第17話 盾の隊
第9章 三つの隊
灰の街は、音を吸った。
崩れた建物の断面を風が抜け、焼けた金属片が乾いた音を立てる。黒く割れた舗装の上には、白灰色の粉塵が積もっていた。
リディア隊が旧通信節跡の確保へ向かっていた頃、別部隊が帰還経路と側面経路の維持を担当している。
同じ作戦。
同じ敵。
だが、役割は違う。
その粉塵に、六本の脚跡が増えていく。
アラミタマ。
速い。
そして、無駄が少ない。
ガイウス・プロクシスXは、遮蔽物の影から半身を出した。
視界の奥で、青い単眼が三つ、瓦礫の向こうに重なる。
正面から来ない。
それだけで、模擬戦とは違うと分かる。
「ノエマ」
「右前方、三基。武装展開予兆。砲口開放まで四秒」
ノエマの声は平坦だった。
だが、急いでいないわけではない。彼の端末には、アラミタマの脚部角度、単眼の明滅周期、球状コア外縁の微細な開口が重ねられている。
敵は撃つ準備をしている。
それも、ガイウス隊だけを撃つためではない。
さらに後方。
旧ゲリラ拠点跡へ続く側面経路。
前方の隊が通るかもしれない道だった。
「カッシウス」
「了解」
カッシウスは返事だけで前へ出なかった。
ガイウスが盾を置くまで、彼は動かない。
臆病ではない。
そう決めているからだ。
ガイウスは左腕部の装甲を展開した。
ヘカトンシールドの外郭が、骨格のように開く。圧縮された防御場が前方へ伸び、空間そのものに重さを与えるように揺らいだ。
警告表示。
射線、三。
突撃予兆、二。
妨害濃度、増大。
「出ろ。三秒、保たせる」
「三秒あれば十分だ」
カッシウスが飛び出した。
次の瞬間、青い単眼が強く光る。
火線が来た。
熱ではない。実弾でもない。圧縮されたエーテル反応を帯びた断続射撃が、瓦礫を削り、粉塵を白く跳ね上げる。
ガイウスは盾を前に押し出した。
衝撃が腕を通って肩まで食い込む。防御場の端が軋み、シールド負荷が赤く瞬く。
それでも、退かない。
盾は、後ろを守るためだけにあるのではない。
味方が前へ出る時間を置くためにある。
「右二基、砲口露出」
「見えている」
カッシウスが瓦礫を蹴った。
彼の武装は、火力で押し切るためのものでもない。
露出した兵装を叩く。
敵が撃つために開いた部位を、撃つ前に潰す。
それがガイウス隊の攻撃だった。
カッシウスの槍が、最初のアラミタマの展開アームを突き崩す。続けて脚部関節。射線が一つ消えた。
「二基目、左へ旋回。カッシウスの背後を取ります」
「取らせない」
ガイウスは盾を斜めにずらした。
真正面から防ぐのではない。敵の射線を、撃っても意味のない方向へ滑らせる。
白い光が防御場に当たり、灰の壁面を削った。
その一拍で、カッシウスが二基目の砲口を破砕する。
青い単眼が瞬いた。
敵が怯んだように見えた。
だが、ガイウスはそう判断しなかった。
アラミタマに怯みはない。
あるのは、再配置だけだ。
「ノエマ、次」
「後方から五基。うち二基、脚部加速。突撃個体です。撤退路ではなく、側面経路の閉鎖を狙っています」
「閉じさせるな」
「了解。推奨配置を送ります」
ノエマの端末から、ガイウスの視界へ薄い線が走った。
敵の移動予測。
味方の退避経路。
前方の進行状況は、断片でしか返ってこない。
だからこそ、ガイウスは道を閉じさせない。
誰が通るか分からない道でも、閉じてしまえば終わる。
「カッシウス、戻れ」
「まだ一基残っている」
「戻れ」
ガイウスは声を荒げなかった。
それでも、カッシウスは即座に引いた。
直後、瓦礫の下から六脚が跳ね上がる。白灰色の球状コアが露出し、青い単眼がカッシウスの背中を捉えた。
ガイウスは二歩前へ出る。
ヘカトンシールドを地面に打ち込んだ。
防御場が半円状に広がる。
衝撃。
膝が沈む。
腕部接続に痛みに似た警告が走る。
痛みではない。
そう処理できるはずだった。
だが、ガイウスはそれを数値として切り捨てなかった。
ここで盾が落ちれば、カッシウスが死ぬ。
ノエマが潰される。
側面経路が閉じる。
別戦域の誰かが、帰れなくなる。
「ガイウス、負荷限界まで二割」
ノエマが言った。
「保つ」
「次弾まで二秒」
「保つ」
「突撃個体、接触します」
「カッシウス」
「今度は分かっている」
カッシウスは盾の外へ出ず、内側から槍状の武装を突き出した。
突撃してきたアラミタマの脚部が、防御場に触れた瞬間、動きが鈍る。そこへカッシウスの一撃が入った。
脚が二本、根元から砕ける。
球状コアが傾いた。
「ノエマ」
「砲口再展開、ありません。武装機能、停止」
「次へ移る」
ガイウスは息を吐いた。
息を吐く必要がある身体なのか、ときどき分からなくなる。
プロクシスの身体は、呼吸を戦闘継続のためだけに処理できる。酸素の取り込み、血流、筋出力、反応補正。そこに感情を挟む必要はない。
だが、ガイウスは息を吐いた。
盾を持つ腕に残った重さを、少しだけ外へ逃がすように。
前方で、青い単眼がまた増えた。
アラミタマは、倒れた個体のコアへ別個体を近づけている。
回収。
再配置。
撃破されたものを、そのまま戦場から消すつもりがない。
「回収個体。後方に三」
ノエマが言う。
「こちらで追うか」
カッシウスが問うた。
ガイウスは即答しなかった。
追えば、敵の再利用を防げる。
だが、ここを離れれば、側面経路が薄くなる。
閉じてはならない道は、ガイウスの背後にある。
「追わない」
「了解」
カッシウスは不満を言わなかった。
その判断が正しいからではない。
ガイウスが、どこを守るべきかを見ていると知っているからだ。
「ノエマ、回収個体の座標を送れるか」
「妨害が濃いです。広域送信は不安定。ですが、圧縮パケットなら投げられます」
「投げろ。届く相手がいるかもしれない」
「了解」
ノエマが短く操作した。
座標情報が、灰の街のノイズの中へ放り込まれる。
誰に届くかは分からない。
それでも、誰かが拾う可能性はある。
戦場では、その可能性だけで十分な時がある。
青い単眼が再び強く光った。
今度は射線が広い。
五基が横に並び、火線で面を作ろうとしている。
ガイウスは盾を構え直した。
カッシウスはすでに左へ動いている。
ノエマは次の武装展開予測を重ねている。
彼らはガイウスを見ていない。
見なくても、盾がどこに置かれるかを分かっていた。
「カッシウス、二基目からだ」
「一基目は」
「撃たせる」
「了解。なら、撃たせた後に折る」
「ノエマ、負荷分散」
「シールド右縁を捨ててください。中央と左を残せば、側面経路は保ちます」
「分かった」
ガイウスは右縁の防御場を切った。
警告が増える。
守れない場所ができる。
それは敗北ではない。
守るべき場所を選ぶことだった。
一基目の射撃が右側の瓦礫を削り飛ばす。
防御場のない場所に白い破片が舞った。
ガイウスは中央を保った。
カッシウスが二基目へ踏み込む。
ノエマが三基目の展開遅延を拾う。
盾が火線を押さえ、刃が武装を折り、解析が次の一秒を作る。
撃破数は増えない。
敵のコアも残る。
だが、アラミタマの火線は痩せていった。
牙を折られた群れは、前へ出る力を失う。
その先で、別戦域の反応が一瞬だけ揺れた。
誰のものかは判別できない。
ただ、閉じてはならない道はまだ開いている。
ガイウスは、敵の沈黙を勝利と誤認しなかった。
沈黙は、アラミタマにとって待機とほとんど同義だった。
青い単眼の明滅が落ちる。球状コアの外縁が閉じる。六脚の角度が変わる。
撃たないのではない。
撃てる形へ組み替えている。
「ノエマ、敵群の中心はどこだ」
「この戦域内にはありません。指示源はさらに後方。少なくとも二つの中継を経由しています」
「なら、ここで全部を止める必要はない」
カッシウスが短く笑った。
「全部倒すな、って命令は苦手だな」
「倒せるものだけ倒せ。撃たせるものを残すな」
「分かりやすい」
ノエマが新しい軌道を示す。
「側面下層、脚部高速個体。直接攻撃ではありません。瓦礫を崩して、経路を塞ぐつもりです」
「カッシウス、脚を落とせるか」
「盾は」
「左を空ける。右は捨てる」
「また捨てるのか」
「守る場所を間違えるよりいい」
「了解」
カッシウスが低く沈み、瓦礫の影へ消えた。
ガイウスは盾をずらす。
右側面に射撃警告が走った。
そこを捨てる。
すべてを守ろうとすれば、すべてを薄くする。
ガイウスはそれを知っていた。
盾を持つ者が最初に選ぶべきものは、耐える覚悟ではない。
何を守るかだった。
ガイウスは盾を置き直した。
「ここを保つ」
誰に向けた言葉でもなかった。
それでも、カッシウスが笑う気配だけを短く返した。
「了解。なら、前は任せろ」
ノエマが次の座標を重ねる。
「敵武装、再展開。ですが、間に合います」
「そうか」
ガイウスは前を見た。
灰の街に、青い単眼が増えていく。
彼の役割は、それをすべて倒すことではない。
撃たせない。
閉じさせない。
帰るための道を残す。
守るとは、停止ではない。
味方が進む時間を、そこに置くことだった。
戦闘は、急に終わらない。
火線が細り、脚音が遠ざかり、青い単眼が一つずつ見えなくなっても、終わったと判断するには早すぎる。
ガイウスは盾を畳まなかった。
「周辺隊、撤退開始」
ノエマの声が入った。
「前方二隊、帰還経路へ移行。側面反応、低下。少なくとも、この経路を通る個体は残っていません」
カッシウスが矛を下ろした。
「やっと帰れるか」
「まだだ」
ガイウスは短く返した。
灰の街は沈黙している。
だが、沈黙は安全と同じではない。
「最後に動く」
カッシウスが息を吐いた。
「しんがり、か」
「そうだ」
ノエマが端末を確認する。
数秒。
長くはない。
だが、撤退する側にとっては十分に長い数秒だった。
「周辺個体、帰還経路へ移行完了。残存反応、遠方へ後退。帰還経路、維持されています」
その報告を聞いてから、ガイウスは初めて一歩下がった。
盾は、勝つためだけに置くものではない。
誰かが帰る、その最後の一歩まで残すものだった。
「ガイウス隊、帰還行動へ移る」
灰の街の奥で、青い単眼がひとつ、遠く瞬いた。
ガイウスは振り返らなかった。
まだ、背中を見せるには早かった。
お読みいただきありがとうございます。
今回はガイウス隊の戦闘回でした。
リディア隊とは違い、敵を直接断つのではなく、撃たせず、道を閉じさせず、最後まで残る隊として描いています。
ガイウス、カッシウス、ノエマの関係性も、派手な言葉ではなく、戦場での判断と行動から伝わるよう意識しました。
次回は、もう一つの別戦域――エリス隊の戦いです。
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