第26話 見るべき景色
第26話 見るべき景色
帰還艇の扉が開いた瞬間、勝利は記録に変わり始めた。
医療区画へ続く白い通路に、医療班の足音が重なる。
ゼノは担架を拒み、左目に応急遮断材を当てたまま、自分の足で歩いた。
オルドは修復用フレームに固定され、背部中継器の損傷を検査されていた。
アウルスは別の処置台へ運ばれている。
全員いる。
帰還艇の中でゼノが言ったその言葉は、まだハルキの耳に残っていた。
だが、医療区画の壁面端末に並ぶ文字は、もう別の温度を持っていた。
第64次地球奪還作戦、完了。
旧テラ連邦要塞基地、制圧。
月地球間交信、限定復旧。
戦死者数、ゼロ。
ゼノ・ユル・ヴァレン少佐、左眼部喪失。
三隊連携運用、有効性確認。
誰も死ななかった。
その事実は、確かにそこにある。
けれど、端末の表示では、それは複数の評価項目の一つにすぎなかった。
ハルキは、その冷たさを責めることができなかった。
記録とは、そういうものだ。
熱を持たず、震えもせず、ただ残す。
だからこそ、後で誰かが見られる。
それでも、帰還艇の中で聞いた「全員いるな」という声の方が、はるかに正しく思えた。
「ずいぶん深刻な顔だな、ハルキ」
処置室の奥から、ゼノの声がした。
左目を覆われたまま、ゼノは診療椅子に腰を下ろしている。
医療AIが損傷部位の走査結果を投影していた。
眼球組織。
視神経接続部。
周辺骨格補強材。
数字と線が、淡々と欠けた場所を示している。
「少佐こそ、深刻になるべき状態です」
「深刻になると治るのか」
「治りません」
「なら、後でいい」
ゼノは短く笑った。
医療AIが義眼換装候補を表示する。
標準義眼。
軍用視覚補助義眼。
高耐久型義眼。
いずれも優秀な装備だった。
欠けた視界を補い、距離を測り、照準を補助する。
ただ、それだけだった。
ハルキは画面を見たまま黙った。
ゼノに必要なのは、左目の代替ではない。
ゼノは血を流しながら戦況図を見た。
ハルキに言った。
全部を見るな。
お前は線を見ろ。
俺が順番を決める。
片目を失っても、ゼノは戦場の優先順位を失わなかった。
ならば、補うべきものは視力ではない。
「通常義眼では足りません」
ハルキは言った。
ゼノが片方だけの目を細める。
「ほう」
「少佐に必要なのは、欠けた視界の代替ではありません。戦場全体を失わないための補助です」
医療AIの表示が、一瞬だけ停止した。
《標準換装計画から逸脱します》
「分かっています」
ハルキは続けた。
「距離や照準だけではなく、部隊配置、帰還線、遮断兆候、指揮優先度を同時に扱える視界が要ります」
「作れるのか」
ゼノの声は、軽くなかった。
ハルキは少しだけ息を吸う。
「私に設計させてください」
言ってから、その重さが遅れて来た。
自分はゼノに救われた。
だから返したい。
それは間違いではない。
けれど、それだけでもない。
ハルキが作る視界は、ゼノを次の戦場へ戻す。
もっと広い戦場へ。
もっと深い責任へ。
送り返すための道具になる。
それでも、作らないという選択はなかった。
ゼノはしばらく黙っていた。
「命を拾わせた相手に、今度は目まで作らせるのか。俺も大概だな」
「拒否しますか」
「しない」
即答だった。
「ただし、半端なものなら叩き返す」
「その前提で作ります」
「いい返事だ」
ゼノは笑った。
その時、処置室の入口で足音が止まった。
「なら、私も入る」
ユイだった。
軍務区画で使う硬さではない。
ハルキに向けた、いつもの声だった。
「義眼に全部流したら、少佐でも潰れる。見る順番を作る。指揮官に必要なのは、情報量じゃない。迷わないための優先順位だから」
ハルキは振り返った。
「ユイ」
「止めてもやるでしょ。だったら、最初から混ぜて」
ユイの後ろから、マルコが顔を出した。
「目玉に戦場全部を突っ込むとか、普通に狂ってるからな」
「マルコ」
「だから、狂ってない形に落とす。同期系と遅延補正はオレが見る。ユイが並べて、ハルキが決めたものを、動く形にする」
マルコは処置室の投影表示を一瞥し、眉を寄せた。
「最初から要求仕様が無茶なんだよ。文句のつけがいがある」
「文句は受け付けん」
「受け付けなくても言いますよ。オレの仕事なんで」
ゼノは楽しそうに笑った。
医療AIが、三人の発言を記録し、新規設計案の仮枠を生成する。
《高機能戦術義眼計画。仮称入力を要求》
短い沈黙。
最初に口を開いたのは、マルコだった。
「片目で戦場全部見ようってんだから、名前くらい大げさでいいだろ」
ユイが端末に文字を打ち込む。
《ODIN-EYE》
表示された名を、ゼノが片目で見た。
「神の目か。ずいぶんふてぶてしい」
「似合っています」
ハルキが言うと、ゼノは一拍遅れて笑った。
「言うようになったな」
ハルキは、投影された設計枠を見る。
これは、失われた左目の代替ではない。
ゼノに何を見せるか。
何を見せないか。
そして、次の戦場で何を見落としてはいけないか。
それを決める作業だった。
今回は、第64次作戦後の処置と、ゼノの新しい義眼設計に向けた話でした。
失ったものをそのまま埋めるのではなく、「次に何を見るべきか」を考える回です。
ハルキ、ユイ、マルコの三人が、それぞれ違う役割で設計に関わっていく形になりました。
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