四話 案の定
「案の定」だったらしい。
人間に対する俺の薄汚い猜疑心は、ただの被害妄想なんかじゃなく、正真正銘の「案の定」だったのだ。
猫の身体になって三日目の朝。
まだ昨日のシャワーの恐怖と、骨の髄に残る冷え込みが抜けきらないまま、俺はリビングの片隅のクッションの上で丸くなっていた。鋭敏すぎる耳が、玄関のチャイムの音を鋭く拾う。
ピンポーン。
重低音の塊のような音が頭に響き、俺は思わず耳を伏せた。
部屋の奥から、ボサボサの頭をした飼い主の男が気怠そうに出てきて、ガチャリと玄関の鍵を開ける。「お世話様です、お荷物でーす」という配達員の無機質な声と、重いものが床に置かれるズシリとした振動が、フローリングを通じて俺の肉球に伝わってきた。
男がリビングに引きずってきたのは、縦横1メートルはあろうかという、異様に巨大な段ボール箱だった。
箱の表面には、赤い文字で『割れ物注意!』『取扱厳禁』のステッカーがこれでもかと貼られている。
(……なんだ、あの荷物?)
猫のぼやけた視界でも、その異様な存在感は十分に伝わってきた。
男の様子が、いつもと明らかに違っていたからだ。普段は死んだ魚のような目をしているくせに、その箱を前にした男の呼吸は、まるで獲物を前にした肉食獣のように荒く、興奮で小さく手が震えている。
男はカッターナイフを取り出すと、ガムテープを乱暴に引き裂いた。
バリバリ、という鋭い駆動音が部屋に響き渡る。箱の隙間から、ドッと「ある匂い」が溢れ出してきた。
(っ……!? なんだこれ、青臭い……?)
キャットフードの生臭さとは違う、けれど人間の鼻でもはっきりと不快感を覚えるような、濃厚で、どこか泥臭く、油分を含んだ植物の匂い。
男が箱の中から取り出したのは、緑色の不気味な苗木だった。しかも、一つや二つではない。箱の奥から、次々と、何十株もの緑の塊が引っ張り出されていく。
男はそれらを大事そうに抱え、リビングの窓を開けてベランダへと運び始めた。
俺は、音を立てないように静かに身を興奮させ、ソファの影からその様子を盗み見た。ベランダに出された緑の苗木。男がそれを満遍なく並べ終えたとき、俺は、見てはいけない人間の「深淵」を見てしまった。
その植物の葉は、独特の形をしていた。
手のひらを広げたような、ギザギザとした奇妙な7枚の葉片。
前世、松葉杖生活の中で、やることがなくて一日中スマホの画面を眺めていた俺の脳裏に、ある知識がカチリと火花を散らした。ネットのニュース、あるいは海外のギャング映画。どこかで見たことのある、あまりにも有名な『あの植物』のシルエット。
さらに、鋭すぎる鼻が、その植物の「本質」を捉える。
ただの草じゃない。熱を帯びたような、独特の甘ったるい香りと、鼻の奥をツンと刺すような薬品に似た青臭さ。間違いない。これは、この国では絶対に育ててはいけない、触れてはいけないものだ。
(……大麻だ)
犯罪の匂いが、部屋の空気ごと俺の肺を満たしていく。
ベランダに敷き詰められた緑の絨毯。それは、この男の部屋が、違和感があるほど綺麗で生活感がなかった理由を証明していた。男はこの部屋を、生活の場としてではなく、この違和感だらけの「栽培工場」として使っていたのだ。
喉の奥がカラカラに渇いていく。身体を動かすことすらできなかった。
もし俺が普通の猫だったら、「なんか緑の草がいっぱいあるな」としか思わなかっただろう。けれど、俺の頭には人間の、それも最悪な形で擦れてしまった涼太の知性がある。だからこそ、気づいてしまった。
彼への信用なんて、もともと地の底にあった。けれど、それは今、完全に底が抜けて宇宙の果てまで落ちていった。
やっぱり、こういうことだ。
人間はみんな、外面の裏にクソみたいな裏の顔を隠し持っている。
捨て猫を拾った聖人君子のような顔をして、裏では違和感なく犯罪に手を染め、大金を稼ごうとしている。俺の父親が優しさの裏で人を破滅させていたように、この男もまた、薄汚い悪意をこの部屋で育てていたのだ。
神様、あんたはどこまで俺をあざ笑えば気が済むんだ?
人間は醜いから動物になりたいと言った俺に、「ほら、お前を拾った人間もこんなに醜いクズだぞ」と、わざわざ特等席で見せつけてくれているのか。
(ハハ……笑えねぇよ……)
俺はベランダで熱心に大麻の苗に水をやる男の背中を、ただ冷え切った目で、じっと見つめ続けることしかできなかった。




