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その果てに、月は神を観る 〜記憶を失った青年と兵器少女は、滅びた地球の真実へ降りる〜  作者: 大導ユウ
第8章 灰の故郷

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第16話 ノイズ


 青い単眼の数が、また増えた。


 リディアは、帰還経路を見た。


 開いている。


「イオナ、退路」


「維持しています。ただし、長くは保ちません」


「アウルス」


「防護、持たせます」


 リディアは《タケミカヅチ》を握り直した。


 ここで長く戦う必要はない。


 旧通信節跡の確保は完了している。前線拠点構築に必要な座標、通信節、地形データは取得した。


 これ以上、敵を削る必要はない。


 必要なのは、戻ることだった。


「南東区画、帰還経路へ移行」


 イオナが通信を流す。


 返答は断片的だった。


 北西区画、撤収準備。


 西側、制圧継続。


 第五トリアド、負傷個体搬送。


 第十トリアド、通信不安定。


 リディアはそれを聞きながら、前方を見た。


 アラミタマの群れは追ってくる。


 撤退する敵を逃がさないのではない。


 帰還経路そのものを閉じる。


 それが、この群れの動きだった。


     *


 帰還艇内で、ハルキは三つの表示を同時に見ていた。


 リディア隊の帰還経路。


 《タケミカヅチ》の負荷値。


 アラミタマ群体の再配置予測。


 その下に、見慣れない波形があった。


 戦闘ログの端に、引っかかるように。


 最初は、戦闘ノイズに見えた。


 ケルベロス・ネットの干渉。


 アラミタマの通信妨害。


 地表反射。


 地球戦域の観測ログは、最初から汚れている。


 だが、その波形だけは違った。


 地中深部。


 旧ゲリラ拠点跡の直下ではない。


 もっと深い。


 旧体制施設群へ伸びる地下構造の、さらに下。


 未登録反応。


 分類不能。


 ハルキは、反射的にログを拡大した。


 胸の奥が、遅れて反応する。


 地球を見た時と同じだった。


 知らないはずのものが、知らないと言い切る前に沈む。


「何だ、これ」


 波形は弱い。


 だが、ただ弱いのではない。


 遠い。


 深い。


 ノイズの中に埋もれながら、消えない。


 月側へ送信しようとする。


 送信失敗。


 再試行。


 失敗。


 戦闘ノイズとして自動分類されかける。


 ハルキは指を止めた。


 追うべきだ。


 そう思った。


 この反応は、ただの戦闘ノイズではない。


 断言できる根拠はない。


 だが、見逃してはいけない感覚だけがあった。


 通信の向こうで、イオナの声が入る。


「帰還経路、開きます。隊長、二十秒以内に」


「了解」


 リディアの声。


 ハルキは、地中深部の反応と、リディア隊の帰還経路を同時に見た。


 見ること。


 戻すこと。


 その順序を間違えれば、誰かが帰れなくなる。


 ハルキは未登録反応をローカルに保存した。


 追跡はしない。


 今は、帰す。


「リディア、帰還経路の右側に攪乱が残っている」


「断つ?」


「いや、そこは囮だ。アウルスの防護で抜けられる。切るなら後方の回収信号。追撃が一拍遅れる」


「分かった」


 リディアは即断した。


 《タケミカヅチ》が走る。


 一太刀目。


 観測。


 刃が拾う反応は、やはり濁っていた。


 だが、リディアはもう、その濁りを恐れなかった。


 濁っているなら、全部を斬ろうとしなければいい。


 必要なものだけを取る。


 戻るために必要な線だけを断つ。


 二太刀目。


 断絶。


 群れの追撃が遅れた。


 アウルスが防護を展開し、イオナが通信中継を回収する。


 三人が帰還経路へ入る。


 灰の中から、青い単眼がいくつも開く。


 だが、届かない。


 帰還艇の回収扉が開いた。


「リディア隊、帰還」


 イオナの声が入る。


 ハルキは、思わず席から立ち上がりかけた。


 固定具に止められる。


 リディアが入ってくる。


 続いてアウルス。


 最後にイオナ。


 三人。


 ハルキは、その数を見た。


 リディアも見ていた。


 任務成功の表示より先に。


 敵性反応減衰より先に。


 彼女は、帰還確認欄を見ていた。


 第63次作戦投入、十二トリアド。


 プロクシス、三十六体。


 リディア隊、帰還個体数:三。


 リディアの視線は、そこからしばらく動かなかった。


「隊長?」


 アウルスが声をかける。


「問題ない」


 リディアは言った。


 だが、その声はわずかに低かった。


 問題ない。


 それは報告だった。


 同時に、自分へ言い聞かせる言葉にも聞こえた。


 イオナが自隊の損傷欄を確認する。


「アウルス、右腕部防護機構に過負荷。隊長、《タケミカヅチ》同期負荷が基準値上限付近です」


「戦闘継続は可能」


「帰還後、再評価です」


「了解」


 アウルスが息を吐いた。


「覚悟はしてました。……けど、帰れました」


 リディアは短くうなずいた。


「帰った」


 それだけだった。


 それだけで、十分だった。


 帰還艇が上昇を開始する。


 地表が遠ざかる。


 灰の街が小さくなる。


 青い単眼の群れが、瓦礫の奥へ沈んでいく。


 旧ゲリラ拠点跡は確保された。


 前線拠点は構築可能。


 旧体制施設群へ進むための足場は、作られた。


 だが、ハルキの端末には、地中深部の未登録反応が残っていた。


 消えない。


 送れない。


 分類されない。


 それは、勝利の記録の下に、黒い染みのように残った。


     *


 月へ戻る頃には、灰の匂いは消毒された空気に塗り潰されていた。


 帰還艇の扉が開き、白い照明が中へ流れ込む。


 整備員が駆け寄る。


 監督官が記録を確認する。


 プロクシスたちは検査区画へ誘導される。


 ハルキは観測席からようやく解放された。


 足を下ろした瞬間、膝が少し重かった。


 重力ではない。


 まだ地球の揺れが身体に残っている。


「はい、説教の時間」


 降機口の先で、ユイが腕を組んで待っていた。


 マルコが隣で片手を上げる。


「おかえり、観測席の置物」


「第一声がそれか」


「無事なら雑に扱っていいだろ」


 ユイはハルキの顔を見た。


「……本当に無事?」


「たぶん」


「たぶんは禁止」


 マルコの視線が、ハルキの端末へ落ちた。


「で、何か見たな」


 ハルキは、すぐには答えなかった。


     *


 帰還から数時間後。


 作戦ログ検討会が開かれた。


 ハルキはそこにはいない。


 リディアもいない。


 ユイもいない。


 マルコは、当然、出席権限を持っていなかった。


 だから、別の方法を使った。


 非接続型記録片。


 小さな保存媒体。


 ネットワークに接続しない。送信もしない。受信もしない。ただ、その場の音を拾い、後で回収する。


 古い方法だった。


 だからこそ、最新の監査には引っかかりにくい。


 マルコは、会議準備用の備品にそれを紛れ込ませた。


「悪いな」


 誰に向けた言葉でもなかった。


「オレ、心配性なんだよ」


 記録片が戻ってきた時、月の居住区は静かだった。


 共同研究室の照明だけが、まだ落ちていない。


 マルコは灰色の白衣の袖をまくり、端末へ記録を流した。


 音声は悪い。


 会議室の反響、机の振動、端末の駆動音。


 拾えた言葉は断片だけだった。


《第六十三次作戦……戦術的成功》


《旧ゲリラ拠点跡、確保》


《リディア隊における新型近接兵装の有効性……確認》


 マルコは黙って聞く。


《エランテスの現地判断……有効》


 指が止まる。


《管理分類の再検討が必要》


 マルコの目が細くなった。


 やっぱりな。


 声には出さない。


《地下深度……未登録反応》


 音声が乱れる。


 白いノイズ。


《分類は、戦闘ノイズで処理》


 マルコは再生を止めた。


 部屋が静かになる。


 端末の光だけが、灰色の白衣を照らしていた。


 戦闘ノイズ。


 便利な言葉だった。


 拾いたくないものを、拾わなかったことにする。


 見たくないものを、見なかったことにする。


 マルコは、もう一度だけ最後の断片を再生した。


《分類は、戦闘ノイズで処理》


 再生停止。


 マルコは、短く笑った。


「……ノイズ扱いされたものほど、後でだいたい本命なんだよな」


 その笑いは、軽くなかった。


第8章「灰の故郷」はこれで一区切りです。

リディア隊は帰還しましたが、戦場で拾われた“ノイズ”は、まだ終わっていません。


次章では、第63次作戦の別戦域と、その評価が描かれていきます。

引き続きお付き合いいただければ幸いです。


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