十一話 なくすもの
「あ……。ああ……あ……」
男の口から漏れ出たのは、言葉にすらならない、獣の呻きのような掠れた声だった。
床に散らばる無惨な茎。むしり取られ、跡形もなくなった緑の葉。その中心で、口の周りを緑色の汁で汚して座り込む俺。
男は糸の切れた人形のように、その場にドサリと膝をついた。
その瞳から、みるみるうちに光が消えていく。まるで、目の前で自分の家が燃え落ちるのをただ見つめることしかできない人間の顔だった。
「なんで……なんでだよ……」
ぽつり、と男の目から大粒の涙が溢れ、床のフローリングにシミを作った。
男は狂ったように頭を振り、自分のボサボサの髪を強く掻きむしる。
「なんでお前まで、俺の邪魔をするんだよ……! 俺が何をしたって言うんだ! 会社をクビになって、妻にも子供にも捨てられて、社会から『いらないゴミ』だって言われて……! それでも、それでも生きるために、必死で……必死で見つけた場所だったんだぞ!!」
男の叫びが、俺の耳を容赦なく引き裂く。
涙で顔をぐしゃぐしゃに歪ませながら、男は這い寄るようにして俺に近づいてきた。その手は激しく震えている。
「これさえ売れば……金が手に入れば、また普通の生活に戻れるはずだったんだ……! 妻や娘に、ちゃんと養育費を払って、俺はクズじゃないって、まだ生きてるって、証明できるはずだったんだよ!! お前をここに置いてやれたのも、この草があったからだぞ!?」
男の涙の裏にある、剥き出しの絶望。
俺はあいつを救いたくて、犯罪から遠ざけたくてこれを食った。けれど、この男にとって大麻栽培は、ただの悪事ではなかった。社会に後ろから突き落とされた人間が、もう一度地面から這い上がるための、歪みきった「最後の希望」だったのだ。
俺の行動は、男の最後の命綱を、最も残酷な形で叩き切ってしまった。
「お前は……お前だけは、俺の味方だと思ってたのに……」
男の涙が止まる。
同時に、その瞳の奥に、どす黒く濁った「狂気」の炎が静かに灯った。
絶望が限界を超えたとき、人間の悲しみは、すべてを道連れにする剥き出しの殺意へと変貌する。
「お前もあいつらと同じだ。俺の人生を、踏みにじる悪魔だ」
男の声から、完全に温度が消えた。
ゆっくりと立ち上がった男の手には、もう猫を愛おしむような温もりは1ミリも残されていない。その目が、俺の身体を真っ直ぐにロックした。
「お前はどこまで俺の人生を踏みにじれば気が済むんだ。おい、聞いてんのか……!?」
男の巨大な影が、俺の上空を完全に覆い尽くす。
逃げなきゃいけない。本能がそう叫んでいるのに、胃の中に詰め込んだ大量の大麻の毒素と、あまりの激痛のせいで、俺の四つの足はすくんでピクリとも動かなかった。
男の手が、容赦なく俺の首筋を掴み上げる。
視界が反転し、俺の身体はリビングの窓の外――あの手すりの向こう側の、何もない空間へと突き出された。
遠くの地上を走る車の音が、鋭敏すぎる耳に酷く冷たく響いていた。




