第38話 盾に与えられた命令
第16章 盾は誰のために
作戦計画の最終版には、余白がなかった。
リディア隊は突入。
エリス隊は観測と狙撃補正。
ガイウス隊は防護、撤退路維持、負傷者回収。
配置だけを見れば、これまでの役割分担と大きくは変わらない。
だが、端末上の線は以前より深く、冷たく見えた。各隊の進路は旧テラ連邦最大要塞周辺で分かれ、地下へ降りるほど通信遅延は増す。
分断される可能性は高い。
それでも、プランAは採用された。
全体の帰還率を、最も大きく損なわない案。
ガイウスはその数値を見た。
異論はなかった。
防護個体として、撤退路を維持する。
負傷者を拾う。
後続を帰す。
自分に与えられた機能と、命令内容は一致している。
そのはずだった。
端末の下層には、不採用案が残されていた。
ガイウスは表示を閉じた。
秘匿通信が入ったのは、その直後だった。
通常の作戦系統ではない。
発信権限は、軍事執政官府上位系統。
署名、封鎖。
発信者名、非開示。
宛先は、ガイウス・プロクシスX個体識別番号のみ。
隊長用共有端末ではなく、個体認証を要求する閉鎖回線だった。
ガイウスは一度だけ時刻を確認した。
出撃までは、まだ数日ある。
最終調整期間。
各隊が装備、通信、薬剤、退避経路を詰める段階だ。
だが、上位命令は成立していた。
誰からの命令かは、表示されていない。
そのこと自体が、通常ではなかった。
*
指定された区画は、アルマダ・ルナリス作戦棟の奥にあった。
隊長会議室でも、ゼノ大佐の執務区画でもない。
認証経路は、現場指揮系統を迂回していた。
白い通路だった。
セレーネの施設は、どこも白い。
だが、この区画の白さは、清潔ではなく遮断を意味していた。
足音が吸われる。
壁面表示は最小限。
通行認証の光だけが、無音でガイウスの身体をなぞった。
第一認証。
第二認証。
個体識別。
命令記録接続、遮断。
通常の任務ログに残さないための処理。
ガイウスは、それを理解した。
理解したことを、表情には出さなかった。
扉が開いた。
室内には、ひとりだけいた。
ガイウスは、即座に敬礼しなかった。
遅れは一拍未満。
戦闘中なら誤差として処理される時間だった。
だが、命令受領の場では異常だった。
ラドゥス・カーネル。
セレーネ最高意思決定機関シノドゥス第二執政官。
セレーネ統合軍と《アルマダ・ルナリス》を統括する者。
月の軍事権限を握る、最高権力者の一人。
その人物が、窓のない部屋で、ガイウス一体を待っていた。
「来たか、ガイウス・プロクシスX」
ラドゥスは座っていなかった。
壁面に投影された作戦図の前に立ち、振り返るまでの間にも、相手を確認する必要を感じていないようだった。
ガイウスは敬礼した。
「出頭しました。ラドゥス第二執政官」
「記録は残らない」
挨拶の前に、ラドゥスはそう告げた。
「この通信、この面会、この命令は、通常作戦記録には接続されない。貴官の個体内部記録にも、標準形式では保存されない」
「了解しました」
「疑問は」
「ありません」
答えは即時に出た。
プロクシスは命令を受ける。
命令系統が上位である限り、疑問はまず保留される。
確認すべきは、命令の正当性ではなく、実行条件だ。
ラドゥスが、そこで初めてガイウスを見た。
冷たい目だった。
怒りではない。
嫌悪でもない。
兵器性能を確認する技官の目に近い。
「《オルフェウス・ディセント》において、貴官には通常任務とは別に、秘匿任務を付与する」
「内容を確認します」
「対象は二名」
作戦図から、二つの識別枠が切り出された。
エランテス・ハルキ。
リディア・プロクシスIX。
ガイウスの視線が、そこで止まった。
止まった時間は一秒未満だった。
だが、内部処理は遅延を記録した。
「両名を監視せよ」
ラドゥスは続けた。
「ハルキは高価値エランテスとして扱われている。だが、出自、記憶、技術系統のいずれも完全に解明されていない。《タケミカヅチ》開発以後、彼の解析能力は作戦上有用であると同時に、管理上の不確定要素となった」
ガイウスは黙って聞いた。
ハルキ。
戦闘員ではない男。
だが、戦場の反応を読む。
誰も見ていない異常を見る。
第65次作戦で彼が示した地下反応への違和感は、まだ作戦記録に残っている。
「リディア・プロクシスIXは、第九系列特異個体である。兵装適合、戦闘判断、エーテル反応のいずれも通常個体の範囲を超える。戦力としては有用だ。だからこそ、逸脱時の損害は大きい」
有用。
逸脱。
損害。
分類語が並ぶ。
リディアの名は、その間に置かれていた。
「作戦中、両名がセレーネ覇権機構の安全保障秩序、または作戦遂行に対して重大危険を生じた場合、貴官は制圧を行え」
「制圧条件を確認します」
「命令違反。敵性反応との接続。作戦中枢への無許可干渉。機密情報の外部流出。ならびに、現場指揮官による制御不能と判断される行動」
「現場指揮官とは、ゼノ大佐を指しますか」
「表向きはそうだ」
表向き。
その語だけが、室内の温度を一段下げた。
「本命令においては、貴官の判断も含む」
「自分の判断で、両名を制圧する権限が与えられるという理解でよろしいですか」
「必要時には」
ラドゥスは一拍置いた。
「排除も許可する」
ガイウスは復唱しなかった。
復唱すべきだった。
命令の受領には、確認が必要だ。
条件。
対象。
権限。
秘匿範囲。
それらを声に出し、成立させる。
だが、音声出力が遅れた。
ハルキ。
リディア。
排除対象。
三つの項目が、同じ欄に収まらなかった。
「聞こえなかったか」
「いいえ」
ガイウスは背筋を伸ばした。
「対象二名。エランテス・ハルキ、リディア・プロクシスIX。作戦中に重大危険を生じた場合、制圧を実行。必要時には排除を許可。命令は秘匿。通常作戦記録には接続しない」
「正しい」
ラドゥスは満足を示さなかった。
ただ、確認項目を一つ消しただけのように、投影表示を閉じた。
「貴官は防御特化個体だ。だから選んだ」
「防御特化個体は、対象を守るために配置されます」
「違う」
ラドゥスの否定は短かった。
「盾とは、守るためだけのものではない。不要なものを押し戻すためにもある」
ガイウスはその言葉を処理した。
盾。
防護圏。
撤退路維持。
負傷者回収。
制圧。
排除。
同じ機能から派生する語だった。
防ぐこと。
止めること。
遮ること。
押し戻すこと。
ならば、守ることと排除することは、どこで分かれるのか。
「貴官に求めるのは、感情判断ではない」
ラドゥスは言った。
「戦場で有用な道具は、常に危険な道具でもある。ハルキも、リディアも例外ではない。必要な間は使う。危険になれば止める。それだけだ」
「……了解しました」
「遅いな」
「処理を確認していました」
「ならば確認を終えろ」
「はい」
ガイウスは敬礼した。
遅れはなかった。
少なくとも、外形上は。
「命令を受領します」
「よろしい」
ラドゥスは扉へ視線を向けた。
面会は終了だった。
「ガイウス」
「はい」
「ゼノ大佐には知らせるな。彼は優秀な現場指揮官だが、優秀であるがゆえに、回収不能なものまで拾おうとする」
ガイウスは答えなかった。
ゼノが何を拾おうとするのか、説明されるまでもなかった。
部下。
負傷者。
壊れた隊列。
戻れない者。
そして、おそらく、ハルキやリディアも。
「貴官は盾だ」
ラドゥスは最後にそう言った。
「盾は、迷うな」
*
部屋を出たあと、通路の白さが戻った。
音はない。
余計な情報もない。
視界は明瞭。
脅威反応もない。
それでも、ガイウスの内部処理は戻らなかった。
右手の指が、わずかに動いた。
損傷ではない。
神経系異常でもない。
外装圧に問題なし。
関節駆動、正常。
反応速度、基準内。
それでも、手は震えていた。
ガイウスは拳を握る。
震えは止まった。
命令は残った。
待機区画へ戻る途中、作戦棟の壁面に各隊の最終調整状況が流れていた。
リディア隊、近接装備確認中。
エリス隊、観測同期補正中。
ガイウス隊、防護圏展開試験完了。
ハルキ、現地反応解析ログ更新。
マルコ、兵装媒介層調整。
すべてが、作戦へ向かって整っていく。
整いすぎていた。
ガイウスは足を止めなかった。
止まれば、考える。
考えれば、命令が二つに割れる。
ラドゥスの命令。
ゼノの命令。
まだゼノから正式な最終指示は出ていない。
だが、内容は分かる。
帰せ。
あの男は、きっとそう言う。
撤退路を維持しろ。
負傷者を拾え。
後続を置いていくな。
勝利ではなく、生還を数えろ。
その命令と、先ほど受けた命令は、同じ戦場で成立するのか。
答えは出なかった。
待機室に戻ると、中にはまだ誰もいなかった。
ガイウスは自分の席へ戻り、端末を開いた。
秘匿命令の記録欄は表示されない。
存在しない命令。
記録されない命令。
だが、命令は存在している。
ガイウスは、ハルキとリディアの識別情報を開かなかった。
代わりに、防護対象一覧を確認する。
リディア隊。
ガイウス隊。
エリス隊。
技術支援班。
観測支援班。
全員の帰還経路。
全員。
その語が、端末上のどこにも表示されていないことに、ガイウスは気づいた。
軍の記録には、個体数がある。
戦力値がある。
損耗率がある。
帰還率がある。
だが、全員という項目はない。
それは命令語ではない。
誰かが、勝手に口にする言葉だ。
通信欄が点灯した。
マルコからだった。
『おい、ガイウス。お前、研究室近くにいるか。ハルキがまたログに潜って帰ってこない。重装甲の威圧感で回収してくれ』
続いて、ハルキの音声が割り込む。
『潜ってない。確認してるだけだ』
『それを世間では潜ってるって言うんだよ』
いつもの調子だった。
ガイウスは応答キーに指を置く。
手の震えは、もう見えなかった。
だが、命令は消えていない。
「了解した。向かう」
『お、助かる。ついでに顔も出せよ。作戦前に一回くらい、男三人で暗い話でもしようぜ』
「暗い話をする必要はない」
『じゃあ明るい話でもいい。どっちにしろ、お前は顔が硬い』
ガイウスは返答を止めた。
まだマルコはこちらを見ていない。
それでも、言い当てられた気がした。
ハルキが少しだけ沈黙する。
『ガイウス?』
「問題ない」
即答した。
即答できた。
「任務に支障はない」
通信の向こうで、マルコが何かを言いかける。
だが、言わなかった。
ハルキも追及しなかった。
沈黙が、短く残る。
ガイウスは立ち上がった。
ハルキとマルコがいる共同兵器研究室へ向かう。
その前に、端末へ最終確認を入力した。
ガイウス隊、防護任務継続。
撤退路維持、優先。
負傷者回収、優先。
秘匿命令は、どこにも表示されない。
表示されないまま、彼の中に残っている。
オルフェウス発動まで、残り数日。
作戦準備は最終段階へ入っていた。
誰もが忙しさを理由に、不安を処理している。
ガイウスは扉へ向かった。
盾は、迷うな。
ラドゥスの声が残る。
だが、その奥で別の声がまだ来ていない。
ゼノはきっと、別の命令を出す。
帰せ、と。
ガイウスは拳を開いた。
震えは止まっている。
止まったものが、消えたとは限らなかった。
第38話をお読みいただきありがとうございます。
今回はガイウス視点で、作戦前の裏側にある命令を描きました。
「守るための盾」が、別の意味を与えられてしまう回です。
次回は第16章後半。
ハルキ、マルコ、そしてゼノとのやり取りを通じて、ガイウスが何を守るのかが少しずつ見えていきます。
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