第43話 地平線が割れる
『……道が、残りすぎてる』
ハルキの声は、降下艇の低振動に混じって届いた。
表示上は順調だった。
迎撃密度は低い。
降下経路は開いている。
主降下群百トリアドは予定線を維持したまま灰色の雲を抜けていく。
正常。
有利。
継続可能。
だが、ハルキの違和感だけが残った。
降下艇が地表へ触れる。
衝撃。
固定具解除。
正面装甲開放。
リディアは《タケミカヅチ》を抜き、灰色の地表へ降り立った。
《敵性反応:前方二百四十》
《敵性反応:側面七十》
黒い残骸の影からクモが起き上がる。
数は少ない。
だが、速い。
着地した瞬間にはもう射線を組み始めていた。
「アウルス」
『側面を押さえます』
「任せる」
リディアは走った。
最前列のクモが発光する。
射出。
だが遅い。
《タケミカヅチ》が閃いた。
一体。
二体。
三体。
白い光ごと断ち切る。
爆ぜる残骸の間を抜け、さらに踏み込む。
クモが群れで包囲しようと動く。
その側面へアウルスが割り込んだ。
盾ではない。
位置だ。
敵の射線が重なる場所へ身体を置き、攻撃角そのものを潰す。
『側面処理開始』
短い報告。
直後、三体が同時に沈んだ。
イオナの声が続く。
『通信補正維持。月側回線正常。戦術盤更新します』
リディアは振り返らない。
必要がなかった。
二人とも、もう自分で動ける。
前だけ見ればいい。
クモの群れへ飛び込む。
刃が鳴る。
敵が裂ける。
降下直後とは思えないほど隊の動きは噛み合っていた。
強い。
リディアはそう思った。
自分だけではない。
三人で強くなっている。
だからこそ違和感が際立った。
敵が弱すぎる。
『敵影、少ないです』
エリスの声が入る。
『ですが、音が薄い。奥が鳴っていません』
ユイが観測を戦術盤へ重ねる。
敵はいる。
だが、集まらない。
押してくる。
それだけだ。
通常なら降下群へ殺到するはずのクモが、一定線より奥へ出てこない。
『主降下群、初期拠点確保。損耗軽微』
『数字だけ見ると順調すぎるな』
マルコが呟く。
『敵性反応だけじゃない。通信帯域も地表反応も妙に綺麗だ』
リディアは前方を見る。
旧施設の裂け目。
侵入路。
開きすぎている。
『現地指揮中枢、前進する』
ゼノの《ODIN-EYE》が共有戦術盤へ重なる。
熱源なし。
既知兵装射線なし。
退路あり。
正常。
そのはずだった。
『……嫌な残り方だ』
ゼノが低く言った。
『既知兵装はない。熱源も薄い。退路も残っている』
『なら』
『残り方が綺麗すぎる』
通信が静まる。
その時だった。
『隊長』
イオナが言う。
『敵が後退しているように見えません』
「何に見える」
『押し返されています。進路の奥から』
リディアは前を見る。
確かにそうだった。
クモは逃げているのではない。
何かから離れている。
こちらではない。
もっと奥だ。
『地下反応は』
『敵性照合失敗。アラミタマとも一致しない』
『何だと思う』
『分からない。でも、攻撃じゃない。何かを閉じる動きに近い』
閉じる。
戦場には似合わない言葉だった。
『リディア隊長』
エリスの声が割り込んだ。
『奥の音がありません』
「さっきも聞いた」
『違います。今は、そこだけ抜けています』
戦術盤へ座標が落ちる。
敵性反応なし。
熱源なし。
射線なし。
ただ、音だけがない。
そして。
エリスの通信が、一拍遅れた。
距離は変わっていない。
回線も正常。
それでも声だけが遅れた。
『音が遅れています』
全員が黙った。
『そこから聞こえるんじゃありません』
エリスが言う。
『そこへ集まっています』
マルコが即座にログを重ねる。
『地表反応が同期してる』
戦術盤が白く滲んだ。
崩れた外壁。
折れた塔。
地下導管。
沈黙していた構造物が同じ周期で震えている。
『地下反応も収束しています』
ハルキの声。
『方向は地平線側。旧施設群の外です』
ゼノが即断した。
『全隊、防御姿勢。退路を残せ』
その瞬間。
クモが伏せた。
一体ではない。
戦場全域。
視界に映る個体が一斉に。
攻撃でもない。
後退でもない。
地表へ身を沈めるように。
敵が先に防御姿勢を取った。
それが答えだった。
「アウルス」
『はい』
「イオナの前に入って」
『了解しました』
「イオナ。月側回線を切らさないで」
『持たせます』
灰色の地平線の先で、白い揺らぎが生まれた。
砂塵に見えた。
光にも見えた。
どちらでもない。
《未登録エーテル反応》
《照合失敗》
《距離算出不能》
警告だけが増えていく。
『リディア隊長』
エリスの声。
「何」
『低く』
その直後、ゼノの命令が飛んだ。
『全隊、伏せろ』
ユイが重ねる。
『全隊、遮蔽物へ!』
ガイウス隊の防護圏が広がる。
アウルスがイオナを庇う。
リディアは反射で《タケミカヅチ》を構えた。
敵影はない。
砲口もない。
接近反応もない。
それでも全身が警告していた。
『全員、伏せて』
エリスの小さな声が届く。
次の瞬間。
地平線に線が入った。
空でもない。
地面でもない。
地平線そのものが、横に裂けた。
光が来た。
音は、まだ来なかった。
戦闘は始まりました。
ただし、今回は「敵が強い」よりも先に、「戦場そのものがおかしい」ことを描く回でした。
順調すぎる進行、残りすぎている道、音のない場所。
こういう違和感は、だいたい後から一番嫌な形で意味を持ちます。
次回、第18章の引きへ進みます。
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