第49話 兵器と人間の狭間で
シロハリグモの残骸の奥に、道が開いていた。
帰るための線ではない。
だが、そこにしか線は残っていなかった。
「進む」
リディアが言った。
ガイウスが防護圏を低く展開する。
「先導する」
「前は私」
「防護は俺だ」
返答は短い。
リディアは反論しなかった。
エリスが後方で《ノクティス・ライフル》を構え直す。
「奥の音を拾います」
三人は、シロハリグモの残骸を越えた。
*
ユグドラシル・コア内部へ踏み込んだ瞬間、外の音が遠のいた。
粉塵の音。
崩れる旧施設の音。
クモの群れが地面を擦る音。
それらが、一枚ずつ剥がれるように薄くなる。
代わりに、内側から低い脈が返ってきた。
空間そのものが、遅い鼓動を持っている。
『リディア、そこで一度止まって。そこから先は――』
ユイの声が白く切れた。
『待て、ログが――』
マルコの声も消える。
『三人とも、生きて――』
ゼノの声は、最後まで届かなかった。
《外部通信:喪失》
《ケルベロス・リンク:遮断》
《月側管制:到達不能》
声が消えた。
ユイ。
マルコ。
ゼノ。
ハルキ。
外側にあった線が、まとめて切れた。
リディアは足を止める。
「状況確認」
命令の形をしていなければ、声にならなかった。
「防護可能。ただし、外と同じ範囲では展開できない」
ガイウスが答える。
「観測可能です」
エリスの返答は、少し遅れた。
「ただ、外の音ではありません」
そこで、会話が止まった。
沈黙の中に、消えた声だけが残る。
アウルス。
イオナ。
カッシウス。
ノエマ。
ヴェロニカ。
ブロンテ。
名前は出なかった。
出さなくても、そこにあった。
「記録は残っている」
リディアが言った。
自分の声が平坦すぎると、リディアは記録した。
平坦でなければ、言えなかった。
ガイウスが足元に視線を落とす。
「最後に残った防護対象は、俺だった」
低い声だった。
「カッシウスも、ノエマも、それを分かって外側へ出た」
右腕外装が小さく軋む。
「守る側の俺が、残された」
報告に近い言葉だった。
報告でなければ、口にできない言葉だった。
エリスが、かすかに息を吸う。
「プロクシスなら」
その声は、外の戦場よりも静かだった。
「損耗として、処理できるはずでした」
誰も否定しなかった。
リディアは端末の奥に残る未処理記録を思い出す。
削除候補。
再編候補。
上位隊列への統合候補。
どれも選べなかった。
「処理できていない」
リディアは言った。
それは報告だった。
弱音ではない。
だが、報告としても不完全だった。
ガイウスが、ゆっくり頷く。
「俺もだ」
エリスが目を伏せる。
「私もです」
三人の声は揃わなかった。
それでよかった。
揃わないまま、同じ場所に立っている。
リディアは《タケミカヅチ》の柄に手を置いた。
「なら、未処理のまま進む」
ガイウスが防護圏を低く構える。
「防護対象、継続」
エリスが音のない奥を見た。
「観測、継続します」
三人は、再び前を向いた。
*
ガイウスは一度だけ、リディアを見た。
守る対象。
監視対象。
二つの分類が、同じ名に重なる。
ラドゥスの命令。
軍規。
シノドゥスの指揮系統。
プロクシスなら、それを優先すべきだった。
「俺は、命令を全うするべきだ」
ガイウスは低く言った。
リディアも、エリスも動かなかった。
「そのはずだ」
二度目は、少しだけ違った。
確認ではない。
否定だった。
リディアはガイウスを見た。
「今の防護対象は」
「リディア。エリス」
即答だった。
ガイウス自身も、その速さに気づいた。
「……そう設定した」
「命令で?」
リディアの問いは短い。
ガイウスは答えなかった。
沈黙が答えだった。
奥の音が止まった。
エリスが顔を上げる。
「何かいます」
リディアは前を見る。
光は少ない。
だが、奥に形があった。
人の形。
その事実が、最初に異常だった。
アラミタマの群れは、多脚で地形に伏せる。
シロハリグモは、地平線を撃つために脚を広げていた。
だが、それは違う。
立っている。
人間ほどの輪郭で。
人間ではない沈黙で。
中枢へ続く通路を塞いでいる。
プロクシスより、少し大きい。
二メートルを少し超える程度。
黒い外装。
仮面状の顔。
関節の隙間から、青白いエーテル光が細く漏れている。
ガイウスが一歩、前へ出る。
「防護対象を再設定する」
リディアは刃を抜いた。
「断つ」
エリスが、わずかに首を振る。
「違います」
「何が」
「これは、今までのアラミタマとは別の存在です」
黒い人型個体が、初めて声を出した。
『侵入個体、三』
声は、声帯を持たないものの音だった。
抑揚がない。
怒りもない。
問いかけですらない。
『防衛境界、起動』
リディアの端末が遅れて反応する。
《敵性照合:未定義》
《反応系統:未分類》
《同期値:微増》
黒い個体は動かない。
ただ、そこに立っている。
『識別。AR-AXIS-01』
一拍。
『個体名、オハバリ』
帰る線のない場所で。
オハバリは、三人を待っていた。
三人はユグドラシル・コア内部へ入りました。
外部通信は途絶し、帰還線もありません。
その中枢手前で待っていたのは、白灰色の群れではなく、黒い人型の基軸個体。
次章、《オハバリ》戦へ進みます。
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