第46話 届かない場所へ
音が消えたのではない。
多すぎた。
最初の白い線は、エリス隊の射点も掠めていた。
光が戦場を横に掃いた瞬間、遠くの崩落音も、近くの装甲破断音も、通信が焼ける音も、味方反応が沈む音も、すべてが同じ白さで押し寄せてきた。
エリスは片膝をついていた。
《ノクティス・ライフル》の銃身を、瓦礫の縁に預けている。
構えられないのではない。
撃つべき一点が、音の中に沈んでいる。
近すぎる音が多い。
遠すぎる音が深い。
「エリス」
ブロンテの声が、低く届いた。
「呼吸を戻せ」
「……戻しています」
「戻っていない」
ブロンテは、エリスのすぐ後ろにいた。
白い線が掠めた時、彼女は前に出ていた。
エリスの射点。
ヴェロニカの踏み込み位置。
その両方を、白い線から外すためだった。
代わりに、ブロンテの防護系が焼けている。
《ブロンテ:防護系損傷》
《左腕部:反応低下》
《遮蔽展開:手動継続》
左腕は下がっていた。
だが、右腕だけで遮蔽を地面へ押し込んでいる。
撃つための場所だけを、残している。
「ブロンテ、損傷が」
「足りる」
ブロンテは短く言った。
「撃つ分だけ」
エリスは返答できなかった。
撃つ。
その意味は分かる。
だが、狙うべき一点が見えない。
敵味方の反応が混ざり、戦場全体が白い雑音になっている。
奥を拾うには、まず近い音を消さなければならない。
「エリス」
ヴェロニカが言った。
彼女は、すでに前へ出ていた。
片膝を曲げ、射撃姿勢を低く取っている。
装甲の端は白く焼けていた。
それでも、銃口はぶれていない。
「奥を拾って」
ヴェロニカは、笑わなかった。
「近いのは、私が落とす」
「ヴェロニカ、前は」
「分かってる」
即答だった。
「だから行く」
次の瞬間、ヴェロニカが撃った。
接近していたクモの脚部が砕ける。
もう一体。
腕部を払う。
さらに一体。
射線へ入り込もうとした個体が、瓦礫へ叩き落とされる。
近い音が、一つずつ消える。
エリスの周囲から、雑音が削られていく。
奥が開く。
遠い音が、ようやく聞こえてきた。
白い線は、通り過ぎて終わりじゃない。
その流れの中に、一か所だけ歪みがあった。
白い線の根元。
収束節だった。
《第二射:後段通過中》
《収束節:形成》
《残存反応:不安定》
《照合:未登録》
エリスは息を止めた。
背部に砲身状の構造を抱えた白灰色のアラミタマ個体は、遠すぎる。
狙うのは、砲身ではない。
外郭でもない。
だが、線が戦場を削ったあとに残す結び目なら。
ヴェロニカが、さらに前へ出た。
クモたちが一斉に射線へ入り込む。
エリスの狙撃を潰すために、近い音が増える。
『あなたの方が』
彼女の声が、弾音の間を抜けた。
『私より遠くへ届く』
「ヴェロニカ」
『前は消す』
ヴェロニカは撃った。
一発。
クモの脚が砕ける。
その直後、反撃が来た。
白い光弾が肩を穿つ。
装甲が弾ける。
それでも止まらない。
二発。
飛びかかった個体の頭部が吹き飛ぶ。
横腹に着弾。
警告表示が赤く染まる。
ヴェロニカは踏みとどまった。
三発。
射線へ割り込んだ腕部を撃ち抜く。
四発。
脚部を折る。
五発。
さらに一体を瓦礫へ叩き落とす。
撃たれる。
撃たれる。
撃たれる。
装甲片が散る。
それでも銃口は下がらない。
前へ出る。
また撃つ。
近い音を、一つずつ消していく。
クモが倒れる。
クモが崩れる。
クモが沈む。
白灰色の外郭が次々と砕け、エリスの前に細い空白が生まれる。
そこだけ、音が薄くなった。
射線が通る。
《ヴェロニカ:近接圏制圧》
ヴェロニカの反応が赤く沈む。
それでも、彼女は撃った。
前が開いた。
《ヴェロニカ:信号不安定》
《ヴェロニカ:信号喪失》
エリスの照準が揺れた。
ヴェロニカの音が消えた。
消えた場所に、白い穴が空く。
その穴へ、照準が落ちそうになる。
「迷うな」
ブロンテの声が、後ろから来た。
まだそこにいる声だった。
彼女の声が、エリスを引き戻した。
白く沈みかけていた意識が、その一言で戦場へ戻る。
エリスは息を吸い、照準を見た。
収束節。
見えている。
聞こえている。
だが、届かない。
今の距離では、弾は収束節へ届く前に減衰する。
計算結果は何度見ても変わらなかった。
届かない。
そして、届かせる方法も分かっていた。
ヴェロニカが開けた前は、ここへ繋ぐために残された。
ブロンテが守っている射点も、そのためにある。
エリスは静かに息を吸った。
覚悟は、もう決まっていた。
《推奨出力:超過》
《機体負荷:危険域》
《操縦者負荷:危険域》
《実行非推奨》
警告が並ぶ。
エリスは無視した。
「上げます」
「どこまでだ」
「届くまで」
出力値が跳ね上がる。
視界の端が赤く染まった。
頬から首筋へ、細い赤いエーテル線が浮かび上がる。
皮膚の下を走るような光。
同期負荷が許容量を超え始めている証だった。
《操縦者負荷:限界接近》
《エーテル逆流警告》
《神経同期:危険域》
それでもエリスは止めない。
リディア隊の反応が沈んでいる。
ガイウス隊の防護圏が軋んでいる。
ここで撃たなければ、次はない。
ブロンテは、その横顔を見た。
赤い線。
焼けるような同期反応。
何をしようとしているのか、一瞬で理解した。
「馬鹿か」
珍しく感情の混じった声だった。
「そのまま撃てば、お前が先に焼ける」
「でも届きます」
「届いても先がない」
ブロンテが遮蔽板を動かす。
退路だった場所へ、さらに一枚、板を落とした。
戻る道が塞がる。
代わりに、射点の後ろが固定される。
「お前は残れ」
エリスは振り返らなかった。
振り返れば、撃てなくなる。
それでも、ブロンテが何をしているのかは音で分かった。
同期線が接続される。
エリスへ集中していたエーテル負荷が、別の経路へ流れ始める。
《負荷分散経路:形成》
《逆流遮断:防護側へ移管》
エリスの頬を走っていた赤い線が、わずかに薄くなる。
代わりに、ブロンテ側の警告が増えた。
「ブロンテ」
「撃つなら撃て」
「負荷が」
「流せ」
短かった。
「お前ひとりじゃ抱えきれない」
ブロンテは言った。
「なら私を使え」
エリスは息を止めた。
同期線の向こうで、ブロンテの呼吸が乱れていた。
それでも切らない。
切る気がない。
「ブロンテ、それでは戻れなく」
「戻るためじゃない」
ブロンテは言った。
「進むためだ」
その瞬間、エリスは自分が撃つべき理由を理解した。
エリスは目を閉じた。
閉じた方が、見える音がある。
白い戦場。
ヴェロニカが開けた前。
揺れているブロンテの背中。
沈みかけたリディアの位置。
軋むガイウスの防護圏。
白い線に残った、細い結び目。
それらを、ひとつの線として聴く。
届かない場所へ、届かせるための音。
エリスは《ノクティス・ライフル》を固定した。
弾体生成。
照準補正。
聴覚照合。
収束節。
出力上昇。
同期負荷移管。
呼吸。
停止。
撃つ。
音が、一本になった。
勝利ではない。
破壊でもない。
それでも、白い絶望の結び目を撃ち抜いた。
《対象:収束節破損》
《発射線:終端不安定化》
《残存反応:再捕捉》
《次弾形成:遅延》
反動が来た。
銃身が跳ねる。
射点が崩れる。
逆流圧が、弾道を逆にたどって戻ってくる。
エリスの身体が後ろへ持っていかれそうになった。
だが、動かなかった。
ブロンテが、射点を押さえていた。
エリスから逃がされた負荷と、射撃反動の逆流が同時にブロンテへ流れ込む。
《ブロンテ:防護系焼損》
《ブロンテ:射点保持継続》
《ブロンテ:逆流遮断限界》
白い圧が、後方へ流れる。
ブロンテが焼ける。
それでも、最後まで射点は動かなかった。
《ブロンテ:射点保持終了》
《ブロンテ:防護系停止》
《ブロンテ:信号喪失》
エリスは、まだライフルを構えていた。
構えたまま、動けなかった。
近い音がない。
代わりに、遠くで二つの音が戻ってきた。
細い。
途切れかけている。
リディア。
ガイウス。
エリスは、ゆっくり息を吸った。
吸った息が震えている。
それでも、報告しなければならない。
「エリス隊、戦術単位を喪失しました」
自分の声が、どこか遠くから聞こえた。
「ヴェロニカ、信号喪失」
言葉にすると、音が沈む。
「ブロンテ、信号喪失」
沈む。
それでも、消えない。
「残存、私のみ」
通信は白く揺れている。
返答は、すぐには来なかった。
エリスは、白い戦場の中で音を聞いていた。
ヴェロニカの音も。
ブロンテの音も。
消えたのではない。
消えないまま、別の音になった。
前を消した音。
射点を残した音。
届かない場所へ届かせた音。
その音を抱えたまま、エリスは次の線を聞いた。
*
月側管制層で、戦術盤はまだ焼けていた。
通常回線は戻らない。
予備回線も、戦術中継も、白いまま沈んでいる。
「マルコ」
ユイが言った。
「やってる」
マルコの指が止まらない。
「正規回線は死んでる。予備も駄目だ。だが、保守用の底が残ってる」
「使えるの?」
「普通は使わない。だから焼け残った」
マルコは端末を叩いた。
次の瞬間、戦術盤の底に細い線が戻った。
《保守回線:接続》
《戦術盤:再同期開始》
《残存反応:再捕捉》
マルコが短く息を吐く。
「拾った」
ユイは画面を見た。
三つの隊が、白く沈んでいる。
《リディア隊:戦術単位喪失/残存一》
《ガイウス隊:戦術単位喪失/残存一》
《エリス隊:戦術単位喪失/残存一》
「三隊じゃない」
ユイの声が落ちた。
「三人しか、残ってない」
ハルキは、白化した地表反応の底に別の表示を重ねた。
地下深部未照合応答。
第一射のあとから、ノイズのように残っていた反応。
リディア。
ガイウス。
エリス。
三つの残存位置だけでは、戦術盤上の意味を持たない。
だが、地下深部の応答座標と重ねた時だけ、細い線が浮かんだ。
進軍路ではない。
帰還線でもない。
壊れた戦場の下に残った、保守経路のようなもの。
「ゼノ司令」
ハルキが言った。
「三隊長の残存位置と、地下深部の未照合応答が重なります」
『確度は』
「低いです」
『使えるのか』
「他に線がありません」
ゼノの判断は短かった。
『後続は降ろさない』
その声は、揺れていなかった。
『三人を合流させろ』
ユイは息を吸った。
泣いている時間はない。
悔やむ時間もない。
拾える線があるなら、拾う。
「地下保守経路を暫定帰還線として再構成します。三点を一本に繋げれば、まだ戦術単位として動かせます」
その声だけは、管制官の声だった。
エリス隊の回でした。
エリス隊は、エリスを守るための隊ではなく、エリスの一射を届かせるための隊でした。
ヴェロニカが近い音を消し、ブロンテが射点を残し、エリスが撃つ。
その一射は勝利ではありません。
ただ、次へ進むためのわずかな乱れを作りました。
続きが気になると思っていただけましたら、評価・ブックマークで応援していただけると励みになります。
Xでは設定断片や制作メモも公開しています。




