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その果てに、月は神を観る 〜記憶を失った青年と兵器少女は、滅びた地球の真実へ降りる〜  作者: 大導ユウ
第14章 祝福されない休暇

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第32話 休暇という命令

第14章 祝福されない休暇


 第65次地球奪還作戦の成功は、正式には「周辺三中継拠点同時制圧成功」と記録された。


 戦死者数、ゼロ。


 重大損耗、なし。


 新規運用兵装の実戦評価、良好。


 三隊分散運用、有効。


 端末に並ぶ評価項目は、どれも整っていた。


 整っているものは、エリスには少しだけ苦手だった。


 戦場の音は、乱れている。


 機械音。


 金属音。


 通信の断裂。


 クモの脚が床を打つ音。


 危険な音は、危険な形をしている。


 だから、まだ聴き分けられる。


 けれど、整った場所の音は違う。


 何も壊れていない。


 誰も叫んでいない。


 それでも、ときどき、どこかがひどく冷たく聴こえる。


 エリスは端末の前で、休暇通達の文面を見ていた。


 休暇。


 その言葉は、知っている。


 戦闘行動を停止し、身体機能と精神安定性を回復させるための時間。


 任務外待機。


 消耗補填。


 再出撃に備えた調整。


 そういう意味なら、理解できる。


 ただ、画面にはもう少し長い文字が並んでいた。


《作戦参加プロクシス個体に対する短期休養措置、および市民区画内社会適応観察の実施について》


 社会適応観察。


 エリスは、その言葉をゆっくり目で追った。


 市民区画利用時の行動記録。


 民間人との接触反応。


 隊外行動時の心理安定性。


 自由行動に対する適応度。


 同伴者登録。


 休暇という言葉の下に、観察という言葉がついている。


 不思議ではない。


 プロクシスの行動は記録される。


 任務中も、待機中も、訓練中も。


 自分たちがどう動き、どう反応し、どの程度安定しているかは、いつも確認される。


 だから、それはいつも通りだった。


 いつも通りのはずだった。


「二人とも、休暇って言葉、知ってる?」


 明るい声がした。


 エリスは顔を上げる。


 ユイがいた。


 ユイの足音は、ほかの人と少し違う。


 急いでいる時でも、どこか跳ねる。


 怒っている時でも、全部は重くならない。


 何かを隠している時は、声より先に端末を閉じる音が硬くなる。


 今のユイは、明るい声をしていた。


 でも、さっき端末を閉じた音は少し硬かった。


「知識としては」


 装備の確認をしていたリディアが答えた。


 エリスは、その声を聴いて、少しだけ肩の力が抜けた。


 リディアの声は、戦場でも市民区画でもあまり揺れない。


 だから、近くにいると、音の輪郭が安定する。


「嫌な返事だなあ」


 ユイが言った。


「第65次作戦後の待機時間を、休養区分へ変更する措置だと理解している」


「うん。それはたぶん、半分くらい間違ってる」


 リディアが、わずかに眉を動かした。


「では、目的は?」


「目的?」


「行動目的。所要時間。護衛対象。携行装備。想定される接触相手。移動範囲」


 ユイは軽く額を押さえた。


 エリスには、その仕草の意味が少しだけ分かる。


 困っている。


 でも、嫌がってはいない。


「今日は命令じゃなくて、気分で歩く日」


 ユイの声は、少し柔らかくなった。


 気分で歩く。


 エリスは、その言葉を頭の中で繰り返した。


 歩行経路を決めずに歩く。


 目的地を固定せずに移動する。


 警戒優先度を下げる。


 周囲の接触を敵味方に分類しない。


 それが、休暇なのだろうか。


「気分で歩くと、作戦行動に無駄が出る」


 リディアが言った。


「作戦じゃないからいいの」


「無駄を許容する行動か」


「それ、休暇の説明としてはだいぶ悲しい」


 エリスは、小さく笑った。


 声に出すつもりはなかった。


 でも、少しだけ漏れた。


 ユイがこちらを見る。


「エリスも行こう。市民区画の商業区。飲み物とか、小物とか、そういうものを見るところ」


 エリスは、すぐには頷けなかった。


 市民区画。


 そこは、音が多い。


 人の声。


 歩く音。


 端末の案内音。


 衣服が擦れる音。


 子供の息。


 大人が声を抑える時の、喉の奥のわずかな音。


 戦場のような危険音ではない。


 けれど、近い。


 多い。


 重なる。


「市民区画は……音が多いです」


 エリスは正直に言った。


「戦場の音とは違う?」


「違います。敵意がある音ではありません。でも、多いです。重なっていて、近いです」


「無理ならやめるよ」


 ユイの声は、すぐに軽くなりすぎなかった。


 そのことが、少し安心だった。


「いえ」


 エリスは、リディアを見た。


「リディア隊長が行くなら、私も行きます」


 リディアがすぐに反応する。


「エリス。今日は隊長ではない」


「はい。分かっています、リディア隊長」


「分かっていない」


 エリスは困った。


 分かっている。


 今日が任務ではないことも、リディアが自分の隊長ではないことも、知識としては理解している。


 でも、呼び方は変わらない。


 変えようとすると、胸の奥のどこかが落ち着かない。


 ユイが笑いそうになって、少しだけ我慢した音がした。


「じゃあ決まり。リディア、装備は最小限。エリスも、戦闘用の確認は終わり」


「携行装備なしで市民区画へ?」


「完全になしとは言ってない。でも、休暇に突入装備はいらない」


「敵性反応が発生した場合は」


「その時は、その時に考える」


 その言い方は、エリスには少し不思議に聴こえた。


 その時に考える。


 戦場では、遅い言葉だ。


 けれど今は、たぶん、それでいい場所へ行く。


 エリスは戦闘装備を外し、腰の小さなケースだけを確かめた。


     *


 商業区へ向かう移動路は、訓練区画とは違っていた。


 白い壁。


 透明な天蓋。


 人工陽光。


 低重力補正を入れた歩行路。


 端末広告の柔らかな音。


 自動案内の声。


 音が多い。


 けれど、金属が裂ける音はない。


 クモの脚音もない。


 負傷した誰かが息を詰める音もない。


 怖い音ばかりではなかった。


 それでも、エリスは少しだけリディアの近くを歩いた。


 リディアは歩幅をわずかに落とした。


 何も言わない。


 けれど、合わせてくれている。


 エリスはそれに気づいて、胸の奥が少しだけ静かになった。


 通路の先に、子供がいた。


 子供はリディアを見た。


 足音が一つ、止まる。


 呼吸が浅くなる。


 保護者の指が、子供の手を引く。


 強い拒絶の音ではない。


 怯えの音でもない。


 ただ、近づきすぎないようにする音だった。


 エリスは、その音を聴いた。


 リディアも気づいたかもしれない。


 でも、何も言わなかった。


「音が変わりました」


 エリスは言った。


「どんなふうに?」


 ユイが聞く。


「近づいて、止まって、離れます。悪い音ではありません。でも、測られている音です」


 ユイの返事は、少しだけ遅れた。


「じゃあ、こっちも測り返してやろう」


「測り返す、ですか」


「どの店の飲み物が一番おいしいか、とか」


 エリスは考えた。


 それなら、できるかもしれない。


「それなら、測れます」


「そこは測らなくていいんだよ」


 リディアが言った。


「味覚評価なら、標準化できる」


「リディアまで」


 ユイが笑った。


 その音は、商業区の中でもよく聴こえた。


 入場ゲートが近づく。


 市民は滑らかに通っていく。


 ユイの識別も、すぐに通った。


 次にリディア。


 一拍。


 音が止まった。


《軍用人工人類個体。市民区画行動記録を開始します》


 次にエリス。


 また、一拍。


《軍用人工人類個体。同伴者登録を確認しました》


 ゲートは開いた。


 拒まれたわけではない。


 警告音もない。


 案内音声は丁寧だった。


 でも、エリスには分かった。


 市民区画は、二人を拒まなかった。


 ただ、歓迎の音にも聞こえなかった。


第14章は、戦闘ではなく休暇回です。


とはいえ、この作品の休暇なので、ただ楽しいだけでは終わりません。

今回はエリス視点で、市民区画の「音」を通して、セレーネ社会の清潔さと距離感を描いてみました。


エリスにとって、戦場の音は怖くても分かりやすい。

でも、整った場所の音は、別の意味で落ち着かない。


次回はリディア視点で、休暇らしい買い物回になります。


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