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その果てに、月は神を観る 〜記憶を失った青年と兵器少女は、滅びた地球の真実へ降りる〜  作者: 大導ユウ
第10章 月の秩序

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第21話 月の秩序

 ユイは、ゼノの指摘を黙って聞いていた。


 投影卓の上には、第63次作戦の三隊ログと、ユイが作成した通信途絶時行動表が並んでいる。


 リディア隊。


 ガイウス隊。


 エリス隊。


 断つ隊。


 撃たせない隊。


 戻させない隊。


 第63次作戦では、別々の戦場で動いた三隊が、結果として噛み合った。


 次も同じように噛み合う保証はない。


 だからユイは、繋がっていない時でも、同じ方向へ動ける手順を作ろうとしていた。


 ゼノは、その意図を見抜いている。


「通信途絶時の優先行動。発想はいい」


 ゼノが言った。


「三隊を同時に動かすなら、繋がっていることを前提にするな。切れた後にどう動くかを先に揃えておけ。そこまでは合っている」


「ありがとうございます」


「だが、まだ綺麗すぎる」


 ユイは端末を持ち直した。


「綺麗すぎる、ですか」


「実戦の隊は、表の通りには壊れん。火線が先に崩れる時もある。回収阻止が抜ける時もある。指揮個体を断てても、退路が詰まる時もある」


 ゼノは三つのログを指す。


「お前の表は、三隊がそれぞれ役割を続けることを前提にしている。本当に必要なのは、どれか一つが欠けた時に、残った二つがどう動くかだ」


 ユイは少し黙った。


 それから、すぐに頷いた。


「欠けた時の代替優先順位ですね」


「そうだ」


「ガイウス隊が火線を抑えられない場合、エリス隊は回収阻止より中継妨害を優先。リディア隊は前進ではなく、退路側の敵中核を優先して断つ」


「悪くない。逆は」


「エリス隊が回収阻止不能になった場合、ガイウス隊は撃破ではなく損傷個体の搬送経路を遮断。リディア隊は、断った後の再接続を許さない位置取りを優先します」


 ゼノの目が細くなった。


 怒っているのではない。


 評価している目だった。


「出るな、答えが」


「まだ仮です」


「仮でそれなら十分だ」


 ユイは表情を緩めなかった。


 ゼノ相手だからではない。


 自分が出した答えに、まだ穴があると分かっているからだ。


「三隊を同時に動かすなら、通信が切れた時点で“各隊が何を優先するか”を先に揃えるべきです」


 ユイは言った。


「連携は、繋がっている時だけのものではありません。切れた後に、同じ方向へ動けることも連携です」


 ゼノは声を出して笑った。


 大きな笑いだった。


 だが、馬鹿にしてはいない。


「いい目だ。机の上だけで終わらせるには惜しい」


 ユイはわずかに瞬きをした。


「怖いのを、怖いで止めずに手順へ落としたか。悪くない」


「……怖いです」


 ユイは正直に言った。


「広げれば、壊れ方も大きくなります。だから、壊れる前提の手順が要ります」


「必要ならやるか」


「必要なら、やります」


 ゼノは満足したように頷いた。


「なら、次の作戦案にも目を通せ」


「私が、ですか」


「他に誰がいる。今、三隊の噛み合いを一番嫌がって、一番見ているのはお前だ」


 ユイは即答しなかった。


 評価されることは、必ずしも軽いことではない。


 できると見られた者には、次の責任が来る。


 ユイは、それを分かっている。


「分かりました」


 やがて、彼女は言った。


「必要な範囲で、確認します」


「十分だ」


 ゼノは表示を消した。


「少なくとも、お前は“勝ったから次も勝てる”とは考えていない。その一点だけで、軍務分析の席に置く価値はある」


「褒め方が重いですね」


 マルコが横から言った。


「軽い褒め言葉で命は助からん」


「ごもっとも」


 マルコは肩をすくめた。


 ゼノの視線が、今度はハルキへ向く。


「それから、お前だ」


「私ですか」


 ハルキは思わず聞き返した。


「そうだ。お前の作った刀は上等だ」


 《タケミカヅチ》のことだと、すぐに分かった。


 だが、ゼノはすぐに首を振る。


「だが、俺が見ているのはそこじゃない」


「では、何を」


「現場での判断だ」


 ゼノは投影卓に、帰還艇内の観測ログを表示した。


 ハルキが提示した候補。


 リディア隊が選んだ進路。


 イオナの中継。


 アウルスの位置取り。


 それらが、短い時間軸で重なっている。


「戦闘能力のない人間が、帰還艇の中から候補を出した。しかも命令じゃない。前線の判断を潰さず、選択肢だけを増やした」


 ゼノはハルキを見た。


「それができる奴は少ない」


「偶然です」


「偶然で一度できるなら、訓練すれば二度できる」


「私は指揮官ではありません」


「今はな」


 ゼノは笑った。


「学者をやめて指揮官をやるなら、歓迎するぞ」


「冗談ですか」


「半分はな」


「残り半分は」


「戦場で使える奴は、肩書きより先に拾う」


 ハルキは返事に困った。


 褒められている。


 おそらく、そうなのだろう。


 だが、ゼノの評価は単なる称賛ではない。


 役に立つ。


 だから使われる。


 その冷たさを、ゼノは隠さない。


 同時に、使い捨てるつもりでもない。


 だから厄介だった。


 ハルキは、入室した時の短いやり取りを思い出していた。


 カイ、とゼノは呼んだ。


 右脚の同期を確認し、休止を取れと告げた。


 それを特別な慈悲としてではなく、軍務の手続きの一部として行っていた。


 その自然さが、かえってハルキの中に引っかかっていた。


「言いたいことがある顔だな」


 ゼノが言った。


 ハルキは視線を戻す。


「あります」


「言え」


「名前で呼ぶなら、なぜ制度は番号で扱うんですか」


 部屋が静かになった。


 ユイがハルキを見る。


 マルコは、軽口を挟まなかった。


 ゼノは怒らなかった。


 ただ、少しだけ息を吐いた。


「いい問いだ」


 そう言って、彼は作戦室の横にある観測窓へ歩いた。


 窓の向こうには、月面都市の光が広がっている。


 清潔で、整然としている。


 外側の闇から身を守るように、光の線が区画を区切っていた。


「綺麗な社会だとは言わん」


 ゼノは言った。


「だが、秩序がなければ月は崩れていた」


 ハルキは窓の外を見る。


 セレーネは白い。


 丁寧で、静かで、管理されている。


 保護されている。


 そして、監視されている。


「人として見ているなら、なぜ最初から人として扱わないんですか」


 ハルキは続けた。


 言ってから、自分が少し強く踏み込んだと分かった。


 だが、ゼノはやはり怒らなかった。


「俺一人で制度は変わらん」


「だから、受け入れるんですか」


「違う」


 ゼノの声は低かった。


「制度の外で綺麗なことを言うだけなら簡単だ。だが、ここは月だ。空気も、水も、食料も、住む場所も、誰かが管理しなきゃ維持できん」


 彼は窓の外を見たまま続ける。


「正しさだけで腹は膨れん。自由だけでは、住処は守れん」


 その言葉は、ハルキの胸に残った。


 正しいとは思いたくなかった。


 だが、間違っているとも言い切れなかった。


 ハルキには記憶がない。


 自分がどんな世界で生きていたのかも、どんな社会を正しいと思っていたのかも分からない。


 その状態で、この月の秩序を断罪できるのか。


 できない。


 少なくとも、まだ。


「だから俺は、この秩序の中で、できるだけ名前を呼ぶ」


 ゼノは言った。


「それで、何かが変わるんですか」


「変わらん」


 即答だった。


「だが、変わらんから何もしない、というのはもっと悪い」


 ハルキは言葉を失った。


 ゼノはセレーネを美化していない。


 制度の冷たさも分かっている。


 そのうえで、そこに立っている。


 命令を押しつけるだけの軍人ではない。


 分類し、管理し、守るという名で囲い込む側の人間ではある。


 だが、この男は、その秩序の中で名前を呼んでいる。


「お前は、この月が嫌いか」


 ゼノが聞いた。


 ハルキはすぐに答えられなかった。


 嫌いだ、と言えば簡単だった。


 清潔で、丁寧で、冷たい。


 人を分類し、保護と監視を同じ手つきで行う社会。


 嫌う理由なら、いくつもある。


 だが、さっきのプロクシス兵がいた。


 名前で呼ばれていた。


 休止を取れと告げられていた。


 ユイがいた。


 怖いものを手順で潰そうとしていた。


 マルコがいた。


 仲間を守るために危ない橋を渡っていた。


 リディアがいた。


 帰還個体数三という数字を、自分だけのものにしなかった。


 この月には、冷たい制度だけがあるわけではない。


 ハルキは答えられなかった。


 ゼノは、それで十分だというように頷いた。


「お前らは、この月を嫌うかもしれん」


 ゼノは、月面都市の光を見下ろしていた。


「だが、嫌うなら、よく見てから嫌え。ここにも、生きてる奴はいる」


 ハルキは何も言えなかった。


 セレーネは、清潔で、丁寧で、冷たい。


 人を分類し、守るという名で囲い込む。


 それでも、その光の下に、誰かの生活がある。


 誰かの名前を呼ぶ声がある。


 ハルキはまだ、この月を嫌う資格すら持っていないのだと思った。


「ところで、ハルキといったな」


 ゼノの声が、先ほどの調子へ戻った。


「お前、次の作戦も同行するつもりだろ」


 ハルキは返答に遅れた。


 遅れた時点で、答えたのと同じだった。


「……まだ、正式に許可は」


 ユイが目を見開く。


 マルコは額に手を当てた。


 ゼノは笑った。


「なら、ちょうどいい。次は俺も行く」


 その一言で、部屋の空気が止まった。


お読みいただきありがとうございます。


第10章「月の秩序」は、これにて一区切りです。


セレーネは清潔で、整っていて、そして冷たい社会です。

ただ、その中にも名前を呼ぶ者がいて、守ろうとする者がいて、迷いながら進もうとする者がいます。


今回は、ハルキがその矛盾を初めて正面から見る回でした。


そして最後に、ゼノも次の作戦へ同行することになります。

次章では、第64次地球奪還作戦が動き出します。


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