第8話 ジンは歌が歌いたい。(下)
次の日、ラズはヨナの実家の店『水環』へ訪れた。昨日知ったジン達の知り合いであるセイミアという店員に会いたいという、ただの好奇心からだった。
朝から家を出て、地図を見ながらヨナに教えてもらった道を歩く。ちょっと迷ったけど、何とか店に着いた。
ドアを開こうとしたが、ドアはビクともしなかった。取っ手から手を離し、ラズは手を眺めた。ラズは手を数回ニギニギして、視線を手から店に戻す。
ラズはこの店に命を感じた。これは無機物に宿る精、日本で言う所の付喪神だろうかとラズは見当をつける。
人も買いに来てると聞いたから、誰でも入れる店かと思ったがそうではないらしい。この店の精が客を選別しているようだ。
確かに今回の動機、店員を見てみたいというだけで店に来るなんて、どの店でもダメだなとラズは思った。
だがジンの結界に侵入できるラズには、このまま帰るという選択肢は無い。店を見ながらニヤリと笑ったラズはもう一度取っ手を握り、ドアを開く。
初見は無理だったか、二回目だから入れた。ラズの侵入を阻む事はジンにだって出来ていないのだから、この店の付喪神が出来るわけないのだ。
店は洋館で、外開きのドアの上部には鈴が付いていた。ドアが開かれた事で鈴の音が鳴る。入ってすぐに目に入る商品達が悠々と配列された空間では、鈴の音がよく響いた。それにしてもよく響く鈴だと、ラズは鈴を注視する。
ラズは東洋の術に造詣は深くないが、どうやら音を拡大する術と浄化の術がかけられていた。
だから店に入ってから体が軽く感じられたのかと、ラズは思った。
いろいろなモノが外には沢山あるので、それ等を少し歩くだけで拾ってしまう人が、この世には大勢いる。ラズもそうだった。例えば幽霊とか、東洋で言うところの陰の気とか。
それ等がラズの家周辺には全く無いのに、この店の周辺はよく目に入った。というかこの世の生き物が居ない場所以外で、全く無い方が異常なんだよなぁとラズは思った。
ラズはその理由を知っている。近所にジンが住んでいるからだ。ジンの気の陽部分が強すぎるから、ただそこにジンが居るだけでそういうモノが存在しにくくなるし、勝手に消えていく。
たぶん八生は、日本でトップレベルに神聖な土地になっているとラズは思う。
店のドアから直線上にあるカウンターには、誰もいない。店番がいるとヨナから聞いていたけど、どうやら限り無く少ない店番が居ないタイミングにラズは来てしまったようだ。
否。ラズが正しく入店した訳ではないから、ラズが来たことに店員は気付いていないのだろう。
店内にあったヨナの気配が近付いてくるのを感じながら、ラズは店内を見回った。
販売している商品は妖怪向けの物。術が掛けられている物しかなく、用土や作り方を考えながら商品を眺める。
調度品や装飾品。文房具や小さな家具もある。雑貨屋と言うだけあって多種多様な商品を取り扱っているようだ。
あの鈴による浄化は、外からのモノから商品の状態を守るためなのだろう。繊細な術が掛けられた物程、ドアから遠くの方に配置されている。
人も買っていくそうだけど、正確には陰陽師や近しい職業の者達だろう。一般人にはこれらは扱えきれない。どんな物にも正しい扱い方がある。術が掛けられているなら尚更だ。
知らずのうちに扱い方を間違えて一般人なら、簡単に死んでしまうような商品の数々にラズは苦笑いした。
これらを店に入ってすぐに手に取れる位置に置くだなんて、しかも防犯対策も無しなのだからラズは理解が出来なかった。
ラズの母国にある似たような魔法店でも、防犯対策はしていた。
商品を眺める事を止めたラズは、壁に埋め込まれた水槽の前に立った。大きな水槽の中を自由気ままに泳いでいるのは、大きな海月一匹。
その海月と、ラズは目が合った気がした。
ラズの感が言っている。この海月が今店番をしている店員なのだと。
ラズに近寄ってきた海月に、ラズは挨拶する。
「勝手に入ってきてごめんなさいね。私の名前はラミューズ。ヨナやジン達にはラズと呼ばれているわ。昨日ヨナに店の事を聞いたから遊びに来たの」
キランッと輝く笑顔を海月に向けたラズの前に数秒留まった海月は、ゆっくりとラズから離れていった。ここに居ることを許されたラズは、水槽を背に店内を見渡した。
「綺麗ね」
内側から見るこの店に張られた結界を見て、ラズは言葉を零した。
ラズの趣味は結界鑑賞。同じ結界でも術者によって簡略されたり改造されたりと、見ていてとても楽しいのだ。
ジンの結界は行く度に変わっているから、見ていて飽きない。解読する前にいつも変えられてしまうので、ジンの結界を変えられてしまう前に解読する事が最近のラズの夢である。
ドタバタと足音が聞こえて来て、店の中にあるドアが勢いよく開かれた。
「ちょっとラズ! ジンから聞いてたけど、こういう入り方はやめてよね!」
「はははっごめんごめん」
「……はぁ」
少し怒った様子のヨナが対面早々にラズに言うが、ラズの適当な返事にヨナは溜息を吐いた。
来た時は違ってヨナはゆっくりとドアを閉めて、ラズに近寄る。
「で、何しに来たの?」
「セイミアって店員を見てみたくて」
「はぁ……行動力の無駄遣いね」
「でも居ないみたいだね」
「うん。いろんな依頼受けてるって言ったでしょ? それで今居ないの」
「だと思った。商品が中々に面白かったから、来てよかったわ」
「もう……」
「これ買っていい?」
ラズはそう言いながら商品の一つを指差した。ラズが買おうとしている物は、入れられる容量を術で拡張されたガラスの丸い形をした小瓶だった。
「いいよ。商品だし好きに買いな。何入れるの?」
「この見た目には、金平糖が似合うと思うんだけどどう思う?」
「いいね。確かに金平糖が入ってそうな瓶だわ」
「でしょー?」
ヨナがレジに向かう後ろにラズは着いて行き、会計をした。小瓶の値段は1万2000円。ラズはこのクオリティでこの値段は安いと驚いた。
「安いのね」
「空間系の術を扱うのが得意な店員がいるの」
「へぇ凄い。この店には海に関する店員しか居ないと思ってた。……妖怪?」
「さぁねどうでしょう」
「もう〜」
「ふふっ」
海月に挨拶した事を話したり商品の説明をヨナにしてもらったり、他愛もない話をそのまま店でする事一時間。
目的だったセイミアはまだ帰ってこないし、お昼ご飯の時間に近くなったのでラズは今日は諦めて帰ることにした。
「また来るねー」
「いつでも来ていいようにしといたけど、休日は来ないでよ」
「流石に休日には来ないよ!」
「またね」
「またねー」
ヨナに手を振って店の外に出る。道を覚える為に、瞬間移動の魔法は使わずに帰りも歩く。
朝よりも暖かくなった気温を肌で感じながら、ラズは鼻歌を歌う。
たったったっ。
たったったっ。
たっ。とん。
背中に伝わる衝撃にラズの鼻歌が止まった。握られた服に、背中から伝わる震え。ラズはゆっくりと振り向いた。
ラズが振り向くと服を握っていた両手が離され、同時にラズに衝撃を与えた存在は数歩後ろへ下がった。
見た目は、ラズよりも小さい女の子。ラズのラピスラズリ色の目と、髪と同じオルセーユ色のまつ毛に縁取られたカラメル色の目が合わさる。数秒見つめ合うと、女の子がハッとしとし、目を逸らされる。
忙しなく動く目に、胸元で手を握る女の子。生まれた静寂の中に、女の子の色付いた唇から言葉が紡がれる。ラズの耳に届いた言葉は、少し古いが聞き慣れた母国の言語だった。
「……ごめんなさい、ぶつかってしまって」
「いえ大丈夫ですよ。お怪我はありませんか?」
「ええ、ありません」
母国語で返したラズは、彼女に向かって微笑む。彼女を見てラズの心が言っている。彼女こそ、自分が待たせた相手なのだと。
迷い子の様に揺れる目は潤み、ラズではなく地面を見ている。ラズは一歩彼女に近寄り、少しの迷いの後彼女の名を尋ねた。
「私はラミューズ・ニコラと申します。貴女のお名前を……セイ、ミア?」
彼女の名前を伺おうとした時、脳裏に名前がよぎった。今日ラズが会いに来た昨日から会ってみたかった、ずっと待たせてしまった、いつまで経ってもずっとずっと小さな女の子。
頭の中で、カチャッと鍵が開く音がした。
とん。
ラズの言葉にセイミアは目を見開いた。見開いた目から星の様な涙を一粒流したセイミアは、勢いよくラズに抱き着いた。ラズは反射的にセイミアの背に腕を回して、抱きしる。
ラズの一生の時が流れてもラズより小さかったセイミアは、前より大きくなったけど今もラズより小さくて、同じ温もりをしていた。
ラズの耳に、ラズの前世の名前を口にするセイミアの涙声が届く。ラズはより腕に力を込めた。セイミアもラズの背に腕を回して、二人は強く抱きしめあった。
少しの沈黙の後に、ラズは口を開いた。
「……今世の名前は、ラミューズだよ。セイミア、待たせたね」
「うんっ待った。……待ったのよっ!」
「……ありがとう。待っていてくれて」
前世の頃からずっと聞きたかったセイミアの声が、ラズの鼓膜を揺らす。セイミアの声はこんなにも美しかったのかと、ラズは胸が締め付けられた。
セイミアを抱きしめる事をやめて、肩に手を置いてセイミアを離す。ラズは一歩後ろに下がり、セイミアの手を取って、ラズは言う。
「セイミア、私と一緒に--」
前世の自分の最後の願い。セイミアと一緒でないと叶えられない、願い。
ラズの言葉に、セイミアは満面の笑みで答えた。
懐かしいあの場所で、何度も聞いた波の音が、記憶の内側から聞こえた気がした。




