第39話 盾が守るもの
共同兵器研究室の扉は、開いたままだった。
中から、低い機械音が漏れている。
出力試験ではない。戦闘兵装を起動する前の、もっと細い音だった。媒介層を冷却し、記録波形を照合し、誤差だけを削っていく音。
ガイウスは入口で、一度だけ足を止めた。
異常反応なし。
敵性反応なし。
秘匿命令の該当条件、未成立。
そこまで処理してから、自分が何を確認したのかに気づいた。
ハルキとマルコを、脅威条件で照合していた。
ガイウスは手を握った。
震えはない。
それでも、正しい状態ではなかった。
「遅いぞ、重装甲」
マルコの声が飛んできた。
作業台の向こうで、彼は端末を二枚並べている。片方には《タケミカヅチ》の出力ログ。もう片方には、ガイウス隊の防護圏展開データが映っていた。
ハルキはその隣に立ち、無言で波形を追っている。
目だけが動いている。
戦場ではない場所でも、彼は何かを見ていた。
「呼び出したのはお前だ、マルコ」
「だから来るのが遅いって言ってんだよ」
「所要時間は標準範囲内だ」
「そういう返しをする時点で、顔が硬い」
マルコは椅子ごと振り向いた。
「お前、今日どうした。装甲より表情筋の方が重いぞ」
「表情筋に重量はない」
「うわ、最悪の返答」
いつもの軽口だった。
意味のない会話。
任務に必要のない応答。
だが、ガイウスはその無駄を、不要だと判断できなかった。
ハルキが端末から目を上げる。
「ガイウス」
「何だ」
「さっきの通信の後から、少し反応が変わっている」
ガイウスは返答を用意した。
問題ない。
任務に支障はない。
処理に遅延はない。
どれも言える。
どれも、正しい形をしている。
「作戦前だ。緩む理由がない」
選んだのは、それだった。
ハルキはすぐには答えなかった。
問い詰めない。
だが、見逃してもいない。
その沈黙の方が、問いよりも処理しにくかった。
「まあ、作戦前に緩みっぱなしなのは、それはそれで怖いけどな」
マルコが端末を軽く叩く。
「で、来てもらった理由はこれだ。ガイウス隊の防護圏と、リディアの《タケミカヅチ》の干渉ログ。前回より噛み合ってる。噛み合いすぎてる」
「問題か」
「問題になる前に見るのが、オレたちの仕事」
画面に、二つの波形が重ねられる。
《タケミカヅチ》の位相干渉。
ガイウス隊の防護圏。
通常なら、攻撃系と防護系は互いに干渉を避けるよう制御される。だが、今回の波形は、一瞬だけ同じ場所を見ていた。
切るための雷。
守るための壁。
その二つが、同じ対象を認識している。
マルコは指で波形を拡大した。
「防護圏ってのはさ、雑に言えば味方を守って敵を弾く。だけど実際は、そんな単純じゃない。守る対象をどう定義するかで、反応が変わる」
「識別信号、所属、位置、任務権限、敵性反応値」
ガイウスは即答した。
「防護対象は、命令と識別で定義される」
「そう。普通はな」
マルコの軽さが、少しだけ引いた。
「じゃあ、その命令が現場に追いつかなかったら?」
ガイウスは答えなかった。
「通信が切れる。味方識別が遅れる。敵性反応が混じる。守るべき相手が、システム上は危険寄りに振れる。そういう時、防護圏はどう判断する」
「現場指揮官の判断を優先する」
「指揮官もいなかったら?」
「隊長判断」
「隊長判断も割れたら?」
ガイウスは、そこでマルコを見た。
マルコは笑っていなかった。
「技術的な確認だ。変な意味じゃない」
変な意味ではない。
だが、命令はそこにあった。
ハルキ。
リディア。
制圧。
排除。
守る対象が、危険対象に変わる条件。
それは、すでにガイウスの中に入力されている。
「割れないようにする」
ガイウスは答えた。
「防護役は、割れた判断を戦場へ持ち込まない」
「優等生だな」
「必要なことだ」
「ああ。たぶん必要だ」
マルコは椅子の背に体を預けた。
「でも、必要なことだけで人が帰れるなら、オレたちはこんな面倒な調整してねえよ」
ガイウスは端末を見る。
波形は整っている。
整っているほど、不安定に見えた。
ハルキが静かに言った。
「現場でしか分からないことがある」
ガイウスは視線を向けた。
ハルキは、まだ波形を見ている。
「命令は必要だ。数字も必要だ。でも、全部はそこに入らない。第65次の地下反応もそうだった。ログには残っていた。でも、最初に見えたのは違和感だった」
「それで判断を変えるのか」
「変える時もある」
ハルキは顔を上げた。
「変えないと、見落とすものがある」
「見落とせば、部隊が死ぬ」
「見落とさなくても、死ぬことはある」
その言葉は静かだった。
責める響きはなかった。
だからこそ、ガイウスには重かった。
ハルキは続けた。
「だから、誰かが見ていないといけない。前だけじゃなく、後ろも」
ガイウスの手が、わずかに止まった。
「ガイウスは、いつも後ろを見ている」
ハルキは言った。
「置いていく場所を探しているんじゃない。戻る場所を見ている」
室内の機械音が、細く続いている。
マルコは何も言わなかった。
ガイウスは返答を探した。
適切な応答はある。
任務だからだ。
防護役だからだ。
隊の損耗率を抑えるためだ。
どれも正しい。
だが、今の答えにはならなかった。
「俺は」
声が出た。
その先が続かなかった。
ガイウスは息を整える。
「俺は、防護特化個体だ」
「うん」
ハルキは否定しなかった。
「それ以外の判断は、得意ではない」
「得意じゃなくても、してるだろ」
マルコが言った。
「お前、自分で思ってるより面倒見いいぞ。機械なら、もっと楽だったのにな」
「自分を機械ではないと定義する根拠はない」
「あるだろ」
「何だ」
「オレの軽口を毎回ちゃんと処理する機械なんて、欠陥品だ」
ハルキがわずかに息を漏らした。
笑ったのか、呆れたのかは判別できなかった。
ガイウスはマルコを見る。
「それは、根拠として不十分だ」
「じゃあ十分な根拠は、そのうち現場で拾え」
マルコは端末を閉じた。
「少なくとも、オレはお前の防護圏、信用してる。ハルキもそうだろ」
「うん」
ハルキは短く頷いた。
「ガイウスが後ろにいるなら、前を見られる」
その言葉は、命令ではなかった。
任務でもない。
識別項目にも入らない。
記録に残しても、戦術値には変換できない。
それでも、ガイウスの中に残った。
通信が入った。
ゼノ大佐からの招集だった。
宛先は、オルフェウス特務職員および各隊長。
ハルキ、ユイ、マルコ。
リディア、ガイウス、エリス。
作戦の中核だけを集める、最終確認だった。
マルコが端末に目をやる。
「おっと、親分がお呼びだ」
ガイウスは立ち上がった。
「行く」
ハルキが言った。
「ガイウス」
「何だ」
「無理をするな」
「任務上、必要な負荷は許容する」
「そうじゃない」
ハルキはそこで言葉を止めた。
踏み込まない。
その距離を、ガイウスは理解した。
理解して、答えられなかった。
「……確認しておく」
それだけ返した。
*
研究室を出たところで、廊下の向こうから三人が来た。
ユイ。
リディア。
エリス。
三人も、同じ招集を受けていた。
「ちょうどよかった」
ユイが端末を掲げる。
「全員、呼ばれてる」
マルコが肩をすくめた。
「じゃあ、揃って怒られに行くか」
「怒られる内容ではないと思います」
エリスが真面目に返す。
「そういう時ほど怒られるんだよ」
リディアは短く言った。
「移動する」
六人で、会議室へ向かった。
会議室には、ゼノがいた。
壁面には《ユグドラシル・コア》周辺図。
進入経路、退避経路、通信中継点、負傷者回収候補地点。
ゼノは六人を見た。
「揃ったな」
それだけで、室内の空気が切り替わった。
「最終確認を行う。作戦目標は、旧テラ連邦最大要塞中枢への到達。これは変わらん」
ゼノはまずリディアを見た。
「ユイ。全隊の損耗率を見ろ。ただし、数字だけ見るな。数字になる前の崩れを拾え」
「はい」
「マルコ。通信と兵装ログを見ろ。お前の悪趣味な仕込みでも何でも使え。切れた線を一本でも戻せ」
「悪趣味は余計ですけど、了解」
「ハルキ。お前は現地反応を見ろ。敵だけじゃない。違和感を見落とすな」
「分かりました」
「リディア。お前は最短経路を開け」
「了解」
「エリス。お前は全域を聴け。通信が落ちても、音は残る。拾えるものは全部拾え」
「了解しました」
最後に、ゼノの視線がガイウスへ移った。
「ガイウス」
「はい」
「お前は退路を維持しろ」
「了解しました」
「違う。今のは形式だ」
ゼノの声が少し低くなった。
「俺が言っているのは、書類上の任務じゃない」
ガイウスは沈黙した。
ゼノは続ける。
「勝つだけなら、前へ出ればいい。だが、帰るつもりがない前進は、突撃ではなく廃棄だ。俺は部下を廃棄するために降ろすんじゃない」
ラドゥスの声が、ガイウスの中で重なる。
必要な間は使う。
危険になれば止める。
「ガイウス。お前の役目は、道を塞ぐことじゃない。帰る道を残すことだ」
「……了解しました」
「負傷者を拾え。通信不能になった隊を切るな。判断が割れた時は、生きて戻る方を選べ」
判断が割れた時。
ガイウスは、その言葉を処理した。
割れる。
すでに、割れている。
「それが作戦成功率を下げる場合でも、ですか」
口に出してから、自分の問いが通常より踏み込んでいると分かった。
リディアがわずかにこちらを見た。
エリスも、何かを聞き取るように目を伏せた。
ゼノは笑わなかった。
「下げないようにするのが俺の仕事だ」
短い答えだった。
「それでも選ぶ必要が出たら、俺の命令を優先しろ」
「命令内容を確認します」
「全員を帰せ」
ゼノは言った。
「無理なら、一人でも多く帰せ。数字で拾えない奴も拾え。作戦記録に載らない声も拾え。お前はそのための盾だ」
盾。
同じ言葉だった。
ラドゥスとゼノは、同じ語を使った。
だが、向いている方向が違った。
不要なものを押し戻すための盾。
帰る道を残すための盾。
ガイウスは敬礼した。
「命令を受領します」
今度は、遅れなかった。
最終確認は、それで終わった。
六人はそれぞれ敬礼し、端末へ確認済みの署名を送る。
その空気を、ゼノが片手で払った。
「で、ここからは別件だ」
マルコが眉を上げる。
「今ので終わりじゃないんですか」
「今のは作戦確認だ。こっちは現場指示だ」
「現場指示」
「お前らの家は空いてるか」
一瞬、誰も答えなかった。
ガイウスにも、命令の意味が処理できなかった。
最初に反応したのはユイだった。
「……お前らの家、というのは、私たち三人の住居ですか」
「そうだ。ハルキ、ユイ、マルコ。お前らの部屋だ」
マルコが嫌な予感を処理するように目を細めた。
「ゼノ大佐。まさかとは思いますけど、上官が部下の家へ押しかける話ですか」
「押しかけるんじゃない。飯を食いに行く」
「それを押しかけるって言うんですよ」
ゼノは笑った。
「飯を食う。酒も飲む」
当然のように言った。
「飯だけじゃ締まらん。俺が飲みたい」
ユイの目が、一瞬だけ明るくなった。
すぐに端末を見るふりで隠したが、マルコだけはそれを見逃さなかった。
「……ユイ、お前、今ちょっと嬉しそうだったな」
「気のせい」
「隠す気あるのか」
一方で、リディア、ガイウス、エリスの反応だけが遅れた。
禁止ではない。
摂取不能でもない。
ただ、命令でも補給でもない酒を、どう処理すればいいのか分からない。
リディアが、わずかに首を傾けた。
「飲酒は、任務前行動として適切ですか」
「適切じゃない量まで飲まなければ問題ない。だから加減を覚えろ」
エリスが小さく手を上げた。
「飲酒量の上限は、事前に設定されますか」
「されない」
「……されないのですか」
「自分で覚えろ」
ゼノは声を太くして笑った。
「潰れるまで飲む奴は、俺が叩き起こす」
マルコが小さく息を吐いた。
「本当に押しかける気だ、この人」
「聞こえているぞ」
「聞こえるように言いました」
ゼノは楽しそうに笑った。
それから、六人を見た。
「いいか。祝宴じゃない。景気づけでもない。浮かれる余裕があるなら、寝ろ」
そこで、声が少しだけ太くなる。
「ただ、帰る相手の顔くらい覚えてから行け」
それは命令ではなかった。
だから、作戦記録には残らない。
だが、ガイウスの中には残った。
ラドゥスの命令。
ゼノの命令。
そして、命令ではない食事の約束。
オルフェウス発動まで、まだ少しある。
誰と帰るのか。
その確認だけが、まだ終わっていなかった。
第39話をお読みいただきありがとうございます。
前回に続き、ガイウス視点の後半です。
命令としての「盾」と、帰るための「盾」。
同じ言葉でも、誰が言うかで意味が変わる回になりました。
次回は、作戦前の短い食事の時間へ。
少しだけ空気は緩みますが、《オルフェウス》は確実に近づいています。
続きが気になると思っていただけましたら、評価・ブックマークで応援していただけると励みになります。
Xでは設定断片や制作メモも公開しています。




