13 無垢ゆえに
【ニースの奇跡?!聖女が天使に救われる】
2025/8/17 セレブトピックス Ağ-Yankı
『フランクの華』またお騒がせ
アンキュラに華麗な笑顔を振り撒いたお嬢様、マドレーヌ・ド・ガスパール嬢(17)が、今度はコート・ダ・ジュールの浜辺でロマンチックなハプニング。
16日夜、お忍びで海水浴を楽しんでいたマドレーヌ嬢が溺れかけ、天使(?)に救出されるという事件があり、ネット民を騒がせている。
【写真】「これが奇跡か」「映画化決定!」SNSで話題の『天使の画像』
SNSの投稿によると、サン=ローラン=デュ=ヴァールで夜間に遊泳中に溺れたマドレーヌ嬢を、謎の翼を持つ人物が救出し、浜辺で人工呼吸を施してマドレーヌ嬢の命を助けた、とのこと。AI画像だとの指摘もあるが、ネット民が注目したのは、ここが『天使の湾』と異名がある場所だったことだ。
『天使の湾』は、漂流していた聖女を天使が導いてきたという伝承をもとに付けられた名前。マドレーヌ嬢が聖女かどうかはともかく、現代に起きた奇跡のような出来事に、ネット民は騒然としている。
なおマドレーヌ嬢は19日に18歳の誕生日を迎える。ニースの高級ホテルで、盛大なパーティーが開催されるとのこと。しばらくは、このお転婆セレブに注目だ。
【交通事故】ローマ軍高官、事故死相次ぐ
8月17日 08:30 GH
ローマ軍広報は17日、この数日間に地方部隊司令官を含む軍高官の交通事故死が相次いでいることを公表した。
発表によると、14日にアンタルヤで准将の公用車が海に転落。さらに15日深夜にイズミル部隊司令官の公用車が山道を逸脱し、司令官が死亡した。いずれも事件性は認められず、「不運な事故の連鎖」として安全点検を強化するとのこと。
@セレブ大好き!
なんかさ。どうでもいいニュースばっかだよね。もうマスコミはだめだな
#バビュールが真実
@Ankara_Ayazi
政治の話題全くないってありえん。どうなってんだ。セレブのパーティーとか、くだらない。
#シムシェカーZ#バビュール#革命
@なぜなに研究室
ペルフェクティの言葉だけが真実。他にはなにもいらない。
#いにしえの琥珀#真の神#赤い蛇
@永遠の海
シムシェキ少佐の演説熱い!これ戦争始まるわ!ワイは戦う!逃げたいやつは逃げろ!
#シムシェカーZ#バビュール#革命
【8月17日 コンスタンティノープル、アヤソフィア大聖堂、玉座】
コラル・ドクルは深いため息をついた。
肘掛けの装飾を指でとんとんと叩く。智天使ケルビムの頭を。
智天使。ケルビムは本来、ただの乗り物だ。神の玉座。腰掛けに過ぎん。今私が座っているこの椅子と変わらん。
玉座。この玉座も、ケルビムのように天を駆け、どこにでもいければよいのだが。
「Acceptasne electionem de te canonice factam in Summum Pontificem?(聖座への選出を受諾なされますか?)」
14年前。酷く寒い日だった。北風が強く、みぞれ混じりの雪が、この大宮殿のステンドグラスを汚していた。朝から、極東の島国での地震のニュースが漏れ聞こえていた。今日は決まらなければいい、と思った。話題が散ってしまう。私がこの世の王となる日は、世界中から祝福されて然るべきではないか。
だが夕方、どんよりとした鉛色の荒天に、あの白い煙が立ち昇った。
「Quo nomine vis vocari?(あなたはなんと名乗られますか?)」
「インノケンティウス。私はインノケンティウス14世と名乗ります。」
インノケンティウス。無垢なる者。意味などどうでもいい。求めたのは、かつて王を破門したあの力だ。私は世界の王となるべく生まれたのだから。
新・十字軍。素晴らしい成功。
だが2回目。より研ぎ澄まされた切先を、元老院の腰抜けどもが浜辺で錆びつかせておる。もう2年。利権を貪る豚ども。体も頭も鈍重な脂肪の塊に成り下がった。
ズィヤ・シムシェキといったか。熱を帯びた巨大な重心。スヴェイシュの演説は決定的だ。私が創り育てた新・十字軍は、あの引力に根刮ぎ奪われた。ああいう男が、私の後継ぎであったなら……いや。あの男は情に流され過ぎる。器としては脆すぎる。
インノケンティウスは閉じていた眼を開いた。その青い瞳には、真に氷の如き白い箇所が増えていた。それは彼の冷徹さを増してはいたが、白内障のせいだった。殿中の照明の輝度を落としても、時々視界が霞み、ぼやけることも多くなっていた。
インノケンティウスは再び瞼を閉じ、眉間に皺を寄せて鼻根を摘んだ。そして欠伸をした。
ここ数日、眠れない夜が多い。昨今の政情を気に病んでいるからではない。夜に眠れず、昼間、こうして独りでいると、居眠りをしてしまうこともある。この私が。
私は老いた。軍の腑抜けぶりも、元老院の堕落も、私が老いて、かつてのような威光を放てなくなったが故だ。民心を掌握する力も弱っている。それが此度のアンキュラの騒ぎを招き、革命などというばかげたことを考える隙を与えてしまった。
後を継ぐ者が必要だ。明晰な頭脳、確固たる意志、そしてなにより冷徹さを兼ね備えた者。
卿。アンキュラでの失態は残念ではあるが、誰しも間違うことはある。その挽回の施策は為されているようだが、まだ若いか。
シムシェキの元、軍は矛先を反転させるだろう。おそらくは……26日。マラーズギルト。元老院の豚どもは泣き喚いて逃げ出す。ここは戦場にすらならぬかも知れぬ。
時には引くのも必要だ。私の頭脳が鈍る前に立て直し、卿に喝を入れて引き継ぐのが最善であろう。
アヴィニョン。あそこなら気候も良いし、歴史的背景も我々に味方する。捕囚ではなく、これは遷都だ。要塞も大聖堂もある。
次のローマは、あそこにするか。
アウグストゥスを超えるのだ。
【10時30分 ニース、ラ・マドレーヌ・シュペリュール】
マドレーヌ高地。マドレーヌ大通り。マドレーヌ広場。マドレーヌ公園。マドレーヌだらけ!
「私のためにあるのね、ニースは!」
マドレーヌは歓声をあげた。
バカンスも1週間を過ぎ、海にも買い物にも料理にも飽き始めたマドレーヌは、ジェイのiPortaを強奪した。そういう関係なんだから当然だと言って。そしてインウェニ・ハリタを見て、驚くべき発見をしたのだ。
その勢いでレンタカー屋を予約し、クラシックなルノー・カラベルでこの高台に来ていた。マドレーヌ大通りを北上して。
ジェイにとっても、フルオープンでのドライブは気晴らしになった。初めてロルフのソフトトップを開けて走った時を思い出した。ヴィを乗せてアッカレへ疾走した時も。
ジェイはマドレーヌの熱すぎる感情表現を受け流していた。拒否はせずに。今の境遇はヒモのようなものだから仕方ない。
「あなたは死ぬわ。このままじゃ」
イブン・シーナ病院で、ヴィは言った。ジェイの眼を見て、強い口調で。
「だからアンキュラ、いえローマを離れて欲しいの。少なくとも、この革命が終わるまで。あなたの……使命は、それからでもできるでしょ?」
使命。"狩り"。
この依代で果たすべき"狩り"は、まだ残っている。
あの日。あの巨大な白い十字架が落ちてきた時、また条件反射でマドレーヌを庇った。これで終わったと思った。この依代はもう限界だ。命が繋がれば、回復はできる。だがこの重量を支えるのは、この肉体では不可能だ。
しかし、あの男がいた。
ズィヤ・シムシェキ。
あの男の瞳。明るい褐色と金色のグラデーション。虹彩が絡んだ時、あれが起こった。教会の時と同じ。
ジェイエルの真の姿が顕現したのだ。
ありえない事だ。地上では存在できないはずの姿。過去何百回も転生してきて、初めての事。教会で、クルチュの葬儀で、あの男と虹彩が絡んだ時のあれも、そうなる予兆だったのか。そして二千年前のあの時も。
物理的に、依代の肉体がそれに耐えられるはすがない。500キロの重力に押し潰されるより先に、体内から破裂する。
今回はそうならなかった。だがダメージはとてつもなく、そうなっても当然だった。
ジェイはヴィの提案を受け入れた。
そして昨夜。
マドレーヌを助けるために翼が広がり、夜の地中海をマドレーヌを抱いて飛んだが、依代の負荷は感じなかった。マドレーヌだからではない。シムシェキとの謎の繋がり。ジェイエルの顕現。あれで何かが変わった。
「ジェイさま!この高台は、ラ・マドレーヌ・シュペリュールというんですの。訳してみて?」
「マドレーヌ高地」
マドレーヌはジェイの袖を引っ張って、うつむく。
「それはそうですけど。じゃあ、地名じゃないとしたら?」
Supérieureは高い、というような意味だ。
「上級マドレーヌ」
「もうちょっと……エレガントにすると?」
ため息をつく。
「至高のマドレーヌ」
マドレーヌは破顔し、ジェイの肩をひっぱたいた。
「まあ!恥ずかしいですわ、ジェイさま!アンジーもおりますのに!」
「お嬢様。そろそろ街へ参りませんと、ランチのお時間に間に合いませんよ。聖マリー=マドレーヌ教会にも立ち寄られるのでしょう?」
アンジーは2+2のリアシートで肩身の狭い思いをし、さらに上空を警戒しながら言った。フルオープンなので、アリーを警戒しているらしい。
「教会かー。また今度にして?退屈そう」
「お嬢様がそうおっしゃるなら、私は構いませんが」
「さすがアンジー!嬉しい、アンジーが優しくて。ニースに来てから、すごく優しい!大好き!」
アンジーはマドレーヌが喜んでいるのが微笑ましかった。明後日、遂にマドレーヌは、待ち焦がれた18歳になる。私の責務も、あと2日で節目を迎える。いずれにせよあの教会へは行くのだし。マドレーヌにとってこのニースで過ごす時は、かけがえのないひと時なのだから。
ジェイ――ジェイエルは、マドレーヌの興味が自分から離れた貴重なこの一瞬に、依代の心臓のことを考えていた。
真の姿が顕現したことで、心臓の不安は消えたのか?そうではない。消えたのではなく、感じなくなっただけでは?仮に消えたととしても、またジェイエルになったら?あのダメージは心臓がどうであろうと関係ない。次もまた耐えられるという保証はどこにもない。
悠長に過ごす時は終わりだ。行動開始の時だ。まだ成すべき"狩り"がある。
あと2人。
インノケンティウス14世、本名コラル・ドクル。
そして、ヴェシリア・セレン。
【12時10分 アンキュラ、ジャポン・レストラン鯉】
「VVちゃーん!こっちこっち」
サフィが手を振っていた。レストランの、窓辺のテーブルから。
ヴィはサフィから誘われて、このジャポン食レストランまで歩いてきた。昨夜からまた暮らし始めた聖テレーザ教会から、10分くらい。
ノレンをくぐり入った店内は、異国情緒に溢れている。テーブルは全て木目、ジンジャのトリイを模したらしい赤い柱、天井からはチョウチンがたくさんぶら下がり、壁には"命"、"平"、"水"、"愛"といったジャポンの漢字が貼られていた。意味はあまりよくわからない。
「ここならさー、ペルなんとかでも大丈夫!お肉なしでもお腹いっぱいになれるよ?」
「ごめんね?調べてくれたんだ」
「いやいや。あたし、この辺詳しいから。このお店もリピしまくり。ジョーレン」
マジ、この辺はあたしのナワバリだから。うちから病院まで、この辺は通勤路。
このお店なんでもうまいし、スシとか高いけどめっちゃ美味。
「VVちゃん、お腹すいてるっしょ?ペルなんとかって、ベジタリアンなんだっけ?」
VVちゃんはメニューを見ながら言った。
「うん、そんな感じ。お魚はOKなんだけどね……メニュー、美味しそうだけど、今は出せないやつ多いんだね、やっぱり」
「うん。なんせブツリュー?が止まっちゃってるから。しょうがないよね。でもほら!これなんかどう?スシ。頼めるみたい」
「スシ?生魚よね?それこそ入って来ないんじゃ?」
「大丈夫。ここ、バカデカ冷蔵庫あるし。ね?タイショー?」
「おうよ!任せな!こっちも早く捌かねえと腐っちまうからな。サフィーヤちゃんの友だちなら、とっておきを食いねえ!」
タイショーはジャポンの人だ。バイブス最高。
「ありがとータイショー!ね?VVちゃんたくさん食べな。あたしの奢り!」
ヴィはスシを食べたことがなかっが、ネットでどんなものかは知っていた。マグロとサーモン。艶があって美味しそうだ。ハシは使い方がわからない。
サフィは普通にハシでスシをつまみ、魚にだけショウユをつけて丸ごと口に放り込む。簡単そうに見える。
サフィの手元を見ながら真似をする。だがハシは全く思い通りにはならず、2本の棒はクロスして何かを掴むどころではない。
「ふふ。VVちゃんでもできないことあるんだ。なんかほっとする」
「だ、だって。初めてだし。練習すれば、こんなのすぐ――」
「まーた。そーゆう負けず嫌いなとこ、かわちい。あのね?スシってジャポンじゃ手で食べるんだよ?こうやって」
サフィはハシを置き、親指と人差し指、中指でスシを摘むと、器用に魚だけにショウユが付くよう逆さまにして、また一口で食べた。
「うん!おいしー!」
「そ、そうなのね。それを先に言ってくれなくちゃ。マナーは守らなくちゃタイショーに失礼ね」
ヴィもハシを置き、内心ほっとしながら手掴みでマグロを口に入れた。
「ショウユ!つけないと」
サフィが笑った。
「で。どうよ?」
スシは本当に美味しかった。タイショーが次から次へと出してくれて、お腹いっぱいだ。
「うん。今のところ順調、かな?ペルフェクテイになったから、いろいろわかってきた」
「それ。ペルフェ?なに?シスターみたいな感じ?」
「そうね。シスターじゃなくて司祭かな。それぞれ拠点を任されて。わたしは聖テレーザ教会ね。そこで、クレデンテス……信徒さんのためにお祈りしたり、お話聞いてあげたり。教義を教えてあげたり。カトリックとほとんど同じ。教義も、聖書に書いてあることばかりだし。だから、シス……いえ、デフネさんとかわたしとか、元シスターはすぐペルフェクテイになれちゃう」
「じゃあなにが違うわけ?イタンなんだよね?」
ヴィは考えた。そう。何が違うんだろう?一番の違いは、性差別がないことだ。カトリックでは女はシスターにしかなれない。逆に、なぜカトリックはそう決まっているのか、今やそれが疑問だった。
「……二元論ってわかる?」
「わかるけどわからん。パブちゃんにちょっと教えてもらった。善と悪、霊とブッシツ、だよね?どっちかしかないってこと?」
「どっちかしかというか、逆かな?ほら、カトリックでは、神様は1人しかいないって教わるでしょう?それが一元論。二元論だと、神様も2人」
「え?そうなの?」
「善と悪。いい神様と悪い神様ね。K.K.では、カトリックの神様は偽物だって教えるの」
「ニセモノ?ばったもんってこと?ニセヴィトン?」
ちょっとおもしろかった。サフィはなんでも直感的だ。
「わかんねー。偽物だから悪いってことだよね?だけどさ、イエス様はいい人なんでしょ?K.K.でも。イエス様も詐欺られてるってこと?」
鋭い。本質を突いている。
「K.K.の教えはともかく、わたしは……個人的意見かもだけど、神様が悪いんじゃなくて……神様を利用してる人が悪いんだと思ってる。イエス様は神様はこうおっしゃってるって言い方してるけど、本当は……イエス様ご自身の考え方なんだと思う。だって、神様は――」
いない、と言いかけた。でも……ジェイはなに?天使なら、神様もいるってことだ。ジェイの"狩り"。使命。誰かに命令された、与えられた任務。
「……ごめん。わたしにもまだよくわからない」
ジェイに命令したのが神様なんだとしたら?唯一神なのか、それとも他にもそういう存在があるのか。そもそも神様とはなんなのか。善なのか悪なのか。どちらでもないのか。わからない。
「んー、まあぶっちゃけ、あたしも神様なんて信じてないけど。だってさ、人間なんていい人も悪い人も、関係なく病気になるし苦しむし、死んじゃうから。どんなに神様信じてたって、どんなにキョーギ?を守ってたって、関係ないし。気持ちの問題ってんならわかるけど」
その通りだ。サフィの言う通り。でも、だとしたらジェイはなんなのか。
「サフィ……あなたも、見たのよね?ジェイが――」
「バケモノ?あ、ごめんちゃい。うんまあ、見たよ。幻とかじゃなくて。爆発とかいろいろあった後だけど、あたしは冷静だったし、確かに見た。なんなら触った。突然変異?わかんない。でも存在してるんだから、受け入れる。ああいう身体の人。それ以上でも以下でもないよ」
すごい。やっぱりサフィはプロの看護師だ。わたしにできる?そんなふうに受け入れることが。わたしには、ジェイは……。
いや、もうよそう。いつか、本人に聞けば……教えてはくれないか。あの人は。
「さてっと。あたし、そろそろ行かなきゃ。これから夜勤なんだ。明日もランチしよ?」
【15時20分 旧・聖テレーザ教会】
ヴィはサフィと別れた後、聖テレーザ教会に戻った。今日はこの後、ペルフェクテイとして新たなクレデンテスの話を聞く予定になってる。
考えることは多い。多過ぎる。今はとにかく、目の前のことに集中しなきゃ。
「こんにちは……ペルフェクテイにお会いしに参りました……」
外で声がして、ヴィは中庭に出た。
そこにいたのは、アイシェおばさんだった。




