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その果てに、月は神を観る 〜記憶を失った青年と兵器少女は、滅びた地球の真実へ降りる〜  作者: 大導ユウ
第16章 盾は誰のために

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第39話 盾が守るもの

 共同兵器研究室の扉は、開いたままだった。


 中から、低い機械音が漏れている。


 出力試験ではない。戦闘兵装を起動する前の、もっと細い音だった。媒介層を冷却し、記録波形を照合し、誤差だけを削っていく音。


 ガイウスは入口で、一度だけ足を止めた。


 異常反応なし。


 敵性反応なし。


 秘匿命令の該当条件、未成立。


 そこまで処理してから、自分が何を確認したのかに気づいた。


 ハルキとマルコを、脅威条件で照合していた。


 ガイウスは手を握った。


 震えはない。


 それでも、正しい状態ではなかった。


「遅いぞ、重装甲」


 マルコの声が飛んできた。


 作業台の向こうで、彼は端末を二枚並べている。片方には《タケミカヅチ》の出力ログ。もう片方には、ガイウス隊の防護圏展開データが映っていた。


 ハルキはその隣に立ち、無言で波形を追っている。


 目だけが動いている。


 戦場ではない場所でも、彼は何かを見ていた。


「呼び出したのはお前だ、マルコ」


「だから来るのが遅いって言ってんだよ」


「所要時間は標準範囲内だ」


「そういう返しをする時点で、顔が硬い」


 マルコは椅子ごと振り向いた。


「お前、今日どうした。装甲より表情筋の方が重いぞ」


「表情筋に重量はない」


「うわ、最悪の返答」


 いつもの軽口だった。


 意味のない会話。


 任務に必要のない応答。


 だが、ガイウスはその無駄を、不要だと判断できなかった。


 ハルキが端末から目を上げる。


「ガイウス」


「何だ」


「さっきの通信の後から、少し反応が変わっている」


 ガイウスは返答を用意した。


 問題ない。


 任務に支障はない。


 処理に遅延はない。


 どれも言える。


 どれも、正しい形をしている。


「作戦前だ。緩む理由がない」


 選んだのは、それだった。


 ハルキはすぐには答えなかった。


 問い詰めない。


 だが、見逃してもいない。


 その沈黙の方が、問いよりも処理しにくかった。


「まあ、作戦前に緩みっぱなしなのは、それはそれで怖いけどな」


 マルコが端末を軽く叩く。


「で、来てもらった理由はこれだ。ガイウス隊の防護圏と、リディアの《タケミカヅチ》の干渉ログ。前回より噛み合ってる。噛み合いすぎてる」


「問題か」


「問題になる前に見るのが、オレたちの仕事」


 画面に、二つの波形が重ねられる。


 《タケミカヅチ》の位相干渉。


 ガイウス隊の防護圏。


 通常なら、攻撃系と防護系は互いに干渉を避けるよう制御される。だが、今回の波形は、一瞬だけ同じ場所を見ていた。


 切るための雷。


 守るための壁。


 その二つが、同じ対象を認識している。


 マルコは指で波形を拡大した。


「防護圏ってのはさ、雑に言えば味方を守って敵を弾く。だけど実際は、そんな単純じゃない。守る対象をどう定義するかで、反応が変わる」


「識別信号、所属、位置、任務権限、敵性反応値」


 ガイウスは即答した。


「防護対象は、命令と識別で定義される」


「そう。普通はな」


 マルコの軽さが、少しだけ引いた。


「じゃあ、その命令が現場に追いつかなかったら?」


 ガイウスは答えなかった。


「通信が切れる。味方識別が遅れる。敵性反応が混じる。守るべき相手が、システム上は危険寄りに振れる。そういう時、防護圏はどう判断する」


「現場指揮官の判断を優先する」


「指揮官もいなかったら?」


「隊長判断」


「隊長判断も割れたら?」


 ガイウスは、そこでマルコを見た。


 マルコは笑っていなかった。


「技術的な確認だ。変な意味じゃない」


 変な意味ではない。


 だが、命令はそこにあった。


 ハルキ。


 リディア。


 制圧。


 排除。


 守る対象が、危険対象に変わる条件。


 それは、すでにガイウスの中に入力されている。


「割れないようにする」


 ガイウスは答えた。


「防護役は、割れた判断を戦場へ持ち込まない」


「優等生だな」


「必要なことだ」


「ああ。たぶん必要だ」


 マルコは椅子の背に体を預けた。


「でも、必要なことだけで人が帰れるなら、オレたちはこんな面倒な調整してねえよ」


 ガイウスは端末を見る。


 波形は整っている。


 整っているほど、不安定に見えた。


 ハルキが静かに言った。


「現場でしか分からないことがある」


 ガイウスは視線を向けた。


 ハルキは、まだ波形を見ている。


「命令は必要だ。数字も必要だ。でも、全部はそこに入らない。第65次の地下反応もそうだった。ログには残っていた。でも、最初に見えたのは違和感だった」


「それで判断を変えるのか」


「変える時もある」


 ハルキは顔を上げた。


「変えないと、見落とすものがある」


「見落とせば、部隊が死ぬ」


「見落とさなくても、死ぬことはある」


 その言葉は静かだった。


 責める響きはなかった。


 だからこそ、ガイウスには重かった。


 ハルキは続けた。


「だから、誰かが見ていないといけない。前だけじゃなく、後ろも」


 ガイウスの手が、わずかに止まった。


「ガイウスは、いつも後ろを見ている」


 ハルキは言った。


「置いていく場所を探しているんじゃない。戻る場所を見ている」


 室内の機械音が、細く続いている。


 マルコは何も言わなかった。


 ガイウスは返答を探した。


 適切な応答はある。


 任務だからだ。


 防護役だからだ。


 隊の損耗率を抑えるためだ。


 どれも正しい。


 だが、今の答えにはならなかった。


「俺は」


 声が出た。


 その先が続かなかった。


 ガイウスは息を整える。


「俺は、防護特化個体だ」


「うん」


 ハルキは否定しなかった。


「それ以外の判断は、得意ではない」


「得意じゃなくても、してるだろ」


 マルコが言った。


「お前、自分で思ってるより面倒見いいぞ。機械なら、もっと楽だったのにな」


「自分を機械ではないと定義する根拠はない」


「あるだろ」


「何だ」


「オレの軽口を毎回ちゃんと処理する機械なんて、欠陥品だ」


 ハルキがわずかに息を漏らした。


 笑ったのか、呆れたのかは判別できなかった。


 ガイウスはマルコを見る。


「それは、根拠として不十分だ」


「じゃあ十分な根拠は、そのうち現場で拾え」


 マルコは端末を閉じた。


「少なくとも、オレはお前の防護圏、信用してる。ハルキもそうだろ」


「うん」


 ハルキは短く頷いた。


「ガイウスが後ろにいるなら、前を見られる」


 その言葉は、命令ではなかった。


 任務でもない。


 識別項目にも入らない。


 記録に残しても、戦術値には変換できない。


 それでも、ガイウスの中に残った。


 通信が入った。


 ゼノ大佐からの招集だった。


 宛先は、オルフェウス特務職員および各隊長。


 ハルキ、ユイ、マルコ。


 リディア、ガイウス、エリス。


 作戦の中核だけを集める、最終確認だった。


 マルコが端末に目をやる。


「おっと、親分がお呼びだ」


 ガイウスは立ち上がった。


「行く」


 ハルキが言った。


「ガイウス」


「何だ」


「無理をするな」


「任務上、必要な負荷は許容する」


「そうじゃない」


 ハルキはそこで言葉を止めた。


 踏み込まない。


 その距離を、ガイウスは理解した。


 理解して、答えられなかった。


「……確認しておく」


 それだけ返した。


     *


 研究室を出たところで、廊下の向こうから三人が来た。


 ユイ。


 リディア。


 エリス。


 三人も、同じ招集を受けていた。


「ちょうどよかった」


 ユイが端末を掲げる。


「全員、呼ばれてる」


 マルコが肩をすくめた。


「じゃあ、揃って怒られに行くか」


「怒られる内容ではないと思います」


 エリスが真面目に返す。


「そういう時ほど怒られるんだよ」


 リディアは短く言った。


「移動する」


 六人で、会議室へ向かった。


 会議室には、ゼノがいた。


 壁面には《ユグドラシル・コア》周辺図。


 進入経路、退避経路、通信中継点、負傷者回収候補地点。


 ゼノは六人を見た。


「揃ったな」


 それだけで、室内の空気が切り替わった。


「最終確認を行う。作戦目標は、旧テラ連邦最大要塞ユグドラシル・コア中枢への到達。これは変わらん」


 ゼノはまずリディアを見た。


「ユイ。全隊の損耗率を見ろ。ただし、数字だけ見るな。数字になる前の崩れを拾え」


「はい」


「マルコ。通信と兵装ログを見ろ。お前の悪趣味な仕込みでも何でも使え。切れた線を一本でも戻せ」


「悪趣味は余計ですけど、了解」


「ハルキ。お前は現地反応を見ろ。敵だけじゃない。違和感を見落とすな」


「分かりました」


「リディア。お前は最短経路を開け」


「了解」


「エリス。お前は全域を聴け。通信が落ちても、音は残る。拾えるものは全部拾え」


「了解しました」


 最後に、ゼノの視線がガイウスへ移った。


「ガイウス」


「はい」


「お前は退路を維持しろ」


「了解しました」


「違う。今のは形式だ」


 ゼノの声が少し低くなった。


「俺が言っているのは、書類上の任務じゃない」


 ガイウスは沈黙した。


 ゼノは続ける。


「勝つだけなら、前へ出ればいい。だが、帰るつもりがない前進は、突撃ではなく廃棄だ。俺は部下を廃棄するために降ろすんじゃない」


 ラドゥスの声が、ガイウスの中で重なる。


 必要な間は使う。


 危険になれば止める。


「ガイウス。お前の役目は、道を塞ぐことじゃない。帰る道を残すことだ」


「……了解しました」


「負傷者を拾え。通信不能になった隊を切るな。判断が割れた時は、生きて戻る方を選べ」


 判断が割れた時。


 ガイウスは、その言葉を処理した。


 割れる。


 すでに、割れている。


「それが作戦成功率を下げる場合でも、ですか」


 口に出してから、自分の問いが通常より踏み込んでいると分かった。


 リディアがわずかにこちらを見た。


 エリスも、何かを聞き取るように目を伏せた。


 ゼノは笑わなかった。


「下げないようにするのが俺の仕事だ」


 短い答えだった。


「それでも選ぶ必要が出たら、俺の命令を優先しろ」


「命令内容を確認します」


「全員を帰せ」


 ゼノは言った。


「無理なら、一人でも多く帰せ。数字で拾えない奴も拾え。作戦記録に載らない声も拾え。お前はそのための盾だ」


 盾。


 同じ言葉だった。


 ラドゥスとゼノは、同じ語を使った。


 だが、向いている方向が違った。


 不要なものを押し戻すための盾。


 帰る道を残すための盾。


 ガイウスは敬礼した。


「命令を受領します」


 今度は、遅れなかった。


 最終確認は、それで終わった。


 六人はそれぞれ敬礼し、端末へ確認済みの署名を送る。


 その空気を、ゼノが片手で払った。


「で、ここからは別件だ」


 マルコが眉を上げる。


「今ので終わりじゃないんですか」


「今のは作戦確認だ。こっちは現場指示だ」


「現場指示」


「お前らの家は空いてるか」


 一瞬、誰も答えなかった。


 ガイウスにも、命令の意味が処理できなかった。


 最初に反応したのはユイだった。


「……お前らの家、というのは、私たち三人の住居ですか」


「そうだ。ハルキ、ユイ、マルコ。お前らの部屋だ」


 マルコが嫌な予感を処理するように目を細めた。


「ゼノ大佐。まさかとは思いますけど、上官が部下の家へ押しかける話ですか」


「押しかけるんじゃない。飯を食いに行く」


「それを押しかけるって言うんですよ」


 ゼノは笑った。


「飯を食う。酒も飲む」


 当然のように言った。


「飯だけじゃ締まらん。俺が飲みたい」


 ユイの目が、一瞬だけ明るくなった。


 すぐに端末を見るふりで隠したが、マルコだけはそれを見逃さなかった。


「……ユイ、お前、今ちょっと嬉しそうだったな」


「気のせい」


「隠す気あるのか」


 一方で、リディア、ガイウス、エリスの反応だけが遅れた。


 禁止ではない。


 摂取不能でもない。


 ただ、命令でも補給でもない酒を、どう処理すればいいのか分からない。


 リディアが、わずかに首を傾けた。


「飲酒は、任務前行動として適切ですか」


「適切じゃない量まで飲まなければ問題ない。だから加減を覚えろ」


 エリスが小さく手を上げた。


「飲酒量の上限は、事前に設定されますか」


「されない」


「……されないのですか」


「自分で覚えろ」


 ゼノは声を太くして笑った。


「潰れるまで飲む奴は、俺が叩き起こす」


 マルコが小さく息を吐いた。


「本当に押しかける気だ、この人」


「聞こえているぞ」


「聞こえるように言いました」


 ゼノは楽しそうに笑った。


 それから、六人を見た。


「いいか。祝宴じゃない。景気づけでもない。浮かれる余裕があるなら、寝ろ」


 そこで、声が少しだけ太くなる。


「ただ、帰る相手の顔くらい覚えてから行け」


 それは命令ではなかった。


 だから、作戦記録には残らない。


 だが、ガイウスの中には残った。


 ラドゥスの命令。


 ゼノの命令。


 そして、命令ではない食事の約束。


 オルフェウス発動まで、まだ少しある。


 誰と帰るのか。


 その確認だけが、まだ終わっていなかった。


第39話をお読みいただきありがとうございます。


前回に続き、ガイウス視点の後半です。

命令としての「盾」と、帰るための「盾」。

同じ言葉でも、誰が言うかで意味が変わる回になりました。


次回は、作戦前の短い食事の時間へ。

少しだけ空気は緩みますが、《オルフェウス》は確実に近づいています。


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