第九話 厚焼き卵
木曜日は大抵店が暇だ。ウチの客は大抵土日休みだし、土日でなければ火曜か水曜休みが多い。今日も客の入りはまばらで、わりとのんびりとしていた。その時、ドアが開いて一人の白人老女が入ってきた。
毎回思うが、この辺りは特に外国人街というわけでもないのに、この人たちはどこから来るのだろう。この店は地下鉄駅からも遠いし、バスの本数もそれほど多くはない。
「いらっしゃいませ」
老女はカウンター席に腰掛けると、この間から定番メニューになりつつある焼酎のミルクティー割を指差し、
「これ、ただのミルクティーはあるかしら」
と尋ねた。市販品で良ければ、というとあまりよくわかっていない様子だったが、それを注文した。
案の定、ミルクティーが氷の入ったグラスで運ばれて来た時は驚いていたが。
向こうの人はホントコーヒーやら紅茶やらを冷やして飲む習慣がないらしい。
「おつまみはいかがですか?」
僕がそう言うと彼女はレンズの角がツンと上に上がったメガネをかけてメニュー表を眺め出した。
「ゆで卵、だとこういうお店には合わなそうね。何か卵料理はあるかしら」
シルクの手袋を履いた手で、優雅に膝の上にハンカチを広げながらそう言った。
「ウチの名物だとだし巻き卵ですね。極限までお出汁を含んだ卵はふるっふるで、とっても美味しいですよ」
「ではそれをお願いするわ。ところで御不浄はお借りできるかしら」
「御不浄……ですか……?」
僕がピンと来ないでいると、大将がそちらの奥です、と案内した。彼女が立ち上がったとき、カシャンと音を立てて何かが落下した。
しゃがんで拾い上げると、それは可愛らしい黒人の男の子人形のキーホルダーがついた鍵だった。
「落としましたよ」
「あら、ありがとう」
彼女はそのままトイレに向かった。
彼女が席に戻って来るとタイミングよく厚焼き卵が出来上がった。上手に箸を使い、口に運ぶ。よほど熱かったのか、しばらくハフハフしていたが、飲み込むと卵をじっくりと眺め出した。
「私も普段オムレツやスクランブルエッグは食べるけれど、これは初めてね。具が入っているわけではないのに、とてもジューシーだわ」
「添えられている大根おろしに醤油をかけて、乗せて食べるとまた感じが変わりますよ」
彼女は恐る恐るといった様子ながら言われた通りに大根おろしを乗せて厚焼きを口に運ぶ。
「まあ、ホントね。こうするとさっぱりとしてまた美味しいわ」
気に入ってくれて良かった。
その後も彼女は少しずつ料理を注文しながら、ウチの店を堪能してくれたようだった。




