第22話 撃たせる場所
第10章 月の秩序
部屋の空気が止まった。
ゼノ・ユル・ヴァレン少佐の声は、先ほどまでより軽かった。だが、言葉の中身は軽くない。
「なら、ちょうどいい。次は俺も行く」
ハルキは、すぐには返答できなかった。
ユイが目を見開いている。マルコは額に手を当て、短く息を吐いた。
「……少佐、それは冗談ですか」
ユイの声は、軍務区画で使う硬さに戻っていた。
「冗談で地球に降りるほど、俺は暇じゃない」
ゼノは笑った。
笑っているのに、目が笑っていない。
「机の上で地球が戻るなら、とっくに戻ってる。現場にしか落ちてない判断がある。そいつを拾いに行く」
「総合指揮官が直接降下する必要がありますか」
ハルキは言った。
ゼノは椅子の背に片腕をかけた。
「ある。第63次で、お前が証明した」
「私が?」
「そうだ。戦闘能力のない人間が、帰還艇の中から選択肢を増やした。命令じゃない。前線の判断を潰さずにな」
ゼノはユイを見る。
「ユイの案も同じだ。机の上だけで終わらせるには惜しい。なら、次は現地で見る」
ユイは口を閉じた。
反論を探しているというより、もう次の計算へ入っている顔だった。
マルコだけが、小さくぼやいた。
「現地で見る、で済む規模じゃねえだろ……」
「聞こえてるぞ、マルコ」
「聞こえるように言いましたよ、ゼノ少佐」
ゼノは声を上げて笑った。
その笑いで、張り詰めた空気が少しだけ緩む。
だが、ハルキの胸の奥に残ったものは消えなかった。
次の作戦。
地球。
灰の地表。
地下から上がってくる、説明できない反応。
ハルキは、それを言葉にしなかった。
言えば、また何かが動く。
そう思った。
*
第64次地球奪還作戦の作戦室は、前回よりも静かだった。
端末は動いている。管制AIは報告を続けている。降下部隊の装備確認、経路計算、敵性干渉予測、帰還艇待機座標の更新。
音はある。
だが、誰も軽い言葉を置かなかった。
前回、月は地球に足場を作った。
旧ゲリラ拠点跡。
かつてテラ連邦側の抵抗組織が使っていた施設群の残骸。その一部が、第63次作戦で再利用可能な地点として確保された。
今回は、そこを足場にする。
目標は、旧テラ連邦要塞基地の制圧。
リディア隊が前進路を切り開く。
ガイウス隊が防衛線と帰還経路を維持する。
エリス隊が観測と狙撃支援を行い、アラミタマ群の再配置を阻害する。
端末上に、六脚機動型のアラミタマ群が表示された。
管制AIが分類を読み上げる。
《六脚機動型、回収型、狙撃型、電子戦型――》
「長い」
ゼノが遮った。
「戦場でそんな名前は使えん。まとめてクモでいい」
《補足。クモは通常、八脚です》
「知ってる。だが、あれを見て六脚機動型自律兵器群と叫ぶ奴は、たぶん先に死ぬ」
ゼノは表示された機体群を指で叩いた。
「現場ではクモだ。種類が要る時だけ、回収型、狙撃型、電子戦型で分ける」
《現場呼称、クモ。補助タグへ登録》
「物分かりがいいな」
《戦術効率を優先しました》
「結構」
ハルキは、戦術図に追加された呼称タグを見る。
クモ。
ひどく乱暴な名前だった。
だが、戦場で叫ぶには、その方が速い。
ユイの三隊連携案は、現地端末に戦術分岐として積まれる。
ただし、作戦中に月とのリアルタイム交信は成立しない。少なくとも、判断に使える速度ではない。
だから、現地で判断するしかない。
ハルキに渡されるのは、あらかじめ積まれた戦術案と、マルコが調整した端末群と、地表に降りた部隊から届く断片的な情報だけだった。
マルコは端末の同期系を開き、作戦図の端に小さな補助線を重ねていた。
「B拠点の現地通信は、オレがいじっといた」
マルコは端末を軽く叩いた。
「月とはまともに喋れねえ。だったら、地表側だけでも落ちにくくするしかない。三隊の位置情報、搬送線、仮設火器の同期。最低限そこは束ねられるようにしてある」
「最低限にしては、多いな」
ハルキが言うと、マルコは肩をすくめた。
「オレ基準の最低限だ。文句は帰ってから聞く」
それ以上は言わなかった。
言えば、軍務ではなくなる。
マルコも、それを分かっている顔だった。
ユイは、その横で三隊連携案の最終確認をしていた。
「手順は入れてある。でも、そのまま使わないで」
「そのまま使わない?」
「ハルキなら読める。だから、答えじゃなくて余白を残した。危ない方へ行かないための保険を、少し多めに入れてある」
ハルキは端末上の分岐図を見た。
ユイは、ハルキが読むことを前提にしている。
選べることも、間違えずに組み替えられることも、前提にしている。
そのうえで、帰るための余白を余計に入れている。
「多め、か」
「文句は帰ってから聞く」
マルコと似た言い方だった。
けれど、ユイの声は少しだけ違った。
責めるためではない。
帰ってきた後にしか、文句は言えないからだ。
作戦図の中央に、三つの隊の識別点が表示されていた。
リディア隊。
ガイウス隊。
エリス隊。
その後方に、仮設補給線。
さらにその上に、旧ゲリラ拠点跡の座標。
ゼノは作戦図を見て、短く言った。
「旧拠点は使う。だが、全部をそこに置くな」
管制AIが応答する。
《作戦書上では、旧拠点を主補給点とする予定です》
「作戦書は読んだ」
ゼノは即答した。
「こちらが読める動きは、敵も読む」
旧拠点の座標を、ゼノが指で叩いた。
「前に取った場所を、次も使う。普通に考えりゃ、そこを撃つ」
《では、旧拠点を放棄しますか》
「違う」
ゼノは笑った。
「撃たれる場所と、戦う場所を分ける」
ゼノは、端末上に新しい点を打った。
旧拠点からやや離れた崩落地帯。
地表からは見えにくく、地下搬送路の一部が残っている地点だった。
「ここに仮拠点を置く。継続補給線はこちらだ。旧拠点には俺が残る」
ハルキは、表示された二点を見た。
旧拠点。
新規仮設拠点。
意図は、すぐに分かった。
「作戦を回す場所を分けるんですね」
「そういうことだ」
ゼノは頷いた。
「A拠点は敵に見せる。B拠点で戦う。敵がAを撃っている間に、こっちはBを中心に部隊を動かす」
「危険すぎます」
ユイが言った。
「旧拠点を囮にするなら、そこにいる指揮系統が切られる可能性があります」
「だから、俺がいる」
「少佐」
「ユイ」
ゼノの声が、少しだけ低くなった。
「総合指揮官が安全な場所にいるだけなら、現場は見えん。俺はA拠点に立つ。ハルキはB拠点で戦況をつなげ」
A拠点。
旧ゲリラ拠点跡。
B拠点。
新規仮設拠点。
ハルキは、その二つの点を見た。
A拠点には、継続補給線を置かない。
そこに置かれるのは、ゼノと、補佐プロクシス一体だけ。
「補佐にはオルドを付ける」
ゼノが言った。
横に控えていたプロクシスが、静かに頭を下げた。
「オルド。A拠点通信補佐、承認しました」
短い低音だった。
「お前は俺の横だ。中継系が落ちる前に、必要なものだけ通せ」
「了解しました、ゼノ少佐」
「頼りにしてるぞ、オルド」
名前で呼んだ。
ただそれだけのことだった。
だが、ハルキには、その一語がゼノの言葉よりも雄弁に聞こえた。
*
地球は、前回と同じ灰色だった。
帰還艇の外部映像に、崩れた地表が映る。
かつて都市だったもの。
道路だったもの。
鉄骨とコンクリートと、識別できない堆積物。
空は薄く、低い。
月の管理された白とは違う。
清潔さのない、だが確かに何かが残った灰だった。
ハルキはB拠点設営班とともに降下した。
リディア隊は前進準備。
ガイウス隊は側面に展開。
エリス隊は高所に近い崩落壁面を取る。
ゼノはA拠点へ向かった。
補佐プロクシスのオルドを連れて。
旧ゲリラ拠点跡は、前回の作戦で確保されたままに見えた。
ただし、見えるものほど信用できない。
ハルキはB拠点の仮設端末に接続した。
地球側の局所通信網が立ち上がる。
月との交信はない。
使えるのは、地表に降りた部隊同士の短距離通信と、B拠点が束ねる断片的な戦況だけだった。
端末の最終確認を終えた時、仕様書の末尾に、作戦手順ではない短い行があることに気づいた。
――今回は、説教だけではすまさないからね。
ユイ
その下に、別の追記があった。
――少佐に首つかまれたら、助けろよ。
マルコ
ハルキは、しばらくその二行を見ていた。
声は届かない。
だが、預けられたものはある。
ユイの手順。
マルコの調整。
そして、二人の余計な言葉。
それを現地でどう使うかは、自分たちで決めるしかなかった。
ハルキは端末に指を置いた。
戦況図が開く。
そこに、三つの隊の点が動き始めた。
今回は第64次地球奪還作戦の開始回でした。
ゼノの「撃たれる場所と、戦う場所を分ける」という判断は、彼の現場指揮官としての性格が出る部分だと思います。
次回は、順調に見えた作戦の指揮線が崩れ始めます。
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