第9話 Mon étoile(下)
ここに来て六年の時が経ち、私は十一歳になった。背が伸びて、崖の昇り降りが簡単に出来るようになった。だから歌うのは、崖ではなくてセイミアの隣。ネットで知った歌を歌ったり、セイミアに人の生活を教えたりして過ごした。
セイミアも私よりは小さいけど成長して、小さな可愛い女の子が小さな可愛い少女に変わった。最近は家でアクセサリーを作って、セイミアに贈っている。セイミアはいつも嬉しそうに受け取ってくれて、その場で付けてみせてくれる。
セイミアも人の食べ物が食べれるのか知りたくて、お菓子を食べさせてみたら好きになったらしく、私は調子乗っていろんなお菓子を持ってくる様になってしまった。セイミアは沢山のお菓子の前に困った顔してたけど、一緒に食べて楽しかった。
時々だけれど、小さな声でセイミアが一緒に歌ってくれる。
私は閃いた。セイミアの歌声をスマホで録音すればいつでも聞けるのではないかと。セイミアに提案してみたら、却下された。残念。しょぼーんと項垂れる私の頭をセイミアは撫でてくれたから、私の機嫌は良くなった。
セイミアに毎日会えるわけではないけど、私は毎日楽しくていつもセイミアに会える日が待ち遠しかった。
ただ楽しいだけの日々が続けばいいのに、現実はそう上手くはいかない。
こんな田舎にまで、ヤナシが来た。まだこの辺りは居なかったのに。テレビのニュースでやっていた。ヤナシが居ない地域の方が多かったが、どうやらこの国の全域にヤナシが広がってしまったらしい。
ヤナシに狙われたのは私ではなかったけど、巻き込まれて首を怪我をした。口の中いっぱいに血の味がして気持ち悪かった。応急処置をしたけど、女の私はこの村の外には行けないから、病院で怪我を治せない。私を守ろうとして祖父も怪我をした。
私を庇ったから私よりも怪我が酷かったから、流石に祖父は村の外の大きな病院へ連れて行こうとした。だけど、私が病院に行けないのに自分が行くわけにはいかないと言うものだから、みんな説得に苦労していた。
私がこんな事言い合っている内に死んでしまうと急いで紙に書いて見せたら、渋々車に乗って病院へ連れて行かれた。
こんな怪我をしていたら、セイミアに会えない。私は次兄に頼んで、セイミアに手紙を届けてもらった。
みんな私があの崖に行っていた事に気付いていたらしく、それでも知らないふりをしてくれていたらしい。バレていたと知ってからは、何度かみんなを崖に連れてきた。セイミアに紹介しようとしたけど、セイミアが警戒していて最初は全く姿を見せてくれなかった。けれど、何度も行くうちに姿を見せてくれて、紹介出来た。
他の村人に見られては行けないから、この崖でしか会えないけどみんなの公認で来れるようになって、嬉しかった。
「渡してきたよ。怪我を心配していた」
『ありがとう』
喉が痛いし話せないからスマホに文字を記入して、会話する。スマホはとても便利な物だと、しみじみ私は思った。森の中を通って崖に行くから、森の中で何か貰って悪化したら死ぬかもしれない。首の怪我だから特に気を付けないといけない。
セイミアに会いにいけない私は、家の中でセイミアに贈るアクセサリーを沢山作って、怪我が治るまでの時間を過ごした。
数ヶ月後、怪我は治った。だけど、傷跡が残り声帯が傷付いてしまったらしく、声は出せても歌声が掠れてしまった。声を出さない生活をしていたから声を出すのも一苦労で、私は悔しさで手を握り締めた。
声を出す練習をして前のように話せるようになっても、前のように歌えるかはわからない。それでもやってみないと分からないから、私は喉を動かす。
さらに数週間後、私はセイミアに会いに行った。セイミアに会えるのに私は重い足取りで、みんなによって歩きやすいように整えられた獣道を歩く。他の村人に見つからないように、隠されていてパッと見では道があるようには見えない。
潮の匂いが鼻に届く。随分と久しぶりなその匂いに、心が少し軽くなった。
緑ばかりが入り込む視界に青が混じり始め、緑が消えて全てが青に変わる。その青の中から好きなオルセーユ色を見に、私は崖から降りた。
少しして尾鰭が海面から覗いた。増した水嵩に強まる潮の香り。私は岩に座り、待つ。小さな津波が押し寄せる。このままでは私に直撃するが、目の前で綺麗に別れて中から私の可愛いセイミアが現れ、私の手を握った。
「アン! 大丈夫だった!? 心配したのよ……見せて。あぁ、アン。生きていてよかった……」
「セイミア……」
服が濡れる事を厭わずに私はセイミアを抱き締めた。セイミアも私の背中に腕を回して、抱き締め返す。
「声が出にくくなってしまった。……もう前のようには歌えない」
「っ……アン」
セイミアが腕を離して、私に向き合う。セイミアの真剣な面持ちに、珍しいものを見たと私は場違いにも気分が上がった。私の手を両手で握って、セイミアは口を開いた。
「アン、契約をしましょう」
「けい、やく?」
「そう……」
戸惑う私にセイミアは言う。契約して状態の入れ替えをしようと。契約は魔法無しで、人以外の妖精や化け物と呼ばれるモノ達が扱える。条件によっては死さえも邪魔できない、永劫の契約となる。そんな契約を私と結びたいとセイミアは言うの。私が死ぬその時まで、セイミアは私に声を上げるって事。
「すごーい……」
「契約しよう! お願いアン‥‥私はアンの歌が好き。アンが歌っている姿を見る事が好き! アンの笑顔が好きなの。私は歌えなくなっていい。……私の、私の寿命は長いから、アンの一生なんてあっという間なのよ……」
「でもそうしたら、一緒に歌えないわ」
「声は出なくても歌えるわ。お願い。“お願いよアン。私と契約しましょう”」
「……いいの?」
「“えぇ、いいのよ”」
「分かった」
「ありがとう、アン」
美しい笑みを、セイミアは浮かべた。私はセイミアと契約してしまった。
契約を始めると、私達の周囲が輝き始めた。私の傷跡からキラキラと光が出てきて、セイミアの首へ移動する。喉の違和感が消えていく。今まさに、替わっていっているのだと私は気付いた。途中では止められない。私は無力な人間だから。
光が消えると、契約は終了。私は恐る恐る声を出した。
「あー」
怪我をする前と同じ声。私は泣きたくなった。でも、セイミアが目の前で嬉しそうに笑うから、私も笑顔を作った。それから私は、セイミアの声を聞く事は無くなった。
会いに来るたびに、セイミアは笑顔を浮かべる。ただニコニコと私が歌う姿を眺めている。セイミアの私に向ける視線が熱くて、私は心が締め付けられた。セイミアに会いにいくたびに、胸に鉛が溜まる様な気分になる。
セイミアに会えて嬉しい、セイミアに会いたい。でも、でも。
私はそれでも、セイミアに会いに行きセイミアの為に歌う。セイミアが、嬉しそうで幸せそうに笑うから。セイミアの笑顔を見ると、私は酷く泣きたくなってしかたなかった。
私は歌う。今日も歌う。隣にセイミアが居るから。
怪我から一年、二年、三年と時間は過ぎて、私は十五歳になった。今まで小中までは教材を近くで買えたので勉強をしていたが、高校の教材になると入手が難しくなった。私は要らないと言ったけど、みんなが勉強した方がいいと譲らない。
勉強をして何になるのか。村の外ではもう女性は生きられない。この数年でどれだけの女性が死んだと思っているのか。人類が絶滅するまで、そう時間はかからないのではないのかと私は思った。こんな未来がない世界で、これ以上何を学ぶ必要があるの。
私の心はやさぐれでいた。テレビのニュースで見る外は、怖い。多くの女性が狂った人間に連れて行かれて、最後には死んでいく。私は外が嫌いだった。
平和は簡単に壊れる。ヤナシだってこの田舎に来たんだ。狂った人間だっていつかここに来る事なんて、想像がついていた。
村の建物が燃えている。私は走った。私を逃がそうと狂った人間に立ち向かって、血を流し倒れるみんなに背を向けて。村の人達は優しかった。私を守ってくれた。みんな死ぬの。女狩りをするアイツらから、私を逃がそうとしたばかりに。
『奴らが来た!!』
『逃がせ! アンを流せ!!』
『逃げろ! アン』
『崖まで、走れ!!』
『逃げて、アンちゃん。ここは任せて』
『急いで! 逃げて!!』
『振り向かないで、走りなさい。アン』
『女が居たぞ!!』
『捕まえろ! 女が逃げた!!』
痛い。痛い。地面に倒された体が痛い。生きてさえいればいいのか、撃たれた腕が痛い。逃げられないように折られた足が痛い。上から人が退いても立ち上がらない私の髪を掴んで、私を起き上がらせる。私が草木にぶつかっても気にせず運び続けるから、私の手足はボロボロになっていく。
ママ、パパ。お兄ちゃん。お爺ちゃん。おばさん。嫌だ、行きたくない。ここで殺して、ここで殺してよ。お願い、ここで殺して。怖い。
セイミア、ごめんね。私もう会いに行けないかも。
涙が流れる。痛みと恐怖に体が震える。車に乗せられ、怪我の応急処置を受けて、病院へ。外が見えない車の中、拘束されて私は運ばれ続ける。どこに。研究所に。
痛い。ずっと痛い。体も心もずっと痛くて、痛みが消えない。
『ーー研究所に』
『その前に、卵子をーー』
『ーーが足りない』
『子供をーー』
嫌。いやだ。私に、触らないで。
絹裂くような悲鳴が部屋に響く。手足を押さえつけられて、枷を嵌められる。逃げられない。悶え苦しむ私を、大人しくさせたい狂った男達は私を何度も殴った。私がそれでも抵抗して暴れれば、薬使って体を動かせなくさせた。
次々と襲い掛かる痛みと恐怖に、私はいつしか自らの意志で体が動かせなくなった。記憶力が低下して、私はただボーッとするだけ。食事を食べられなくても問題無い。点滴から栄養を入れられるから。寝れなくても大丈夫。睡眠薬で強制的に眠らされるから。
女性の人としての生きる権利が、この場所にはなかった。
私の後に来た女性もどんどん、動かなくなっていく。換気が出来ず充満する血の匂いに吐く経験をするだなんて、思いもしなかった。人の体が腐る臭いを知った。発狂した人の常軌を逸脱した行動を見た。使えなくなった女性を処分する時の、何の感情も宿さない狂った男達の目を、私は忘れられない。
死ぬならせめて、セイミアの側で死にたいな。
『実験体逃走。直ちに捕獲せよ』
靴なんて履いたないから、足が痛い。どうやって逃げたかなんて覚えたない。もう分からないことばかり。車の運転の仕方は知っているから、奪ってずっと動かしてる。奪って奪ってを繰り返して、夜。
追ってが近くまで来ている。見知った道を走って、山に入る。光がない闇に包まれた夜の森。ボロボロ足に鞭打って更にボロボロにする。暗闇に慣れて見やすくなった山道から、獣道を見つけだす。ここまで来れたら大丈夫。血が流れるお腹の傷を手で押さえながら、走る。夜目は効かないけどここは一本道だから、迷う事なく崖に辿り着ける。
追っては山の中で私を見失ったみたい。私の土を踏む音と触れて擦れた草の音しかしない。連れてかれてから、どれだけ時が経ったのか分からない。時計が無かったから。潮の匂いがしてきた。私は涙を流した。涙が流れて見えにくくなる視界も、夜だからほとんど見えていないし問題無い。
こんな時間にきっと崖に行ってもセイミアは居ない。私は今日死ぬだろう。血が流れ過ぎているし、不健康を極めてると思うから。
最期だから、セイミアに会いたかった。崖に着いたら、座って夜の海を眺める。冷たくなっていく体温を感じながら、掠れた声で私は歌った。
冷たい。私の右手の上に白い手が置かれた。歌うのをやめて顔を上げる。泣きそうな、否、泣いているセイミアの顔が見えた。幻覚かと思ってセイミアの頬に触れたら、頬に血がついてしまった。傷を押さえて血で濡れた手だったから。
セイミアの頬から手を離そうとしたら、手を抑え込まれた。離して欲しい。手も血で汚れてしまうから。どうして、セイミアはそんなにも綺麗なの。
「……セイミア」
震える声で、私はセイミアに話しかけた。セイミアは私をじっと見て動かない。
「わ、たし……」
私を殺して。そう言おうとして、止めた。
セイミアはすごい。私セイミアともっと一緒に居たかった。一緒に歌いたかった。私が死ぬまで交換するという契約。
私が生きている間は絶対に、私が好いたセイミアの歌声が聞けない。私が死なないとセイミアの歌声は戻ってこない。
「……一緒に歌おう。掠れた声でもいいの。セイミアの歌声を聞かせて」
私はもう少しだけ、セイミアに話しかける。
「来世が、あるなら……またセイミアと出会いたい。来世、絶対にセイミアを見つけてみせるから、私を待っていて。私、セイミアと一緒に歌いたい。……来世でも一緒に歌ってくれる?」
セイミアは私の言葉に頷いた。その瞬間、私の中で何かが繋がった気がした。そういえばと私は思い出す。過去にセイミアと約束しようとしたら、人同士の約束とは違うから私と約束はしないとセイミアが言っていた。
これは確かに契約よりも軽いけど、人にとっては重過ぎるモノだ。私はセイミアの言葉をやっと理解できた。
私は歌う。セイミアと一緒に歌いたいから。セイミアが歌う。私と同じ掠れた声で。せっかく契約したのに、ごめんねセイミア。
冷たくなっていく体は、いつも冷たいセイミアの体温をとても温かく感じさせた。体が重くて、体をセイミアに預ける。セイミアは私を抱きしめたけど、私は腕を動かすことができなかった。
途切れ始める私の歌声に反応して、私を抱きしめるセイミアの腕に力が入る。でももう苦しく無いや。前は痛かったのにね。嬉しい。セイミアの側で死ねて。ごめんね。もう既に待たせてしまっていたのに、更に待つよう頼むだなんて。でもお願い。私を待っていて。必ずセイミアに会いにいくから。
来世は、魔法使いになりたいな。魔法使いになれたら、セイミアと一緒に歌えるでしょう? ねぇ、セイミア。だいすきだよ。
掠れた歌声から変わった美しい歌声が、夜の崖に響いた。
命を失った体は重力に従って、崩れ落ちる。その体を抱き止め、セイミアは歌い続ける。数年ぶりに会えたアンを思って、大好きなアンの為のレクイエムを。
セイミアは歌う。アンを追ってきた人間達を海に落とし尽くしても。
セイミアは歌う。アンを失った悲しみを紛らわせる為に、太陽が登っても歌い続ける。
セイミアは歌う。アンに似た長兄を名乗る男がアンの遺体を欲しても、抱きしめて離さなかった。
セイミアは歌う。声が枯れるまで。
セイミアの涙は、枯れることはなかった。
とある国のとある地域に、恐ろしいセイレーンが出るという噂がある海があった。
その海の近くにたった一人で住む人間がいた。彼は家族の墓守りをしているらしく、ここから出ていくつもりはないらしい。セイレーンは本当にいるのか彼に尋ねてみると、彼は居ると答えた。どうやったら会えるかという質問には、彼は何も答えなかった。
だがその後、彼は静かに言った。
『彼女の怒りは収まらない。会いに行けば全員殺されてしまう。だからここには私しか住んでいないのだよ』
その後、興味本位でここに訪れた者達は全員行方不明となった。死体すら見つからず、死体を探そうにも探そうとしに行った者達も行方不明になる。ここに住んでいた人間は、とうの昔に寿命で死んでいる。セイレーンの怒りの理由も、本当にセイレーンがいるのかすら分からなかった。
あの日までは。
ある日訪れた者が電話しながら、セイレーンが出ると言う海の近くにある山を登った。電話相手だった者は語る。
美しい歌声が山の中で聞こえてきて、電話相手の静止を振り切って歌声の方へ行ってしまった。歌声が高くなるほど、電話相手もそこに行かなくてはと言う気分になり、家を飛び出していた。
家族に止められた事で正気に戻って、家を飛び出すときに放り投げたスマホに耳を当てたが、もう歌声は聞こえず波の音しか聞こえなかった。それから、訪れた者は行方不明になっているのだと。
今やそこに訪れる者は誰もいない。いたとしても分からない。皆行方不明になっているのだから。




