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その果てに、月は神を観る 〜記憶を失った青年と兵器少女は、滅びた地球の真実へ降りる〜  作者: 大導ユウ
第5章 第IX世代の少女

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第7話 帰還個体数:1


 八年前。


 第IX世代が、まだ複数の識別番号だった頃。


 地球の空は、揺れていた。


 月の疑似大気とは違う。色は一定ではなく、雲は流れ、光はにじみ、熱が地表から立ち上がる。風は砂と灰を巻き上げ、焼けた金属の匂いを運んでいた。


 リディアは、それを記録した。


 空気成分。


 温度。


 視界不良。


 風速。


 地表振動。


 すべて数値化できる。


 だが、数値化しても、そこは月ではなかった。


 降下したのは、第IX世代を含むプロクシス混成部隊だった。


 白い装甲が、崩れた都市の端に並んでいる。強襲艇から吐き出された機体群は、すぐに展開し、前方の敵性反応へ向かった。


 作戦目標は、アラミタマ残存防衛群の中継節点破壊。


 目標地点は、旧市街中心部。


 帰還予定経路は、三系統。


 成功記録は、まだない。


 この戦域で、プロクシス部隊は一度も作戦を成功で終えていない。


 それでも、投入は続いた。


 勝つために。


 奪還するために。


 月が、地球を取り戻すために。


 敵性反応が動いた。


 最初に見えたのは、青い光だった。


 アラミタマ。


 外宇宙由来とされる無人自立兵器群。地球に出現してから百年以上が経過した現在も、その実態の多くは謎に包まれている。ただ一つ確かなのは、地球を占有し、人類を地上から追放した存在だということだった。


 瓦礫の向こうで、複数の単眼センサーが同時に開く。白灰色の球状コア。六本の脚。蜘蛛に似た機動姿勢。脚部は地形に合わせて角度を変え、崩れた壁面を歩くように越えてくる。


 一体だけなら、巨大な蜘蛛に見えた。


 十数体が並ぶと、瓦礫の街そのものが脚を持って動き出したようだった。


 リディアは前へ出た。


 一体が跳ぶ。


 軌道を読む。着地点へ入らない。側面へずれ、脚部関節を断つ。


 停止。


 次。


 二体目が地面を滑るように接近。三体目は瓦礫の上から射線を取る。四体目は倒れた機体の後方で、球状コアを切り離した。


 コアが転がる。


 別の個体がそれを回収する。


 脚部と兵装を失ったはずの青い単眼が、別の躯体でまた開いた。


 破壊では足りない。


 中枢を沈黙させなければ、群れは止まらない。


 リディアはコアを狙う。


 外殻の継ぎ目、センサー下部、通信ポート周辺。


 一体を沈黙させる。


 その間に、別の場所でプロクシスが一体、倒れた。


 瓦礫の高所で、砲身を伸ばした個体が青い眼を細く光らせている。


 一射。


 後列のプロクシスが崩れる。


 二射。


 通信中継を担っていた個体の肩から腕が消える。


 三射目は、避けられなかった。


 味方識別光が一つ消える。


 リディアは高所へ向かおうとした。


 その進路に、重い機体が入った。


 同じ六脚。


 だが、胴体が低く、装甲が厚い。正面には盾のような外殻を抱えている。青い単眼は半ば装甲の奥に沈み、刃の通る隙間が少ない。


 邪魔。


 リディアはそう処理した。


 右脚を踏み込み、盾装甲の端へ刃を通す。


 浅い。


 装甲片が弾けるだけ。


 重い機体が体当たりする。質量がある。リディアは半歩下がった。背後で別のプロクシスが巻き込まれ、壁面へ叩きつけられる。


 反応、消失。


 リディアは重い機体の下へ入った。


 脚部接続部を断つ。


 一脚。


 二脚。


 機体が傾く。


 道路の舗装が割れ、砂と金属片が跳ねた。


 そこへ別の六脚が三体、横から入った。


 連携ではない。


 群れの再配置。


 アラミタマは、個体ではなく戦場を動かしている。


 通信にノイズが混じる。


 別の機体が、背中に皿状の器官を開いていた。青い単眼の周囲に細い光が走り、プロクシスの識別信号が乱れる。


 味方位置、遅延。


 敵性反応、重複。


 帰還経路、更新不能。


「通信、乱れています」


「識別が――味方識別がずれている」


「隊列、維持してください」


 声が重なる。


 だが、誰がどこにいるのかが遅れる。


 遅延は距離になる。


 距離は空白になる。


 空白には、アラミタマが入る。


 リディアは前方を切り開いた。


 動くものなら倒せる。


 装甲が厚くても、関節を断てば止まる。


 コアを潰せば、沈黙する。


 だが、彼女が一体を沈黙させる間に、戦場の別の場所で二体のプロクシスが失われる。


 アラミタマは、リディアだけを見ていない。


 脚の遅い個体。


 通信に処理を割かれた個体。


 味方を助けるため、〇・数秒止まった個体。


 そこへ、狙撃が刺さる。


 地面が開いた。


 小型の六脚が瓦礫の下を走っている。地表面に薄い機雷を埋め、撤退路だったはずの道を青白い爆光で閉じる。


 帰還経路、第一系統、使用不能。


 第二系統、通信不安定。


 第三系統、敵性信号集中。


「帰還経路が」


 声が入る。


 ノイズで途切れる。


 リディアは振り返った。


 部隊の形は、もう崩れていた。


 白い装甲がばらばらに散っている。重い機体が足を止め、通信を濁す個体が視界を汚し、高所の砲撃が後列を削り、別の個体が壊れたコアを回収する。


 倒しても、群れは減らない。


 止めても、戦場は戻らない。


 リディアは目標地点を確認した。


 旧市街中心部。


 中継節点までは、まだ遠い。


 作戦目標、未達成。


 それでも、前進しなければならない。


 そう命じられていた。


 刃が鳴った。


 警告ではない。


 破断音だった。


 リディアは右腕を引いた。


 刀身の先端が失われている。残った刃も、根元から細かく割れていた。


 出力過多。


 連続衝突。


 材質限界。


 武装、継続使用困難。


「予備兵装を」


 リディアは通信を開いた。


「補給個体、応答を」


 返答はなかった。


 振り返る。


 補給線は、もうなかった。


 後方にあるはずの白い識別光が消えている。代わりに、青い単眼がいくつも開いていた。瓦礫の影で、倒れたプロクシスの腕が動かなくなる。別の個体が引きずられ、六本脚の群れの中へ消えた。


 部隊は、壊滅へ向かっていた。


 リディアは折れた刀身を見た。


 有効長、四割以下。


 切断能力、低下。


 継続戦闘、非推奨。


 だが、目標地点はまだ沈黙していない。


 武装損耗。


 肉体損傷。


 帰還可能性、低下。


 それらは、作戦中止条件ではなかった。


 残存出力をすべて前進に回す。


 駆動限界まで、あと百二十秒。


 目標到達推定、百十五秒。


 間に合う。


 その計算だけが残った。


 リディアは前へ進んだ。


 左脚の反応は遅い。


 右腕の駆動は断続している。


 刀身は折れている。


 それでも、目標地点までは届く。


 停止してもいい。


 目標が沈黙すれば、作戦は継続できる。


 そう処理した。


 その時、ノイズの奥で声がした。


 ――リディア。


 隊長ではない。


 L-IXでもない。


 その名で呼ぶ者は、戦場にはいなかった。

挿絵(By みてみん)


 帰らなきゃ。



 それは声ではなかった。


 命令でもなかった。


 作戦条件でもなかった。


 それでも、リディアの足は止まった。


 停止時間、〇・九秒。


 長い。


 敵性反応が迫る。


 重い機体が前方を塞ぎ、別の個体が側面から跳ぶ。高所で砲身が光る。撤退路は、青白い爆光で閉じかけている。


 リディアは折れた刀身を握り直した。


 前方ではなく、帰還信号の方を向く。


 作戦目標、未達成。


 部隊損耗、全損に近接。


 帰還可能性、極低。


 それでも。


 帰らなきゃ。


 その言葉だけが、まだ消えなかった。


 リディアは走った。


 帰還経路へ向かう。


 途中で狙撃を受ける。


 右肩部装甲、破断。


 左脚駆動、低下。


 腹部外装、損傷。


 エーテル共鳴値、上昇。


 問題ない。


 まだ動く。


 背後から、青い単眼が跳んだ。


 リディアは振り返らず、折れた刃だけを後ろへ流した。接触。切断不完全。だが、脚部は落ちる。コアが残る。追撃は来る。


 次。


 次。


 次。


 数が多すぎる。


 部隊通信は、もうほとんど残っていなかった。


 味方識別光は、消えていく。


 一つ。


 また一つ。


 白い都市の演習場とは違う。


 ここでは、停止した個体は立ち上がらない。


 救助指示も、再起動信号も、戻ってこない。


 最後の帰還艇は、半壊していた。


 外装が焼け、片側の姿勢制御翼が折れている。発進可能とは言いにくい。だが、まだ信号を出している。


 リディアはそこへたどり着いた。


 左脚は正常に接地していない。


 右腕は、折れた刀身を握ったまま駆動が断続している。


 胸郭の内側に、損傷警告。


 視界の片側が白く焼けている。


 痛覚反応、過大。


 神経過負荷。


 エーテル共鳴値、異常上昇。


 戦闘継続、困難。


 生命維持、継続。


 問題なし。


 そう処理した。


 帰還艇の入口で、彼女は振り返った。


 誰もいなかった。


 アラミタマの青い単眼だけが、瓦礫の向こうで開いている。


 隊長。


 帰還経路が。


 リディア。


 声が重なる。


 リディアは答えなかった。


 答える相手は、もう記録上に残っていない。


     *


 帰還艇の内部は白かった。


 赤い警告灯は消えている。


 通信ノイズも薄い。


 重力補正は不安定だが、生命維持区画はまだ稼働している。


 帰還処理が始まる。


《作戦目標:未達成》


《部隊損耗:全損》


《帰還個体数:1》


 表示は短かった。


 リディアは座席に固定されていた。


 固定されていなければ、姿勢を保てなかった。


 左脚は、膝下の反応が途切れている。


 右肩から先は動くが、駆動信号が断続している。


 腹部装甲は失われ、内部の再生処理が勝手に始まっていた。白い繊維状の組織が損傷箇所を塞ごうとしている。修復ではない。停止を遅らせる処置に近い。


 神経過負荷。


 肉体損傷、多数。


 エーテル共鳴値、異常上昇。


 通常プロクシスなら、不可逆損傷。


 リディアは、まだ停止していない。


 帰還個体数、1。


 その一個体が、彼女だった。


 任務は成功していない。


 部隊は帰らない。


 目標も沈黙していない。


 それでも、リディアだけが戻っている。


 なぜ。


 その問いは、まだ言葉にならなかった。


 プロクシスに、問いは必要ない。


 必要なのは、次の命令に応答すること。


 リディアは、音声記録を検索した。


 該当なし。


 通信ログを検索した。


 断絶。


 味方識別記録を検索した。


 損耗。


 帰還者欄を確認した。


 1。


 すべて、正しい。


 正しいなら、閉じればいい。


 だが、声だけが残っている。


 隊長。


 帰還経路が。


 リディア。


 最後の音だけが、どの記録にもなかった。


 リディアは目を閉じなかった。


 閉じる必要がない。


 ただ、白い帰還艇の中で、消えない声を聞いていた。


読んでいただき、ありがとうございます。


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