一話 燻る気持ち
ド、グシャリ。
あの耳障りで、悍ましい衝撃音が脳裏にこびりついて離れない。
全身の骨という骨がひしゃげ、内臓が破裂し、口から一気に生暖かいものが飛び出した、あの圧倒的な「死」の恐怖。
(ああ、まただ。また、人間に突き落とされた……)
信じたかった。歪んでいようが、犯罪に手を染めていようが、あの飼い主の男を救って、俺もこの世界で猫として生きていこうと決意したはずだった。そのために、自分の小さな胃袋がボロボロになるまで大麻を詰め込んで、必死に足掻いたんだ。
それなのに、俺の選択はあいつの狂気のトリガーとなり、冷酷な手でベランダの外へと放り投げられた。
マンションの高さから、真っ逆さまにアスファルトへと叩きつけられた、あの最悪な墜落死の残痛。それが、魂の奥底で今もなお、赤黒くドロドロと燃え盛っている。
あの薄暗い階段の上から母に突き落とされた時と、本質は何一つ変わらない結末。
人間はクズだ。優しさを見せれば付け上がり、自分の思い通りにならなければ、平気で命ごとゴミのように投げ捨てる。母さんも、あの飼い主も、みんな同じだ。
裏切りの精神的ショックと、墜落死の凄まじい肉体的衝撃。
それらが頭の中でぐちゃぐちゃに混ざり合い、強烈な吐き気となって意識を現実へと覚醒させた。
「――ッ!、ゴホッ、ガハッ……!?」
激しく咳き込みながら、俺は強引に外気を吸い込んだ。
肺に流れ込んできたのは、猫のときに感じたような、ひんやりとした朝の空気ではない。まるで熱せられた鉄板の上を通り抜けてきたかのような、喉をカサカサに焼き焦がす圧倒的な「熱風」だった。
(熱い……っ! なんだこれ、火事か……!?)
慌てて目を開けようとするが、不自然なほどの強烈な黄金色の光が網膜を刺し、まともに視界が開けない。
じりじりと皮膚が焼けるような痛みが全身を襲う。俺はたまらず、その場から逃げ出しようと身体を動かした。
――その瞬間、身体の奥底から異様な絶望がせり上がってきた。
「動か……ない……っ!?」
重い。信じられないほどに、身体が重すぎる。
ベランダから落ちる直前までの猫の肉体は、羽毛のように軽やかだった。自分の意志さえ通れば、重力を無視するようにどこへでも跳べた。しかし、今のこの肉体は何だ。まるで全身に湿った泥とコンクリートをこれでもかと詰め込まれたかのように、ただ横たわっているだけで自重に骨がきしむ音が聞こえてきそうだ。
必死に頭を振って、涙を拭い、どうにか視界を確保する。
そこに広がっていたのは、絶句するような光景だった。
見渡す限り、地平線の彼方まで遮るものなく続く、荒涼とした黄金色の砂の海。
風が吹くたびに、細かな砂粒が波のようにうねり、容赦なく俺の皮膚へと叩きつけられる。影を作るような木々もなければ、水の一滴すら見当たらない。
(砂漠……? 嘘だろ、なんで砂漠なんかに……)
パニックになりながら、俺は地面に投げ出されている「自分の足」を見た。
そこに転がっていたのは、猫のしなやかな四肢でも、人間の足でもなかった。
ひび割れた象の皮膚のように分厚く、灰褐色をした、丸太のように太い不格好な足。その先には、巨大な座布団のような平べったい蹄がついている。
俺は、ゆっくりと自分の鼻先(それも異様に長く、上唇と一体化してぶら下がっている)を砂に擦り付けながら、自らの新しい「器」の正体を理解した。
ラクダだ。俺は、砂漠のラクダの肉体に放り込まれたのだ。
「ハァ、……ハァ、……ウ、グゥゥ……」
喉の奥から漏れるのは、かつて聞いたこともないような、地響きに似た不気味な重低音の鳴き声。
自由になったはずの足。松葉杖のいらない生活。その理想は、猫のときとは全く違う「巨体」という名の不自由さによって、早くも粉々に打ち砕かれていた。一歩を踏み出すどころか、巨体を起こすだけで全身の筋肉が悲鳴を上げる。
だが、肉体的な苦痛以上に、俺の心を黒く焦がしていたのは、人間への猛烈な憎悪だった。
(誰も救えない。誰も救わなくてよかったんだ……)
必死に足掻いた結果が、この灼熱の砂漠での、重苦しいラクダの肉体への監獄。
笑い声すら、獣の不気味な息漏れにしかならない。
裏切られたことへの猛烈な怒りと、自分の無力さへの絶望。そして、死んだことに対する悍ましい気持ち悪さが、引き抜けない棘のように魂の真ん中に突き刺さったまま、抜ける気配すらない。
激しい日差しが、俺の大きな背中をじりじりと焼き続ける。
俺の二度目の、いや、三度目の地獄が、この燃え盛る砂の海の上で、最悪の精神状態のまま幕を開けた。




