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その果てに、月は神を観る 〜記憶を失った青年と兵器少女は、滅びた地球の真実へ降りる〜  作者: 大導ユウ
第8章 灰の故郷

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第14話 灰の故郷


 降下艇が揺れた瞬間、ハルキの背中が座席に叩きつけられた。


「ぐっ……」


 喉の奥で声が潰れる。


 固定具は締まっている。座席の衝撃吸収も作動している。だが、それでも内臓が一拍遅れて落ちてくるような感覚があった。


 視界の端で、警告灯が黄色く瞬く。


 大気圏突入。


 姿勢制御補正。


 外殻温度上昇。


 表示は淡々としている。


 だが、身体は淡々としていられなかった。


 ハルキは歯を食いしばった。


 降下艇の外殻を、空気が削っている。音は直接聞こえないはずなのに、機体全体が低く震え、骨に響く。重力が斜めからかかり、肺が押し潰されるようだった。


 隣では、リディアが微動だにしていない。


 アウルスも、イオナも同じだった。


 座席に固定され、装備確認を続けている。揺れを揺れとして処理していない。衝撃に耐えているのではなく、最初からその程度を計算に入れている身体だった。


 プロクシス。


 兵士型人工人類。


 その言葉の意味が、いまさら肉体の差として見える。


「ハルキ」


 リディアが言った。


「呼吸が乱れています」


「……この揺れで、乱れない方がおかしい」


「許容範囲内です」


「人間基準で話してくれ」


 リディアは少しだけ考えた。


「人間基準の許容範囲は、不明です」


「だろうな」


 ハルキは短く笑おうとして、失敗した。


 降下艇がもう一度揺れる。


 今度は横から殴られたような衝撃だった。


 固定具が肩と胸を押さえる。


 ハルキは思わず息を止めた。


 プロクシスたちは、やはり動じない。


 誰も文句を言わない。


 誰も「もう少し衝撃を抑えろ」と言わない。


 そういう設計なのだ。


 セレーネは、プロクシスが耐えられる前提で降下艇を作っている。そこに人間が一人混じることなど、通常の設計思想には入っていない。


 ハルキは、それを身体で理解した。


 配慮がないのではない。


 そもそも、配慮の対象として数えられていない。


「観測席、起動」


 イオナの声が通信に入る。


「地上近距離通信、中継準備。月側通信は、降下中から断続低下」


 ハルキの前面端末が開いた。


 《タケミカヅチ》実戦ログ。


 リディア隊通信。


 地表走査。


 ケルベロス・ネット干渉値。


 地表走査の表示に、古い戦史ログが重なった。


 約百年前。


 外宇宙由来未確認巨大艦、地球圏侵入。


 地球防衛網およびケルベロス・ネット、迎撃。


 対象、撃沈。


 撃沈直前、無人自律兵器群投下。


 アラミタマ。


 以後、同群はケルベロス・ネットを掌握。


 月側からの再侵入は、恒常的に阻止されている。


 人類残存反応、記録なし。


 地球は、奪還対象として分類されていた。


 その分類の下で、月側通信の波形が白く崩れていた。


 だが、地上近距離通信は別だった。


 降下後、イオナを中継点として、リディア隊と帰還艇内観測席を細くつなぐ。


 細い。


 だが、切れてはいない。


「ハルキ、観測席の応答確認を」


 イオナが言った。


「聞こえている」


「遅延、許容範囲内です。観測席固定を維持してください」


「了解」


「異常があれば、即時申告を」


「分かった」


 ハルキは短く答えた。


 イオナの声は淡々としている。


 だが、そこには任務としての丁重さがあった。


 ハルキは戦闘員ではない。


 観測補助要員であり、同時に保護対象でもある。


 自分から志願してここにいるのに、ここから一歩も出るなと言われている。


 必要だから連れてこられたのではない。


 必要だから、制限されている。


 端末の奥で、灰色の地球が近づいてくる。


 ハルキは窓外を見た。


 青くはなかった。


 雲は裂け、海は濁り、地表には灰色の帯が広がっている。焼けた都市、崩れた道路、黒く沈む盆地。遠くに、かつて光を集めていたはずの構造物が折れていた。


 月から見た地球は、もっと遠かった。


 映像資料で見た地球は、もっと平面的だった。


 だが、いま目の前にある地球は違う。


 近い。


 重い。


 傷ついている。


 知らない星だった。


 そう言い切るには、胸の奥の反応が遅すぎた。


 ハルキは、その景色から目を離せなかった。


 記憶はない。


 名前もない。


 なのに、何かが沈む。


 水の底に落ちたものが、時間を置いて床に触れるような感覚。


 月側通信は、降下途中でほとんど意味を失った。


 白いノイズが、画面の端で薄く揺れている。


 ユイの声も、マルコの悪態も、もう届かない。


 ここから先は、地上の細い通信線だけが頼りだった。


 ハルキは、息を吐く。


 旧ゲリラ拠点跡。


 着陸地点は、その南東三キロ。


 地表接触まで、三十秒。


 リディアが立ち上がる。


 アウルスとイオナも続く。


 ハルキは座席に固定されたまま、端末を見る。


 自分はここから出ない。


 戦場へ降りるのは、彼女たちだ。


「リディア隊、出撃準備完了」


 リディアの声は、揺れの中でも変わらない。


「アウルス、前方防護」


「了解」


「イオナ、中継系を優先」


「了解。観測席との接続も維持します」


 アウルスがちらりとハルキを見た。


「ハルキ、固定具は外さないでください」


「外すつもりはない」


「念のためです」


 実直な声だった。


 冗談ではない。


 ハルキがここで余計なことをしないよう、任務として確認している。


 降下艇の底部が開く。


 灰色の風が、機体の内側へ吹き込んだ。


 熱と、粉塵と、金属の匂い。


 清潔な月の空気とは違う。


 消毒された白い廊下とも違う。


 ここでは、何かが燃えた後の匂いがする。


 何かが壊れた後の匂いがする。


 リディアは振り返らなかった。


「行ってきます」


 誰に向けた言葉なのかは分からない。


 だが、ハルキは答えた。


「見ている」


 リディアは短くうなずき、灰の地表へ降りた。


 アウルスが続く。


 イオナが最後に降り、すぐに中継ドローンを展開した。


 降下艇の扉が閉じる。


 外の音が少し遠くなる。


 だが、戦場は端末を通して入ってきた。


 旧ゲリラ拠点跡は、街の死骸の中にあった。


 建物は半分以上が崩れ、壁面には古い抵抗組織の標識らしきものが残っている。文字は読めない。煤と砂塵に覆われ、時間よりも暴力で削られた跡だった。


 通信塔は根元から折れていた。


 地下入口は瓦礫で半分塞がっている。


 かつて居住区だったと思われる構造物は、外壁だけを残して中身を失っていた。窓は黒く抜け、床は崩れ、鉄骨が肋骨のように突き出している。


 地面には、六本脚が何度も通過した痕があった。


 直線ではない。


 円を描き、戻り、分岐し、また合流する。


 群れが地形を測り直した跡だった。


 別の場所には、円形に焼けた焦げ跡があった。中心だけが黒く、周囲に細い引きずり跡が伸びている。


 コア回収跡。


 ハルキは、それを見て理解した。


 機体が壊れても、コアは残る。


 コアが回収されれば、戦場は終わらない。


 リディアたちは、その場所へ入っていく。


 ハルキは観測席から映像を見る。


 リディアの視界。


 アウルスの防護ログ。


 イオナの中継補正。


 すべてが少し遅れて届く。


 月の管制室で見る整った戦場図とは違う。


 地球の戦場は、乱雑だ。


 線が曲がる。


 輪郭が崩れる。


 敵も味方も、粉塵とノイズの中で位置をずらしていく。


 月では、管理された空間が人を包む。


 ここでは、壊れた空間が人を削る。


「隊列維持」


 リディアが言った。


「アウルス、前方防護。イオナ、中継を切らさないで」


「了解」


「了解」


 アウルスが前へ出る。


 イオナは半歩下がり、通信中継ドローンを二機展開した。小さな機体が灰の空気を切り、瓦礫の陰へ散る。


 帰還艇内のハルキの端末に、信号が通る。


 細い線。


 だが、届く。


「ハルキ、映像遅延は」


 イオナが確認する。


「許容範囲内。音声も届いている」


「了解。以後、戦闘時は必要時のみ応答してください」


「分かった」


 イオナは淡々と言った。


 だが、その言葉には、ハルキの安全と観測作業を両方成立させるための配慮があった。


 リディア隊は、旧拠点入口へ向かって進んだ。


 粉塵が足元で崩れる。


 アウルスが瓦礫の陰を確認し、イオナが上空から角度を取る。リディアは中央を進む。迷いのない歩幅だった。


 だが、月の試験場で見た歩き方とは違う。


 ここでは、足元が沈む。


 壁が崩れる。


 通信が揺れる。


 敵の位置だけではなく、戦場そのものが信用できない。


「旧通信節跡まで、二百四十」


 イオナが言った。


「敵性反応は」


「不明瞭です。複数の残留反応あり。生きているものと、死んでいるものの区別がつきにくい」


「アラミタマの残骸か」


「残骸なら、まだましです」


 イオナの声が、わずかに硬くなった。


 その時、瓦礫の奥で青い光が開いた。


 一つではない。


 複数。


 灰の街そのものが、こちらを見ていた。


今回は、ハルキにとって初めての地球降下を描きました。

プロクシスたちにとっては通常任務でも、ハルキにとってはまったく別の負荷を持つ戦場です。


次回から、本格的にアラミタマとの戦闘に入ります。

ここから第8章の戦闘パートが大きく動きます。


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