第二話!現代知識無双!マヨは世界を救う!
「……よし。」
俺は一枚の紙を見つめ、小さく息を吐いた。
入部届。
昨日の俺に見せたら、鼻で笑うだろう。
『部活? 何それ。』
『絶対入らない。』
そう思っていたはずなのに。
結局、『きみくる!』は最後まで集中して読めなかった。
「俺だったら。」
そんなことばかり考えてしまっていた。
あの部活は、おかしい。
活動内容もおかしい。
でも――。
◇
放課後。
俺は入部届を片手に、特別教室棟への渡り廊下を歩いていた。
放課後の校舎は、昨日とは違って静かだ。
グラウンドから聞こえる運動部の掛け声だけが、窓の外からかすかに届いてくる。
廊下の一番奥。
コンコン。
軽くノックをしてから引き戸を開ける。
「失礼しま――」
部員の誰かがいると思っていた。
だが、部屋にいたのは見知らぬ男だった。
白衣姿。
年は三十代後半くらいだろうか。
少し無精ひげが伸び、窓際に置かれた古い椅子へ腰掛けている。
片手には湯気の立つマグカップ。
もう片方の手には一冊の分厚い洋書。
男は窓の外を眺めながら、静かにコーヒーを口へ運ぶ。
やけに絵になる人だった。
俺に気付くと、本へしおりを挟み、ゆっくり顔を上げる。
「……新入部員か。」
低く落ち着いた声。
「え、あ……はい。」
「そうか。」
男はマグカップを机へ置くと、柔らかく微笑んだ。
「歓迎しよう。」
「ようこそ異世界研究部へ。」
「……。」
「……えっと。」
「失礼ですが、どちら様で?」
男は白衣の裾を整えながら大仰に立ち上がる。
「高瀬修一。」
「地学教師。そして――」
部屋をぐるりと見渡す。
壁に並ぶ鉱石標本。
天体模型。
木剣。
ロープ。
そして、山積みになったキャンプ用品。
「この部を作った人間だ。」
その一言だけで。
なぜか昨日のラジカセから流れてきた、あの重厚な王様の声が頭の中で蘇った。
「あ。」
思わず口から漏れる。
「王様。」
高瀬先生は一瞬きょとんとしたあと、小さく吹き出した。
「テープを聞いたか。」
「はい。」
「どうだった?」
俺は少し考えてから答える。
「……先生。」
「うん?」
「ノリノリでしたね。」
数秒の沈黙。
そして。
「教師はな。」
先生は真顔でコーヒーを一口飲む。
「頼まれたことには全力で応える生き物なんだ。」
「いや、絶対楽しんでましたよね?」
その瞬間、廊下から元気な声が響いた。
「一番乗りー!」
バンッ!
勢いよく引き戸が開く。
「おっ!?」
白峰部長が俺を見つけ、目を輝かせた。
「君……!」
俺は少し照れくさそうに頭をかきながら、入部届を差し出した。
「……よろしくお願いします。」
白峰部長は満面の笑みで受け取る。
「ようこそ!」
「いせけんへ!」
◇
部員が揃ったところで、高瀬先生がコーヒーカップを机へ置いた。
「それでは、本日の活動を始めよう。」
──────────────
異世界入門編
~剣と魔法の世界へようこそ~
召喚直後にするべき事!
・周囲を観察
・言語が通じるか確認
・帰還方法を確認
・勇者の役割を確認
・即答しない
──────────────
「今日は昨日の続きですか?」
俺はホワイトボードを見ながら尋ねる。
白峰部長は「あー」と頭をかいた。
「昨日のガイダンス、新歓用に作ったやつなんだ。」
「え?」
「つまり、途中までしか作ってない!」
「なんでやねん!?」
思わずツッコミを入れる。
「だって新入生に説明するだけなら、あそこまでで十分だったし!」
「じゃあ、この先は?」
「設定ない!」
胸を張って言うことじゃない。
神崎副部長がため息をつく。
「正確には。」
「昨日の内容は、活動紹介用のデモンストレーションだ。」
「本来の活動ではない。」
「じゃあ普段は何をしてるんですか?」
桐生先輩がぼそりという。
「実習。」
「実習?」
白峰部長がにやりと笑う
「異世界で生き残るための技術を、実際にやってみるの!」
「料理。」
「野営。」
「剣術。」
「あと魔法!」
「魔法は実習できないですよね?」
「だから研究!」
「そこは研究なんですね……。」
神崎副部長がホワイトボードの前へ立ち、昨日の内容を消す。
そして。
カッ。
黒いマーカーで今日の題名を書き上げた。
──────────────
現代知識無双!
──────────────
白峰部長が元気よく手を挙げる。
「異世界ものの定番といえば!」
「マヨネーズ。」
「……石鹸。……衛生は、大事。」
「オセロ!」
「カレー?」
神崎副部長がホワイトボードへマーカーを走らせる。
──────────────
現代知識無双!
・マヨネーズ
・石鹸
・オセロ
・カレー
──────────────
「マヨ。」
桐生先輩が呟いた。
「マヨは偉大だ。」
「いや、それは否定しませんけど。」
「焼く。」
「和える。」
「付ける。」
「はい。」
「全部うまい。」
「……はい。」
白峰部長が立ち上がり手を叩く。
「じゃあ、今日はマヨで!」
キュッキュッ
軽快な音をたてマーカーを走らせる。
──────────────
現代知識無双!
マヨは世界を救う!
材料
・卵
・酢
・油
・塩
──────────────
白峰部長が得意げに腕を組む。
「あとは混ぜるだけ!簡単!」
神崎副部長がため息をついた。
「白峰。」
「はい。」
「小学生の自由研究じゃないんだ。」
「えへへ。」
「褒めてない。」
「油は?」
「え?」
「植物油をどう精製する?」
「……。」
「酢は?」
「……。」
「塩は?」
「……。」
「卵は?」
「それくらいは。」
桐生先輩が口を開く。
「ニワトリ捕まえるところからだな。」
「そこから!?」
「異世界に養鶏場があるとは限らん。」
「まあ……そうですけど。」
高瀬先生が教卓へ寄りかかる。
「つまり。」
先生は人差し指を立てる。
「現代人は、マヨネーズの買い方を知っているだけなんだ。」
「うっ……。」
妙に納得してしまった。
神崎副部長が続ける。
「現代知識無双が成立する条件は三つ。」
ホワイトボードに番号を書いていく。
──────────────
① 理論を知っている。
② 材料を調達できる。
③ 自分で製造できる。
──────────────
「この三つを満たして初めて、現代知識は武器になる。」
白峰部長が大きく手を挙げた。
「質問!」
「どうぞ。」
「コンビニ!」
「ない。」
「Amazon!」
「ない。」
「ホームセンター!」
「ない。」
桐生先輩がぼそりと呟く。
「ホームセンターがある異世界なら、俺は帰る。」
「……私も帰ります。」
部室に笑いが広がる。
そのとき、高瀬先生が棚から一冊の古びた本を取り出した。
表紙には大きく、
『食品加工入門』
と書かれている。
高瀬先生は本を机へ置き、静かに言った。
「では。」
全員が先生を見る。
「異世界で、本当にマヨネーズを作る方法を考えよう。」
白峰部長がガッツポーズをする。
「よーし!」
神崎副部長はもう『食品加工入門』を読み始めている。
桐生先輩は真剣な顔で、ロープを手に取り、
「まずニワトリだな。」
と呟いた。
柊さんはページの端に小さく、
『油の製法』
と書き込み始める。
「……。」
俺はそんな四人を見回し、苦笑した。
やっぱりこの部活は、おかしい。
◇
「では。」
高瀬先生が腕を組む。
「植物油はどうやって作ると思う?」
柊さんが即答する。
「……植物を搾る。」
「正解だ。」
神崎副部長がホワイトボードに大きく書く。
──────────────
①油をどう手に入れるか
・菜種
・ゴマ
・ヒマワリ
・オリーブ
──────────────
俺は首を傾げる。
「搾るだけで出るんですか?」
「出る。」
高瀬先生が答えた。
「もちろん効率は悪い。現代のような精製は難しいが、食用油そのものは昔から存在している。」
「へぇ……。」
「だから、油は意外と何とかなる。」
「……問題はそんな植物が異世界にもあるかどうか。」
「無かったら世界の終わりだ。」
桐生先輩がつぶやいた。
神崎副部長が次を書く。
──────────────
②酢をどう手に入れるか
──────────────
部長が自信満々に答える。
「スーパー!」
「異世界だ。」
「……。」
「酒を放置して酢酸菌で発酵させる。」
先生が続ける。
「ワインビネガーやリンゴ酢も原理は同じだ。」
「つまり酒がある文化なら、酢も作れる可能性が高い。」
「なるほど。」
──────────────
③卵をどう手に入れるか
──────────────
「ニワトリ。」
桐生先輩が即答した。
「捕まえる。」
「異世界なら魔物かもしれませんけど。」
「なら鳥系魔物だ。」
「雑!」
白峰部長が笑う。
「でも卵なら何でもいいの?」
「必ずしもニワトリじゃなくてもいい。」
高瀬先生が補足する。
「黄身に含まれるレシチンが乳化剤になる。」
俺はぽかんと口を開けた。
「……乳化剤?」
「油と水は本来混ざらない。」
「ところが黄身を入れてかき混ぜると、レシチンが橋渡しをしてくれる。」
「だからマヨネーズになる。」
「おお……。」
思わず声が漏れた。
神崎副部長がホワイトボードへ次の項目を書いた。
──────────────
④塩をどう手に入れるか
──────────────
「……海。」
柊さんが小さく答える。
「岩塩!」
白峰部長も続く。
「正解。」
高瀬先生が頷く。
「だが。」
「周囲に海がある保証は?」
「岩塩が採れる保証もない。」
「……。」
「では。」
先生が俺を見る。
「塩がなかったら?」
「え?」
「マヨネーズは諦めるか?」
「いや……。」
俺は少し考える。
「味は落ちても、作るだけならできますよね?」
神崎副部長が頷いた。
「そう。」
「味のないマヨ……。」
桐生先輩が天井を見上げた。
「世界の終わりだ。」
神崎副部長は苦笑いしながらホワイトボードに書き足した。
──────────────
⑤混ぜ続けられるか
──────────────
「マヨネーズは少しずつ油を加えながら、根気よく混ぜ続ける必要がある。」
桐生先輩が腕をぶんぶん回す。
「任せろ。」
「急に頼もしいですね。」
神崎副部長はホワイトボード全体を書き直した。
──────────────
異世界マヨネーズ製造計画
・植物から油を採取する
・酒を発酵させ酢を作る
・鳥の卵を確保する
・塩を入手する
・根気よく混ぜる
──────────────
「結論。」
神崎副部長がマーカーを置く。
「理論上、作れる。」
白峰部長が勢いよく立ち上がる。
「つまり!」
「異世界でもマヨは救える!」
「いや、救うのは世界じゃなくて食卓です。」
「食卓が救われれば世界も救われる!」
桐生先輩が真剣な表情で頷いた。
「それは一理ある。」
「あるんだ。」
俺は思わず笑ってしまった。
「……ちょっと待ってください。」
柊さんが小さく手を挙げた。
「どうしたの、栞ちゃん?」
「……お酒がない文化だったら?」
一瞬、部室が静かになる。
神崎副部長が少しだけ口元を緩めた。
「いい質問だ。」
「お。」
白峰部長が嬉しそうに言う。
「栞ちゃん、いせけんっぽくなってきた!」
柊さんが照れるように笑う。
高瀬先生がホワイトボードへ近付く。
「文化レベルだけでは酒の有無は判断できない。」
マーカーを走らせる。
──────────────
酒がある条件
・糖分
・酵母
・保存技術
──────────────
「果物が自然発酵するだけでも酒はできる。」
「じゃあ酒は結構ありそうですね。」
「そうだな。」
先生は頷く。
「だが。」
──────────────
・宗教
──────────────
「宗教?」
「酒を禁じる文化は現実にも存在する。」
神崎副部長が続ける。
「つまり、作れることと、流通していることは別問題だ。」
「そして。」
高瀬先生が膝を軽く叩いた。
「理論だけでは研究とは言えない。」
白峰部長が身を乗り出す。
「ということは!」
「実習だ。」
「待ってましたー!」
「マヨだ。」
桐生先輩が静かにガッツポーズをする。
「そこそんな嬉しいんですか。」
「嬉しい。」
即答だった。
「…材料はどうするんです?」
柊さんが尋ねると、高瀬先生は白衣のポケットから財布を取り出した。
「買いだしに行こう。」
「え?」
◇
材料が机の上へ次々と並べられていく。
卵。
植物油。
塩。
酢。
「……先生。」
「何だ?」
「部費は?」
「ほぼ無い。」
「じゃあこれは。」
「私の財布だ。」
白峰部長が申し訳なさそうに笑う。
「先生、いつもありがとうございます……。」
「研究費だ。」
さらっと言ってコーヒーを飲む。
神崎副部長が補足する。
「本来なら酢も酒を作るところから検証したいが。」
高瀬先生が首を横に振った。
「酒税法がある。」
「なるほど。」
「それに学校に酒を持ち込むわけにはいかん。」
「ですよね。」
「今回は『異世界では酒が存在していた』という前提で進める。」
部長がホワイトボードへ大きく書く。
──────────────
※今回は酒ありルートです!
──────────────
「便利だな、その言い方。」
「研究だからね!」
◇
一行は家庭科室へ移動していた。
料理部が使う調理台の一角を借りる。
隣では料理部員たちがクッキーを焼いている。
「あ、高瀬先生。」
「こんにちは。」
「今日も変なことやるんですか?」
料理部の女子生徒が笑いながら声を掛けた。
「今日はマヨネーズだ。」
「また変な事してる~。」
俺が目を丸くしていると、白峰部長が自慢気に口にする。
「先生、結構人気あるんだよ!」
料理部の女子たちも口々に褒め始める。
「高瀬先生、地学の授業面白いんだよ~。」
「説明分かりやすいし。」
「去年の鉱石標本展、綺麗でした!」
先生は照れくさそうにエプロンを身に着けていた。
「授業をしているだけだ。」
「さて。」
先生はボウルを手に取る。
「研究開始だ。」
「……ボウルも泡立て器も、異世界にはありません。」
「いい着眼点だ。」
「次は道具まで再現しよう。」
俺は苦笑した。
どうやら異世界は、
「マヨネーズを作る」で終わらないらしい。
──────────────
現代知識無双! マヨは世界を救った!
──────────────




