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2 熱い探訪

【巻頭特別コラム】理想という名の檻:スヴェイシュが生む「偽りの静寂」

執筆:エドワード・T.ギャリックス(トロント大学国際政治学部教授)

   エグザミナー2025年8月1日号 電子版


 

カトリック連合体(CU)は、今朝も「世界の絶頂」を謳歌している。だが、我々カナダから大西洋を隔てて眺める旧世界の姿は、それとは随分と異なって見える。

彼らが「理想」と呼ぶその秩序は、彼らがスヴェイシュと呼ぶスエズ運河の通行権という「現代の免罪符」によって、世界経済を窒息させる巨大な首輪へと変質している。

 

北極圏から赤道付近まで、広大な領土を誇る我々カナダ人が、フランク王国の絶対王政から袂を分かった1876年の「金色の降雪」から約150年。当時、ローマの非公式な支援を得て独立を勝ち取った我々の祖先は、今のローマ共和国の窮状を予想していただろうか。

1920年の第一次大戦、そして1945年の第二次大戦を経て、フランクとローマは「CU」という名の鉄の結束を固めた。ベルリンに投下された原爆「天罰」は、彼らにとっての聖戦の終結であったが、我々にとっては、文明の多様性が「唯一の神」の名の下に焼き払われた瞬間でもあった。

以降、冷戦は「重工業のフランク」と「海上貿易のローマ」という二極構造を生んだ。彼らは自らを「理想」と定義するが、その実態は、過去の因習に縛られた停滞に過ぎない。


現在、世界の市場を襲っている殺人的なインフレを、ローマ教皇庁は「魂の通行権」の代償だと説く。実に見事な詭弁だ。

インノケンティウス14世が「新・十字軍」の名の下にスヴェイシュを封鎖し、通行許可を信仰の尺度とする行為は、信仰の名を借りた「物流テロリズム」である。人々がパンを求めて列をなし、その背後に装甲車が控えている。これのどこに「理想」があるというのか。アンキュラの若いエーミッター(動画配信者)が免罪符という言葉を使い、それが多くの共感を得ているという現実を、インノケンティウスはどう捉えているのか。


「神は、望んでおられる」と教皇は叫ぶ。だが、神が望んでいるのは、高価すぎるパンと、銃口を向けられた平和なのだろうか。

アヤソフィアの住人たちが、最新のRoggでコンスタンティノープルの石畳を走り、洗練されたラテン語で教義を議論している間にも、世界の動脈は確実に硬化し、末端から腐り始めている。

この「理想」という名の檻が壊れる時、最初に犠牲になるのは、自らを救世主だと信じて疑わないローマ教皇庁かもしれない。


 

【アンキュラ】フランク王国、新副領事にガスパール男爵を任命

8月2日 09:00 GH


8月1日、フランク王国は駐アンキュラ領事館の新副領事として、グレゴワール・ド・ガスパール男爵を任命した。同氏は本日午前、首都エクスより着任した。

ガスパール男爵は元トウキョウ、前プレトリア駐在を歴任し、今後はカトリック連合体(CU)における外交実務のほか、スヴェイシュ運河の通行権管理に関するローマ共和国当局との調整業務を統括する見通し。今回の人事は、前任者の任期満了に伴う通常の人事異動の一環としている。


 

【17歳令嬢 エクスの華 アンキュラに ネット騒然「可憐過ぎ」「女神降臨」】

8/2(土) 11:42 Ağ-Yankı


その可憐な容姿からエクスの華と謳われるマドレーヌ・ド・ガスパール嬢(17)が、新フランク副領事ガスパール男爵に同行し、アンキュラに来訪した。ネットではさまざまな反応が寄せられている。


【写真】「可愛いが過ぎる」と絶賛の声……大胆ドレスでアンキュラの街を訪れたマドレーヌ嬢の姿


マドレーヌ嬢はこの日、アンキュラ駅にガスパール男爵と到着。押しかけた民衆に手を振って歓迎に応えた。

「これが天使か」「直視できない」「反則級の可愛さ」などの声が寄せられている。


 

【8月2日 アンキュラ、Araç kiralama(レンタカー店)】

 パヴルは車を探していた。ファルトではなく、紺色のロルフ・カブリオレを。


 ファルトがどこにあるかはすぐにわかった。以前見かけたスィビルス(ツイート)からレンタル元の会社を特定できた。ファルトの現在地は警察署。証拠として保管中。無理。

 だが、現物を直接調べられなくても借主のことはわかるはずだ。レンタカーを借りるには免許証のコピー提出が必須だし、方法はある。しかも得意分野で。


 表向き、パヴルは派遣社員だ。経理事務。レンタカー会社は派遣依頼をしていなかったので、ハッキングして架空の依頼を捏造し、自分を派遣した。


「うちの会社、そんなに忙しかったっけ?」

 出勤した店舗で、太った店員が言った。名前はマルティン。

「まあいいけどよ。そのデスク、空いてっから使いな」

 そのデスクは「空いて」るようには見えなかった。古くてバカでかいPCとキーボード、車の雑誌、紙の書類の山、スナック菓子、ボールペンや定規が乱雑に突き刺さったペン立てなどで、持参したノートPCを置くスペースもない。椅子は黒ずんでテカっている。

 

「あー、わりい。これはオレんだ」

 マルティンがスナック菓子の袋と雑誌を撤収してくれたので、デスクをティッシュで拭いてからノートPCを置く。

「なんだよもう仕事すんのか?マジメだなーにいちゃん。初日なんだからもっとこう、シンボクを深めようぜ」

「……あー、はい」

 パヴルは親睦を深めたいとは思ってなかった。長居するつもりはなかった。目的さえ果たせば用はない。この事務所はガソリン臭いし。

 

「あれ見たか?あれ。めっちゃカワイくね?オレぁ一目でファンになっちまったぜ」

「あれ?……もしかして、逮捕された看護師さんのことですか?」

「看護師?……あーそんなのいたな、前に。古いぜにいちゃん!フランクのお嬢様だよ!テレビ見ねえのか?」

 サフィが逮捕されて話題になってから5日。大衆は飽きっぽい。

 

「いやー、アンキュラ駅にあんなすげえのが来るとはな。ちくしょう、休みだったらオレも――」

 今日は土曜日だが、この会社の定休日は火曜だ。ファルトがレンタルされた先週の火曜は祝日だったから営業していた。聖マリア記念日。

「――先週の火曜に有休使っちまってよ。しくった」

「え。祝日に有休取ったんですか?」

 がっかりだ。もしかしたらファルトの借主の生情報を聞き出せたかもしれないのに。

「うるせえ。コレがお祭り行きたがったんだから仕方ねえだろ。デートだよ。にいちゃん、コレは?」

 太くて短い小指を立てて目の前でひょこひょこさせている。昔の映画でしか見たことがない。

「その日、出勤してた方はどちらに?」

「ああ?今日は休みだよ。くっそーあの野郎、お嬢様見に行ってんのかな」

 出勤して10分でもう帰りたくなってきた。

 

「そうですか。じゃあ僕は仕事を――」

「まだいいだろ?ヒマなんだから付き合えよ。ホントは今日終わったら歓迎会してやりてえんだが、シスターに呼ばれてて忙しいんだ。わりいな」

「……シスター、ですか。大変ですね」

 パヴルは適当に返事しながら仕事を始めた。とりあえず顧客ファイルを探す。このマルティンは目の前で社外秘ファイルを開かれても気にも留めないだろう。

「いやそれが聞いてくれよ。おっかねえシスターがいるんだけどよ、こないだから急に優しくなってよ。気味わりい。花束嬉しかったわーとか、あの婆さんもとうとうボケて――」

「へえ。大変ですねー」

 見つけた。22日にファルトをレンタル。一か月。それをたった2日で乗り捨てた。

 免許証の画像。コピーはデジタルだけか。紙は嫌いだから助かる。


 ロルト、ジャーレ。1985年2月2日、クルッカレ出生。

 ビジネスマン風の、きっちりセットした黒髪。40歳には見えない若々しい顔。黒い瞳、シャープな目、薄い唇。ちょっと東洋系か。


「――あの浮浪者にボロ車使わせてやったのがよっぽどアレだったのかな。わかんねえ」

「へえ。浮浪者に車を」

 生返事だった。だがパヴルは無意識に金鉱を掘り当てていた。

「おう、聞いてくれよ!おかげで酷い目にあっちまってよ!オレはその、ちょっとしたゼンイってやつ?ゼンコウ?のつもりだったのに――」

 マルティンは立ち上がって事務所の中を歩き回り始めた。パヴルはその隙にiPorta(スマートフォン)で免許証の画像を撮影する。

 

「店長からドヤされるわ、シスターはやたらかまってくるわ。あげくに、2人でグルになって、あやしいカルトの集会に連れてかれて!入信させられちまった」

「シスターが、カルト?」

 ちょっと興味が湧いてきた。目的はほぼ果たしたし、少しだけお喋りしてみるか。

「おお、知ってっか?『|いにしえの琥珀《Kadim Kehribar》』ってんだ。おれらはK.K.って言ってるけど」 

 もちろん知ってる。動画だって作った。赤いウロボロス。

 

「あーそれ、聞いたことあります。入信したんですか?」

「まあな。話聞いてみたら、なかなかおもしろくてな。しかも、あのお堅いシスター・デフネが、そりゃもう熱心に誘ってくるもんだしよ。店長も。近頃インフレだなんだって、ろくなことねえだろ?ところがK.K.は――」

「なんか、楽しそうですね。酷い目って言ったのに」

「ばーかそりゃ、このオレが新興宗教に入信だなんて、酷い話じゃね?でも入ってみたらおもしれえんだよこれが。おめえもどうだ?」

「ははは。その浮浪者のおかげですね」

「そうなんだよ。あいつを見つけなきゃなんねえんだよ。車検切れの車に乗せとくわけにゃいかねえ。いにしえの教えに反するからな。おめえも手伝え」

 マルティンが身を乗り出し、パヴルのデスクのPCを操作して、監視カメラの映像をモニターに映した。

 マルティンと浮浪者と、紺色のロルフ・カブリオレが映っていた。


 うん。ヒマな時なら、このK.K.がらみの出来事は動画のネタとしておもしろいんだけど。今はとりあえずファルト。

 監視カメラ。ファルトがレンタルされた時のもあるはずだ。

「――こいつを見つけて、車検も取らせて、ついでに記念写真でも撮ってシスターに見せれば、すげえ喜んで――」

 パヴルは再びマルティンを無視し、PCを操作した。先程の顧客ファイルでファルトのレンタル時刻を確認。15時25分。

 監視カメラのアーカイブを辿り、22日の映像を開く。15時の映像を検索。


「え?」

 思わず声が出た。

 映像をハーフサイズにして、もうひと窓、監視カメラ映像を開いて並べる。マルティンとロルフの画像。


 同じやつじゃん。どう見ても。

 ボサボサの黒髪、古ぼけた黒いスーツ。浮浪者。あれ?免許証の写真と別人か?

 iPortaで撮影した免許証画像を開き、顔写真を拡大する。

 確かに風体は全然違う。きっちりしたビジネスマンと浮浪者。でも――

 間違いない。シャープな目、黒い瞳、薄い唇。同一人物だ。


「――でよ。おめえも来いよ、集会。お茶しか出ねえけど、なんかスッキリするからよ。今夜――」

「ありがとうございます!じゃあ帰ります!」

 呆気に取られるマルティンを残して、パヴルは店を出た。

 やっぱり、やればできるじゃん!ここからは、バビュール様のお通りだ!



【同日 アナファルタラル大通り】

 お嬢様のお通りだ。アルペンブルーのルノー・ラファールが、パトカーの先導で大通りを行く。本来なら主役であるはずの新任副領事を差し置いて、沿道に近い右後部座席から手を振るのは、華々しく世界の舞台にデビューしたフランクの雅、マドレーヌ・ド・ガスパール。


 パノラマガラスルーフから、夏のアンキュラの太陽光が降り注ぐ。こんなに眩しいのね、ここのお日様は。エクスは夏は雨ばかり。日焼け止めちゃんと塗らないと、真っ黒になっちゃう。お帽子、持ってくればよかったかな?だめ。私の笑顔をみなさんにお届けするのが、今の私のお仕事だもん。


「マド。ごらん。みんなおまえに夢中だ」

「ええ、パパ。嬉しい!」

 パパは満足そうだ。ふわっと車内に広がった、私の白いクリノリン・シルエットのスカート越しに、にこにこしている。さっきの記者会見では厳しいお顔をしてたけど、私にはいつもにこにこ。可愛い可愛い愛娘ですものね。当然よ。あのネックレス、おねだりするチャンスかも?


 沿道で光りまくるフラッシュ。でもあれはなに?プラカード?え〜っと、テュルキエ語か。確か――

『パンを寄越せ!花よりパンを!』

 ……お腹空いてるのかな。

「パンを寄越せ!ですって。パンがないならマドレーヌを食べればいいのに」

 パパが吹き出した。なにかおかしなこと言ったかな。

「マド。お前を食べるのはパパだけだぞ?」

 噛み付くフリをした。バカみたい。でも可笑しい。



 バカみたいだ、みんな。

 パヴルはルノーには目もくれず、群衆の背後を歩いていた。あの事故の日にファルトを乗り捨てた浮浪者が、その足で同じレンタカー屋から別の車を手に入れた。何のためにそんな二度手間を?ファルトが気に入らなかったなら、ちゃんと返して乗り換えればいいだけだ。無駄遣いにもほどがある。 

 ファルトを乗り捨てなければならない理由があった。別の車が必要だった。事故の日に。デカいカラス(悪魔)が目撃されたというあの日に。

 ファルトは事故には直接関与はしていない。

 

 ロルフ。紺色の、ソフトトップが破けた、廃車するはずだったオンボロ。街中探せばすぐ見つかりそうだ。

 パヴルは立ち止まった。街中探す。パヴル・エルギュンなら足で。でもバビュールなら?

 iPortaを取り出しながら、通り過ぎて行くルノーを目で追った。注目の的。


 なんて名前だっけ?インウェニ(Google)る。マドレーヌ・ド・ガスパール嬢か。

 スィビラ(SNS)のタイムラインを見ると、令嬢の画像が溢れている。これだ。

 スィビラの検索窓に、"マドレーヌ アンキュラ"と入力して画像検索。大量にヒットした。駅。記者会見。パレードかよ?そんなに大騒ぎするか?17歳なんてまだガキじゃん。サフィの方がかわいいし。

 

 パヴルは、街に繰り出したマドレーヌの画像を、一枚一枚拡大した。見たいのはお嬢様じゃない。その後ろに映り込む車だ。ルノーでもない、ロルフを探す。紺色で、ソフトトップがボロボロの。

 パヴルは近くのカフェのテラスに腰掛け、じっくりとiPortaを見続けた。



 ルノー・ラファールはパトカーに続いてイペク通りに右折し、エヴィ公園を左手に見ながら保安庁(GT)の検問を通り過ぎた。まだ領事館には行かず、日曜日にジェイがヴィを乗せて攻めたタイトなヘアピンをゆっくりと曲がり、アナドル文明博物館の車寄せに入る。


 博物館かー。つまんなそう。でもお仕事だから、がんばらなくちゃ。

 マドレーヌは車を降りる直前から、輝かしい笑顔を作った。フラッシュが襲いかかる中、博物館のスタッフさんがドアを開けると、スカートがポン!と弾けるように膨らむ。にこやかに手を振りながら、父親と腕を組み、白い幾何学模様の石畳を歩き、前庭の花壇を通って博物館のアーチをくぐる。


 変な形の彫刻ばっかり。豚さん?これはなに?鹿さん?牛さんかな。興味ないけど、あるフリしなきゃ。お仕事ってたいへん。

 館長さんが一生懸命説明してくれてる。聞いてあげなきゃ可哀想。

 昔の服を着せられたマネキンがいっぱい。ちょっとオシャレなのもあるわね。わあ!この服は綺麗!金ピカのお面。裸の女の人の彫刻。ギリシャ時代かな。

 

 カエサルの胸像。これは何度も見たことある。パパはカエサルが嫌いなんだよね。大昔に征服されたからかな。ガリアだっけ。変なの。ローマはローマ、私たちはフランク。それでいいじゃない?

 なるほど。歴史の順番に展示されてるのね。わかりやすいかも。小学生の社会見学とかにはいいわね。私には退屈だけど。

 この模型は、アヤソフィア大聖堂かな。宗教は嫌い。堅苦しいし、古臭い。


 あれ、もう終わりか。フランクの展示とかはないのね。文明博物館なんてたいそうな名前なんだから、フランクの工業製品とかも展示すればいいのに。車とか。飛行機は無理か。狭いもんね。

 まあ、文明ならフランクの方が進んでるってことね。街を走ってる車も、フランク車ばかりだったし。

 

 副領事一行は館内ツアーを終え、外に出た。アンキュラの日没は遅い。日はまだ高かった。蝉しぐれがピークを迎えて、夏の陽射しを強調していた。数日前、ここから4キロ離れたジェベジ墓地で、人々を悪夢の中に閉じ込めた音の壁が、ここでも圧迫感を醸し出していた。


 いやになっちゃう。やっぱりお帽子持ってくればよかった。ママの言う通りだったな。ママはもう、領事館に着いてるのかな。このドレス、背中だって剥き出しだし。暑い。

 アイスが食べたい。ここからすぐよね、領事館。早く行きたいなあ。アンジーならきっと……そうだ!ペッシュ・メルバ(高級冷製デザート)がいい!白桃は今が旬よね。いつも用意周到なアンジーなら、たぶん取り寄せてるはずよ。パパの新任のお祝いにピッタリだもん。 

 パパはまだ館長さんとお話ししてる。うるさいマスコミの人たちもたくさんいる。先に行っちゃおうかな?確かこっち。


 マドレーヌは、ふらりと歩き出した。彼女が滞在することになる領事館周辺の地図は、おおまかだが頭の中に入っていた。ペッシュ・メルバのルビー色のシロップと一緒に。博物館の駐車場は領事館前の小路に面している。

 前庭まで来て振り返ると、副領事一行や博物館スタッフは取材に追われていた。マドレーヌを気にしている様子はない。


 よし、行っちゃおう!


 マドレーヌは走り出した。

 途端に、黒服のボディガードが数人、マドレーヌを追った。

「お嬢様!お待ちください!」

 ボディガードの叫びに、そこにいた全員が緊張した。パパラッチのフラッシュが光る。マドレーヌは気にせず、クリノリン・シルエットのスカートを揺らして道路を渡った。通行車両が急ブレーキをかけ、甲高い音が蝉しぐれをつん裂く。運転手から見ればそれは、白い大きな釣鐘が突然飛び出してきたようなものだった。後続車が追突した。幸いヘアピンカープの手前で減速していたので大事には至らなかったが、大騒ぎにはなった。

 パシャパシャとフラッシュの雨が降り、蝉しぐれとクラクションの大合唱の中、マドレーヌの走る姿は信じられないほど優雅だった。追突事故など、視界にすら入っていない。

 

 後続のボディガードたちはそうはいかなかった。下手をすれば国際問題に発展する。ボディガードたちは二手に分かれて、2人がマドレーヌを追走し、3人ほどが事故の対応に追われた。

 

 パールホワイトのシルクのスカートが、マドレーヌの腰から下で前後に揺れる。さすがにこのドレスでフェンスを越えて草地を突っ切るのは無理と判断したマドレーヌは、さっきルノーで通った車道を疾走してヘアピンに差し掛かった。右に直角に曲がれば駐車場、領事館はその先だ。マドレーヌは右に曲がろうとした。

 

 だが物理法則がマドレーヌの右折を阻止した。クリノリン・シルエットのスカートはマドレーヌの意志に反して直進しようとして、マドレーヌはバランスを崩した。

 転びかけた時、たまたまそこに犬の散歩中の恰幅のいい婦人がいた。マドレーヌは一瞬その婦人とゴールデンレトリバーに接触したが、そこでバランスを立て直した。

「Pardon!ごめん遊ばせ!」

 

 マドレーヌはすぐさま全力疾走を再開し、駐車場に突入した。大合唱に、レトリバーの吠え声が加わった。

 駐車場内では、TVカメラが待ち受けていた。マスコミはこれを今日最大のスクープとみなし、マドレーヌを阻止するのではなくむしろ煽った。

「最高!カメラ!絶対撮れ!」


 楽しい!エクスではこんなことできないし!来てよかった!アンキュラ最高じゃん!


 マドレーヌは走りながら笑っていた。笑顔が弾けていた。きらめく太陽。蝉と犬とクラクションの大合唱。ロングウェーブのライトブロンドが乾いた風になびき、光をはらんで撒き散らす。胸の高鳴り。汗すら輝いて。


 駐車場を突き抜けて、一気に北端の林まで走った。そこで行き止まりだった。

 息を切らしながら、木陰の涼しさが爽やかにマドレーヌを包んだ。すぐ横になんだかボロボロのスクラップがあったが、そんなことは気にならなかった。


 実感!生きてるってこういうことよ!エクスなんか息苦しくて。ほんと、Vive!アンキュラ!!


「……ハァ……ハァ……お嬢様……困ります……」

 ボディガードがやっと追いついて、肩で息をしながらマドレーヌを囲んだ。フラッシュとTVカメラも。


「ふふっ。Je vous demande pardon……soyez gentil?(ごめん遊ばせ……許して?)」

 ボディガードには、許す以外に選択肢がなかった。

 


 パヴルはiPortaを凝視していた。カフェのテラスで、チャイを飲みながら。


『豪快突破!プリンセス』『爆走猛姫!』

 スィビラも大騒ぎだ。トレンドでもマドレーヌが1位。動画も写真もすごい数。

 その内の一枚をタップして、ピンチして拡大する。バカプリンセスのすく傍らに、埃だらけの紺色のスクラップがはっきりと写っている。他の写真でも、いろんな角度で鮮明に確認できる。

 

 紺色のロルフ・カブリオレ。ソフトトップは穴だらけ。間違いない。


 まだ明るい。夜になったら、突撃だ。

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