第八話 揚げ納豆
今日はなんだかオープンから忙しく、あちこちに料理を運んでいると、ドアから白人の中年男性がにゅっと顔を出した。白髪で痩せており、目だけがギョロッと大きかった。
「この店は、ワインはあるかね?」
僕がそんなに種類はないですが、と答えるとその男性はそのまま中に入ってきた。もうすでにお酒を飲んでいる様子で、ふらつきながらカウンターに座る。
「おすすめはあるかね?」
と尋ねるので、赤と白どちらがいいか尋ねると、赤がいいというのでアポシックレッドというワインを持って行った。価格の割に飲みやすく個人的に好きなワインだ。
グラスに注ごうとすると、ボトルごと受け取って手酌でグラスになみなみと注ぐ。
あ、溢れる!と思ったギリギリで、注ぐのをやめ、グラスを持ち上げると一気に飲み干す。
「ほうほう、ブラックチェリーやブラックベリーの香り。だがバニラやモカ、少しだけスパイスの風味も感じる。美味いワインを置いてるじゃないか。美味いワインは良い。ワインは人を幸せにするよ」
驚いた。酔っ払っている上、雑な飲み方をしているのに味はわかるらしい。
「何か食べようか」
独り言を呟くとメニュー表を開き、指でたどりながら読んでいる。
「この、揚げ納豆というのは何かね?」
「あー油揚げという豆腐を揚げたものの中に、納豆を入れてパリッと焼いたものです。納豆というのは大豆を発酵させたものです」
すると男性は目を輝かせた。
「何?発酵食品?私は発酵食品が大好きだ」
注文してくれるのはありがたいが、僕は少し不安になった。
「いいんですけど、この納豆って匂いもキツいし粘り気があって結構海外の方には不人気なんですよ。大丈夫ですか?」
「発酵食品は匂いが強いものも多い。私はブルーチーズなども大好きだ。それに粘り気のあるものはあまり食べた事がない。ぜひ試してみたい」
そこまで言うならと、注文を通す。
大将が炭火でじっくりと焼いてくれる。ウチの油揚げは小揚げタイプの小さなものではなく、ランチマットくらいある大きなものだ。
ナイフとフォークを手渡す。
「お醤油をかけてお食べください」
すると男性は期待に満ちた目で揚げを切り分ける。パリパリといい音が鳴る。フォークで刺して持ち上げると、切り目が糸を引いた。口に入れても割と気に入ったのか、二口三口と食べていく。
「美味いが、よくこれを最初に食べた人は食べようと思ったね。見た目はもう食べられないものに見えるじゃないか」
「どこまで本当かわかりませんが、一説によると馬のエサ用に煮た大豆を藁に包んで運んでいたところ、偶然発酵して納豆ができて、もったいないから食べてみたら美味かった、という話があるようです」
すると何が男性の琴線に触れたのか、いたく感動した様子で、
「偶然の発見というのはままあるものだよ!そういうものが意外と偉大な発見だったりするもんなんだな」
男性は食べるのも早く、揚げ納豆はみるみる小さくなっていく。
「微生物というのは偉大だねえ。目に見えないほど小さいのに、このように豆を美味い状態にしてくれたり、青カビが思いもよらない成分を提供してくれたりな」
そう言ってまた、溢れんばかりにワインを注ぐと一気に飲み干した。
納豆を気に入ってくれたのはいいが、果たしてワインと納豆は合うんだろうか……。
男性は頬を赤らめながら揚げ納豆を食べ終えると帰っていった。いつの間に空けたのか、ワインボトルは空になっていた。
「発酵と腐敗って何が違うんですかねぇ」
そう言うと、大将はたんたんと、
「人間に有益なものは発酵、害をなすのは腐敗」
と言った。
「は?人間の都合で呼び方変えてるだけで、同じって事ですか?」
「そうだよ、知らなかった?世の中だいたいそんなもんだよ。短所は気が短いこと、長所は切り替えが早い事、とか言うでしょ?」
……果たしてそれは同じような事なんだろうか。




