第27話 セレーネの頭脳
第64次地球奪還作戦の評価会議は、勝利を祝う場ではなかった。
白い会議室。
均一な照明。
壁面を埋める戦況記録。
そこに並ぶ数値は、帰還艇の中で聞いた声よりも冷たく、正確だった。
ハルキは末席に近い位置で、評価資料を見ていた。
最初に読み上げられたのは、帰還者数ではない。
《旧テラ連邦要塞基地、制圧完了》
管制AIの声が響く。
《要塞中枢防衛、停止。月地球間交信、限定復旧。地球側深部攻略の橋頭堡として、当該拠点の再利用価値を高と判定》
次に、《タケミカヅチ》による中枢防衛断絶。
三隊連携運用。
A/B拠点構造。
ゼノの現地判断。
B拠点におけるハルキの情報接続補佐。
マルコの現地通信同期。
ユイの事前分岐案。
死者数ゼロは、その後だった。
《作戦損耗、軽微。戦死者数、ゼロ。継続作戦モデルとして有効性を確認》
誰も死ななかった。
ハルキにとっては、それが最初に来るべき結果だった。
だが、セレーネの評価では、要塞を取ったことの方が先に置かれる。
死者数ゼロは、人が帰った証ではなく、継続可能な低損耗モデルとして処理されていた。
間違ってはいない。
だからこそ、息が詰まる。
サラ長官は、会議室の上座で投影資料を見ていた。
表情は変わらない。
リディアの《タケミカヅチ》実戦ログが流れても、ハルキの補佐記録が表示されても、ゼノの左目喪失が報告されても、ただ観測を続ける者の顔をしていた。
「ゼノ・ユル・ヴァレン少佐」
辞令交付は、会議の最後に行われた。
儀礼らしい儀礼はなかった。
光る辞令データが一枚、ゼノの端末へ送付される。
それだけだった。
《第64次地球奪還作戦における現地指揮、戦略拠点制圧、三隊運用実証を評価。ゼノ・ユル・ヴァレン少佐を大佐へ昇格。同日付で、次段階特殊作戦構想の中核指揮官として登録》
ゼノは片目に応急遮断材を当てたまま、その辞令を見た。
「階級が上がる時ってのはな、だいたい誰かが、もっと面倒を押しつけたい時だ」
会議室の空気がわずかに緩んだ。
ゼノは笑っている。
だが、ハルキには分かる。
これは栄誉ではない。
次の責任だ。
*
共同研究室に戻ると、空気は少しだけ人間のものになった。
端末群は雑然としている。
ケーブルはまとめられているが、マルコの作業台だけは例外だった。工具と補助端末が、規則性のある乱雑さで並んでいる。
「《ODIN-EYE》の表示優先順位、まず帰還線を上位固定する」
ユイは共有卓に戦況ログを展開した。
「敵性反応や火線情報より上?」
ハルキが聞く。
「少なくとも、ゼノ大佐にはそうした方がいい。あの人は敵を見れば勝手に読む。でも、帰還線の喪失だけは後回しにしちゃいけない」
「大佐、か」
マルコがぼやく。
「呼び方、変えるの面倒くせえな」
「マルコはどうせすぐ慣れる」
「慣れたくねえんだよ。大佐って呼んだ瞬間、あの人の面倒が増えた感じがする」
ハルキは否定できなかった。
端末には、《ODIN-EYE》の仮設計が開かれている。
視覚補助。
部隊識別。
遮断警告。
帰還線表示。
通信遅延補正。
まだ骨格だけだ。
それでも、三人が見ようとしているものは、はっきりしていた。
ゼノに、戦場を全部見せるのではない。
見落としてはいけない順番を渡す。
扉の開く音がした。
「失礼します」
アルシアだった。
彼女はいつも通り、柔らかい笑顔を浮かべている。
手には小型の記録端末があった。
「アルシアちゃん、今度は何の行政手続き?」
マルコが顔を上げる。
「今回は手続きではありません。サラ博士からです」
アルシアは、そう言って資料データを共有卓へ送った。
資料が開く。
第63次・第64次実戦ログ統合解析。
《タケミカヅチ》運用記録。
防護型高エーテル適合個体向け多層防御理論。
支援・観測型高エーテル適合個体向け感応情報共有理論。
派生兵装化における理論骨子。
最初に黙ったのは、ハルキだった。
次に、マルコが眉を寄せた。
ユイは表示された運用予測を追いながら、小さく息を吐いた。
「……この分解の仕方、俺たちの発想とは違う」
ハルキは、資料から目を離せなかった。
「《タケミカヅチ》の効果を、兵装単体じゃなくて、隊の役割ごとに切り分けてる。実戦ログと運用記録を、ここまで分解している」
「しかも、実装条件まで落ちてる」
マルコが低く言った。
「供給限界、同期遅延、装着負荷。理論だけで終わらせる気がねえ資料だ」
「運用前提まで入ってる」
ユイも画面を追った。
「防護型は帰還線を守る。支援・観測型は、見つけたものを共有する。第64次の役割を、そのまま次の理論に変換してる」
ハルキは資料を読み進める。
防護型高エーテル適合個体向け多層防御理論。
帰還線維持。
広域防護。
持続防衛。
敵性エーテル波、衝撃圧、再接続負荷を受け流し、分散し、押し返すための理論骨子。
資料には、個体名はない。
けれど、ハルキには分かった。
あの戦場でガイウス隊が維持した帰還線を、兵装機能として拡張するための理論だった。
次の資料層を開く。
支援・観測型高エーテル適合個体向け感応情報共有理論。
広域索敵。
狙撃支援。
感応情報の共有化。
個体が取得した聴覚的・感応的異常を、隊全体で利用可能な戦術情報へ変換するための理論骨子。
こちらにも個体名はない。
それでも、第64次作戦でエリスが拾った「音の薄さ」を、どう扱えば部隊全体の視界へ変換できるかまで踏み込んでいる。
「完成案じゃない」
ハルキは表示を追いながら言った。
「でも、兵装へ落とすための骨格はもうある」
「だから厄介なんだよ」
マルコは、唇の端を上げた。
「ここから先は、オレたちが逃げられねえ。理論がここまで出てるなら、動かすしかない」
「逃げるつもりだったの?」
ユイが聞く。
「少しは」
「正直でよろしい」
三人の反応を見て、アルシアはわずかに目を細めた。
ハルキには、それがセレーネの技術体系を認められた者の表情に見えた。
「……サラ博士の解析資料ですから」
アルシアは、いつもの柔らかい笑顔でそう言った。
ただ、その声には、資料の正しさを最初から疑っていなかったような静かな確信があった。
ハルキはもう一度、資料へ目を戻した。
《ODIN-EYE》。
防護型へ展開できる多層防御理論。
支援・観測型へ展開できる感応情報共有理論。
どれも、まだ完成品ではない。
けれど、次に降りるための準備は、もう始まっていた。
セレーネの頭脳は、勝利を祝わない。
勝利を分解する。
構造に変える。
次の作戦へ差し出す。
その冷たさに、ハルキは息苦しさを覚えた。
同時に、認めざるをえなかった。
この月は、そうやって地球へ手を伸ばしている。
今回は、サラの解析資料を通して、セレーネ側の科学力を少し見せる回でした。
ハルキやマルコとは別の体系で、戦場の記録を理論へ変換していく力です。
第64次作戦で得たものが、次の準備へ変わり始めました。
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