第48話 根を断て
地平線が、白く息を吸った。
シロハリグモの背部砲身状構造が持ち上がる。
クモたちは、伏せたまま動かない。
《敵性個体:シロハリグモ》
《再発射準備:進行中》
《高エーテル出力反応:上昇》
ユイの声が、三つの回線へ走った。
『リディア、前へ』
『ガイウス、正面で受けないで』
『エリス、発射前の薄い場所を拾って』
返答は、三方向から遅れて届いた。
『了解』
『防護を流す』
『聞いています』
三つの声。
隊ではない。
けれど、形はあった。
*
リディアは白い粉塵の中を進んだ。
《タケミカヅチ》の柄を握る右手だけが、妙に明瞭だった。
右側で、低い防護圏が展開された。
ガイウスだった。
《ヘカトンシールド》は壁のように立っていない。
崩れた舗装材と地下導管の残骸へ、防護面を斜めに噛ませている。
止める形ではない。
逸らす形。
「間に合ったか」
ガイウスの声が入る。
「まだ」
リディアは答えた。
「これから間に合わせる」
「了解した」
短い返答。
その向こうに、削れた防護圏の音がある。
カッシウス。
ノエマ。
名は出ない。
出ないまま、残っている。
さらに奥で、エリスの通信が重なった。
『左ではありません。下です』
リディアは足を止めない。
『シロハリグモの発射線は、地表を通りません。地下導管の残響を使っています』
「見えるか」
エリスの声は、少しだけ遅れた。
『聞こえます』
白い粉塵の向こうで、何かが沈む。
リディアには見えない。
ガイウスにも見えない。
だが、エリスには聞こえている。
それで十分だった。
*
エリスは合流予定地点を見下ろす瓦礫の高所に先行し、《ノクティス・ライフル》を構えていた。
ヴェロニカの近い足音は、もうない。
ブロンテが射点を支えた低い震えも、もうない。
それでも、耳はまだ戦場を拾っている。
その中から、エリスは音のない一点を探した。
シロハリグモの背部砲身状構造が膨らむたび、周囲の音が一拍だけ沈む。
発射前の静寂。
そこが、白い線の根だった。
「見つけました」
エリスは引き金に指をかける。
『撃てるか』
ユイの声。
「撃てます」
言い切った。
肩の反応は遅れている。
射撃の反動も、まだ腕の奥に残っている。
それでも、撃てると言った。
撃てなければ、ヴェロニカが消した近い音も、ブロンテが残した射点も、ただ消えたことになる。
それは、違う。
「ガイウス」
『聞いている』
「次の白い線は、正面ではありません。下から上がります」
『防護角度を変える』
「受けないでください」
『受けない』
ガイウスの声は低く硬かった。
『流す』
エリスは、シロハリグモの根元へ意識を戻した。
前の一射でつけた乱れは、まだ消えていない。
光の節が不規則に明滅し、再発射の脈がわずかに遅れている。
完全には戻っていない。
そこが、まだ使える。
「リディア隊長」
「聞こえている」
「一射で、姿勢を崩します。その後、一拍だけ外郭が開きます」
「一拍でいい」
リディアの声は平坦だった。
平坦すぎるほどに。
エリスは照準を合わせた。
「撃ちます」
《ノクティス・ライフル》が鳴った。
白い戦場を、細い弾道が伸びる。
根元に残っていた光の節を、もう一度叩いた。
《シロハリグモ:姿勢制御乱れ》
《再発射周期:遅延》
《発射核:露出予兆》
シロハリグモの多脚が、地面を掻いた。
白い線が、予定より低く走る。
ガイウスが動いた。
*
リディアが距離を詰める。
近接戦闘へ持ち込むための時間。
エリスが撃ち抜いたのはこの時間だった。
《再発射周期:遅延》
シロハリグモの背部砲身状構造が脈打つ。
だが、白い線は走らない。
膨らんだ光が収束していく。
広域掃射ではない。
出力を絞っている。
狙いを定めている。
エリスが撃ち抜いた光の節で周期は乱れている。
それでも、シロハリグモは発射を諦めなかった。
照準だけを変えた。
リディア。
ガイウス。
前へ出てくる二つの反応へ。
「来る」
エリスの声が届く。
『広がりません』
遅れて続く。
『二人を狙っています』
リディアは止まらない。
シロハリグモとの距離は、もう近い。
《タケミカヅチ》を振り下ろせる距離まで、あと数歩。
その瞬間だった。
白い光が収束する。
砲身状構造の先端が、リディアへ向いた。
発射。
白い線が走る。
細く、鋭く、リディアとガイウスを貫くための線。
リディアが踏み込む。
ガイウスが前へ出る。
《ヘカトンシールド》を正面には立てない。
防護圏を斜めに沈める。
受け止めない。
押し返さない。
滑らせる。
白い線が防護面へ触れた。
右腕の外装が軋む。
《右腕外装:亀裂拡大》
《防護角度:維持》
ガイウスは動かない。
必要な角度だけを残す。
白い線が、防護面の上を流れる。
逸れる。
《砲撃線:偏向》
カッシウスなら、今の一瞬を撃つ。
ノエマなら、角度誤差を数値で返す。
どちらも、もういない。
それでも、二人が残した盾はここにある。
白い線が地表を削りながら横へ流れていく。
「リディア」
ガイウスは声を出した。
「進め」
「了解」
リディアが前へ出る。
戻るためではない。
次の一歩を踏むための防護だった。
*
リディアは走った。
走る、というより、落ちるように前へ出た。
白い線が逸れている。
ガイウスが作った角度。
エリスが撃った光の節。
ユイが再構成した三点の線。
その全てが、一拍だけシロハリグモの外郭を開かせている。
リディアは、一太刀目を入れた。
刃が白灰色の外郭を打つ。
刃の奥から、ずれが返ってくる。
《敵性位相:検出》
《観測補正:未到達》
《切断可能域:未確定》
待てば、確実になる。
待てば、一拍を失う。
外郭の硬さ。
光の脈。
発射核へ向かう細い歪み。
表示は、まだ追いついていない。
それでも、リディアには分かった。
分かった、というより。
刃が、もう知っていた。
《位相照合:未完了》
《二撃目:手動継続》
リディアは待たなかった。
右手が返る。
一太刀目が残したずれへ、二太刀目を入れる。
《タケミカヅチ》の刃が、白い光の奥へ沈んだ。
「断つ」
声が出た。
誰に向けた命令でもない。
刃がさらに深く入る。
シロハリグモの発射核が、内側から裂けた。
《タケミカヅチ:敵性位相切断》
《発射核:断裂》
《再発射:停止》
《高エーテル出力反応:急減》
シロハリグモの脚が、地面を叩く。
一度。
それだけだった。
背部の砲身状構造が折れ、膨らんでいた白い光が内側から崩れた。
《敵性個体:シロハリグモ》
《戦闘反応:消失》
白い粉塵が、遅れて落ちる。
勝利の音はしなかった。
『止まりました』
エリスの声が入る。
『砲撃線、消失』
ガイウスの防護圏が、低く軋む。
ユイの声は、すぐには戻らなかった。
戻った時、その声は震えていなかった。
『臨時トリアド、目標撃破』
目標。
撃破。
その二つの言葉は正しい。
だが、リディアは前を見ていた。
シロハリグモが崩れた奥で、粉塵が内側へ吸われている。
道が開いている。
ハルキの端末に、白い脈が走った。
《地下深部応答:再検出》
《識別:未照合》
《敵性照合:不一致》
《オルガノン照合:不成立》
『地下反応が、変わった』
ハルキの声が入る。
『強くなった?』
ユイが聞く。
『違う。はっきりした』
通常戦術盤には、何も出ていない。
敵性反応でもない。
セレーネの識別信号でもない。
それでも、ハルキの端末だけが、奥へ向かう細い脈を拾っていた。
《タケミカヅチ》の位相反応ログと一瞬だけ重なった。
同じではない。
似ている、と言うには早い。
それでも、知らない反応ではない気がした。
ゼノが問う。
『読めるか』
『ここからでは不安定です』
ハルキの声だけが、ゼノへ向けて敬語に戻る。
『近づけば残ります。離れると消えます』
『外からじゃ無理か』
マルコが言った。
『中で読むしかない』
ハルキは答えた。
リディアは、開いた道の奥を見た。
白い粉塵の向こうに、音のない深部が続いている。
帰るための線ではない。
それでも、そこにしか線は残っていなかった。
臨時トリアドの初戦でした。
エリスが見つけ、ガイウスが流し、リディアが断つ。
三隊に分かれていた時には届かなかった場所へ、三人だけになったことで届いてしまう。
勝利ではあります。
ただ、それは帰るための勝利ではなく、さらに奥へ進むための道を開くものでした。
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