第十五話 枝豆
うちにはたくさんの種類の料理がある。酒のつまみになりそうな料理はもちろん、丼ものやらパスタなんかも用意している。だが、カウンターに座っているこの白人の老紳士と来たら、さっきからピーマンの串焼きだの冷やしトマトだのばかり食べている。出しといてなんだけど、ワインのつまみになるとは思えない。最終的には何の変哲もない枝豆を気に入ったらしく、おかわりまでして一心不乱に食べている。
「ウチは焼き鳥とかも美味しいですよ」
と話しかけたが、気づかなかったようだった。何度か話しかけると、ようやく僕の存在に気がついたようで、顔の前で手を振りながら笑った。
「すまないね。私はこちら側の耳が全く聞こえないんだ。反対側ももうほとんど聞こえないがね」
そう言ってはははと笑う。
「聞こえないといろいろ大変ですね」
僕は若干同情気味にそう言ったが、彼は
「いや、確かに不便な事もあるが、聞こえないというなは考え事をするにはなかなか有用な事もあるのだよ」
などと語った。
「それと私は今肉は食べないんだよ。魚もたまにほんの少量食べるだけだ」
「へぇ、じゃあベジタリアンなんですか?」
「ああ、ほとんど野菜しか食べないね」
そう言いながらも器用に豆を口に入れている。海外の人は枝豆を上手く食べられない人もいるが、この人は日本人と遜色なく食べている。
「枝豆食べるの上手ですね」
「うん?ああ、私の助手に一人日本人がいてね」
そうなのか。日本人と一緒に働いているなら枝豆を食べる機会もあったのかもな、いや、あんまり関係なくないか?
「それにしてもこの店は混んでいるな。宣伝が上手なのかい?」
「いえ、宣伝はほとんどしていないです。お客さん同士の口コミの効果が大きいです」
「何?宣伝に力を入れていないのか。宣伝は大事だぞ。私は自分のところから独立した部下がウチより新しい技術を開発した時も、自分の会社の利益を守るために、いかにそれが危険な技術かを宣伝した事もある」
……うん?ネガキャンか?なんだか最近似たような話を聞いた気がするな。
ところでさっきから気になっていたんだが、この老人、絶対にどこかで見た事ある気がするんだが、誰だったか。老齢の白人男性になど知り合いはいないんだが……。
「炭のいい香りがするな」
老人は鼻をくんくんさせながら、焼き台を覗き込む。
「ええ、焼き鳥は炭火で焼くものなんです」
「炭か。私も炭、特に日本の竹炭にはお世話になったもんだよ。でも火の始末だけはしっかりしなければいけないぞ。私は人生で二度も火事で痛い目にあっている。火事は恐ろしいものだぞ」
ウチでは営業が終わるとすぐに大将が炭を炭壺に片付けている。食べ物屋で火事を出すなんて食べ物屋最大の失態だ、と大将がよく言っているので、ウチから火事を出す事はないだろう。
老人は豆の殻を山盛りにして帰っていった。枝豆であってもワインには合わないような気がするんだけど、どうなんだろう。
「やっぱ枝豆にはビールだよね」
同じ事を思っていたのか、大将がポツリとそんな事を呟く。でも僕は知っている。実は大将は下戸だという事を。




