三話 悪戯
「あ、……あ、……っ」
一歩歩くたびに、ひび割れた喉の奥から乾いた悲鳴が漏れる。
どれだけ体内に水分が残っていようが関係ない。人間の脳が知覚しているのは、口の中が完全に砂漠化しているという「感覚の地獄」だけだ。上顎に張り付いた舌を動かそうとするたび、ピリピリと皮膚が裂けるような激痛が走る。
そんな狂いそうな渇きの限界の中で、俺の視界の端に、奇跡的に「緑色」の影が映り込んだ。
(み、ず……? いや、植物……!?)
砂丘の窪みに、ぽつんと生えていたのは、数本の不格好なサボテンだった。
普通の人間の感覚なら、あんなもの食い物に見えない。だけど、今の俺は脳がバグるほどの渇きに支配されている。あの緑色の肉厚な茎の中に、たっぷりと瑞々しい水分が詰まっているのが、目に見えるように分かってしまった。
その瞬間、俺の意志とは無関係に、ラクダの肉体がガタガタと歓喜に震え出すような感覚がした。
(おい、待て……! それはヤバい、絶対にヤバいって……っ!)
頭では分かっている。サボテンの表面には、人間の指ほどもある鋭く長いトゲが、隙間なくびっしりと生え揃っている。あんなものを口に入れたらどうなるか、小学生でも分かる。
だけど、飢えと渇きに見かねたラクダの防衛本能が、俺の理性を完全に無視して暴走を始めた。長い首が勝手に伸び、大きな口が、目の前のサボテンへとガブリと狂ったように噛み付いたんだ。
――次の瞬間、俺の口内で、最悪の「洗礼」が炸裂した。
『ッぐあ、あああああああああああああああああッッッ!!!!?』
声にならない絶叫が、脳を直接殴りつける。
痛い。痛い痛い痛い痛い!!
ラクダの口内っていうのは、本来ならトゲをすり潰せるようにゴツゴツした硬い皮膚で守られているらしい。だけど、俺の感覚は100%「人間」のままだ。しかも、渇きのせいで、口の中は今、限界まで乾燥してガサガサに干からびている。
そこに、無数の硬い針が一斉に、容赦なく突き刺さったんだ。
乾燥して伸縮性を失った皮膚に、ブスブスと錆びた釘を何十本も同時に打ち込まれるような激痛。一本刺さるだけでも跳び上がるほど痛いトゲが、口の粘膜、舌の裏、喉の入り口にまで、容赦なく肉を裂いて侵入してくる。
「ウ、グ、ゥゥ……ッ!!」
あまりの痛みに吐き出そうとしたけれど、ラクダの顎は容赦なく次の咀嚼を始めた。
バリ、ボリと、トゲ付きの肉厚な茎を力任せに噛み砕く。そのたびに、口の中でトゲが横滑りして、肉をズタズタに削り取っていく。
さらに最悪なのは、サボテンの汁が溢れ出た瞬間だった。
(う、おえっ……冷た、いや、苦い……! 青臭い……っ!!)
求めていた「水」なんかじゃない。口の中に広がったのは、粘り気のある、暴力的なまでに強烈な青臭さと苦味だった。ドロドロとした植物の毒液のような液体が、トゲで傷だらけになった生傷に容赦なく染み込んでいく。
激痛、熱感、そして理性を一瞬でマヒさせるほどのゲテモノの味。
脳がこれを飲み込んだら死ぬ、と100回目のみっともない拒絶反応を起こして、喉がヒィヒィと引き攣る。だけど、ラクダの食道は、そのドロドロの塊をゴクリと容赦なく胃へと送り届けた。
「ガハッ、ゴホッ……! はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
口の端から、緑色のネバネバした汁と、赤黒い血が混ざり合ったものがタラリと滴り落ちる。
口の中を確かめると、まだ引き抜けないトゲが何本も肉に刺さったまま、ジンジンと拍動するように痛んでいた。
(神様……あんた、本当に俺のことが大嫌いなんだな……)
猫のときのキャットフードなんて、まだ綺麗な部屋で出される食事だった。ここでは、生きるための水分補給さえ、無数の針を口いっぱいに頬張る拷問でしかない。
口の中に残るトゲの痛みに耐えながら、俺は涙で歪む視界の先を見つめた。
砂漠の洗礼は、まだ始まったばかり。俺のラクダとしての肉体は、この激痛と引き換えに、最悪な形で潤いを手に入れてしまっていた。




