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その果てに、月は神を観る 〜記憶を失った青年と兵器少女は、滅びた地球の真実へ降りる〜  作者: 大導ユウ
第19章 白い戦場

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第46話 届かない場所へ


 音が消えたのではない。


 多すぎた。


 最初の白い線は、エリス隊の射点も掠めていた。


 光が戦場を横に掃いた瞬間、遠くの崩落音も、近くの装甲破断音も、通信が焼ける音も、味方反応が沈む音も、すべてが同じ白さで押し寄せてきた。


 エリスは片膝をついていた。


 《ノクティス・ライフル》の銃身を、瓦礫の縁に預けている。


 構えられないのではない。


 撃つべき一点が、音の中に沈んでいる。


 近すぎる音が多い。


 遠すぎる音が深い。


「エリス」


 ブロンテの声が、低く届いた。


「呼吸を戻せ」


「……戻しています」


「戻っていない」


 ブロンテは、エリスのすぐ後ろにいた。


 白い線が掠めた時、彼女は前に出ていた。


 エリスの射点。


 ヴェロニカの踏み込み位置。


 その両方を、白い線から外すためだった。


 代わりに、ブロンテの防護系が焼けている。


《ブロンテ:防護系損傷》


《左腕部:反応低下》


《遮蔽展開:手動継続》


 左腕は下がっていた。


 だが、右腕だけで遮蔽を地面へ押し込んでいる。


 撃つための場所だけを、残している。


「ブロンテ、損傷が」


「足りる」


 ブロンテは短く言った。


「撃つ分だけ」


 エリスは返答できなかった。


 撃つ。


 その意味は分かる。


 だが、狙うべき一点が見えない。


 敵味方の反応が混ざり、戦場全体が白い雑音になっている。


 奥を拾うには、まず近い音を消さなければならない。


「エリス」


 ヴェロニカが言った。


 彼女は、すでに前へ出ていた。


 片膝を曲げ、射撃姿勢を低く取っている。


 装甲の端は白く焼けていた。


 それでも、銃口はぶれていない。


「奥を拾って」


 ヴェロニカは、笑わなかった。


「近いのは、私が落とす」


「ヴェロニカ、前は」


「分かってる」


 即答だった。


「だから行く」


 次の瞬間、ヴェロニカが撃った。


 接近していたクモの脚部が砕ける。


 もう一体。


 腕部を払う。


 さらに一体。


 射線へ入り込もうとした個体が、瓦礫へ叩き落とされる。


 近い音が、一つずつ消える。


 エリスの周囲から、雑音が削られていく。


 奥が開く。


 遠い音が、ようやく聞こえてきた。


 白い線は、通り過ぎて終わりじゃない。


 その流れの中に、一か所だけ歪みがあった。


 白い線の根元。


 収束節だった。


《第二射:後段通過中》


《収束節:形成》


《残存反応:不安定》


《照合:未登録》


 エリスは息を止めた。


 背部に砲身状の構造を抱えた白灰色のアラミタマ個体は、遠すぎる。


 狙うのは、砲身ではない。


 外郭でもない。


 だが、線が戦場を削ったあとに残す結び目なら。


 ヴェロニカが、さらに前へ出た。


 クモたちが一斉に射線へ入り込む。


 エリスの狙撃を潰すために、近い音が増える。


『あなたの方が』


 彼女の声が、弾音の間を抜けた。


『私より遠くへ届く』


「ヴェロニカ」


『前は消す』


 ヴェロニカは撃った。


 一発。


 クモの脚が砕ける。


 その直後、反撃が来た。


 白い光弾が肩を穿つ。


 装甲が弾ける。


 それでも止まらない。


 二発。


 飛びかかった個体の頭部が吹き飛ぶ。


 横腹に着弾。


 警告表示が赤く染まる。


 ヴェロニカは踏みとどまった。


 三発。


 射線へ割り込んだ腕部を撃ち抜く。


 四発。


 脚部を折る。


 五発。


 さらに一体を瓦礫へ叩き落とす。


 撃たれる。


 撃たれる。


 撃たれる。


 装甲片が散る。


 それでも銃口は下がらない。


 前へ出る。


 また撃つ。


 近い音を、一つずつ消していく。


 クモが倒れる。


 クモが崩れる。


 クモが沈む。


 白灰色の外郭が次々と砕け、エリスの前に細い空白が生まれる。


 そこだけ、音が薄くなった。


 射線が通る。


《ヴェロニカ:近接圏制圧》


 ヴェロニカの反応が赤く沈む。


 それでも、彼女は撃った。

挿絵(By みてみん)

 前が開いた。


《ヴェロニカ:信号不安定》


《ヴェロニカ:信号喪失》


 エリスの照準が揺れた。


 ヴェロニカの音が消えた。


 消えた場所に、白い穴が空く。


 その穴へ、照準が落ちそうになる。


「迷うな」


 ブロンテの声が、後ろから来た。


 まだそこにいる声だった。


 彼女の声が、エリスを引き戻した。


 白く沈みかけていた意識が、その一言で戦場へ戻る。


 エリスは息を吸い、照準を見た。


 収束節。


 見えている。


 聞こえている。


 だが、届かない。


 今の距離では、弾は収束節へ届く前に減衰する。


 計算結果は何度見ても変わらなかった。


 届かない。


 そして、届かせる方法も分かっていた。


 ヴェロニカが開けた前は、ここへ繋ぐために残された。


 ブロンテが守っている射点も、そのためにある。


 エリスは静かに息を吸った。


 覚悟は、もう決まっていた。


《推奨出力:超過》


《機体負荷:危険域》


《操縦者負荷:危険域》


《実行非推奨》


 警告が並ぶ。


 エリスは無視した。


「上げます」


「どこまでだ」


「届くまで」


 出力値が跳ね上がる。


 視界の端が赤く染まった。


 頬から首筋へ、細い赤いエーテル線が浮かび上がる。


 皮膚の下を走るような光。


 同期負荷が許容量を超え始めている証だった。


《操縦者負荷:限界接近》


《エーテル逆流警告》


《神経同期:危険域》


 それでもエリスは止めない。


 リディア隊の反応が沈んでいる。


 ガイウス隊の防護圏が軋んでいる。


 ここで撃たなければ、次はない。


 ブロンテは、その横顔を見た。


 赤い線。


 焼けるような同期反応。


 何をしようとしているのか、一瞬で理解した。


「馬鹿か」


 珍しく感情の混じった声だった。


「そのまま撃てば、お前が先に焼ける」


「でも届きます」


「届いても先がない」


 ブロンテが遮蔽板を動かす。


 退路だった場所へ、さらに一枚、板を落とした。


 戻る道が塞がる。


 代わりに、射点の後ろが固定される。


「お前は残れ」


 エリスは振り返らなかった。


 振り返れば、撃てなくなる。


 それでも、ブロンテが何をしているのかは音で分かった。


 同期線が接続される。


 エリスへ集中していたエーテル負荷が、別の経路へ流れ始める。


《負荷分散経路:形成》


《逆流遮断:防護側へ移管》


 エリスの頬を走っていた赤い線が、わずかに薄くなる。


 代わりに、ブロンテ側の警告が増えた。


「ブロンテ」


「撃つなら撃て」


「負荷が」


「流せ」


 短かった。


「お前ひとりじゃ抱えきれない」


 ブロンテは言った。


「なら私を使え」


 エリスは息を止めた。


 同期線の向こうで、ブロンテの呼吸が乱れていた。


 それでも切らない。


 切る気がない。


「ブロンテ、それでは戻れなく」


「戻るためじゃない」


 ブロンテは言った。


「進むためだ」


 その瞬間、エリスは自分が撃つべき理由を理解した。


 エリスは目を閉じた。


 閉じた方が、見える音がある。


 白い戦場。


 ヴェロニカが開けた前。


 揺れているブロンテの背中。


 沈みかけたリディアの位置。


 軋むガイウスの防護圏。


 白い線に残った、細い結び目。


 それらを、ひとつの線として聴く。


 届かない場所へ、届かせるための音。


 エリスは《ノクティス・ライフル》を固定した。


 弾体生成。


 照準補正。


 聴覚照合。


 収束節。


 出力上昇。


 同期負荷移管。


 呼吸。


 停止。


 撃つ。


 音が、一本になった。


 勝利ではない。


 破壊でもない。


 それでも、白い絶望の結び目を撃ち抜いた。


《対象:収束節破損》


《発射線:終端不安定化》


《残存反応:再捕捉》


《次弾形成:遅延》


 反動が来た。


 銃身が跳ねる。


 射点が崩れる。


 逆流圧が、弾道を逆にたどって戻ってくる。


 エリスの身体が後ろへ持っていかれそうになった。


 だが、動かなかった。

挿絵(By みてみん)

 ブロンテが、射点を押さえていた。


 エリスから逃がされた負荷と、射撃反動の逆流が同時にブロンテへ流れ込む。


《ブロンテ:防護系焼損》


《ブロンテ:射点保持継続》


《ブロンテ:逆流遮断限界》


 白い圧が、後方へ流れる。


 ブロンテが焼ける。


 それでも、最後まで射点は動かなかった。


《ブロンテ:射点保持終了》


《ブロンテ:防護系停止》


《ブロンテ:信号喪失》


 エリスは、まだライフルを構えていた。


 構えたまま、動けなかった。


 近い音がない。


 代わりに、遠くで二つの音が戻ってきた。


 細い。


 途切れかけている。


 リディア。


 ガイウス。


 エリスは、ゆっくり息を吸った。


 吸った息が震えている。


 それでも、報告しなければならない。


「エリス隊、戦術単位を喪失しました」


 自分の声が、どこか遠くから聞こえた。


「ヴェロニカ、信号喪失」


 言葉にすると、音が沈む。


「ブロンテ、信号喪失」


 沈む。


 それでも、消えない。


「残存、私のみ」


 通信は白く揺れている。


 返答は、すぐには来なかった。


 エリスは、白い戦場の中で音を聞いていた。


 ヴェロニカの音も。


 ブロンテの音も。


 消えたのではない。


 消えないまま、別の音になった。


 前を消した音。


 射点を残した音。


 届かない場所へ届かせた音。


 その音を抱えたまま、エリスは次の線を聞いた。


     *


 月側管制層で、戦術盤はまだ焼けていた。


 通常回線は戻らない。


 予備回線も、戦術中継も、白いまま沈んでいる。


「マルコ」


 ユイが言った。


「やってる」


 マルコの指が止まらない。


「正規回線は死んでる。予備も駄目だ。だが、保守用の底が残ってる」


「使えるの?」


「普通は使わない。だから焼け残った」


 マルコは端末を叩いた。


 次の瞬間、戦術盤の底に細い線が戻った。


《保守回線:接続》


《戦術盤:再同期開始》


《残存反応:再捕捉》


 マルコが短く息を吐く。


「拾った」


 ユイは画面を見た。


 三つの隊が、白く沈んでいる。


《リディア隊:戦術単位喪失/残存一》


《ガイウス隊:戦術単位喪失/残存一》


《エリス隊:戦術単位喪失/残存一》


「三隊じゃない」


 ユイの声が落ちた。


「三人しか、残ってない」


 ハルキは、白化した地表反応の底に別の表示を重ねた。


 地下深部未照合応答。


 第一射のあとから、ノイズのように残っていた反応。


 リディア。


 ガイウス。


 エリス。


 三つの残存位置だけでは、戦術盤上の意味を持たない。


 だが、地下深部の応答座標と重ねた時だけ、細い線が浮かんだ。


 進軍路ではない。


 帰還線でもない。


 壊れた戦場の下に残った、保守経路のようなもの。


「ゼノ司令」


 ハルキが言った。


「三隊長の残存位置と、地下深部の未照合応答が重なります」


『確度は』


「低いです」


『使えるのか』


「他に線がありません」


 ゼノの判断は短かった。


『後続は降ろさない』


 その声は、揺れていなかった。


『三人を合流させろ』


 ユイは息を吸った。


 泣いている時間はない。


 悔やむ時間もない。


 拾える線があるなら、拾う。


「地下保守経路を暫定帰還線として再構成します。三点を一本に繋げれば、まだ戦術単位として動かせます」


 その声だけは、管制官の声だった。


エリス隊の回でした。


エリス隊は、エリスを守るための隊ではなく、エリスの一射を届かせるための隊でした。

ヴェロニカが近い音を消し、ブロンテが射点を残し、エリスが撃つ。


その一射は勝利ではありません。

ただ、次へ進むためのわずかな乱れを作りました。


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