第15話 群れを断つ雷
最初に動いたのは、脚だった。
白灰色の球状コアの下で、六本の脚が瓦礫を噛む。機体は跳ねるように横へ移動し、崩れた壁面を足場にして角度を変えた。
人型ではない。
獣でもない。
兵士ではなく、機能の塊だった。
アラミタマ。
青い単眼が、粉塵の向こうで明滅する。
現場では、それをクモと呼ぶ者もいた。
正式な型名ではない。だが、瓦礫の壁を這い、崩れた天井を伝い、死角から青い単眼を開く姿には、その呼び方がいちばん近かった。
「接敵」
イオナが言った。
「数、六。いえ、後方に反応。九以上」
「九で止まると思うな」
アウルスが防護フィールドを展開した。
直後、白灰色の機体が三方向から飛び出す。
標準火器が火を噴いた。
一体の脚が砕ける。
もう一体のセンサーが割れる。
だが、止まらない。
脚を失った機体の上部から、球状コアが切り離された。後方の別個体が滑り込み、それを抱えるように回収する。
青い単眼が、別の躯体で再点灯した。
「コア回収確認」
イオナの声が硬くなる。
「模擬体より速い」
「分かってる」
リディアは地を蹴った。
通常刀なら、関節を断つ。
標準戦術なら、脚部を落とし、センサーを潰し、通信部を叩く。
それは間違いではない。
だが、それだけでは戦場が終わらない。
関節は壊せる。
外装も割れる。
青い単眼も潰せる。
それでも群れは止まらない。
リディアは《タケミカヅチ》を抜いた。
鞘内の赤い線が走る。
一太刀目。
観測。
刃がアラミタマの外殻を掠める。
手応えが濁った。
模擬体とは違う。
整った位相のずれではない。複数の反応が重なり、刃の中で泥のように崩れる。
コア。
回収経路。
通信妨害。
撤退路封鎖。
敵が敵としてそこにあるための線が、何本も絡まっている。
どれがコアを断つ線なのか。
まだ見えない。
リディアの足が一瞬止まる。
その一拍を、アウルスが埋めた。
防護フィールドが正面の突撃を受ける。
衝撃。
アウルスの足が、瓦礫を削って半歩下がる。
「隊長、まだですか」
「取ってる」
リディアは短く答えた。
焦りはあった。
だが、急げば斬れるわけではない。
《タケミカヅチ》は力で押す兵装ではない。出力を上げれば、敵より先にこちらの同期が崩れる。
一太刀目で読む。
二太刀目で断つ。
その一拍を間違えれば、斬撃はただの刃になる。
*
帰還艇内で、ハルキはログを見ていた。
《タケミカヅチ》の観測記録が割れている。
対象位相構造、取得不安定。
識別攪乱、複数層。
コア位置、暫定。
模擬体の時は、ずれはまだ線として見えた。
ここでは違う。
線ではない。
絡まった束だ。
ハルキは端末上の反応を追った。
コアそのものではない。
コアへ向かって、いくつもの反応が集まっている。その一つが、破損個体から球状コアを回収するための信号になっていた。
群れが、傷ついた個体を捨てない。
捨てずに、組み替える。
「リディア、今の反応はコアじゃない」
ハルキは通信を開いた。
「回収経路だ」
リディアは刃を構え直す。
「なら、先にそこを断つ」
ハルキは次の候補を示した。
「右奥の個体。脚部じゃない。背部の通信節。そこから回収信号が出ている」
「分かった」
リディアは踏み込んだ。
ハルキは命令していない。
斬るものを選んだのはリディアだった。
二太刀目。
《タケミカヅチ》が赤く走る。
装甲を砕く音は小さい。
だが、青い単眼の群れが一拍遅れた。
脚を失った個体のコアが、回収されない。
後方の別個体が、動きを止める。
イオナが即座に言う。
「回収停止、確認」
「今」
リディアがコアを断った。
沈黙。
一体。
だが、一体では足りない。
灰の奥から、また青い光が開く。
さらに後方、崩れた建物の二階部分に、別の単眼が灯る。地表だけではない。壁面、梁、崩落した床板の裏。アラミタマは地形の上下を区別していない。
足場があれば進む。
死角があれば潜る。
通れなければ、壊して通る。
アウルスが舌打ちした。
「どれだけいるんだよ」
「数えないで。数えると遅れる」
イオナが短く返す。
通信にノイズが走った。
帰還艇内のハルキの端末にも白い線が入る。
ケルベロス・ネットの干渉。
月との通信は、ほとんど使えない。
地上近距離通信も、イオナの中継を通してようやく保っている状態だった。
「中継ドローン一機、落ちます」
イオナの声。
「予備を出します」
「予備投入、許可」
リディアが言う。
小型ドローンが灰の中へ飛び出した。
直後、瓦礫の陰から伸びた細い脚がドローンを捕まえ、壁へ叩きつける。機体が火花を散らし、映像の一部が欠けた。
イオナは顔色を変えない。
だが、通信線は細った。
リディアは周囲を見る。
退路が狭い。
瓦礫が動いたのではない。
アラミタマが動かした。
六脚機動体が左右の崩落壁へ入り込み、こちらの移動経路を封じている。正面の個体は囮。後方の個体がコアを回収し、側面の個体が退避路を閉じる。
群れが戦場を作っている。
模擬体のように、標的としてそこにいるのではない。
地形そのものを敵に変えていく。
リディアは、脳裏に八年前の戦場がよぎる。
帰還個体数、一。
白い文字。
黒い背景。
壊れた刃。
ノイズの奥から聞こえた、自分の名。
――リディア。
息を止める前に、イオナの声が割り込んだ。
「隊長、右後方。閉じられます」
リディアは意識を戻した。
ここは、あの時とは違う。
アウルスがいる。
イオナがいる。
帰るべき道がある。
「ハルキ、次の候補を」
リディアが言った。
その一言に、ハルキは一瞬だけ呼吸を止めた。
信頼、というほど柔らかいものではない。
必要だから使う。
それで十分だった。
ハルキは端末の濁った線を追う。
「左後方の二体は囮。断つなら、右の壁面裏。退路封鎖の節がある」
「見えない」
「イオナ、中継角度を上げられるか」
「二秒ください」
イオナのドローンが上昇する。
ノイズ。
映像が乱れる。
青い単眼が、壁の裏で開く。
「取れました」
「リディア、今なら見える」
「見えた」
リディアは走った。
アウルスが前に出る。
敵の突撃を受け止める。
防護フィールドが歪み、光の膜が一瞬だけひび割れたように揺れた。
「隊長、道は開けます」
「頼む」
リディアは一太刀目を入れた。
観測。
濁る。
だが、今回は迷わない。
全部を追わない。
コアではない。
装甲でもない。
群れが次の動作へ移るための、細い節。
それだけを取る。
イオナが位置を補正する。
アウルスが一拍を支える。
リディアが二太刀目を入れる。
断絶。
右壁面裏の個体が沈黙した瞬間、退避路表示が白へ戻った。
ハルキは端末を見る。
アラミタマの群れに、一拍の遅れが生じている。
そこへ、別ルートのトリアドから通信が入った。
音声は乱れている。
内容は断片だけだった。
北西区画、交戦中。
西側通信節、制圧進行。
負傷個体、複数。
別の通信が重なる。
南側遮蔽線、確保。
第三トリアド、行動継続。
第七トリアド、損傷二。
作戦は、リディア隊だけで動いているわけではない。
十二トリアド。
三十六体。
それぞれが別の灰の中で戦っている。
ここで一隊が崩れれば、穴が開く。
穴が開けば、群れがそこへ流れ込む。
ハルキは、リディア隊の端末表示だけに意識を戻した。
ここで見るべきものを、間違えてはいけない。
リディアが《タケミカヅチ》を返す。
刃の赤い線が灰の中で細く走った。
コアを斬るのではない。
群れが群れであるための、節を断つ。
青い単眼が、一拍遅れた。
アウルスがその隙に前へ出る。
「押し返す」
「深追いしないで」
イオナが短く言う。
「分かってる」
「それ、分かってない時の返事」
「分かってるって」
アウルスの防護が、瓦礫の通路を一時的に押し広げた。
リディアはそこを抜ける。
前方のアラミタマが、脚を広げて通路を塞ぐ。青い単眼がリディアを捉えた。
その瞬間、単眼の表示が二重にぶれる。
識別攪乱。
敵の位置ではない。
敵の意味そのものが、揺れる。
そこにいるはずの機体が、半歩ずれた場所にもいるように見える。コアの反応が、背部にも、腹部にも、脚部にも重なる。
リディアは踏み込みを止めた。
止めた瞬間、側面から別個体が来る。
アウルスが割り込んだ。
衝撃音。
「隊長、長くは持たない」
「一拍でいい」
リディアは刃を返す。
「ハルキ」
「正面は囮。左脚部の下、通信妨害の中心がある」
「見えた」
ハルキが言い終えるより早く、リディアは刃を返していた。
拾った濁りの中から、一本だけを抜き出す。
一太刀目。
観測。
赤い線が走る。
反応は濁る。
だが、左脚部の下にある歪みだけが、刃の中で浮いた。
次で断つ。
二太刀目。
断絶。
通信ノイズが一瞬だけ薄くなった。
イオナが即座に言う。
「中継回復。十秒」
「十分」
リディアは次の敵を見た。
灰の街は沈黙しない。
崩れた窓の奥で、青い単眼がまた開く。
足元の瓦礫の下で、脚が動く音がする。
遠くの壁が崩れ、別の機体が姿を現す。
止めたはずの経路が、別の形でつながる。
アラミタマは、失ったものを惜しまない。
群れの形を変えるだけだ。
リディアは《タケミカヅチ》を構え直した。
強い武器だ。
だが、万能ではない。
一太刀目を外せば、二太刀目はただの斬撃になる。
観測が濁れば、断つべき対象を間違える。
間違えれば、アウルスかイオナがその一拍を支払う。
それは許さない。
「旧通信節跡まで、百二十」
イオナが言った。
「敵性反応、まだ増えています」
「突破する」
リディアは答えた。
声は静かだった。
だが、刃の中では赤い線が脈打っていた。
最初は、どれがコアを断つ線なのか見えなかった。
今は違う。
全部を見る必要はない。
帰るために必要な線だけを拾う。
群れが群れであるための節を取る。
それだけで、戦場は一拍遅れる。
帰るために、断つ。
リディアは灰の中を走った。
青い単眼が、一斉にこちらを向いた。
だが、止まらない。
瓦礫の奥で、別の単眼が開く。
さらに奥で、もう一つ。
灰の街は、まだこちらを見ていた。
今回は、アラミタマとの本格戦闘回でした。
模擬体ではない本物のアラミタマが、どう戦場を変えてくるのかを意識して描いています。
《タケミカヅチ》も、ようやく実戦投入です。
次回、第63次地球奪還作戦の帰還と、その裏で拾われたものを描きます。
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