第24話 切れた線
B拠点の警報灯が赤に変わった。
《敵性反応、外縁到達まで四十秒》
現地管制AIが告げる。
ハルキは退避経路を開き、同時に防衛火器を限定起動した。
B拠点は戦闘拠点ではない。
補給と通信、戦況統合のための仮拠点だ。防衛火器は最低限。突破個体を破壊するためではなく、時間を稼ぐためにある。
防衛火器の同期系には、マルコの調整が残っていた。
細かい。
過剰。
だが、こういう時に限って役に立つ。
本人がいれば、きっと言っただろう。
こんなんで止まる相手じゃねえぞ、と。
「止める必要はない。遅らせる」
ハルキは、誰にともなく言った。
外部映像が切り替わる。
突破個体が映った。
白灰装甲。
青い単眼。
損傷した脚部を引きずりながら、それでも速度を落とさないクモ。
正面から撃っても止まらない。
「防衛火器、右前脚の接地直前に集中。仮設制御で可能な範囲まででいい」
《同期、追従》
現地管制AIが返す。
ハルキはアウルスの搬送線を確認した。
切れていない。
ガイウス隊が押さえている。
リディア隊は再編中。
エリス隊の現在位置からでは、B拠点まで射線が通らない。
時間も、火力も、通信も足りない。
それでも、どれか一つでも切れば、戦場は崩れる。
「B拠点、退避開始。ただし通信系は維持。アウルス搬送線は切るな」
《警告。ハルキ、退避推奨》
「まだ下がれない」
《B拠点外縁、破断可能性上昇》
「だから、まだ下がれない」
自分の声が、妙に落ち着いて聞こえた。
怖くないわけではない。
怖い。
だが、今それを処理する場所がない。
端末上の線が一つずつ揺れている。
それをつなぐ方が先だった。
突破個体が防衛火器の範囲に入る。
「撃て」
B拠点外縁から、火線が伸びた。
着弾。
突破個体の右前脚がわずかに沈む。
だが止まらない。
二射目。
装甲表面を削る。
三射目。
単眼が揺れる。
それでも進む。
《減速率、想定未満》
「次弾、脚部ではなく接地面へ。沈ませる」
《了解》
外縁まで十秒。
退避経路は開いている。
ハルキが離れても通信そのものは残る。
だが、補正は遅れる。
その遅れが、アウルスの搬送とリディアの再編を直撃する。
ハルキは端末から手を離せなかった。
《ハルキ》
リディアの声。
《下がって》
「まだだ」
《命令じゃない。下がって》
それは珍しく、任務語ではなかった。
ハルキは返答できなかった。
突破個体が外縁障壁を破った。
金属が裂ける音。
空気圧の乱れ。
灰が内部へ流れ込む。
ハルキは端末を片手で押さえ、もう片方の手で補正値を固定した。
視界の端に、青い単眼が見えた。
近い。
あまりに近い。
戦場の映像として見ていた敵が、目の前にいる。
ハルキは、自分が戦えないことを、ここでようやく身体で理解した。
刃がない。
装甲もない。
あるのは、端末と、つながりかけた線だけ。
突破個体が脚を上げた。
死が、予測ではなく現実として視界に入った。
端末上の危険表示ではない。
自分の身体が、その線の上にある。
その瞬間、灰の向こうから影が割り込んだ。
鈍い光が走る。
大きすぎる軍用剣が、クモの突進軸を叩きずらした。
音は、斬撃というより衝突だった。
突破個体の巨体が横へ吹き飛ぶ。
外縁壁に叩きつけられ、六脚が火花を散らした。
ハルキは、息を忘れた。
灰の中に、ゼノが立っていた。
左目のあった場所から血が流れている。
片腕でオルドを抱え、もう一方の手で長大な軍用剣を握っていた。
オルドは損傷していた。
だが、生きている。
反応はある。
ゼノはハルキを見た。
片目だけで、笑った。
「上出来だ、ハルキ。よく踏ん張った」
ハルキは返答できなかった。
声が出なかった。
ゼノは振り返らずに言う。
「オルド、生きてるな」
「生存しています、ゼノ少佐」
「背部中継器、損傷。自律移動、低下」
「喋れるなら十分だ。後ろへ下がれ」
「ゼノ少佐、あなたの損傷も――」
「後で数えろ。今はBを落とすな」
オルドは一拍だけ沈黙し、後退した。
ハルキは、その短いやり取りを聞いていた。
ゼノはオルドを庇って戻ってきた。
だが、そこで終わらせない。
助けた相手にも、まだ役割を残す。
負傷者としてだけ扱わず、部下として命じる。
乱暴で、雑に見える。
それでも、線を切らせないやり方だった。
「よし。なら、まだ勝てる」
吹き飛ばされたクモが、再び脚を立てた。
コアは無事。
単眼も潰れていない。
ゼノの一撃は、時間を作っただけだ。
だが、その時間が戦場をつないだ。
《ガイウス隊、B拠点外縁へ到達する》
ガイウスの声。
《進路を塞ぐ。カッシウス、左。ノエマ、支援を》
《了解》
《搬送線、維持しています》
ガイウス隊の識別点が、B拠点側に寄る。
突破個体が再突入しようとした瞬間、ガイウス隊の火線がその進行方向を塞いだ。
押し返す。
通さない。
盾の隊らしい動きだった。
《エリス隊、射線通ります》
エリスの声。
《脚部制御を止めます。ヴェロニカ、二秒だけお願いします。ブロンテ、右側接近個体を》
《開ける》
《任せて》
狙撃光が走る。
一発目。
突破個体の左後脚が跳ねる。
二発目。
単眼の周辺装甲が割れ、観測の揺れが増える。
三発目。
背部の中継機能が沈黙した。
コアは残っている。
しかし、再接続動作が止まる。
ガイウス隊が進路を塞ぎ、エリス隊が動きを奪う。
ゼノは剣を構えたまま、踏み込まなかった。
《突破個体、停止》
エリスが言った。
《コア防護は残っています。でも、もうB拠点には届きません》
《十分だ》
ガイウスが答える。
《こちらで押さえる》
ハルキは、ようやく端末に残っていた指の力を抜いた。
直後、現地管制AIから通信が入る。
《アウルス搬送、継続。生命反応、安定域》
ハルキは目を閉じかけた。
まだ終わっていない。
B拠点は守った。
アウルスの搬送線も切れていない。
だが、中枢へ届かなければ、この戦いは勝利ではない。
ゼノが、血のにじむ遮断材を片手で押さえながら、B拠点端末の横に立った。
「ハルキ、全部を見るな」
声だけは崩れていなかった。
「お前は線を見ろ。俺が順番を決める」
「……了解しました」
「アウルスの搬送は切らせるな。B拠点防衛はガイウスに渡せ。リディアは中枢へ行かせる」
ゼノは戦況図を一瞥した。
「そのための線を作れ」
「作ります」
ハルキは端末へ視線を戻した。
ゼノが優先順位を決める。
ハルキが情報を接続する。
それで、まだ戦場は動かせる。
「少佐、処置を」
医療班の一人が言った。
「左目ひとつで戦況図は消えん」
ゼノは言い、すぐに首を振った。
「いや、違うな。俺が見落とした分は、お前が拾え、ハルキ」
「拾います」
「ならいい」
片目を失った男が、戦場全体を引き受けようとしている。
その全部を、ハルキ一人が代われるわけではない。
だが、ゼノの見えない部分を補うことはできた。
代行ではない。
肩を並べることでもない。
足りない場所を、互いに埋めることだった。
リディア隊の表示が、再び動いた。
今回は、ハルキにとってかなり危険な回でした。
戦えない人間が前線近くにいることの怖さと、それでも戦場をつなぎ続ける意味を書いたつもりです。
そして、ゼノがようやく「言葉」ではなく「行動」で見えてくる回でもあります。
次回、第64次作戦の決着です。
続きが気になると思っていただけましたら、評価・ブックマークで応援していただけると励みになります。
Xでは設定断片や制作メモも公開しています。




