第28話 オルフェウス
第28話 オルフェウス
第64次作戦で制圧した旧テラ連邦要塞基地は、終点ではなかった。
それが明らかになったのは、限定復旧した月地球間交信と、要塞中枢から回収された地形情報の解析が進んだ後だった。
ハルキは、軍務区画の投影室でその資料を見ていた。
中央に、第64次制圧拠点の立体図が浮かぶ。
そこから、複数の地下経路が伸びていた。
崩落した搬送路。
旧時代の通信路。
防衛区画の残骸。
その線の先に、別の巨大構造体が表示される。
《旧テラ連邦最大要塞。推定規模、現制圧拠点の四・八倍。旧テラ連邦地球防衛網における最重要中枢拠点と推定》
管制AIの声が響く。
表示された構造体は、要塞というより、地中に埋まった都市に近かった。
外殻防衛層。
複層中継網。
深部中枢区画。
既存のアラミタマ制御ノードとは比較にならない反応が、その奥にある。
《深部中枢反応、識別名を付与》
端末に名称が表示された。
ユグドラシル・コア。
ハルキは、その名を黙って見た。
第64次作戦で得た勝利は、そこへ届くための足場だった。
旧テラ連邦要塞基地を制圧したからこそ、近傍の最大要塞が見えた。
交信が限定復旧したからこそ、地下深部の輪郭が取れた。
勝利が、次の扉を開いた。
それは希望でもあり、別の戦場への入口でもあった。
「通常の地球奪還作戦では対応できません」
戦術官が言った。
「旧テラ連邦最大要塞への進攻には、既存のプロクシス部隊単独運用では不足します。三隊連携、現地接続補佐、戦術分析、技術実装を統合した混成作戦系統が必要です」
投影資料が切り替わる。
構想名。
《ORPHEUS》
オルフェウス。
ハルキは、その名に引っかかった。
上へ向かう名ではない。
下へ降りるための名だった。
ただ、その場の空気は絶望ではなかった。
ゼノは新しい視界を得ようとしている。
ユイは手順を作り、マルコは実装に入っている。
サラ長官の解析資料は、次の兵装へつながる理論の骨格を示していた。
何も持たずに降りるわけではない。
それでも、降りる先が深いことだけは変わらなかった。
*
会議が終わった後、ハルキはゼノに呼び止められた。
階級章だけが変わっている。
少佐ではなく、大佐。
「慣れません」
ハルキが言うと、ゼノは笑った。
「俺もだ。呼ぶ側が先に慣れろ」
「無茶を言いますね」
「大佐ってのは、無茶を言うのが仕事だ」
ゼノは投影室の窓際に立った。
窓の外に見えるのは、月の白い都市層だった。
清潔で、静かで、管理された光。
そこから遠く離れた地球の灰を、二人はもう知っている。
「ユグドラシル・コアへ届けば、勝てるんですか」
ハルキは聞いた。
ゼノはすぐには答えなかった。
「届くだけなら、勝ちじゃない」
「では、何が敗北条件ですか」
「帰れなくなることだ」
即答だった。
ゼノは片目でハルキを見る。
「制圧目標に旗を立てても、帰還線が切れれば敗北だ。コアに届いても、部隊を帰せなければ負けだ」
ハルキは、帰還艇の中でゼノが言った言葉を思い出した。
全員いる。
なら、勝ちだ。
なら、その反対も明白だった。
「今回は勝った。だが、負けかけた場所はいくらでもある」
ゼノは指を折るように言った。
「A拠点は想定より早く遮断された。アウルスが落とされかけて、リディア隊の形が崩れた。B拠点には、クモが一体抜けた。俺が間に合わなければ、お前は死んでいた。ガイウスとエリスが間に合わなければ、B拠点は落ちていた」
ハルキは反論できなかった。
そのすべてを、現場で見ていた。
「だから、次に必要なのは勝ち方だけじゃない。どこから帰れなくなるかを知ることだ」
「それが、敗北の条件」
「そうだ」
ゼノは頷いた。
「見つけたら潰せる。潰せないなら、迂回する。迂回もできないなら、その作戦は組むな。少なくとも、俺の部隊ではな」
ハルキは、少しだけ息を吐いた。
ゼノは進む人間だ。
危険を知っても止まらない。
けれど、何も見ずに進む人間ではない。
「新しい目にも、その条件を入れます」
「何をだ」
「勝つための視界だけではなく、帰れなくなる場所を見落とさない視界です」
ゼノは、口角を上げた。
「いい。俺の新しい目にふさわしい」
*
リディアは、戦果一覧より先に帰還者数を見ていた。
医療区画の端末には、アウルスの処置経過が表示されている。
現時点で戦闘継続不可。
だが、生存反応は安定。
イオナはその隣で、損傷ログの整理を手伝っていた。
「隊長」
イオナが顔を上げる。
「アウルス、返答信号が安定しました」
「分かった」
リディアは短く答えた。
作戦は成功した。
旧テラ連邦要塞基地は制圧された。
月地球間交信も限定復旧した。
中枢防衛も停止した。
それでも、リディアが最初に見たのはそこではない。
帰還者数。
未帰還、ゼロ。
戦死、ゼロ。
それが任務上、最初に確認すべき項目ではないことは分かっている。
だが、もう見ずにはいられなかった。
「アウルスには、後で文句を言う」
リディアが言うと、イオナは一瞬だけ目を丸くした。
「文句、ですか」
「許可していないのに前に出た」
「……はい」
イオナは少しだけ笑った。
「アウルスなら、たぶん反論します」
「なら、起きたら叱る」
リディアは端末を閉じた。
全員いる。
その言葉が、任務記録ではなく、どこか別の場所に残っていた。
*
夜という概念が薄い月の都市にも、作業区画には静かな時間がある。
ハルキは共同研究室に戻り、端末を開いた。
表示された名称は、二つ。
旧テラ連邦最大要塞。
識別名、ユグドラシル・コア。
そして、次段階構想。
《ORPHEUS》
その名は、下へ降りるための名に見えた。
けれど、今のハルキには、それだけではなかった。
まだ、足りないものは多い。
《ODIN-EYE》は骨格だけ。
防護型と支援・観測型の派生兵装も、まだ理論の段階にすぎない。
ユイの手順も、マルコの実装も、これから詰めなければならない。
それでも、次は何も持たずに降りるわけではない。
第64次地球奪還作戦は、勝利で終わった。
誰も死ななかった。
その勝利の先で、次に全員を帰すための準備が始まっていた。
ハルキは、端末に表示された構想名をもう一度見た。
オルフェウス。
地下へ降りるための名。
そして、戻るための名。
その意味を、まだ誰も口にはしなかった。
第12章、そして第1部本編の区切りです。
第64次地球奪還作戦は、誰も死なずに終わりました。
その勝利の先で、旧テラ連邦最大要塞、ユグドラシル・コア、そして《オルフェウス》構想が見え始めます。
次回は幕間です。第1部を終えた彼らの周辺を、少し別の角度から描く予定です。
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