第44話 削除できない声
第19章 白い戦場
第44話 削除できない声
音は、遅れて来た。
光が地平線を裂いたあと、戦場は一拍遅れて崩れた。
爆発ではなかった。
熱でもなかった。
白い線が、地表すれすれを横に掃いた。
装甲が消える。
通信が消える。
帰還線が消える。
戦術盤の上で、主降下群の三角形が次々に白く潰れていった。
《戦術連結:喪失》
《帰還線:未定義》
《隊間同期:遅延》
《エーテル反応:飽和》
警告音は鳴っている。
だが、遅い。
警告を届ける経路そのものが、先に焼けていた。
『後続を降ろすな』
ゼノの声が回線を切った。
『後続制圧予備、全機待機。投入線を凍結しろ』
『了解』
ユイの声が返る。
だが、いつもの速さではなかった。
画面の向こうで、戦術盤が何度も再構成される。
降下経路。
退避経路。
通信中継点。
負傷者回収候補地点。
どれも、白い帯に触れた瞬間、線として成立しなくなる。
『駄目』
ユイが言った。
『生きている反応を拾え。死んだ数字を数えるのは後だ』
ゼノは即答した。
『……了解』
月側支援回線で、マルコの打鍵音が荒くなる。
『通信断じゃねえ』
マルコの声は低かった。
『ログが焼けてる。声があった場所だけ、白い。復旧じゃなくて、発掘に近いぞ』
『発掘でもいい。拾えるものは拾って』
『やってる』
ハルキは現地観測端末を開いたまま、白化した地表反応を見ていた。
地形が変わったわけではない。
そこにあったはずの経路が、経路ではなくなっている。
「砲撃というより……」
ハルキは言葉を選んだ。
「地表のエーテル層を削っています」
『既知兵装か』
「照合できません。ですが、高出力のエーテル兵装……かもしれません」
『断定するな』
ゼノは短く切った。
『今は、生きている線を拾え』
「了解」
ハルキは再び端末に目を落とした。
白い戦術盤の底に、まだ反応がある。
リディア隊。
ガイウス隊。
エリス隊。
三つの主力認定表示は、白く沈みかけながらも、完全には消えていなかった。
『主力三隊、残存確認』
ユイが言った。
『ただし、隊間同期は断続。帰還線、再設定不可』
『隊で見るな』
ゼノが言う。
『個体で拾え』
その命令が、白い戦場へ落ちた。
*
リディアは、土の味を知らなかった。
だが、口の中に入った灰が、土ではないことだけは分かった。
焼けた金属。
砕けた構造材。
古い都市の残骸。
その粉が、呼吸の奥に入る。
リディアは身体を起こした。
左脚装甲、亀裂。
左腕反応、遅延。
視界右下の表示が赤く沈む。
《戦闘継続:可能》
可能。
だが、生還とは違う。
「アウルス、応答」
『……応答。右脚部損傷。側面防護、継続可能』
「イオナ」
『応答しています。月側回線、維持中。隊内同期は断続。帰還線再設定、失敗』
「補正状況」
『負荷上昇。ですが、まだ持ちます』
「無理なら切って」
『切りません』
返答は早かった。
命令への反射ではない。
判断だった。
リディアは、少しだけ顔を上げた。
アウルスは左前方にいた。
右脚の外装が歪んでいる。
だが、盾を下げていない。
イオナは通信端末を抱え込んでいる。
瓦礫の陰へ押し込まれる形になっていた。
生き残ったというより、取り残されたに近い。
三人とも、残っている。
隊は、まだ消えていない。
そう処理しようとした瞬間、周囲のクモが動きを変えた。
攻撃ではない。
後退でもない。
一斉に、伏せた。
地表へ身を沈めるように、白灰色の外郭が低くなる。
リディアは理解した。
二度目が来る。
「アウルス、イオナ」
命令を出す。
伏せろ。
戻れ。
散れ。
生きろ。
どれが正しいかを選ぶ前に、視界の奥が白く揺れた。
リディアは前を見る。
旧舗装材の割れ目。
倒壊した塔の影。
伏せたクモの間に残った、細い空白。
進める。
そう判断しかけた。
『隊長、まだです』
アウルスの声が入った。
「進路はある」
『今は、前が死角です』
意味が一拍遅れた。
前が死角。
リディアには道に見えている。
アウルスには、次に削られる線に見えている。
「アウルス、下がって」
『側面防護を維持します』
「命令だ」
『受領できません』
アウルスが動いた。
右脚を引きずりながら、リディアの左側へ入る。
盾を構える。
白い揺らぎが、地表をなぞった。
リディアの肩に衝撃が走る。
押された。
アウルスがリディアを、イオナのいる瓦礫下へ叩き込む。
次の瞬間、白い線が通過した。
音はなかった。
窪みの縁が削り飛ばされる。
その上に立っていたアウルスの外郭が、白く削れた。
盾が消える。
右腕が消える。
脚部信号が抜ける。
それでも、彼は最後までリディアの側面に残っていた。
《側面防護:継続》
《側面、維持……完了》
表示が、そこで途切れた。
《アウルス:信号喪失》
リディアの視界が、一瞬だけ止まった。
止まるな。
そう判断する。
止まれば、次が来る。
「イオナ、アウルスの記録を保持」
「保持しています」
「月側回線は」
「断続。ですが、残します」
リディアはイオナを見た。
瓦礫の陰で端末を抱え込む彼女の頬に、赤い光が走っている。
首筋から顎へ。
こめかみから目元へ。
血管のような赤いエーテル光が皮膚の下を這い、脈打つたびに明滅していた。
負荷の過剰流入。
許容量を超えたエーテル循環の兆候だった。
続ければ危険だ。
いや、もう危険域を越えている。
「補正を切って。負荷が上がりすぎている」
「切れません」
「イオナ」
赤い光がさらに広がる。
目の下まで走った筋が、ひび割れのように明滅した。
「命令だ」
「受領できません」
イオナの声に、初めて揺れが混じった。
だが、通信は切れていない。
「今切れば、隊長の位置が消えます」
「私の位置は不要。自力で戻る」
「戻る線がありません」
リディアは返せなかった。
「アウルスの最後の防護記録も消えます。ガイウス隊との断片線も、エリス隊の観測残響も、切れます」
「それでも、あなたが残る」
「隊長が、ひとりになります」
イオナの声が、わずかに近くなった。
「隊長が、帰れなくなります」
白化した戦術盤の端で、イオナの端末が再接続を試みる。
一度。
二度。
三度。
すべて失敗。
それでも、補正値だけは残った。
《リディア隊:位置補正維持》
《アウルス防護記録:保持》
《月側断片回線:微弱》
イオナの識別が赤く沈む。
「イオナ、停止して」
「リディア隊長」
呼称が変わった。
リディアは、それに気づいた。
命令を出す前に。
「帰還線を、消さないでください」
通信が白く跳ねた。
《イオナ:通信補正継続》
《イオナ:信号不安定》
《イオナ:信号喪失》
リディアは、灰の中に膝をついた。
戦場は静かだった。
静かに見えるだけだった。
白化した端末の中で、削除候補が表示される。
《アウルス:信号喪失》
《イオナ:信号喪失》
《関連記録:破損》
《削除候補》
リディアは、その表示を見た。
指は動かない。
動かないまま、声だけを出した。
「リディア隊、戦術単位を喪失」
自分の声が、遠く聞こえた。
「アウルス、信号喪失」
喉が焼ける。
「イオナ、信号喪失」
それでも、報告は止めない。
「残存、私のみ」
返答は来ない。
通信欄は白いままだった。
月側回線は沈黙している。
受信確認もない。
報告を聞いた者がいるのかどうかも分からない。
それでも、リディアは削除候補を見たまま言った。
「記録を、削除しないで」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
月側か。
戦術盤か。
それとも、自分自身か。
白い戦術盤の隅で、アウルスとイオナの記録はまだ削除候補に残っている。
削除候補は、まだ表示されている。
リディアはそれを選ばなかった。
第19章は、光のあとから始まります。
今回は、戦闘そのものよりも先に、戦場を成立させていた線が壊れていく回でした。
隊列、通信、帰還線、そして数字として並んでいた生存反応。
まだ全員が死んだわけではありません。
ただ、作戦はすでに別の形へ変えられつつあります。
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