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その果てに、月は神を観る 〜記憶を失った青年と兵器少女は、滅びた地球の真実へ降りる〜  作者: 大導ユウ
第17章 約束の杯

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第40話 食え。飲め。顔を見ろ

第17章 約束の杯


 住居の中に、作戦資料と食器が同じ卓に並んでいた。


 ハルキは、それを片づいているとは判断しなかった。


 端末が三枚。


 マルコの携行工具が二箱。


 媒介素材のケースが一つ。


 ハルキの解析メモが、なぜか食卓の端に積まれている。


 そこへ簡易プレートと食具、人数分のグラスを並べると、生活空間というより、小さな作戦卓に見えた。


 ただ、今日は作戦会議ではない。


 命令伝達でもない。


 出撃前の訓示でもない。


 そのどれでもない時間を、ゼノが無理やり作ろうとしている。


 ユイは食卓の端末を一枚だけ閉じ、空いた場所にグラスを並べていた。


 動きは普段通りに見える。


 だが、ハルキは見逃さなかった。


「ユイ、グラスだけ準備が早い」


「必要だから」


「プレートも必要だろ」


「そっちもやってる」


 嘘ではない。


 プレートも食具も並んでいる。


 ただ、グラスの配置だけが妙に整っていた。間隔が正確で、手際がいい。作戦盤面を組む時のユイに近い。


 マルコが折り畳み箱を抱えたまま、半歩下がった。


「ハルキ。警戒態勢、入れとけ」


「まだ始まってない」


「始まる前から危ない時があるんだよ」


「二人とも、失礼じゃない?」


 ユイは振り返った。


 ハルキは否定しなかった。


 マルコも否定しなかった。


 二人とも、過去の記録を持っている。


「前例がある」


 ハルキが言った。


「複数な」


 マルコが足した。


「記録に残ってないなら、ないのと同じ」


「そういう時のユイは、だいたい記録に残せないことをしてる」


 マルコの言葉に、ユイは少しだけ口を尖らせた。


 その時、玄関側の認証表示が点灯した。


 来訪者認証。


 ゼノ・ユル・ヴァレン。


 リディア・プロクシスIX。


 ガイウス・プロクシスX。


 エリス・プロクシスX。


 ハルキは食卓を見た。


 狭い。


 だが、全員が顔を見られる距離ではある。


 扉が開いた。


 最初に入ってきたのはゼノだった。


 手には食料ケースが二つ。


 肩には保冷箱が一つ。


 大佐が部下の住居に来る量としては、多すぎる。


 遠慮という機能が、最初から搭載されていないようだった。


「邪魔するぞ」


「邪魔する気満々の量ですね」


 マルコが言った。


 ゼノは食料ケースを床へ置く。


「言っただろう。飯を食いに来ると」


「言いましたけど、普通は少し遠慮するんですよ」


「遠慮で腹は膨れん」


「そういうところですよ、親分」


 リディア、ガイウス、エリスが続いて入ってくる。


 三人とも、食事に来たというより、任務前確認に出頭したような姿勢だった。


 リディアは室内の配置を一度で見取り、ガイウスは入口と退路を確認し、エリスは音の数を測るように少し目を伏せた。


「入って。狭いけど」


 ハルキが言うと、リディアは頷いた。


「十分な空間」


 エリスが食卓を見る。


「椅子の数は、全員分ありますか」


「足りなかったら床」


 マルコが言った。


 エリスは真面目に考え込む。


「床に座る形式も、食事会として成立するのですか」


「成立させるんだよ」


 ゼノが当然のように返した。


 その雑さに、ハルキは少し息を漏らした。


 マルコは笑わず、壁際の監視端末へ視線を送る。


「大佐。うち、監視入ってますよ」


「知っている」


 ゼノは食料ケースを開けながら答えた。


「音声と映像は閉じた。入退室と緊急警報だけ残してある。外部通信の制限はそのままだ」


 ハルキは手を止めた。


 保護対象。


 客員。


 高価値エランテス。


 その言葉の裏に、監視対象という意味が含まれていることは、三人とも知っている。


 だが、それを誰かが閉じることは、ほとんどない。


「大佐権限って便利ですね」


 マルコが言った。


「部下に飯を食わせるために使うなら、悪くない権限だ」


「問題になりませんか」


「問題にする奴がいたら俺に回せ」


「軽いなあ」


「重く言えば許されるわけでもない」


 ゼノは保冷箱を開けた。


 冷気と一緒に、酒瓶の触れ合う音がした。


 ユイの動きが、わずかに速くなる。


 ハルキはそれを見た。


 マルコも見た。


 ゼノも見ていた。


「いい反応だな、ユイ。飲める口か」


「それなりです」


 ユイは平然と答える。


 マルコが即座に首を振った。


「大佐、その『それなり』は信用しないでください」


 ハルキも否定できなかった。


「前例がある」


「だから二人ともひどくない?」


 ゼノは楽しそうに笑った。


「いい。飲める奴がいる方が場は回る」


「回りすぎる場合があります」


 ハルキが言うと、ユイがこちらを見た。


「ハルキまで」


「経験則だ」


「それ、便利な言葉だよね」


「便利というより、必要な言葉だと思う」


 ゼノはグラスを一つ持ち上げた。


「作戦の話は、今は置け。食え。飲め。顔を見ろ」


 それが、この場の開始合図になった。


     *


 食料ケースが開き、簡易プレートが埋まっていく。


 酒が注がれる。


 最初にゼノが飲み、次にマルコが「では監査します」と言いながらグラスを傾けた。


 ユイはその横で、明らかに楽しそうにしている。


 リディアは、自分のグラスを見たまま動かなかった。


 上限は設定されない。


 自分で覚えろ。


 前にゼノが言った言葉を、まだ処理しているのだろう。


 ハルキは、リディアのグラスに少しだけ注がれているのを見た。


「少しずつでいいと思う」


 リディアは顔を上げた。


「そうする」


 短い返答だった。


 リディアはグラスを傾けた。


 ほんの少しだけ飲み、止まる。


「どう?」


 ユイが訊く。


 リディアは少し考えた。


「熱い。苦い。不快ではない」


「初回としては上出来」


 マルコが言う。


「評価基準が不明」


「不明なままでいいんだよ、こういうのは」


 ガイウスは飲む前に、グラスの中身を観察していた。


「摂取量と反応速度の変化を記録する必要がある」


「記録しながら飲めばいい」


 ユイが言う。


「それは適切なのか」


「今日はそういう日」


 ガイウスは沈黙した。


 それから、わずかにグラスを傾ける。


 表情はほとんど変わらない。


 ただ、眉間にほんの少しだけ処理の遅れが出た。


「どうだ、ガイウス」


 ゼノが訊く。


「分類中です」


「よし。分類しながら食え」


「了解しました」


 エリスは、最初の一口に長い時間をかけた。


 匂いを確かめ、唇に触れさせ、少量だけ飲む。


 それから、静かに瞬きをした。


「……嫌いではありません」


「よかった」


 ユイが笑う。


 エリスはその後、残りを少しずつ、しかし迷いなく飲み干した。


 空になったグラスを見てから、ユイへ差し出す。


「追加をお願いします」


 マルコが目を細めた。


「待て。今の速度、ユイより危なくないか」


「危険反応はありません」


「本人申告が一番信用ならないやつだ」


 エリスは首を傾げた。


「マルコの判定基準は厳しいですね」


「オレは生存率を上げようとしてるだけだ」


「では、少量でお願いします」


 ユイは嬉しそうに頷き、エリスのグラスに少しだけ追加した。


 それを見て、ゼノが笑う。


「いいな。飲める奴が増えた」


「大佐は本当に酒が好きなんですね」


 ユイが言った。


「好きだな。まずい酒でも、いい相手と飲めばそれなりになる」


「分かります」


「分かるのか」


「分かります」


 ユイの返事は早かった。


 ハルキとマルコは、同時に顔を見合わせた。


「始まったな」


 マルコが小さく言う。


「まだ第一段階だ」


 ハルキは答えた。


「第一段階とかある時点でおかしいんだよ」


 ユイの声は、少しだけ明るくなっていた。


 笑うまでの間が短い。


 言葉が軽い。


 まだ危険ではない。


 少なくとも、今すぐ誰かに絡みにいく段階ではない。


 ただ、ハルキは知っている。


 ここから先は、少し面倒になる。


 マルコもそれを知っている。


 ユイ本人だけが、たぶん認めていない。


「大佐」


 マルコが、ゼノの方を向いた。


「大佐権限で監視を閉じるって、普通にまずくないですか」


「まずいな」


 ゼノは食料を取り分けながら答えた。


「認めるんですか」


「必要ならな」


「軽いなあ」


「重く言えば許されるわけでもない」


「二回目です、それ」


「大事なことは何度でも言う」


 ゼノが笑う。


 その笑いに、場の声が少し増えた。


 リディアはまだグラスの中身を見ている。


 ガイウスは硬い姿勢のまま、食事には手をつけ始めた。


 エリスは二杯目を大事そうに持っている。


 ユイはゼノと酒の話を続け、マルコがその横で警戒を解かない。

挿絵(By みてみん)

 ハルキは、自分のグラスを見た。


 補給ではない。


 命令でもない。


 作戦に必要な工程でもない。


 それでも全員が、席にいる。


 作戦の話を置け、とゼノは言った。


 だが、この時間は作戦と無関係ではない。


 誰と帰るのか。


 誰の顔を覚えておくのか。


 たぶん、その確認だった。


     *


 一杯目を終える頃には、ユイの声はさらに少し高くなっていた。


 ハルキはそれを知っている。


 マルコも知っている。


 ここから先が、少し面倒になることも。


 そして、面倒な時間ほど、あとで妙に残ることも。


 リディアは、まだそれを知らない。


 エリスも、ガイウスも。


 ゼノだけが、最初から全部承知しているように、楽しそうに笑っていた。


 ガイウスは、その笑い声を聞きながら、食卓を見た。


 ハルキ。


 マルコ。


 ユイ。


 リディア。


 エリス。


 ゼノ。


 識別名ではない。


 防護対象一覧でもない。


 制圧条件でもない。


 ただ、同じ卓にいる者たちの顔だった。


 ラドゥスの命令は、まだ消えていない。


 必要時には排除も許可する。


 その文言は、ガイウスの内部に残っている。


 だが、今この場で、秘匿命令の該当条件は成立していない。


 誰も敵性反応ではない。


 誰も制圧対象ではない。


 リディアは、苦い酒を不快ではないと言った。


 エリスは、二杯目を両手で持っている。


 ハルキは、ユイの声の高さを警戒している。


 マルコは、警戒しているふりをしながら、少しだけ笑っている。


 ゼノは、全員の顔を見ている。


 ガイウスは、ゆっくり息を吐いた。


 作戦記録には残らない。


 戦術値にも変換できない。


 けれど、守る対象を定義するには、十分な情報だった。


 食卓の上で、誰かが笑った。


 その声が、しばらく残った。


ここまで張り詰めた話が続いたので、今回は少しだけ空気の違う回でした。

作戦前の食卓で、彼らが何を見て、何を覚えていくのか。

次回は、この時間の意味がもう少し形になります。


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