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第二十七話 毛蟹

「このメニュー表はすごいな。こんなに綺麗な写真ですごくわかりやすい」

 カウンター席でウィスキーをちびちびやっていた紳士がメニューに目を落としてそんな事を言った。

 そうかなぁ。いたって普通のメニューのような気がするんだけど。

 ウチのメニューは確かに基本料理の写真が載っているし、日本語のメニュー名の他に、一応英語でどんな料理かの解説が付いている。

 ただし、その解説は僕が翻訳アプリ片手に考えたものだから、すこぶる怪しい英語ではあるが……。

「そうですか? まあ、どんな料理かは確かにわかりやすいよう心がけてますけど」

「いや、これはどんな料理かわからない人がいる事を最初から想定して作られているところが素晴らしいんだ。これなら字が読めない人でも見ればわかるし、注文する時も指を刺せば注文できるじゃないか」

「はぁ、まあ」

 僕がなんとも気の抜けた返事をすると、紳士は長い顎髭を触りながら、

「いいかね? 世の中には自分には苦も無くできる事が、どうしてもできない人もいるんだ。世の中はそういう人たちが何の負い目む感じずに我々と同じようにできる仕組みが必要なのだよ。その点このメニューにはそう言った優しさが満ちている!」

 と、妙に力説している。思わず僕は言わなくていい一言を聞いてしまう。

「どなたかご家族に体が不自由な方がいらっしゃるんですか?」

「向井くん!!」

 大将に名前を呼ばれて、しまったと思った。

「す、すみません、大変失礼な事を!」

 すると紳士は柔らかく微笑んだ。

「いや構わないよ。こういう話をする事で、君も彼らの事を気にかけてくれるきっかけになればいい。私の場合は母と妻が聴覚に問題があってね。何とか彼女たちに音というものを届けられないかと試行錯誤したものだよ」

「えっ、奥さんたちのために機材開発してるんですか?『ディアファミリー』みたいですね」

 僕が感動実話の映画のタイトルを出してみたが、どうやら伝わらなかったらしい。

「奥さんとはもう長いんですか?」

 僕は話の方向性を変えようと話を振った。途端に彼は目尻が下がって明らかにデレデレした顔になった。

「妻と出会ったのは24の時でね。まだ14だったメイベルはそれはそれは可憐な野薔薇のように美しかった」

「えっ、24で14の子に手を出したんですか? それって犯罪……」

「向井くん!」

 おっと、再び大将ストップが入った。でも彼は全く気にしてない様子だ。

「彼女は本当に賢い女性でね、耳が聞こえなくても私の唇を完全に読んで、会話には困らなかった。私の勤める聾学校に入学してきた彼女と私は意気投合し、彼女が18になった時結婚を決めた。本当はもっと早くしたかったのだが、やはり妻を迎えるにはある程度の資産がないとな」

「えっ、しかも教え子に手を出すとか、ヤバすぎ」

「向井くん、いい加減だまりなね」

「彼女はユーモアにも富んだ女性で、名前のアレックの綴りを「Aleck」から「Alec」に変えてくれなんていうんだ。どうしてか尋ねると『だって最後のkが無い方が見た目がスマートで素敵じゃない?』なんて言うんだ。私はそれからすっかりkを無くしてしまったよ」

 一人で言って一人でウケている。いいところで止めないと永遠に喋っていそうだ。

「ところで何かお召し上がりますか?」

 そう尋ねると、彼はさっきまでメニュー表をベタ褒めしていたくせに、メニュー表から目を離し、本日のおすすめが書かれたホワイトボードに注目した。

「あの数量限定北海道産毛蟹というのはどんな物だね」

「あ、はい。今日3杯だけ仕入れたカニで、味噌の部分が濃厚で、とても美味しいですよ」

 すると紳士は嬉しそうに再び白い髭を触る。

「私はエビをはじめ甲殻類が大好きでね。そんな事を聞いたら食べずにはいられないな」

「毛蟹でしたらカニ味噌に日本酒を注いで炙ったものを飲んでも美味しいですよ」

「日本酒? 私は日本酒というのは飲んだことが無いんだが、その酒は糖分がたくさん入っていないだろうね?」

「あ、いや、辛口のものもありますが、基本糖質は高めだと思いますよ」

 すると紳士はわかりやすく眉根を寄せた。

「それは残念。私は医者から糖分の高いものは止められているんだよ。いやぁ、実に残念だ」

 なんだ? 糖尿でもやってるのか? その割にはウィスキーだってストレートで飲むのは良くない気がするけど……。

 しばらくして、茹でたカニを目の前に出してやった。ハサミとカニスプーンの使い方を熱心に聞いていたが、一度食べ始めるとすごい勢いでカニをほじって食べている。

 さっきまでの饒舌はどこへやら、無言で。

 カニ食べると無口になるのって日本人だけじゃ無いんだな……。

 しばらくするとカニの殻が山になって積み上がった。見るとどれもきっちり綺麗に食べられている。手先が器用なのかもしれない。

「いやぁ美味かった。こんないいものが食べられて、今夜はいい夜だったよ」

 お会計して出て行く後ろ姿を見ながら、僕はカニは好きだけど、剥くのめんどくさいんだよな、誰か剥いてくれないかな、なんて事を考えていた。

挿絵(By みてみん)

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