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その果てに、月は神を観る 〜記憶を失った青年と兵器少女は、滅びた地球の真実へ降りる〜  作者: 大導ユウ
第9章 三つの隊

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第18話 戦場を聴く者


 リディア隊が旧通信節跡へ向かい、ガイウス隊が側面経路を保っていた頃。


 エリス・プロクシスXは、灰の街を見下ろしていた。


 崩落した観測塔跡。


 半分だけ残った高層構造物の上に、三つの影がある。


 エリス。


 ヴェロニカ。


 ブロンテ。


 足場は悪い。床面は傾き、補強材は焼け、風が吹くたびに細かな灰が舞った。通常の狙撃位置としては、不安定すぎる。


 前線の突入路でもない。


 側面防衛線でもない。


 そのさらに外側。


 アラミタマが損傷個体を回収し、群れを組み直す場所。


 エリスはそこを見ていた。


 正確には、見えてはいなかった。


 遮蔽物が多すぎる。熱源は乱反射し、通信妨害は濃く、戦術端末の識別枠は何度も不確定を返す。


 通常のプロクシスなら、そこで索敵を切る。


 戦闘圏外。


 有効照準外。


 射撃成立条件、不足。


 端末はそう処理している。


 それでも、エリスは銃口を下ろさなかった。


「エリス、左側の射線は潰れてる」


 ヴェロニカが瓦礫の端から戻ってきた。


 装甲には白い粉塵が薄く積もっている。左肩の外装が削れているが、動作に支障はない。


「右なら開けられる。ただし、二十秒以上は保たない」


「すみません。左が必要です」


 エリスは小さく言った。


 ヴェロニカは首を横に振る。


「謝らなくていい。必要なら開ける」


「ですが、左は接近個体の経路に近いです」


「近いから、ブロンテが止める」


 ブロンテは答えなかった。


 代わりに、観測塔の下層へ降りる階段跡に立つ。防護装甲を展開し、短距離迎撃用の武装を起動した。


 その背中で十分だった。


 エリスは銃身をわずかに左へずらした。


 スコープの向こうには、灰と瓦礫しかない。


 しかし、その下で音が鳴っていた。


 六脚が地面を打つ音。


 損傷個体を抱えようとする回収個体が、通常より一拍遅れて脚を置く音。


 青い単眼が通信を返すたび、ノイズの奥で細く震える音。


 それは、耳で聞く音だけではない。


 エーテル反応の遅延。


 瓦礫に反射する微弱な振動。


 戦場の奥で、何かが拾われる前に動く気配。


 エリスには、それらが重なって聞こえた。


「まだ見えない」


 ヴェロニカが言った。


「はい。私にも、見えてはいません」


「でも、いるんだね」


「……います」


「なら、場所を言って」


 エリスは呼吸を整えた。


 謝罪が先に出そうになる。


 自分の見えないもののために、ヴェロニカは射線を開け、ブロンテは危険域に立つ。


 遠くを拾えば拾うほど、近くの誰かが自分を守るために危険へ寄る。


 それでも、銃口を下ろすことはできない。


 この距離で、回収の動きそのものを読める者は他にいなかった。


「左奥。崩れた支柱の下。青い単眼が二つ、重なっています」


「二つ?」


「一つは損傷個体。もう一つが回収個体です。脚音がずれています」


「了解。左を開ける」


 ヴェロニカが走った。


 観測塔の残骸から、半壊した梁へ飛び移る。武装が短く火を噴き、射線上の細い障害物を切り落とした。


 瓦礫が崩れる。


 灰が舞う。


 その向こうに、一瞬だけ青い光が滲んだ。


 見えた、とは言えない。


 だが、撃てる。


「接近個体、三」


 ブロンテの声が入る。


 彼女は階段跡から一歩前へ出た。


 下層で、六脚の爪が金属片を踏む音がした。


「ブロンテ、近すぎます」


「近いから止められる」


「ですが」


「エリスは奥を見て」


 それ以上、言葉はなかった。


 ブロンテの防護装甲に、最初の接触音が響く。


 重い。


 アラミタマの六脚は、壁面を這うように上がってくる。球状コアを揺らさず、青い単眼だけをこちらへ向けていた。


 ブロンテが迎撃する。


 近接排除。


 足場を守る。


 エリスが狙撃姿勢を崩さないために。


 ヴェロニカが射線を開き、ブロンテが近接を止める。


 二人は、エリスが奥を見るための時間を作っている。


 だから、外せない。


 そう思った瞬間、照準がわずかに震えた。


 エリスはその震えを抑えた。


 感情は、照準に混ざる。


 申し訳なさも、恐れも、全部が銃口を鈍らせる。


 消しきれないなら、そこに置いたまま撃つ。


「ヴェロニカ、射線、あと三度右です」


『三度ね』


 ヴェロニカが身体を反転させ、別の梁を撃ち抜く。


 崩落。


 灰の幕が割れた。


 遠くで、青い単眼が二つ重なる。


 損傷個体に近づく六脚。


 その右側面で、外装がわずかに開き始めていた。


 回収アームが出る。


 掴む。


 持ち上げる。


 群れの中へ戻す。


 その動きが成立する前に、止める。


 エリスは、外装の隙間へ照準を置いた。


 端末は、まだ識別を確定しない。


 不確定。


 距離過大。


 遮蔽干渉。


 射撃非推奨。


 警告は正しい。


 通常のプロクシスなら、撃たない。


 エリスは引き金に指をかけた。


「回収個体、捕捉」


『撃てる?』


 ヴェロニカが聞く。


「撃ちます」

挿絵(By みてみん)

 銃声。


 音は一拍遅れて戻ってきた。


 遠距離用の弾体が、灰の幕を貫く。


 直線ではない。わずかに沈み、崩れた梁の縁をかすめ、回収アームの基部へ吸い込まれる。


 火花が散った。


 回収個体は倒れない。


 青い単眼も消えない。


 だが、損傷個体を抱え込もうとしていた腕だけが、力を失った。


 搬送姿勢が崩れ、六脚の動きが一拍遅れる。


 その一拍で、回収は失敗した。


『命中』


 ヴェロニカが言った。


「まだです。別の個体が、回収を引き継ぎます」


『見えた。追う』


 ヴェロニカが二射目を重ねた。


 エリスが止めた腕ではなく、その周囲へ滑り込んでくる六脚の前脚を撃つ。


 脚部が砕け、回収経路が乱れた。


 損傷個体は持ち上がらない。


 青い単眼がいくつも明滅し、群れの動きがわずかに散る。


 ブロンテの側で、金属が割れる音がした。


「接近個体、一基停止。二基目、上がる」


「ブロンテ、下がってください」


「まだ下がれない」


「あなたの装甲負荷が」


「エリス」


 ブロンテの声は低かった。


「奥を見ろ」


 エリスは唇を閉じた。


 謝る時間があるなら、撃て。


 言われていない言葉が、聞こえた気がした。


 彼女は照準を戻す。


 回収動作の失敗により、アラミタマ群の再配置が乱れ始めていた。


 青い単眼の明滅周期がずれる。


 後方の中継個体が、別の個体へ指示を回そうとしている。


 そこを乱さなければ、群れは別の経路を組み直す。


「中継個体。瓦礫下、右奥。単眼の明滅が早い個体です」


『見えないね』


 ヴェロニカが言う。


「はい」


『でも、いる』


「います」


『なら、開ける』


 ヴェロニカは迷わなかった。


 彼女は見えていない敵のために、射線を作る。


 それが無謀ではなく、役割だと理解している。


 エリスが見つける。


 ヴェロニカが通す。


 ブロンテが守る。


 その三つで、エリス隊は一つの隊になる。


 エリス一人では、遠くを見すぎる。


 ヴェロニカ一人では、見えない敵へ届かない。


 ブロンテ一人では、奥の再配置を止められない。


 だから、三人で戦う。


 エリスは、自分の異常性を名前で呼べなかった。


 索敵範囲。


 照準補正。


 射撃成立距離。


 訓練記録なら、どの項目にも数値がある。


 けれど、数値は彼女の感覚を説明しきれない。


 遠くにいる個体が分かるのではない。


 遠くで、戦場の音が欠ける。


 そこだけ反響が遅れる。


 そこだけノイズが薄く、青い単眼の瞬きが、他より少しだけ早い。


 だから、いる。


 そう言うしかなかった。


「エリス、無理なら言って」


 ヴェロニカの声が近い。


 無理です、と言えば、二人は位置を変える。


 ブロンテは危険域から下がり、ヴェロニカは射線を閉じる。


 それは安全な判断だった。


 だが、その間に回収個体は損傷個体を運び去る。


 側面で細った火線が、もう一度太くなる。


「無理では、ありません」


 エリスは言った。


 強がりではない。


 無理という言葉に届く前に、撃つべき場所が聞こえてしまうだけだった。


「少し、時間をください」


「どれくらい」


「八秒」


「ブロンテ」


「六秒なら確実。八秒は、少し痛い」


「痛いで済む?」


「済ませる」


 短いやり取りだった。


 エリスは唇を噛まなかった。


 噛めば、照準がぶれる。


 代わりに、胸の奥で小さく謝った。


 次弾を装填する。


 照準器の中で、灰の粒子が流れる。


 その奥に、ほんのわずかな青があった。


 見えたのではない。


 音が、そこに集まっている。


「撃ちます」


 銃声。


 弾体は、青い単眼そのものではなく、その下で開閉を繰り返す小さな外縁部を撃ち抜いた。


 中継個体の明滅が乱れる。


 消えたのではない。


 だが、群れへ返す信号が一拍ずれた。


 同時に、戦場全体のノイズが一瞬だけ薄くなる。


 前方戦域で、鋭い反応が走った。


 詳細は分からない。


 ただ、何かが断たれた。


 側面戦域では、火線が細くなっている。


 直接通信ではない。


 ただ、エリスの撃った個体が乱れたことで、群れの再配置が遅れた。


 その遅れが、別の戦域で一拍を作る。


 一拍。


 戦場では、それだけで誰かが帰れることがある。


「回収行動、停止」


 ヴェロニカが言った。


 ブロンテが最後の接近個体を壁面から落とす。


 観測塔跡に、短い沈黙が戻った。


 エリスは銃口を下ろさなかった。


 灰の街は静かになっている。


 青い単眼も、見える範囲では減った。


 それでも。


「……音が、消えません」


 エリスは言った。


「まだ敵がいる?」


 ヴェロニカが振り返る。


「いいえ。敵では、ないと思います」


 ブロンテが近くへ戻ってくる。装甲の表面には傷が増えていた。


「位置は」


「分かりません」


「危険か」


「分かりません」


 エリスは、それしか言えなかった。


 見えていない。


 撃てない。


 戦術端末にも出ない。


 だが、灰の奥で何かが鳴っている。


 アラミタマの脚音ではない。


 砲口展開でも、回収アームでもない。


 もっと深い場所。


 戦場の下。


 あるいは、戦場そのものの記憶の奥。


 そう言いかけて、エリスは口を閉じた。


 言葉にすると、違うものになる。


「エリス」


 ヴェロニカが声をかける。


「帰還経路、まだ開いてる。今は戻るよ」


「はい」


 エリスは銃を下ろした。


 足場を離れる直前、もう一度だけ灰の街を見る。


 青い単眼は、沈黙していた。


 なのに、その奥で何かが、まだこちらを見ている気がした。


お読みいただきありがとうございます。


今回はエリス隊の回でした。

エリスは単なる狙撃手ではなく、通常のプロクシスでは拾えない距離の違和感を捉え、ルシアとブロンテがその能力を戦術として成立させる、という形で描いています。


リディア隊が「断つ」隊なら、エリス隊は「戻させない」隊です。

アラミタマという群れの不気味さも、少しずつ見えてきた回になりました。


次回は、第63次作戦の結果と、三つの隊の意味を整理する回になります。


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