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その果てに、月は神を観る 〜記憶を失った青年と兵器少女は、滅びた地球の真実へ降りる〜  作者: 大導ユウ
第14章 祝福されない休暇

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第34話 違う足音

 

 商業区の音は、時間とともに少しずつ変わっていった。


 少なくとも、エリスの表情は変わってきている。


 最初は、全部の音が重なっていたのだと思う。


 案内音声。


 足音。


 子供の声。


 店舗端末の起動音。


 包装材の擦れる音。


 遠くの昇降機が動く低い振動。


 ユイには、それら全部を聴き分けることはできない。


 けれど、エリスがどれだけの音を拾っているかは、彼女の歩き方を見れば少し分かる。


 戦場でのエリスは、音を武器にしている。


 けれど、商業区には敵がいない。


 それでも音はある。


 むしろ、敵がいないからこそ、音は整理されずに押し寄せる。


「大丈夫?」


 ユイが聞くと、エリスは少し考えてから頷いた。


「はい。ここは、音が多いです」


「うん」


「でも、怖い音ばかりではありません」


 エリスは通路の先を見た。


 市民が歩いている。


 警備員が立っている。


 別の区画から、二人のプロクシスが同伴者らしき軍属と歩いてきた。


 エリスの目が、その足元へ落ちる。


「市民の足音と、警備の足音と、プロクシスの足音は、少し違います」


 リディアも足を止めた。


「違うのか」


「はい。市民の足音は、行きたい方へ行きます。警備の足音は、決められた場所を回ります。プロクシスの足音は……止まる準備をしています」


「止まる準備」


「はい。いつでも許可を待てるように」


 ユイは、すぐには返せなかった。


 リディアも、何も言わなかった。


 プロクシスの足音。


 自由に歩いているようで、どこかで停止を待っている音。


 エリスは、それを責めるようには言わない。


 ただ、聴こえたことをそのまま言った。


 だから余計に、重かった。


 ユイは少しだけ息を吸った。


「じゃあ今日は、少し違う足音にしよう」


 エリスがユイを見る。


「違う足音」


「そう。許可を待つ足音じゃなくて、自分で選んで歩く足音」


 リディアが真面目に言った。


「歩幅を変えるのか」


「物理的にはそうかもしれないけど、そうじゃない」


「では、心理的な歩幅か」


「その解釈、意外と近い」


 ユイは笑った。


 リディアは納得したような、していないような顔をした。


 その表情が、戦場より少しだけ柔らかい。


     *


 小物店を出たあと、三人は飲み物を扱う店に入った。


 リディアはすぐに栄養成分表示を見た。


「糖分が高い」


「今日はそれを見ない」


「過剰摂取は推奨されない」


「一杯で戦闘不能にならないから大丈夫」


「戦闘不能にはならない」


「真面目に返さなくていいところだよ」


  ユイは苦笑してから、並んだ表示を見た。


「こういう甘いやつでも大丈夫なんだよね?」


「問題ない。身体の基礎は人間と同じだ」


「そっか。じゃあ、味も普通に分かるよね」


「分かる」


 リディアは淡々と答えた。


「違うのは、エーテル適合率です」


 エリスが、泡の少ない飲み物の表示を見ながら言った。


「そこだけ、人間では維持できない値まで引き上げられています」


「なるほど」


 ユイはそれ以上、掘らなかった。


 今は、二人が同じものを飲めるなら、それでいい。


「じゃあ今日は、好きな味を探そう」


「好きな味」


「そう。これは訓練じゃなくて、味見」


 リディアは、少しだけ真面目な顔で頷いた。


「了解した。味見を行う」


「任務っぽいなあ」


 エリスは別の表示を見ていた。


「エリスはどれがいい?」


「音が少ないものがいいです」


「飲み物に音?」


「泡が多いと、少し鳴ります」


「なるほど。じゃあ静かなやつにしよう」


 ユイは店員に注文した。


 リディアは最後まで栄養効率の欄を気にしていたが、ユイが強引に淡い色の飲み物を選ばせた。


 エリスは、泡の少ない白い飲み物を選んだ。


 三人で席につく。


 戦術図もない。


 警告音もない。


 敵性反応もない。


 ただ、テーブルの上に飲み物が三つ並んでいる。


 リディアはカップを持ち、慎重に口をつけた。


 その目が、ほんの少しだけ動く。


「どう?」


 ユイが聞く。


「甘い」


「それはそう」


「だが、悪くない」


「じゃあ、それは“好き”に近いかもね」


 リディアはカップを見た。


「これが、好きなのか」


「たぶんね」



 エリスは両手でカップを包むように持っていた。


 白い飲み物の表面は静かだった。


 彼女は一口飲んで、目を伏せる。


「エリスは?」


「静かです」


「味は?」


「……やさしいです」


 ユイは、少し笑った。


 エリスの言葉は、ときどき音の感想なのか、味の感想なのか分からない。


 でも、今はそれでよかった。


 リディアが布留めを見ている。


 エリスが布紐を指で撫でている。


 二人とも、軍服のままだ。


 完全に普通の市民に見えるわけではない。


 けれど、その瞬間だけは、戦場の隊長でも、狙撃手でもなかった。


 ただ、小さなものを選び、飲み物を飲んでいる女の子だった。


 ユイは、それを大事にしたかった。


 かわいそうだとは思わない。


 そんな言葉で二人を包みたくない。


 ただ、こういう時間がもっとあっていいと思った。


 命令でも、観察でも、適応評価でもない時間。


 好きなものを選ぶ時間。


 休み方が分からなくても、誰かと一緒なら少しだけ歩ける時間。


     *


 三人が店を出て、商業区の通路へ戻った時だった。


 少し先に、見覚えのある姿があった。


 柔らかな笑顔。


 整った姿勢。


 市民区画の明るい照明の中でも、どこか白く見える人。


「アルシアさん」


 ユイが声をかけると、アルシアは振り返った。


 いつもの顔で笑う。


「ユイさん。リディアさん、エリスさんも」


「アルシアさんもお休みですか?」


「はい。珍しく、休暇をいただきまして」


 その声は、いつも通り柔らかい。


「じゃあ、一緒に見ていきませんか?」


 ユイは、すぐにそう言った。


 リディアは少し驚いた。


 エリスも、たぶん驚いていた。


 アルシアも、ほんの一瞬だけ言葉を遅らせた。


「ご迷惑でなければ」


「もちろん。人数が多い方が、こういう日は楽しいですから」


 ユイはそう言って笑った。


 リディアも、エリスも、アルシアも、ほんの少しだけ反応が遅れた。


 ただ、ユイだけは普通だった。


 それが、ユイだった。


第14章の締めです。


今回は、リディア、エリス、ユイが軍人ではなく、少しだけ普通の女の子として過ごす時間を書きました。


エリスの「プロクシスの足音は、止まる準備をしている」という言葉は、この章の中でも特に大事な部分です。

戦場では頼もしい彼女たちが、社会の中ではまだ自由に歩けていない。その違和感を、エリスらしい感覚で出しています。


そして最後にアルシアが合流します。

ユイが誰に対しても自然に「一緒に」と言えることが、この章の救いになっていれば嬉しいです。


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