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その果てに、月は神を観る 〜記憶を失った青年と兵器少女は、滅びた地球の真実へ降りる〜  作者: 大導ユウ
第15章 冥府への編成

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第37話 最低な道具

  会議が終わった後、リディアは科学庁側の調整区画へ向かった。


 呼び出しはない。


 それでも、作戦前にはここへ来る。


 白い通路の奥で、第七生体調整室の扉が開いた。


 サラ・アルジャンは、端末の前に立っていた。


「リディア」


「はい、サラ博士」


「自己申告を」


「身体状態、戦闘支障なし。右肩部に同期遅延。〇・三秒以内です」


「痛覚は」


「あります。けれど、問題ありません」


「問題ない、は報告ではないわ」


 リディアは一度、言葉を止めた。


 サラの前では、時々そうなる。


 任務語彙だけで足りないものが、喉の奥に残る。


「痛いです」


 サラの指が止まった。


「どこが」


「右肩と、胸の奥です。胸郭中枢ではありません。もっと、名前のない場所です」


「以前と同じ表現ね」


「はい」


「悪化している?」


「いいえ。たぶん、増えています」


「痛みが?」


「違います。……残るものが」


 リディアは調整台の横に立ったまま、端末の白い光を見た。


「第65次作戦の後から、命令ではないものが残ります。ユイの作戦案。マルコの文句。ハルキの確認。ガイウスとエリスの判断。そういうものが、消えません」


「消したい?」


「いいえ」


 返答は、思ったより早く出た。


 リディア自身が、少しだけ遅れてそれを認識した。


「消したくありません」


 サラは否定しなかった。


 ただ、端末に一行を記録した。


「では、残しなさい」


「異常値ではありませんか」


「異常値であっても、すぐに修正するとは限らない」


「観察対象ですか」


「ええ」


 リディアは、その言葉で少し落ち着いた。


 サラ博士が見ている。


 なら、この変化はまだ、捨てられていない。


「質問があります」


「許可します」


「今回の作戦成功率を上げるために、私へ追加可能な処置はありますか」


「誰かに聞くよう言われたの?」


「いいえ。私の判断です」


「理由は」


「結果を出したいからです」


 そこまで言って、リディアはまた止まった。


 少し違う。


 結果だけではない。


 だが、正しい語をまだ持っていない。


「……失望されたくありません」


 サラはリディアを見た。


「誰に」


 リディアは答えなかった。


 答えられなかった。


 けれど、視線はサラから外れなかった。


「リディア」


「はい」


「それは、作戦成功率の報告ではないわ」


「はい」


「でも、記録はしておく」


「ありがとうございます」


 サラは端末を切り替えた。


「成功率だけを見るなら、手段はある」


「使用可能ですか」


「えぇ」


「では、申請します」


「却下」


 即答だった。


「理由を確認してもよろしいですか」


「あなたが、その手段を成功率として数えるから」


 リディアは目を伏せた。


「作戦に有効な処置ではないのですか」


「有効ではある。一時的には」


「では」


「身体が止まるべき状態で、それでも動かす処置よ」


 サラは端末から目を離さなかった。


「突破可能性は上がる。けれど、帰還可能性は下がる」


「損耗を前提にした継続処置」


「そう」


「私に適用できますか」


「できるようには、なるでしょう」


 その言い方だけが、少し硬かった。


「ただし、科学庁だけでは組まない」


「なぜですか」


「これは生体調整ではなく、兵装側の媒介制御に近い処置だから」


「兵装」


「神経負荷、同期遅延、命令系の遮断条件。そのすべてを、外部装備側から噛ませる必要がある」


 サラは端末を閉じなかった。


「だから、技術区画へ回す」


「…それは」


「ええ。エランテス・マルコ」


 リディアは、その名を記録した。


「彼が適任ですか」


「技術的には、最も」


「技術的には」


「感情的には、最も向いていない」


 サラの指が、端末の上で一度だけ止まった。


 リディアは、その停止を見た。


 声は変わらない。


 それでも、サラが快く思っていないことだけは分かった。


「マルコは、嫌がりますか」


「嫌がるでしょうね」


「それでも任せるのですか」


「嫌がるから、任せるの」


 サラは短く答えた。


「あれを、便利な道具として扱わない者が必要です」


 リディアは、少しだけ理解した。


 マルコは文句を言う。


 不要な言葉を挟む。


 だが、壊れるものを壊れるものとして見る。


 それは、処置に必要な性能なのだと、サラ博士は言っている。


「マルコは、かわいそうですか」


「……少しね」


 返答までに、わずかな間があった。


 その間も、リディアは記録した。


「では、私は使わずに済ませます」


「そうしなさい」


「マルコが、それを作らなくていいように」


「違うわ」


 サラはリディアを見た。


「作ることにはなる。作らずに済む段階は、もう過ぎている」


「では」


「使わずに済ませなさい」


 リディアは、胸の奥に残る痛みを、もう一度だけ確認した。


 名前はまだない。


 けれど、消さなくていいと言われた。


 戻ることも、条件として残された。


「了解しました。使わずに済ませます」


「そうしなさい」


「サラ博士」


「何」


「私は、変わっていますか」


「変わっているわ」


 否定はなかった。


 警告もなかった。


 サラはただ、記録するように答えた。


「それは、失敗ですか」


「まだ判定しない」


「まだ」


「見ているところよ」


 リディアは、小さく息を吸った。


 それが安堵に近い反応だと、少し遅れて分かった。


「では、見ていてください」


「ええ」


 サラは端末へ視線を戻した。


「調整台へ。神経同期を始めます」


「はい」


 リディアは調整台に横たわった。


 固定具が肩と腕を静かに押さえる。


「おやすみなさい、リディア」


「おやすみなさい、サラ博士」


 意識が沈む直前、リディアは最後に記録した。


 今回も、戻る。


 見ていると、サラ博士が言ったから。


     *

会議が終わった後、マルコは技術区画に戻った。


 戻った、というより、放り込まれたに近い。


 兵装同期室の端末には、すでに山のような調整項目が積まれていた。


 《タケミカヅチ》。


 《カウンスウェル・パルス》。


 《サリエル・ユニット》。


 通信遅延補正端末。


 そして、まだ正式登録前の試作項目。


《ネクタル・パッチ》


 マルコは表示を見て、露骨に顔をしかめた。


「増えたな」


 ハルキが言うと、マルコは椅子に雑に座った。


「増えたな、じゃねえよ。増やした奴を連れてこい。説教する」


「ゼノ大佐?」


「大佐相手なら三割くらいに薄める」


「薄めるんだな」


「オレは命が惜しい」


 軽口はいつも通りだった。


 だが、指の動きは速い。


 第65次作戦ログが、兵装別に分解されていく。


 《タケミカヅチ》は、リディアの反応速度にようやく追いつき始めている。


 だが、追いつくだけでは足りない。


 次の戦域では、敵がその同期タイミングを測ってくる可能性がある。


 《カウンスウェル・パルス》は、ガイウスの防護展開を強化した。


 だが、再展開の間隔には揺れがある。


 防護を厚くすれば、次の展開が遅れる。


 早めれば、負荷がガイウス本人に戻る。


 《サリエル・ユニット》は、エリスの聴覚認識をヴェロニカとブロンテへ共有する新しい機構だ。


 第65次では機能した。


 だが、エーテル干渉が濃くなれば遅延が出る。


 遅延した音は、時に誤情報より危険だった。


 マルコは、ひとつずつ調整項目に印を入れていく。


「武器だけ増やしても、身体が先に壊れる」


 その声は、軽くなかった。


 ハルキは、端末の未登録項目を見る。


「ネクタル・パッチ?」


「ああ。プロクシス用の緊急戦闘継続パッチ。まだ試作だ」


「回復用か」


「違う」


 即答だった。


 マルコは指を止め、ハルキを見た。


「回復なんて上等なものじゃねえ。壊れた身体に、もう一回だけ動けって命令する札だ」


 端末に仕様が展開される。


 個体別調整必須。


 共用不可。


 一作戦中、原則一回。


 痛覚抑制、一時解除。


 神経系過負荷、許容域未確定。


 使用後の身体負荷、個体差大。


 使用許容量、未確定。


 ハルキは、表示の一行で目を止めた。


「……痛覚抑制を切るのか」


「切るっていうより、維持できねえ。強制的に身体を叩き起こすから、抑制系が先に乱れる」


「痛みを抱えたまま、動くことになる」


「そういうことだ」


 マルコは吐き捨てるように言った。


「だから嫌なんだよ、これは」


「危険すぎないか」


「危険だよ」


 マルコは椅子の背に身体を預けた。


「でも、何もないまま壊れるよりは、まだ選択肢になる場合がある。そういう最低な道具だ」


「使う前提か」


「使わずに済むなら、それが一番いい。使う前提で作るもんじゃねえよ、これは」


 ハルキは返す言葉を探した。


 見つからなかった。


 マルコが作ろうとしているのは、勝つための便利な道具ではない。


 負けかけた時に、誰かの身体へ無理を命じる道具だった。


 それを、作る本人が一番嫌がっている。


 だから、まだ信じられる。


 そう思うこと自体が、すでに苦かった。


 マルコは画面を切り替える。


 別の欄には、個体別調整リストがあった。


 リディア用。


 ガイウス用。


 エリス用。


 空欄のままの項目もある。


 未確定ではなく、決められない項目だった。


 どこまで負荷に耐えるか。


 どの痛覚遮断値なら判断力を保てるか。


 どの同期率を越えれば、身体ではなく命令だけで動く状態になるか。


 ハルキは、その項目名を最後まで読みたくなかった。


「これ、三人分だけか」


「今はな。共有できねえから、増やすなら一人ずつ全部やり直しだ」


「だから万能にはならない」


「万能だったら、もっと嫌な道具になってる」


 マルコはそう言って、未確定欄を閉じた。


 次に表示されたのは、作戦名だった。


《オルフェウス・ディセント》


 それを見た瞬間、マルコが鼻で笑った。


「冥府に降りる名前を作戦名にするセンス、誰の趣味だよ」


 近くで端末を確認していたユイが顔を上げる。


「少なくとも私じゃないよ」


「じゃあ今から変えろ。もっと帰ってきそうな名前にしろ」


「たとえば?」


「絶対帰還計画」


「却下」


「早い」


「作戦名として弱すぎる」


「帰ってきそうだろ」


 ユイは少し笑った。


 だが、完全に軽いわけではない。


 誰もが分かっていた。


 冗談にしなければ、作戦名の響きは重すぎる。


 降りるための名前なら、いくらでもある。


 だが、帰ってくるための名前は、誰も付けてくれなかった。


 だからマルコは、笑いながら文句を言ったのだと、ハルキは思った。


 ハルキは再び編成表を見た。


《オルフェウス特別作戦部隊》


《突破中核:リディア・プロクシスIX/特務伍長》


《防護中核:ガイウス・プロクシスX/特務伍長》


《観測中核:エリス・プロクシスX/特務伍長》


 その下に、随伴者の名が並ぶ。


 アウルス。


 イオナ。


 カッシウス。


 ノエマ。


 ヴェロニカ。


 ブロンテ。


 整いすぎている。


 そう思った。


 名簿というものは、いつも整っている。


 役割と階級と配置を与え、誰がどこに立つのかを明確にする。


 だが、その整然さは、そこにいる者の温度を消してしまう。


 リディアは、商業区で薄い青灰色の布留めを選んだ。


 エリスは、淡い布紐を腰の小さなケースに結ぼうとしていた。


 ユイは、普通にアルシアを誘った。


 彼女たちは確かに、軍務の外にいた。


 だが今は、それぞれの名が作戦記録の中に戻されている。


 認められることと、組み込まれることは、同じ形をしている時がある。


「ハルキ」


 ユイが呼んだ。


「未分類ノイズの再探索権限、通ったよ。現地で拾える範囲は広がる」


「助かる」


「ただし、優先順位は帰還線維持より下」


「分かってる」


 ハルキは答えた。


 見たいものがある。


 だが、帰るべき者を置いていくために見るのではない。


 その順番を間違えたら、ゼノが作戦案Bを却下した意味がなくなる。


 作戦承認端末が更新された。


 最終採用案が表示される。


《作戦案A/承認》


 リディア隊、ガイウス隊、エリス隊による三隊運用。


 四層の帰還線維持。


 現地戦術分析、特務観測、月側技術支援。


 アルマダ・ルナリスによる降下および回収線補助。


 すべてが正式な作戦記録として固定されていく。


 その下に、小さく、別の記録が残っていた。


《作戦案B/非推奨》


《理由:随伴部隊回収率、許容下限未満》


 マルコの指が止まった。


 彼は、その表示を数秒だけ見ていた。


「数字だけなら、こっちのほうが強い」

挿絵(By みてみん)

 ハルキは、画面を見なかった。


 それでも、何が表示されているのかは分かった。


「でも、選ばなかった」


「ああ」


 マルコは端末を閉じた。


 いつもの軽い笑いは、そこにはなかった。


 数字は嘘をつかない。


 だからこそ、数字だけで選ぶと、人間が抜け落ちる。


 ハルキはそう思った。


 作戦室の照明は変わらない。


 端末の記録も消えない。


 承認された作戦案Aの下に、非推奨の作戦案Bが残っている。


 誰もそれを選ばなかった。


 選ばなかったから、正しかった。


 少なくとも、この時は。


 採用されなかった案は、削除されなかった。


 誰かがそれを必要とする日のためではない。


 必要にならないことを願いながら、それでも軍の記録は、可能性を消してはくれない。


 ただ、作戦記録の奥に、静かに残った。


第37話でした。

今回はマルコの技術担当回であり、《ネクタル・パッチ》の初出回でもあります。


便利な回復手段ではなく、できれば使わずに済ませたい最後の処置として描いています。

そして、採用されなかった作戦案Bもまた、記録の奥に残りました。


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