6 L'Unité
【LIVE】
フランク領事館を脱出せよ
27分後にライブ配信
8月6日 13:45 (通知を受け取る)
『集まれ虎たち!』バビュールが悪魔と……
@Babür 高評価2万件 4万人が待機中
【13時19分 在アンキュラ・フランク王国領事館玄関ホール天窓】
(アリー、空へ上がって)
ジェイから思考がきた。"ぶろんどおんな"が見えなくなったから。""ぶろんどおんな"は一階に降りた後、見えなくなった。
アリーとしては、外に出てしまうよりも"ぶろんどおんな"を追いかけたかった。もう一発、白爆弾をお見舞いするために。だけとジェイが空に上がって欲しいって言うなら仕方ない。
あと、暑かった。我慢できないくらい暑かった。ステンドグラスの虹色の光の中で15分以上じっとしていたが、そろそろ限界だった。空に上がって、冷たい空気を羽毛に浴びたかった。
外に出るのは簡単だ。天窓の脇に通気口がある。アリーの小さな身体なら、ギリギリすり抜けられた。出口側には金網があったが、数回蹴っ飛ばしたり突いたりしたら曲がって、アリーが通り抜けられる隙間ができた。
アリーは飛び出した。
冷たい空気がアリーの身体を冷やした。アリーは翼いっぱいに風を受け、青空に舞い上がった。
アリーは一気に30メートルまで上昇した。そして気持ちよく旋回しながら、地上を見渡した。南の方を見た時、アナドル文明博物館駐車場との堺の林の木陰で、黄色いなにかが目に止まった。アリーは大きく弧を描きながら、その黄色いなにかを注視した。
(ねこにんげん!
ジェイ!またきた!
ねこにんげん!)
【13時20分 領事館渡り廊下】
ジェイが急に立ち止まった。ジェイのすぐ後ろを走っていたヴィは、追突しかけて寸前で止まった。
「どうしたの!」
「猫人間」
「……はい?」
ジェイはヴィに説明した。クルチュの葬儀ミサの日、教会の周りに大量に集まって静かに教会を睨んでいた虎の仮面の大軍のことを。
「……バビュルスだ」
パヴルがヴィの背中で目を覚ました。
「もう集まってるの?すごいなみんな」
「起きたんなら降りてくれる?」
ヴィは失神したパヴルを背負ってここまで走っていた。ジェイが時々アリーとのリンクに集中しなければならないので、ヴィ自ら申し出たことだった。
「まだ……数人だ。たくさんはいない。駐車場と、エヴィ公園。葬儀ミサの時と同じ」
「うん。まだ少ない。だけど――」
パヴルは黒縁眼鏡をかけた。iVitraはポケットに。
「――すぐに、もっとたくさん来てくれる。大丈夫だよ。彼らが僕たちを逃してくれる。GTから」
渡り廊下は灼熱のトンネルだった。窓が少ないので直射日光こそないが、壁は薄く、空調もない。
「早くここを抜けましょう」
3人は移動を再開した。
「大丈夫、なの?ほんとに?」
ヴィは疑っていた。パヴルを疑っていたわけではない。
「保安庁と、群衆。暴動とか、大変なことにならない?わたしたちのせいで」
「暴動……たぶんそれはない。聖テレーザ教会の時も、みんなとても静かに、ただ睨むだけだったんだ、教会を。僕がお願いしたんだけど」
そう。虎は眼で睨み殺す。
「GTは、わかんない。でも……あまり下手なことはできないんじゃないかって。フランク領事館の目の前で。世界中から見られて」
「電波がないから、ライブ配信はできないでしょう?」
パヴルは首を振る。
「領事館の敷地の中ではね。一歩出れば、ヴェシレさんだってライブできるよ?バビュルスたちも。もちろん、僕も」
「外にさえ出れればいいわけね。でも、どうやって?」
それが最大の問題だった。
「この先は、アリーにも見えない」
ジェイは渡り廊下の出口のドアに手をかけた。アリーは上空30メートルを旋回し、今のところ近辺に人の姿はないことを教えてくれたが、外から屋内は見透せない。一度、別棟の二階の窓辺に行ってもらったが、窓はすりガラス、棟内からは人の声は聞こえなかった。
「行くしかないわね。どいて。まずわたし」
ヴィは左手でドアノブを掴むと、できるだけ静かにゆっくりと回した。施錠されていない。誰かいるかも知れない。アスランティブを思い出し、全神経を左手に集中して、少しずつ開けた。
ドアは右に内開きで開いていく。中は暗くはない。人の気配は――
突然、左手首を掴まれた。
ヴィは抵抗しなかった。それどころかドアノブを握ったまま勢いよくドアを押し開けた。ヴィの身体は左手を追うように中へ。傍らの壁に潜んでいた相手もそのまま引き摺られる。
ドアの動きに合わせて、ヴィは腰を相手に当てがい、尻を突き出した。相手は堪らずヴィの手首を離し、後方に押し除けられる。ヴィは1回転し、右の手刀に遠心力を乗せて、ふらつく相手の首筋に斬りかかり――そして、寸前で動きを止めた。ヴィの手刀に明るい金糸が降りかかる。
「――マドレーヌ?!」
「C’est incroyable!(すごい!)ヴィヴィ!今のカッコいい!」
マドレーヌは尻もちをついていたが、ヴィの手を両手で握りしめると、それを手がかりに起き上がった。そして上目遣いでヴィを見る。その瞳はアンキュラの空より青く輝いていた。
「やっぱりスパイですわね、あなたたち!もう最高ッ!」
ヴィだけでなく、ジェイもパヴルも呆気にとられていた。なぜここにいるのか?なぜ喜んでいるのか?スパイってなに。
「さっき、ジェイさまがビシッと決めてるお姿を拝見して!ヴィヴィもそのような格好でしたし。絶対スパイだ!って思いましたの!大当たり。ですわね?」
「は――」
また何か不適切な発言をしようとしたジェイを睨んで止め、ヴィが聞いた。
「スパイなんかじゃないわ。それより、なんでここに来るとわかったの」
「ん?見えたから?」
「……見えた?」
「ええ!私、あなた達が部屋の前を通り過ぎたあと、見失ってしまって。で、お天気がいいからお庭に出たら、渡り廊下の窓にあなた達が。だから先回りしましたの!」
ただの偶然。でもこういう時に限ってよくある偶然。
「誰かに見られた?」
パヴルだ。うんざりした顔つき。
「見られたといいますか、下にメカニックさんたちいますわ?喜んでらした、私とお話できて」
お話。パヴルはマドレーヌの服装を見て、メカニックたちが喜んだ理由はわかった。キャミソールとショートパンツだけ。目のやり場に困る。
「お話。わたし達のことを話したの?」
「まさか!スパイのことバラしたりするわけないですわ?これからがおもしろいのに」
「おもしろいって……あのね、マドレーヌ。わたし達、遊んでるわけじゃないの。あとスパイでもない。ただここから出たいだけ。だから――」
「あら。それは無理ですわ?」
「無理?それはどうかな?もう一度、尻もちつきたい?」
「まあ。ヴィヴィ、おっしゃいますわね。さすが女スパイですわ。でも、そんなことして、私が悲鳴をあげたら?私、悲鳴には自信ありますの!」
ジェイは、おそらくただ1人、冷静にマドレーヌを観察していた。この子の言う通りだ。ここで人を呼ばれたら困る。しかもこの子は以前、変身した姿も恐れていなかった。
「ジェイさん!今しかない」
パヴルが小声で言った。
「やっちゃってください。例のやつ」
「例のやつとは?」
「ロクツィオですよロクツィオ。まあ失明は可哀想だから……声が出せなくなるとか?ちょうどいい。元々うるさいし」
ジェイはパヴルを睨みつけた。
「そんなことはしない。この子になんの罪がある?」
「ジェイ!」「ジェイさまー!」
女2人にも聴こえていた。リアクションは真逆だ。ヴィを上回る驚異的な速度で、マドレーヌはジェイにしなだれかかった。
「ねえ、ジェイさま?私、いいこと思いついきましたの!聞いて下さる?」
ジェイはマドレーヌを離しながら言った。
「なんだ」
「ふふ。とっても素敵なこと」
人差し指を頬に添え、無意味に身体を振りながら、マドレーヌは言った。
「私を、人質にしてくださいな!」
「そんなことはできな――」
「待って」
ヴィとパヴルが同時にジェイを遮った。2人は目を見合わせたが、すぐにヴィが続けた。
「いいかも知れない。それしかなくない?ここまで来たけど、このままじゃ脱出は無理よ」
「うん。ここを出ないとライブができない。ライブができないとここを出れない。なんとかしてここから出なきゃ。たとえそれが――」
マドレーヌは勝ち誇った。
「ええ!このマドレーヌ・ド・ガスパールが、あなた達を助けて差し上げますわ!さあ!」
そしてまた、ジェイにくっつく。
「ほら、ジェイさま?私を捕まえて?」
ヴィは忸怩たる思いで2人を見ていたが、諦めたようにため息をついた。
「……ええ、そうしましょう。ジェイがこの子を捕まえて、ここから出て行く。ヴェスパーも副領事もジェイ……悪魔が恐くて近づけないし、衛兵たちを引かせるはずよ。ジェイはこの子の隣で、アリーの映像に集中できる。どうせこの子は逃げないんだろうし」
ヴィがジェイと目を合わせた。
「わたしが運転する。あなたはマドレーヌと後ろ。パヴルくんは助手席でライブ配信。いい?」
全員頷く。ヴィが先頭、パヴルが続き、マドレーヌはジェイにくっついたまま。それからジェイの左腕を自分の首に回した。
「ほら。こうしたら人質っぽいですわ!」
ガレージに出るドアに手をかけたヴィを、パヴルが止めた。
「僕にやらせて」
ヴィが理由を尋ねる前にパヴルはドアを開けて飛び出した。
「Freeze!」
ガソリンと排気ガスの匂い。レンチがぶつかる金属音がピタリと止んだ。ガレージでは5人が働いていた。5人のメカニックたちは一斉に顔を上げたが、キョトンとしている。
「ばかね。それは英語よ?」
ヴィがパヴルを押し除けて叫んだ
「Pas un geste!(動くな!)」
メカニックたちの顔色が変わった。ヴィではなく、マドレーヌとジェイに視線が集まる。
「Au secours ! Un démon ! Il m'enlève !
(助けて!悪魔よ!拐われてしまうわ!)」
マドレーヌは迫真の演技だ。メカニックたちは、シャンデリアを落とし石壁を割った悪魔の話を聞いていた。出口の一番近くにいた1人が、悲鳴をあげて飛び出して行った。他の者は文字通り固まって動けない。
ヴィは逃げた者は気にせずガレージを見回した。中央にリフトがあり、その上にロルフが載って1メートルほど浮いていた。フルオープンで4輪とも外されて。アルペンブルーのルノーがシャッターの脇。車はその2台だけで、あとはタイヤラックやチェンジャー、大型のツールボックス。普通の整備工場だ。
「そのロルフはわたし達の車よ!タイヤを付けて、リフトから降ろして!」
メカニックたちは戸惑いながら作業を始めた。
ヴィたち4人は壁際の鉄階段を降り、ロルフに近づく。
「何の整備をしていたの」
「Le contrôle.車検を取れって。もうおおかた終わってる」
年配のメカニックが応えた。ジェイが満面に笑みを浮かべた。
「車検!ありがとう!」
「書類はまだだ。ステッカーも。ATフルードがなかったぞ?もうちょい走ってたらブッ壊れてたな」
インパクトレンチの音が響く。
「ガソリンある?」
ヴィだ。ガス欠だけは二度と御免だった。
「あるよ。満タンか?」
「ええ。お願い」
ガタン、と大きな音がして、リフトが下がった。ホイールが着いたのだ。それから、カチッ、カチッと、トルクレンチの音。
「ブレーキパッドも新品だ。オイルもフィルターも替えた。それから」
別のメカニックが給油を始め、ガソリンの匂いが強く立ち込める。年配のメカニックが、トノカバーを外した。
「ソフトトップも張り替えたぜ。新品に」
「ほんと?それは嬉しい、ありがとう!」
今度はヴィが破顔した。前から治したかったから。
ガソリンが満タンになった。ヴィが運転席に座り、セルを回した。一発でエンジンがかかる。ヴィは電動ソフトトップのスイッチを押して、ロルフから降りた。ソフトトップを眺めるために。
後部座席の後ろから新品のソフトトップが起き上がった。真っ赤だ。以前のタンカラーとは違うが、本革の匂いがする。
綺麗な赤。紺のボディに似合ってる。ヴィは状況を忘れたわけではないが、素直に嬉しかった。
ジェイは違った。複雑な表情でソフトトップが閉じるまで見ていたが、近くのツールボックスに目をやると、大型のカッターナイフを掴んだ。そしていきなりソフトトップに突き刺し、切り裂いた。
「Hé ! Qu'est-ce que tu fous ?!(おい!なにしやがる!)」
「ごめん。大事なことなんだ。」
ヴィにはジェイがなぜそんなことをしたのかわかっていた。別に、赤が嫌いなわけじゃない。
(へいたい
たくさん)
タイミングを狙ったかのように、アリーのロクツィオが来た。
(かこまれたよ)
「衛兵に囲まれた」
ジェイが中継した。
「行きましょう。これつけて」
ヴィはツールボックスから結束バンドを一本取ると、ジェイの左手首とマドレーヌの右手首を束ね、チチッと結束バンドを締めた。
「Oh ! C'est ravissant !(素敵!)」
マドレーヌが結束バンドの尾を掴み、思い切り引っ張った。2人の手首に、黒くて細いプラスチックのバンドが喰い込む。
「もう離れられませんわ!」
年配のメカニックが怪訝そうな顔をしたが、フッと息を吐くとやれやれというように首を振った。口角が上がっていた。
ヴィは急いで運転席に乗り込むと、ソフトトップを開けた。
同時に、ガレージにけたたましい機械音が響いた。ロルフからではなく、シャッターが上がる音だ。年配のメカニックがリモコンで開けたらしい。
「何だかよくわからんが、応援するぜ。Soyez prudents.(気をつけてな)」
シャッターの外に、衛兵たちを引き連れたガスパールとアンジーが立っていた。2人はガレージに入ろうとしながらマドレーヌとジェイを見た。そして固まった。
ジェイはリアシートに乗り込もうとして、マドレーヌに拘束された左手を見、それから右手を見た。デカいカッターナイフ。
昔、違う依代の時、悪党が人質を取って叫んだセリフを思い出す。
「Ne bougez pas ! Vous ne voyez pas ça ?!(動くな!これが見えねえのか!)」
カッターナイフをマドレーヌの顔に向ける。
「Vous voulez qu'elle y passe ?!(このアマがどうなってもいいのか!)」
「Non ! Papa ! Angie ! Au secours !(いやッ!助けてパパ!アンジー!)」
マドレーヌの喉が張り裂けんばかりの悲鳴が、衛兵たちをたじろかせた。
ヴィが手を伸ばして助手席のレバーを引くと、背もたれがバタンと前に倒れ、シートも前に動いた。ジェイはマドレーヌを先に乗せ、リアシートには座らず背もたれに腰掛けた。マドレーヌも真似する。パヴルも助手席を起こして乗り込んだ。
ヴィがセレクターレバーをDに入れると、ギギッと音がした。年配のメカニックを見る。メカニックは笑いながら背を向け、手を軽く振ってロルフから離れていった。
「いい?……脱出!」
パヴルが頭を振って小声で言った。
「……"Zero defect(完璧だ)"」
ロルフは、ゆっくりと動き出した。




