第二十三話 焼きナス
その人はお店の時計が五時のメロディを奏でると同時に店に入ってきた。
きちんと撫でつけられた髪に仕立てのいいスーツ。恐らくまだ30代だと思うが理知的で仕事ができそうなカッコいい白人男性だった。
「もう中に入っても大丈夫ですか?」
彼は気さくな笑顔でそう言うと、大将に促されるままカウンターに座った。ウチは時間も守らずさっさと入ってくる人も少なくないのに、几帳面な人だ。
彼はブランデーを注文するとぐるりと店の中を見渡した。そしてカウンターの端の柱に彫刻が施されているのを見つけると、近寄って熱心に眺めていた。
「こういうお店には変わった彫刻ですね」
彼がそう言うと大将が
「ああ、私は北海道の出身で、北海道にはアイヌという先住民族がいて、その人たちの伝統的な模様のモレウとアイウシと、シキというものを組み合わせて掘ってあるんです。北海道の友人が魔除けになるからって改装のプレゼントに送ってくれて……」
「えっそうだったんですか? そんな意味があったとは……」
僕が素っ頓狂な声を上げると大将は呆れた様な顔をした。
「向井くんはいろんな事に興味が無さすぎるんだよ。若いんだからもっといろいろな事に興味を持って経験してかないと」
「えー? だって普通柱の模様になんて興味無いですよね?」
僕がそう言うと白人男性はハハハと爽やかに笑った。
「確かにそうかもしれないね。僕が興味を持ったのも単純にそういうものが身近な仕事をしてるからかな」
「あ、もしかして家具職人なんですか?」
「残念! 当たらずとも遠からず。実際に家具職人のところで見習いをしていた事もあるけどね。今は船の設計士をしているんだ」
船の設計士……。家具がどうとか言ってる以上、小型の漁船などでは無く、大型の豪華客船とかなのだろう。
「こういう伝統的なものにもすごく惹かれるんだ。僕の名前自体、父の名前にJr.を付けて引き継いでいるしね」
「あー、確かに英語圏だとJr.って名前付いてる人が多いイメージあります」
僕がそう言うと、彼は小首を傾げた。
「そうかな。イギリスではそんなに多くないと思うけど。昔の貴族とか上流階級ではあったかもしれないけど」
そうなのか。じゃあjr.が多いのは意外とアメリカとかなのかもしれないな。
「じゃあお兄さんは上流階級の方なんですか?」
僕がそう尋ねると彼は苦笑いをした。
「どうかな? 僕自身は16歳から働いていたけど、父はアイルランド枢密院のメンバーで貧しい生活をした事はないから、上流階級と言えなくもないかな」
彼はそう言ったが、僕は確実に謙遜だろうなと思った。確かに彼は気取ったところもなく、さっきから気さくな印象だけど、きっちりとアイロンのかけられたシャツや仕立てのいい上品なスーツ、また、彼の言動一つ一つから上流階級の匂いがした。それは成り上がりでは身につかない、子どもの頃から上品な環境に身を置いていた人のそれだった。
そんな人がいったい何を食べるのかと見ていたら、メニュー表から選んだのは意外なものだった。
「この美しく淡い色の野菜はなんだね?」
美しい? 何かそんなもの載っていただろうか、と横から覗き込むと、指差していたのは焼きナスだった。
「あぁ、これはナス、えーとエッグプラントを焼いて、皮を剥いたものです。この時期は旬を迎えていて、トロッとしてとても美味しいですよ。日本では昔からあまりに美味しいので焼きナスは嫁に食わすな、と言われてるくらいで……」
「向井くん、それは焼きナスじゃなくて秋ナスだよ。まあ、今時期のナスだから間違ってないとも言えるけど。それからエッグプラントはアメリカ英語。イギリスだとオーバジンと言うんだ。あと、秋ナスは美味しいから姑が意地悪で嫁には食べさせないという説の他に、ナスは体を冷やすからお嫁さんを気遣って、という説もあるから、説明するならそこまで言わないと単純に日本の嫁姑関係が悪いと思われちゃうじゃないか」
へえ、そんな説があるんだ。当然僕は知らなかっただけだ。
しばらくするといい香りがして、焼きナスが出来上がって来た。彼は勧められるまま、醤油にすりおろし生姜をとき、ナスを付けて食べる。
「美味しい! 確かにトロッとしていて、しかも甘い。このジンジャーがピリッとさせてくれているのもいいね。イギリスのオーバジンはもっと大きくて皮が固いから、じっくりと火を入れてやる必要があるんだけど、これはこんなに短時間でトロトロにできるんだね」
ブランデーと合うのかはわからないが、彼は焼きナスを気に入ってくれた様で良かった。
彼は焼きナスを食べ終わり、ブランデーをぐいっと飲むと立ち上がった。
「それではお会計を」
「ええ? もうお帰りですか?」
「うん、今新しく建造している船が佳境なんだ。この船はとても大きくとても豪華で、そして何よりとても安全なんだ。僕は普段あまり自分でこういう事は言わないんだけど、完成したら歴史に名を残す、名船になるだろう。僕はあんな船を設計できて本当に幸せものだ」
「へぇ、それは楽しみですね。いつ頃完成なんですか?」
「そうだなあ、恐らく年は超えてしまうだろうな。最初の予定では二月頃の完成予定だったんだが、先に操業していた姉妹船が事故を起こしてしまって、そちらの修理に人員も資材も取られてしまっているから、遅れるんじゃないかな」
「ははぁ、そうなんですね。船でも事故とかあるんですね。海は広大なのに」
「ハハハ、残念ながら大きな船というのは小回りが効かないからね」
そんな苦笑いをしながら出て行く彼を、次の船もデカいって言ってたけど大丈夫かな? とちょっと心配になりながら見ていた。




