただ、これまで赤茶色一色だった虹彩が所々、蒼い星が飛んだようになっている。
思わず、顔を上げて龍を見ると、龍の左目も傷一つなく元のままだった。
「今、この時をもってその眼はわらわの物となった。以後、そこに映る光景はわらわも知るところとなる。」
龍はそこまで言うと、すでに用事は終わったとでも言う様に踵を返し、近くを流れていた小川へとその足を浸らせた。
それを追うように、ミラが立ち上がる。少しふらついたが、思ったよりはしっかりした足取り。左目も見えているようだ。
「これで、皆を助けてくれるんですよね。」
龍は深い笑みを浮かべた。
「そう言えば、名乗ってはおらなんだな。わらわはアペシュ。全ての水龍を束ねる存在、海神龍アペシュだ。魔物の仔よ。精々、面白い余興となることを期待しているぞ。さらばだ。」
質問には、答える必要がないということか。アペシュはそれだけ言った。
台詞の途中から、アペシュと水面から眩い光が放たれはじめ、言い終えるころには何も見えなくなる。
白い闇に閉じ込められたような数秒間。それが過ぎ去った時、既にその場からアペシュの姿は跡形もなく消えていた。
~今週のアペシュさん。~
久々の自由や、家(海)まで散歩がてら歩いていこう(辺境の村クシャー)
→変な奴ら出て来た。ま、気分良いし遊んだろ。
→え、この岩石精弱すぎ!?(腕モギー)
→なんか、今度は面白そうな奴出て来た。(クチュクチュ、あっ、あっ)
→よし、契約したし、これで動画見放題や。散歩飽きたし、はよ帰ろ。
彼女は作中最強のキャラです。神様だし。
ただ、何でもできるがゆえに、何をやっても大概思い通りにしかならないので、常に退屈を持て余しています。
封印されていてことについてはどこかで触れるかもしれないし。語られないかもしれません。




