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その果てに、月は神を観る 〜記憶を失った青年と兵器少女は、滅びた地球の真実へ降りる〜  作者: 大導ユウ
第15章 冥府への編成

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第36話 選ばないためのプラン

 ユイの異動手続きは、会議の前に終わる予定だった。


 ハルキが戦術分析室へ向かったのは、ユイが持ち出す作戦端末の認証確認を手伝うためだ。


 特務戦術分析員。


 新しい登録区分は、すでに発行されている。


 だが、端末権限の書き換えは一度では済まない。セレーネの制度は、こういうところで妙に律儀だった。


 扉の前で足を止めた時、中から声が聞こえた。


「栄転、ということでいいんですよね」


 ユイの声だった。


 いつもの明るさがある。


 けれど、少しだけ硬い。


「ええ。栄転。だから、泣く必要はないわ」


 答えたのは戦術分析室主任だった。


 ハルキは何度か顔を合わせたことがある。


 淡々とした人だった。


 端末から目を上げずに、必要なことだけを告げる。


 そんな印象が強い。


「主任、もう声が泣いてます」


「室内湿度の問題よ」


「ここ、湿度管理完璧ですよね」


「じゃあ、端末冷却系の問題」


 沈黙が少しだけ落ちた。


 ハルキは、扉を開けるべきか迷った。


 中で、ユイが小さく笑う。


「私、ちゃんと役に立てますか」


「その質問は不適切ね」


「不適切ですか?」


「あなたは、役に立つから異動するの。向こうが必要としている。だから、こちらは手放す」


 主任の声は、そこでほんの少しだけ揺れた。


「それだけよ」


「……はい」


「帰ってきなさい。あなたの席は、完全には片づけないから」


「それ、戻ってきたら仕事が残ってるって意味ですよね」


「当然。逃がさないわ」


 ユイは、今度こそ声を立てて笑った。


 その笑いの最後が、少しだけ滲んだ。


 セレーネの制度は冷たい。


 ハルキは何度もそう感じてきた。


 プロクシスの扱い。


 エランテスへの警戒。


 作戦に付随する観察記録。


 どれも丁寧で、清潔で、逃げ道が少ない。


 けれど、そこにいる人間まで冷たいわけではない。


 ユイは一人で戦術分析室を出てきたわけではなかった。


 送り出す人がいた。


 涙を隠す人がいた。


 戻る席を残す人がいた。


 扉が開き、ユイが出てきた。


「あ」


「悪い。聞くつもりじゃなかった」


「聞いたね?」


「少し」


「じゃあ忘れて」


「主任の端末冷却系が不調だった件なら」


「それは覚えてていい」


 ユイは目元を指で軽く押さえてから、いつもの顔に戻った。


「行こ。特務戦術分析員、初仕事だから」


     *


 会議室に入った時、ユイの表情はもう変わっていた。


 明るさは消えていない。


 けれど、前に出る言葉は、戦術分析室で使っていたそれだった。


 中央の作戦台に、第65次作戦の三戦域ログが展開される。


「第65次作戦における三隊運用は、有効でした」


 ユイは言った。


「ですが、第65次と同じことを繰り返すだけでは足りません。今回は、突破線より帰還線を先に設計します」


 作戦台の表示が切り替わる。


 三隊の進行線より先に、後退路と中継線が浮かび上がった。


「地上帰還線をガイウス隊。観測帰還線をエリス隊。軌道帰還線をアルマダ・ルナリス。情報帰還線を、ハルキ、マルコ、私で維持します」


 ユイの指が、最後にリディア隊の表示を示す。


「リディア隊は、その四つの線が残っている範囲で突破します」


 それは、前回と同じ三隊運用ではなかった。


 リディア隊を先頭に置くことに変わりはない。


 ガイウス隊が守り、エリス隊が見て、ハルキたちが接続を支える構図も同じに見える。


 だが、優先順位が違う。


 先に突破するのではない。


 帰る線を作ってから、降りる。


「三隊運用は有効です。ですが、有効だったからこそ、次はそこを壊されます」


 誰もすぐには反論しなかった。


 ユイは続ける。


「リディア隊は、突破力を孤立させられる危険があります。ガイウス隊は、防護対象と退路を分断される危険があります。エリス隊は、観測共有そのものを遮断される危険があります」


 それは勝利報告ではなかった。


 勝った直後に、次の負け方を探す報告だった。


 ゼノがハルキを見る。


「お前の違和感も出せ」


 ハルキは端末を接続した。


 第65次作戦ログの一部が表示される。


「確証はありません。ただ、アラミタマ群の一部が、迎撃ではなく観測に近い動きをしていました」


「観測?」


 上層部の一人が聞き返す。


「こちらの再接続タイミング、防護展開、突破判断、観測共有の揺れ。そういうものを拾っていたように見えます」


「兵器が学習している、と?」


「断定はできません」


 ハルキは息を整えた。


 ここで強く言いすぎれば、感覚だけで会議を乱す者になる。


 弱く言いすぎれば、見落とされる。


「勝っている、というより……測られている気がします」


 会議室の空気が静かになった。


 軽口を入れそうなマルコも、何も言わなかった。


 ユイだけが、端末に短く記録を打ち込む。


 ゼノは否定しなかった。


「続けろ」


 ユイが頷き、作戦案を表示する。


《作戦案A》


 地上帰還線。


 観測帰還線。


 軌道帰還線。


 情報帰還線。


 四つの帰還線を維持しながら、三隊を独立戦術単位として運用する。


 リディア隊が突破し、ガイウス隊が退路を維持する。


 エリス隊が観測と支援を行う。


 ハルキは地下深部反応と未分類ノイズを追い、ユイは現地戦術分析を担う。


 マルコは月側から通信遅延補正と端末同期を支える。


 帰還線を維持する案だった。


 作戦達成率は十分。


 随伴部隊の回収率も、現在出せる案の中では最も高い。


 ただし、画面の端には黄色の警告表示が残っていた。


 戦域分断時、相互支援機能低下。


 通信中継喪失時、再接続負荷増大。


 敵性反応適応時、突破、防護、観測の分断リスク上昇。


「主案はこれです」


 ユイは言った。


「随伴部隊の回収率を最大限に維持できます。ただし、敵が戦域そのものを分断してきた場合、四つの帰還線は順に切られます」


「代替案は」


 別の声が問う。


 ユイの指が、一瞬だけ止まった。


 それから、次の表示が開く。


《作戦案B》


《戦術中核:リディア/ガイウス/エリス》


《中枢到達率:高》


《中核生存率:高》


《随伴部隊回収率:許容下限未満》


《推奨判定:否》


 ハルキは、画面を見た瞬間に意味を理解した。


 リディア、ガイウス、エリス。


 三隊長だけを最初から高密度の中核として集中投入する案。


 中枢へ届く確率は高い。


 三人が生き残る確率も、数値上は高い。


 だが、その周囲にいる者たちは置いていかれる。


 アウルス。


 イオナ。


 カッシウス。


 ノエマ。


 ヴェロニカ。


 ブロンテ。


 表示上には、その名前は出ていない。


 随伴部隊。


 端末上では、その一語で済む。


 けれど、その一語の中には、前線で誰かの名を呼ぶ声がある。


 負傷した仲間を引きずる腕がある。


 帰還艇の灯りを見上げる目がある。


 そこを切り落とせば、数字は強くなる。


 数字だけは。


 マルコが、端末表示を見て眉を寄せた。


「……こういう数字が一番たち悪い」


 誰に聞かせるでもなく、小さく息を吐いた。


「随伴部隊の回収率は、補助策で改善できないのか」


 上層部の一人が言った。


 ユイは表情を変えなかった。


「改善しても、許容域には届きません」


「中枢到達率を優先すべき局面もある」


 ゼノが、その声を切った。


「中枢に届くために、帰る者を切り捨てる案なら不要だ」


 会議室が止まる。


 ゼノは作戦台に手を置いた。


「勝利条件に帰還線を入れろ。旗を立てるだけなら、俺は部隊を出さん」


 ユイの肩が、ほんのわずかに下がった。


 安堵だったのか。


 痛みだったのか。


 ハルキには分からない。


 ただ、ユイがこの案を作った理由は分かった。


 あらゆる可能性を見なければならないからだ。


 そして、選ばないためにも、見なければならないからだ。


 マルコはそれ以上何も言わなかった。


 数字だけなら、作戦案Bは強い。


 彼はそれを、誰よりも早く理解している顔をしていた。


 だが、口にしない。


 その沈黙が、ハルキには一番重かった。


 ユイは作戦案Bを閉じなかった。


 消しもしなかった。


 推奨判定、否。


 その文字を残したまま、作戦案Aの帰還線をもう一度表示する。


「選ばないために、残します」


 ユイは言った。


「こうすれば勝てる、という案ではなく、こうすれば何を失うかを忘れないための案です」


 ゼノは頷いた。


「それでいい」


 ハルキは、作戦台に並ぶ二つの案を見た。


 選ぶための案。


 選ばないための案。


 どちらも、戦場へ持っていく必要があった。


 なぜなら、敵がこちらを測っているのなら。


 いつか、選ばせに来るかもしれないからだ。


第36話でした。

今回は、ユイの正式異動と、《オルフェウス》作戦案の提示回です。


作戦案Bは、採用するためではなく、選ばないために作られた案でもあります。

数字として正しいものと、人間として選んではいけないもの。その間に立つユイたちを描きました。


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