第10話 雷の設計図
研究室の中央に、防護ケースが運び込まれた。
透明な外壁は厚く、ケースの内側には薄い膜のような遮蔽層が揺れている。
中にあるものは、金属にも鉱石にも見えた。
暗い結晶だった。
黒に近い。だが完全な黒ではない。奥で微細な光が動いている。赤とも、白とも、青とも言えない。見る角度で色が遅れて変わる。
説明担当の研究員が、短く告げた。
「試験用アイテリオンです」
「アイテリオン?」
ハルキは聞き返した。
声は普通に出た。
だが、視線は防護ケースの中から動かなかった。
初めて聞く名のはずなのに、その響きだけが、妙に遅れて胸の奥へ落ちた。
「エーテル反応を安定して発生させる、地球外由来の希少鉱物です。通常兵装への支給量は制限されていますが、本件は高優先度案件として承認されています」
「燃料、みたいなものですか」
「燃料としても扱われます。ただし、エーテルは単なる熱量や推進力ではありません。対象の情報、識別、観測状態にまで干渉します」
情報。
識別。
観測状態。
その三語が、研究室の冷たい空気の中で並ぶ。
ハルキは、過去作戦ログの青い単眼を思い出した。
見えているのに、届かない。
斬っているのに、沈黙しない。
位置があるはずなのに、戦闘中だけずれて見える。
「混ぜ物扱いはやめとけ。たぶん、こっちが混ぜられる」
マルコが言った。
軽い口調だった。
だが、視線は防護ケースから外れていない。
研究員が、わずかに目を上げる。
「どういう意味ですか」
「言葉どおり。金属のほうが、こいつの反応に持っていかれる」
「根拠は」
「勘」
マルコは即答した。
研究員の眉がわずかに動く。
「技術協力者の判断として、勘は記録しづらいのですが」
「じゃあ、仮説でいい。こいつは素材に混ぜるんじゃない。通り道を作る。刃にするなら、刃そのものじゃなく、刃の中に走る構造だ」
ハルキは、マルコを見た。
本人は、いつもどおりの顔をしている。
だが、その言葉は速かった。
説明を聞いてから考えた速度ではない。
触れる前から、扱い方だけを知っているような速さだった。
「理論はそっち。素材はオレ」
マルコが言う。
「そういう分担でいいな」
「俺が理論を作る前提なのか」
「違うのか?」
違う。
そう言えなかった。
端末に触れる。
指が迷わなかった。
初めて見るはずの操作階層が、視線の移動と同じ速度で開く。ハルキは、リディアの過去作戦ログを呼び出した。
動画が停止する。
瓦礫の街。
リディアが一体のアラミタマの脚部を断つ。
外装が砕ける。
機体が沈む。
だが、その奥で球状コアが切り離される。別の個体がそれを回収する。青い単眼が、別の躯体で再点灯する。
「関節は壊せる。でも、コアには届かない」
ハルキは映像を数秒戻す。
リディアの刃が、コア外殻へ触れる直前で止まった。
「リディアは、刃を入れる位置を誤っていません」
ハルキは映像を拡大した。
「外殻の継ぎ目、センサー下部、通信ポート周辺。狙いは正しいです。ただ、攻撃が成立する瞬間だけ、コアの識別情報がずれている」
「光学迷彩、ですか」
研究員が言った。
「違うと思います。見え方を変えているだけなら、刃は届くはずです。これは、対象の情報そのものに干渉しています」
ハルキは、青い単眼が明滅するフレームを拡大した。
「アラミタマも、エーテルを使っている。少なくとも、コア防護には使っています」
研究員は黙った。
否定ではない。
記録するための間に見えた。
「コアを砕く前に、コアを守っている干渉を切る必要がある」
ハルキの声は、思ったより低かった。
マルコが口の端を上げる。
「出たな、理論担当」
「まだ理論ではない」
「じゃあ、危ない思いつきだ」
「その段階だと思う」
「自覚があるだけマシか」
*
それから数日、研究室の照明が落ちる時間を、ハルキはほとんど見なかった。
昼夜の区別は、端末の時刻表示でしか分からない。
コア防護干渉の仮説は立った。
だが、刃へ通すための式に変えるたび、どこかが破綻した。
反応は強すぎる。
同期は深すぎる。
素材は、想定した形のままでは耐えない。
マルコはそのたびに、構造を削り、戻し、また別の道を作った。
端末上で、兵装の骨格が立ち上がる。
黒い芯材。
銀白の外装。
鞘の内側に刻まれた制御レール。
刃の中心を、赤い線が走る。
「刀か」
ハルキは画面上の骨格を見た。
通常の刀ではない。
だが、その兵装は明らかに、斬るための形をしていた。
「高出力個体に持たせる近接兵装だ。リディアが一番速く扱える形を選ぶなら、たぶんこれだ」
マルコは端末上の骨格を回転させた。
「ただし、刃に直接アイテリオンを入れるのは駄目だ。刃が先に意味を失う」
「意味?」
「形、と言ってもいい。切るためのものが、切る以外の反応を始める。そんな刃は信用できない」
マルコの口調は軽い。
だが、指の動きは慎重だった。
「だから、鞘を使う」
「収納具じゃなく、制御機構として?」
「そう。抜く前に反応を整える。抜いた瞬間だけ、刃の中に通す。使い終わったら鞘へ戻して収束させる」
ハルキは、その構造を見ていた。
反応は鞘で抑え、芯材で細く絞る。
安全側に倒した設計だ。
だが、そのままでは届かない。
アラミタマのコアを包む識別干渉を断つには、反応の深さが足りない。
「ここを開ける」
ハルキはモデルの一部を指した。
「刃の中央に、位相式をもう一段通す。これなら、コア防護の奥へ届く」
数値が跳ねた。
反応予測が赤く染まる。
マルコの手が、すぐにハルキの操作を止めた。
「ハルキ、その設計だと、敵を断つ前にリディアの神経同期が焼き切れる」
声が、低かった。
「それは出力を上げてるんじゃない。リディアの神経を、反応の通り道にしてる」
軽口が消えていた。
ハルキは画面を見た。
警告欄に、使用者負荷の数値が並ぶ。
神経同期過負荷。
反応逆流。
適合限界超過。
リディアなら耐えるかもしれない。
その考えが浮かんだ瞬間、ハルキは自分の思考に寒気を覚えた。
耐える、では駄目だ。
使える、でも駄目だ。
それは、上層部の命題と同じ形をしている。
高出力個体を、より有効に使う。
その言葉と、同じ場所に落ちる。
「……断つ対象を、間違えている?」
ハルキは言った。
マルコは、手を離さなかった。
「そういうこと。コアを守ってるものを断て。使う側まで巻き込むな」
短い言葉だった。
だが、それで十分だった。
そこから先は、さらに遅かった。
使用者側の同期を浅くすると、刃はコア防護干渉へ届かない。
届かせようとすると、今度は反応が使用者側へ逆流する。
*
一日ごとに、失敗した設計案だけが増えた。
十日目の午後、ユイが研究室に顔を出した。
簡易ケースを両手に持っている。
食事と飲料。
たぶん、戦術分析部門から抜け出す時間を、数字の隙間に捻じ込んできたのだろう。
「差し入れ?」
マルコが顔を上げる。
「監視」
「言い方」
「二人とも放っておくと、たぶん食事を忘れるから」
「それは否定できないな」
ハルキは端末から手を離した。
手首が少し強張っている。
どれだけ集中していたのか、今になって分かった。
ユイは端末画面を見た。
専門式は読めないはずだ。
だが、彼女は数式ではなく、目的欄と警告欄を見ていた。
「リディア用?」
「資料上は、高出力個体用近接兵装」
ハルキは答えた。
「つまり、リディア用」
ユイはあっさり言った。
マルコが笑う。
「言い換えの努力が台無しだ」
「そういうの、だいたい台無しにした方が分かりやすいから」
その時、アルシアが研究室に入ってきた。
手にはまた端末板がある。
「作業継続時間が、推奨値に近づいています」
アルシアは端末板を見て、それからユイの持ってきた簡易ケースに視線を移した。
「……めずらしく、安全基準を満たしていますね」
「めずらしくって言った?」
ユイが眉を上げる。
「はい。通常、この研究室では休憩申請より先に警告表示が出ます」
「それは研究室の人たちが悪い」
「否定はできません」
アルシアは丁寧にうなずいた。
ユイが、ふと思いついたように尋ねた。
「アルシアさんも休まないんですか」
「私の休憩は、業務予定には含まれていません」
「予定にないと休めないの?」
「必要であれば、今から予定に追加します」
ユイは、少しだけ困った顔をした。
「うん。追加した方がいいと思う」
「では、後ほど調整します」
変な返答だった。
だが、決定的におかしいわけではない。
この都市では、何もかも予定に追加され、分類され、許可される。休憩でさえ、そうなのかもしれない。
ハルキはそう考え、すぐに違うと思った。
問題は、たぶんそこではない。
だが、その違和感に名前を付けるには、まだ材料が足りなかった。
ユイは、しばらく黙って画面を見ていた。
過去作戦ログ。
帰還経路。
コア回収。
撤退路封鎖。
リディアの折れた刀身。
そして、警告欄に並んだ使用者負荷の赤い数値。
「最初から決めにいかなくてもいいんじゃない?」
ユイは言った。
「一度目で相手を見る。二度目で本命を入れる。戦闘でも作戦でも、その方が生きて帰れるでしょ」
研究室が静かになった。
技術的には、曖昧な言葉だった。
だが、ハルキには分かった。
最初は相手を見る。
攻撃ではない。
観測だ。
対象に触れ、コア防護の識別干渉を刃へ記録する。
二度目で、その記録に合わせて断つ。
「一太刀目を、観測に使う」
ハルキは言った。
「対象の位相構造を読む。二太刀目で、その構造だけを断つ」
マルコが短く息を吐いた。
「使用者を経路にしなくて済むな」
「反応を相手側から取れる」
「……ユイ、今のたぶん、かなり面倒なこと言ったぞ」
「褒めてる?」
「褒めてる。たぶん」
ユイは少しだけ笑った。
上層部の命題は、アラミタマ・コア破壊能力の向上だった。
ハルキの理論は、コアを守る干渉の断絶。
マルコの構造は、使用者を壊さず反応を通す道。
ユイの言葉は、その三つを分けた。
一太刀目で観測する。
二太刀目で断つ。
一人に全部を背負わせない。
それは〈トリアド〉と同じ発想だった。
「それが、必要条件だ」
ハルキは言った。
「コアを沈黙させる。識別干渉を断つ。けれど、使用者を戦場に置き去りにしない」
「ずいぶん欲張りな武器だな」
マルコが言う。
「欲張らないと、また同じログが増えるだけでしょ」
ユイの声は、軽かった。
だが、軽いだけではなかった。
ハルキは端末に新しい定義を入力した。
目的。
アラミタマ・コア防護干渉の断絶。
方式。
第一斬撃:対象位相構造の観測。
第二斬撃:観測記録に基づく位相断絶。
制約。
使用者神経同期負荷の制限。
運用条件。
高出力近接個体との一時同期。
名称欄だけが空白だった。
「名前は?」
マルコが聞いた。
「仮称でいいだろ」
「仮称って、だいたいそのまま残るぞ」
ユイがケースから飲料を取り出しながら言う。
「じゃあ、変なのにしないでね」
ハルキは、端末の名称欄を見た。
なぜその名が浮かんだのかは分からなかった。
雷。
刃。
断つ。
神話の名前なのか、記録の残骸なのか、自分の中に残っていた言葉なのか。
判断できない。
それでも、指は止まらなかった。
試作兵装名:TAKEMIKAZUCHI
表示された英字列の下に、端末が自動で片仮名表記を添える。
《タケミカヅチ》
研究室の照明が、わずかに低くなったように感じた。
実際には何も変わっていない。
ただ、名前が入った。
それだけで、粗い構造体だったものが、こちらを向いた気がした。
「……強そう」
ユイが言った。
「雑な感想だな」
「でも大事でしょ。弱そうな武器をリディアに持たせるの、嫌だし」
マルコは少し笑った。
「まあ、名前負けしないようには作る」
休憩後、試作構造の初期照合が始まった。
端末に、黒い刀身の骨格が映る。
銀白の外装。
鞘内制御レール。
芯材を走る赤い反応線。
まだ実物ではない。
それでも、画面の中の構造体は、ただの近接兵装ではなかった。
コアを叩き割る武器ではない。
最初の一太刀で読み、次の一太刀で断つ兵装。
マルコが端末を操作する。
「既存兵装系譜に照合するぞ」
「必要なのか」
「必要。あとで誰かに『これ何系?』って聞かれた時に、『ハルキがなんか思いついた系』だと書類が通らない」
「それは通らないな」
照合が走る。
セレーネ現行兵装。
アルマダ・ルナリス標準近接兵装。
高出力個体適合装備。
科学庁管理下のエーテル反応制御装置。
複数の分類が画面上を流れた。
該当なし。
該当なし。
該当なし。
そして、最後に白い表示が止まる。
理論基盤:非オルガノン系
兵装系譜:未登録
類似照合:制限記録に一件
詳細閲覧:不可
マルコの指が止まった。
ユイも黙った。
アルシアは表示を確認しているが、表情は変わらない。
ハルキは、その文字列を見つめた。
知らないはずの分類だった。
理解できるはずのない並びだった。
それでも、胸の奥で何かがわずかに軋んだ。
初めて見るものに対する反応ではなかった。
第6章を読んでくださりありがとうございます。
ハルキとマルコの共同開発、そしてタケミカヅチの構想が始まりました。
この兵装は、ただ敵を壊すためのものではありません。
何を「断つ」ためのものなのかは、これから少しずつ明らかになります。
次章では、タケミカヅチとリディアの適合試験へ進みます。
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