第十七話 タルタルソース
その日はなぜだか全然客の入りが悪く、大将も八時半には「もう今日は閉めちゃおうか」なんて言い出す始末だった。
もちろん反対する理由なんてない僕はテーブル席をアルコール拭きし始めて、閉店準備を始めた。
しかしタイミング悪く、その時ドアが開いて端正な顔をした白人男性が入ってきた。
「日本風の料理を出すパブというのはこの店かい?」
「そうです。たぶんウチの事だと思います」
すると男性は嬉しそうに笑うとカウンター席に腰を下ろした。
「ではエビの天ぷらはあるかい?この間日本に行った時に初めて食べてすっかり気に入ってしまって、たくさん食べたんだけど、なかなか出してくれる店がなくてね。日本風料理を出す店があると聞いて喜んで来たんだ!」
その話に思わず僕と大将は眉間に皺を寄せてしまった。
「すみません、エビの天ぷらは無いです……」
「そうなんです。刺身用のエビでも仕入れてる時なら作る事もできたんですが、生憎今日は無くて……」
すると男性はあからさまにガッカリした顔をした。
「そう……か。それは残念だな……」
「すみません……」
本日貴重なお客さんだというのに、喜ばせてあげられない事が残念だった。
その時バーンとやけに大きな音を立ててドアが開いた。
「やぁビューティフルボーイ!君に会いに来たよ」
うわっ出た。いつか来た派手な客だ。相変わらず今日もモルフォ蝶のような光沢のジャケットを羽織っている。
「いらっしゃいませ……」
僕は事務的におしぼりを渡す。
「今夜もアブサンとエビフライを用意してくれたまえ」
前回頼んだエビフライがよっぽど気に入っていたのか、また注文している。早速僕の手を握ってくる彼を振り切っていると、先に来ていたお客さんがぽつりとつぶやいた。
「エビフライってなんですか?」
「ああ、エビフライはエビにパン粉の衣をつけて揚げた料理です。香ばしくて美味しいですよ」
「でもさっきエビは無いって……」
「あ、エビフライは衣を付けた状態で冷凍したものがあるんです。お出ししましょうか?」
「おぉ!よく見れば君もまたビューティフルボーイじゃないか!エビフライが気になるのかい?そしたら彼の分も作ってくれたまえ。お代はもちろん僕持ちで」
「そんな!初対面の方にご馳走していただくわけには……」
先に来ていた客が慌てて断る。
「いいんだよ、君みたいに美しいボーイと一緒に飲めるならそれくらいお安いものさ」
「お客様のご迷惑になりますから当店で他のお客様を口説くのはおやめください」
大将が抑揚のない声で注意する。
「僕の両親はミュージックホールに出ている芸人で、父は人気のある歌手だったけどまともに家にお金を入れなくて酒ばかり飲んでいた。母は売れない女優だったから、収入といえば洋裁やら看護やらで稼いだ小銭くらいだったから、とても貧しかったんだ。だからその頃こんな風にご馳走してくれる人がいたらすごく喜んだと思う。でも今は自分でもまともに稼げるようになったから、知らない人に頼まなくてもエビフライくらい食べられるよ。僕の分もお願いします」
物腰の柔らかい感じでいながらピシャリとお断りした事に驚いたが、断られた方は全く気にしていないようなので、僕もあえて触れないようにした。
しばらくしてエビフライが出来上がると、彼はまじまじと見つめていた。
「この白いソースはなんだね?」
「あ、タルタルソースです。マヨネーズにゆで卵やピクルスなんかを入れたソースで、揚げ物によく付けて食べるんですよ」
すると彼は恐る恐る箸でソースを掬い、口に運んだ。
「おお、これは美味い!なんて複雑で豊かな味なんだ!」
そしてエビフライを摘んで持ち上げると、タルタルソースの中にダイブさせ、たっぷりと付けたものを口に運んだ。
サクッといい音がする。
「これは……香ばしくて、しかもエビの弾力もちょうどよくて、ソースとの相性も抜群だな。エビの天ぷらを食べられなかったのは残念だが、このソースに出会えただけでもこの店に来て良かった」
「僕も君に出会えたからこの店に来て良かった」
エビフライを食べている男性をうっとりと見つめながら派手な客がアブサンを流し込む。
おい、イケメンなら誰でもいいのか??その客と僕とどっちがいいんだよ!絶対僕の方がカッコいいだろ!……って、僕はいったい何を考えてるんだ……?こんな無駄な対抗心を抱いて……。
結局彼はエビフライとタルタルソースを三度もおかわりして食べて行った。
彼が帰る時に派手な客も一緒に帰ってくれてホッとした。あのお客さんにつきまとってなきゃいいけど……。
「それにしても海外にはタルタルソースも無いんですかね?」
僕が素朴な疑問を口にすると大将が答えてくれた。
「いや当時はともかく、今はイギリスでもフィッシュ&チップスにタルタルソースを添えて出してるお店も増えてるみたいだよ」
「うーん、じゃあそんなに珍しくないはずですよね……」
帰り道、コンビニに寄ってフライドチキンを買った。なんであの客はタルタルソースをあんなに珍しがったのかなぁ。
ん?当時はともかく今は、ってなんだ?なんの当時なんだ??そんな、あの客が昔の人みたいに……。
大将はいったい何を知っているんだろう。僕はモヤモヤとしたまま、家路を歩いた。




