第14話 灰の故郷
降下艇が揺れた瞬間、ハルキの背中が座席に叩きつけられた。
「ぐっ……」
喉の奥で声が潰れる。
固定具は締まっている。座席の衝撃吸収も作動している。だが、それでも内臓が一拍遅れて落ちてくるような感覚があった。
視界の端で、警告灯が黄色く瞬く。
大気圏突入。
姿勢制御補正。
外殻温度上昇。
表示は淡々としている。
だが、身体は淡々としていられなかった。
ハルキは歯を食いしばった。
降下艇の外殻を、空気が削っている。音は直接聞こえないはずなのに、機体全体が低く震え、骨に響く。重力が斜めからかかり、肺が押し潰されるようだった。
隣では、リディアが微動だにしていない。
アウルスも、イオナも同じだった。
座席に固定され、装備確認を続けている。揺れを揺れとして処理していない。衝撃に耐えているのではなく、最初からその程度を計算に入れている身体だった。
プロクシス。
兵士型人工人類。
その言葉の意味が、いまさら肉体の差として見える。
「ハルキ」
リディアが言った。
「呼吸が乱れています」
「……この揺れで、乱れない方がおかしい」
「許容範囲内です」
「人間基準で話してくれ」
リディアは少しだけ考えた。
「人間基準の許容範囲は、不明です」
「だろうな」
ハルキは短く笑おうとして、失敗した。
降下艇がもう一度揺れる。
今度は横から殴られたような衝撃だった。
固定具が肩と胸を押さえる。
ハルキは思わず息を止めた。
プロクシスたちは、やはり動じない。
誰も文句を言わない。
誰も「もう少し衝撃を抑えろ」と言わない。
そういう設計なのだ。
セレーネは、プロクシスが耐えられる前提で降下艇を作っている。そこに人間が一人混じることなど、通常の設計思想には入っていない。
ハルキは、それを身体で理解した。
配慮がないのではない。
そもそも、配慮の対象として数えられていない。
「観測席、起動」
イオナの声が通信に入る。
「地上近距離通信、中継準備。月側通信は、降下中から断続低下」
ハルキの前面端末が開いた。
《タケミカヅチ》実戦ログ。
リディア隊通信。
地表走査。
ケルベロス・ネット干渉値。
地表走査の表示に、古い戦史ログが重なった。
約百年前。
外宇宙由来未確認巨大艦、地球圏侵入。
地球防衛網およびケルベロス・ネット、迎撃。
対象、撃沈。
撃沈直前、無人自律兵器群投下。
アラミタマ。
以後、同群はケルベロス・ネットを掌握。
月側からの再侵入は、恒常的に阻止されている。
人類残存反応、記録なし。
地球は、奪還対象として分類されていた。
その分類の下で、月側通信の波形が白く崩れていた。
だが、地上近距離通信は別だった。
降下後、イオナを中継点として、リディア隊と帰還艇内観測席を細くつなぐ。
細い。
だが、切れてはいない。
「ハルキ、観測席の応答確認を」
イオナが言った。
「聞こえている」
「遅延、許容範囲内です。観測席固定を維持してください」
「了解」
「異常があれば、即時申告を」
「分かった」
ハルキは短く答えた。
イオナの声は淡々としている。
だが、そこには任務としての丁重さがあった。
ハルキは戦闘員ではない。
観測補助要員であり、同時に保護対象でもある。
自分から志願してここにいるのに、ここから一歩も出るなと言われている。
必要だから連れてこられたのではない。
必要だから、制限されている。
端末の奥で、灰色の地球が近づいてくる。
ハルキは窓外を見た。
青くはなかった。
雲は裂け、海は濁り、地表には灰色の帯が広がっている。焼けた都市、崩れた道路、黒く沈む盆地。遠くに、かつて光を集めていたはずの構造物が折れていた。
月から見た地球は、もっと遠かった。
映像資料で見た地球は、もっと平面的だった。
だが、いま目の前にある地球は違う。
近い。
重い。
傷ついている。
知らない星だった。
そう言い切るには、胸の奥の反応が遅すぎた。
ハルキは、その景色から目を離せなかった。
記憶はない。
名前もない。
なのに、何かが沈む。
水の底に落ちたものが、時間を置いて床に触れるような感覚。
月側通信は、降下途中でほとんど意味を失った。
白いノイズが、画面の端で薄く揺れている。
ユイの声も、マルコの悪態も、もう届かない。
ここから先は、地上の細い通信線だけが頼りだった。
ハルキは、息を吐く。
旧ゲリラ拠点跡。
着陸地点は、その南東三キロ。
地表接触まで、三十秒。
リディアが立ち上がる。
アウルスとイオナも続く。
ハルキは座席に固定されたまま、端末を見る。
自分はここから出ない。
戦場へ降りるのは、彼女たちだ。
「リディア隊、出撃準備完了」
リディアの声は、揺れの中でも変わらない。
「アウルス、前方防護」
「了解」
「イオナ、中継系を優先」
「了解。観測席との接続も維持します」
アウルスがちらりとハルキを見た。
「ハルキ、固定具は外さないでください」
「外すつもりはない」
「念のためです」
実直な声だった。
冗談ではない。
ハルキがここで余計なことをしないよう、任務として確認している。
降下艇の底部が開く。
灰色の風が、機体の内側へ吹き込んだ。
熱と、粉塵と、金属の匂い。
清潔な月の空気とは違う。
消毒された白い廊下とも違う。
ここでは、何かが燃えた後の匂いがする。
何かが壊れた後の匂いがする。
リディアは振り返らなかった。
「行ってきます」
誰に向けた言葉なのかは分からない。
だが、ハルキは答えた。
「見ている」
リディアは短くうなずき、灰の地表へ降りた。
アウルスが続く。
イオナが最後に降り、すぐに中継ドローンを展開した。
降下艇の扉が閉じる。
外の音が少し遠くなる。
だが、戦場は端末を通して入ってきた。
旧ゲリラ拠点跡は、街の死骸の中にあった。
建物は半分以上が崩れ、壁面には古い抵抗組織の標識らしきものが残っている。文字は読めない。煤と砂塵に覆われ、時間よりも暴力で削られた跡だった。
通信塔は根元から折れていた。
地下入口は瓦礫で半分塞がっている。
かつて居住区だったと思われる構造物は、外壁だけを残して中身を失っていた。窓は黒く抜け、床は崩れ、鉄骨が肋骨のように突き出している。
地面には、六本脚が何度も通過した痕があった。
直線ではない。
円を描き、戻り、分岐し、また合流する。
群れが地形を測り直した跡だった。
別の場所には、円形に焼けた焦げ跡があった。中心だけが黒く、周囲に細い引きずり跡が伸びている。
コア回収跡。
ハルキは、それを見て理解した。
機体が壊れても、コアは残る。
コアが回収されれば、戦場は終わらない。
リディアたちは、その場所へ入っていく。
ハルキは観測席から映像を見る。
リディアの視界。
アウルスの防護ログ。
イオナの中継補正。
すべてが少し遅れて届く。
月の管制室で見る整った戦場図とは違う。
地球の戦場は、乱雑だ。
線が曲がる。
輪郭が崩れる。
敵も味方も、粉塵とノイズの中で位置をずらしていく。
月では、管理された空間が人を包む。
ここでは、壊れた空間が人を削る。
「隊列維持」
リディアが言った。
「アウルス、前方防護。イオナ、中継を切らさないで」
「了解」
「了解」
アウルスが前へ出る。
イオナは半歩下がり、通信中継ドローンを二機展開した。小さな機体が灰の空気を切り、瓦礫の陰へ散る。
帰還艇内のハルキの端末に、信号が通る。
細い線。
だが、届く。
「ハルキ、映像遅延は」
イオナが確認する。
「許容範囲内。音声も届いている」
「了解。以後、戦闘時は必要時のみ応答してください」
「分かった」
イオナは淡々と言った。
だが、その言葉には、ハルキの安全と観測作業を両方成立させるための配慮があった。
リディア隊は、旧拠点入口へ向かって進んだ。
粉塵が足元で崩れる。
アウルスが瓦礫の陰を確認し、イオナが上空から角度を取る。リディアは中央を進む。迷いのない歩幅だった。
だが、月の試験場で見た歩き方とは違う。
ここでは、足元が沈む。
壁が崩れる。
通信が揺れる。
敵の位置だけではなく、戦場そのものが信用できない。
「旧通信節跡まで、二百四十」
イオナが言った。
「敵性反応は」
「不明瞭です。複数の残留反応あり。生きているものと、死んでいるものの区別がつきにくい」
「アラミタマの残骸か」
「残骸なら、まだましです」
イオナの声が、わずかに硬くなった。
その時、瓦礫の奥で青い光が開いた。
一つではない。
複数。
灰の街そのものが、こちらを見ていた。
今回は、ハルキにとって初めての地球降下を描きました。
プロクシスたちにとっては通常任務でも、ハルキにとってはまったく別の負荷を持つ戦場です。
次回から、本格的にアラミタマとの戦闘に入ります。
ここから第8章の戦闘パートが大きく動きます。
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